特集 “偏差値”を育てない、
豊岡市の教育
学びの舞台は豊かな大地! 自然に触れ、土地を知る。 生物多様性が学べる豊岡市
一度絶滅したコウノトリの野生復帰を、多様な生き物が生息する環境をつくることで実現した豊岡市は、子どもに対する環境教育への取り組みも熱心。豊岡ならではの豊かな地形を利用して、川・野山・田んぼを舞台に自然を学ぶ機会を積極的に設けている。子どもたちが自然のなかでいきいきすることは、大人たちの意識改革にもつながり、地域全体が変わろうとするきっかけにも。自然という尊い教材は、子どもたちにどんな影響をもたらしてくれるのだろう。
町のあちこちで見かけるコウノトリ
山や田んぼの広がるのどかな風景のなか、「ほら、あそこにおるよ!」と地元の人が指差す先を見ると、大きな鳥が優雅に空を舞っていたり、高いところで羽を休めていたり。教えてくれる人の表情は、ちょっと誇らしげ。しかも、大人だけでなく子どもたちも、その鳥がどこに巣を作っているのか、どこで雛が生まれたのかを把握している。兵庫県豊岡市は、絶滅したコウノトリの国内最後の生息地で、人工飼育によって長い時間をかけて野生復帰を実現した町なのだ。
豊岡市では、地域をあげてコウノトリ野生復帰に取り組んでいて、市役所には「コウノトリ共生課」という部署まである。ただしこの部署の目的は、単にコウノトリを増やすことだけではなく、コウノトリ「も」住める環境づくりをすること。
大食漢のコウノトリが生息するためには、エサとなる生き物があふれているような豊かな自然が必要不可欠。豊かな自然とは一体どんなことなのか、生物多様性の意味を子どものときから感覚的に理解できるような仕掛けが、行政と地域の連携によってなされている。
泥んこになっても怒られない?!
川と田んぼと野山が、学びの場
豊岡が特に力を入れているのは、幼い頃の自然体験。兵庫県立コウノトリの郷公園内にある、地域の自然文化を発信する拠点施設「豊岡市立コウノトリ文化館」。ここを管理・運営している「NPO法人コウノトリ市民研究所」が、約15年前から実施しているのが「田んぼの学校」だ。
月1回、コウノトリ文化館周辺の自然を舞台に、子どもたちが植物や生き物などに触れるイベント。「田んぼ」と冠しているものの内容は多岐にわたる。
たとえば、4月はあぜ道で一見違いがわかりにくいタンポポを集め、葉っぱや花びらの形から、タンポポにもさまざまな種類があることを学ぶ。
6月は初夏の田んぼで足を取られながら、カエルやヤゴなどの生き物を探す。7月は小川に入って、そう簡単には捕まえさせてくれない魚と格闘。11月は里山でいろんなどんぐりや落ち葉を拾って、実りの秋を体感する。
「昔は珍しい虫を捕まえたら、学校へ持って行ってたでしょう? 子どもには、ハンティング本能があるんだよね。そして捕まえたものを誰かに見せて『すごいね』と言われたい。それから、捕まえた生き物の名前を必ず聞いてくる子どももいます。そうやって思い思いに楽しむことが大事なんです」と話すのは、コウノトリ市民研究所の代表理事を務める上田尚志さん。
「田んぼの学校」は、対象年齢は設けていないが、近年は就学前の子どもも多く、親子で参加して田んぼで泥だらけになってはしゃぐ姿がよく見られる。2時間ほどのフィールドワークのあとに振る舞われるのは、朝市で買った野菜や猟師が獲ったシカやイノシシなどを使った地産地消の鍋。普段はやりたくてもなかなかできないこうした自然体験が、たった100円の参加費でできてしまうのだ。
子どもは自然を体感するのが一番!
もともと生物教師だった上田尚志さんは、コウノトリ文化館の館長でもあり、豊岡の自然文化に対して幅広い知識を持つ“生き物博士”。なぜこのような取り組みをしているのか、その理由を尋ねてみた。
「小さな子どもに対しては言葉で教えるよりも、自然のなかで遊んで、その良さを体感してもらうほうが、長い目で見てきっと役に立つはずです。川や野山でたくさん遊んだ子どもは、その環境を守りたいという気持ちが自然にわいてくるだろうけど、何の経験もない子どもに『野生動物を守りましょう』と教えても本当の意味では理解できず、頭の中だけの解釈になってしまう。だから難しいことは抜きにして、子どもは自然をたくさん体感するのが一番だろうというのが僕の考え方です」
自然を学び、土地を知る
田んぼの学校の進化版としてスタートしたのが、「出張!田んぼの学校」。お呼びのかかった地域にスタッフが出向き、そこに暮らす子どもたちが、自分たちの身近な場所で生き物を探す。
「すぐそばにこんな生き物がいるなんて知らなかった!」「子どもとこれほど遊んだのは久しぶり」と、子どもだけでなく大人にも人気のイベント。コウノトリ市民研究所とともに、このイベントを開催している豊岡市役所コウノトリ共生課の伊崎実那さんが、その狙いを説明してくれた。
「子どもたちが自宅から歩いていける、身近なところの生き物に目を向ける機会が作れたらという思いがあったんです。そうすることで、自分が暮らす地域への理解も深まりますよね」
フィールドも自由で、川や田んぼ、用水路、ビオトープ(生き物が生息するために人が整備した空間)など、地元の人が指定する主体性もいい。自分たちの地域の自然環境を知ることは、コミュニティの育成にもつながり、土地に対する愛着もわいてくる。
地域に根ざした自発的な環境づくり
周りに自然があっても安全性が重視され、子どもだけで遊ぶのは難しいこのご時世、身近な場所での自然体験は、子どもにとって新鮮で、大人にとっては懐かしい。しかも“昔取った杵柄”じゃないけれど、大人は自然遊びに慣れない子どもたちに手取り足取り教えながらコミュニケーションできる貴重な場にも。「出張!田んぼの学校」の効果を上田さんはこう語る。
「地域の人と『この池ではホタルが見られる』とか『向こうにいい川があるんだよ』などと自然についていろんな話ができるのは、僕らにとっても貴重ですし、地域の人にとっては身近な自然に目を向ける機会になります。子どもたちが自然のなかでいきいきしている姿を目の当たりにすると、そういう場所を残していかなければいけないと、大人は切実に感じるようです。
一般的に自然保護運動は、外から専門家などが来て、『あなた方は自然に対する理解がない』と一方的に訴えるケースが多いけれど、豊岡の場合はそうじゃない。地域に根ざしながら自然に触れ合う活動を通して、みんなで一緒に考えていく形を行政とともに目指しているのです」
最終的な理想形は、行政もコウノトリ市民研究所も関わらず、地域の人たちが自発的に自然とふれ合う活動を行い、足元にある小さな命や季節の移り変わりにまなざしを向けられるようになること。そして、それらを守ろうする意識を持つこと。コウノトリを地道に守り続けてきた町だからこそできる、一歩進んだ環境づくりと意識づくりといえるだろう。
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