特集 地域と福祉の関係

映画『幸福は日々の中に。』 茂木綾子監督インタビュー 私たちが、なんとなく引っかかっていることへのヒントが、この映画にはたくさん散りばめられている。

——ここからは、彼らを“スペシャル”な人々と呼ぶことにしよう——

ディレクターズ・ノートに、この監督のことばを見つけた時、それまでのもやもやがすっと晴れたような気がした。なぜなら、障がい者ということばに、どこか何ともいえない違和感を感じていたからだ。

鹿児島県にある知的障がい者施設「しょうぶ学園」の園長・福森伸さんは、ある時、障害のある人たちが社会の枠組みに沿えるようになるための職業訓練に疑問と限界を感じて、すべてを放棄してしまった。すると、彼らは誰に指示されたわけでもなく自ら絵筆や彫刻刀を手にし、思いのままに創作を始めたという。そこに描き出されたのは、彼らに“教えてきた”こととは違う、魂がゆさぶられるような芸術だった。「そのままでいい、何も学ばなくていい」。そう福森さんは心を決めた。彼らが衝動のままに生みだす芸術を、最良の形で紹介していこう。道なき道をゆく、しょうぶ学園の“幸福な日々”のはじまりだった。

現在公開中のドキュメンタリー映画『幸福は日々の中に。』は、そんな、世間一般の障がい者施設とは一風変わったやり方で、“スペシャル”な障がい者と、“ノーマル”なスタッフとが手を携えて日々を営む「しょうぶ学園」の今の姿が映し出されている。それは、福祉という範疇を超えて、地域社会、教育、人と人との関係とはどうあるべきか。そして、人としてのほんとうの豊かさや喜びとはなんだろう? と問いかける。

映像作家のヴェルナー・ペンツェルさんと、その妻である写真家で映像作家の茂木綾子さん、ご夫婦で監督を務めたという本作品について、茂木監督にお話を伺った。

写真:阿部 健 インタビュー・文:石田エリ

映画『幸福は日々の中に。』と「しょうぶ学園」についてはこちらから。

不揃いで、不可解。
それが、こんなにも心地いいとは知らなかった。

ーーはじめて「しょうぶ学園」と出会ったのは、鹿児島のマルヤガーデンズの屋上で開催された「otto&orabu」(しょうぶ学園に入所している障がい者と、スタッフとで構成された楽団)のライブだったと。その時の衝撃をディレクターズ・ノートに記されていますね。

出会いというと正確には、2004年に一度、しょうぶ学園で制作された器を別の場所で手にしたことがあるんです。その時は、なんだかよくわからずに、ただ器をみて「すごい!」と衝撃が走って爆買いしました(笑)。それから時を経て、あのライブを観たのが2011年でした。

この時は、夫のヴェルナーも一緒でしたが、その時点でもまだ「しょうぶ学園」について具体的なことはよく知らないままだったので、器の時以上の衝撃がありました。不揃いで不可解だけど、楽しげで爆発するような音楽。小雨でしたが気づいたら、隣でヴェルナーも傘を振り回して踊っていました(笑)。

 

ーーこの楽団の指揮者でもある学園長の福森伸さんも、「otto &orabu」の音楽について、「本来、音楽では“不揃い”や“ズレ”は好ましいものではありません。しかし、『はたして揃うことがすべて美しいことだろうか』と問いかけてみると、見えている世界には、実は見えていない別の可能性があることに気づきます」とコメントされていました。

そうした福森さんの理念というか、ずっと彼らと接してきた中で積み上げられてきた人生哲学とも呼べるようなものが、あのライブでは、ことばではなく感じ取ることができたんです。それで、もうその日の夜には、お酒を酌み交わしながら福森さんに「映画撮りましょうよ」と持ちかけていました。それを聞いて、福森さんは「ふーん」と(笑)。私たちが本気かどうかもわからなかったから、そんな反応だったのだと思いますけど、「撮りたいなら来れば?」と言ってくれて。そこから年に1〜2回、ヴェルナーとともに鹿児島で滞在しながら、撮影していきました。5年かかりましたね。

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ーー今の社会の仕組みが原因なのかどうかはわかりませんが、私たちの暮らしは障がい者の方たちに接する機会がとても少ないように思います。子どものころから身近に接していないと、いざ彼らと対面した時、どう接していいのかドギマギしてしまうところがあって。茂木さんにはそうした感覚はありましたか?

もちろんありました。はじめはよくわからなかったし、それは相手も同じだったと思います。でも彼らとは、まず先に福森さんがコミュニケーションを取ってくれていましたから。彼らも「また(福森)伸さんが誰かつれてきたな」という感じで、福森さんとの厚い信頼関係が築けているから、誰がいても気にならないといった様子でした。それがあったので、自然と入っていけたんだと思います。

だんだんと回を重ねていくうちに、私たちを覚えてくれる人もいて、特にヴェルナーは日本語がわからないし、外国人というのが珍しかったのか、ボディ・ランゲージが通じたのか、人気者になっていましたね。しょうぶ学園は、ある意味「普通は」というのが取り外された場所。私たちもいつの間にか、その環境を楽しめるようになっていきました。

サブ5

© silent voice/werner p enzel film production

ーー福森さんが入所者の方たちと接しているシーンを観ていると、対等で自然体で、たまに冗談まで交えていて、「ああ、これでいいんだ」と。その対話の光景が、とても清々しく感じられました。

ひと口には言えないですけど、そこには深い愛情がある。そのやりとりを間近で見ていると、福森さんのことが大好きというのが彼らからも伝わるし、福森さんも彼らに対して大好きというのを隠さない。福森さんにとっては、子どものころから接してきたから、ごく自然にできることなのかもしれませんが、相手に対する壁が限りなく薄くて、感情を抑圧しない。そのやりとりを撮りながら、すごく美しいと思いましたね。

サブ1

© silent voice/werner p enzel film production

ーー喜びも怒りも、私たちならのみ込んだり、抑えめにしたりするようなことを、そのままに表現する。嘘がないというのは、強いエネルギーを必要とすることでもありますよね。

だから、彼らは怒りも爆発させるとすごいんです。でも、そういう時でも福森さんは「わかったわかった」と。どうってことない感じでしたけど、普通は大きな声で怒っている人が近くにいると、怒りが自分に向かっていなくたって心が乱れますよね。なので、他のスタッフには戸惑っているような雰囲気もありました。福森さんは、彼らに対して「怒りを露わにするのはよくない」と思うこと自体が違うんじゃないか、という考え方ですけど、スタッフの中には一足飛びにそこに行くには時間がかかる人もいるだろうな、とも思いました。

 

ーーある意味、しょうぶ学園という大自然に放り込まれたような状態……。きっと、これまで無意識にセットされてきた「普通」というものが揺り動かされるようなことの連続ですよね。

そうなんです。なので、私たちも撮っているうちにだんだんと、これは障がい者云々ということではない、もっと根本的な人の幸せのあり方や価値観を問うものなのだと思うようになりました。

福森さんも「僕たちは、彼らに社会の秩序というものを教える立場ではない。彼らから精神的な秩序を学ぶべきだ」と言っていて。

彼らには物理的な障がいはあるけれども、心には障がいがないんです。私たちは、普段から人と接する時には、心に服を着ているようなところがありますよね。相手によっては、何枚も重ね着するし、着替えることもある。でも彼らは、いつも誰とでもどんな時にも、そのままの姿で。とても健康的で美しかった。福森さん自身もそこに近づきたいと思っているようでした。福森さんには、社会的な顔が必要な時もあるわけで、すべてを解放することはできないかもしれないですが、それでも私たちよりは限りなく彼らに近いマインドの持ち主だと思う。福森さんがかっこいい理由は、そこにあるんだなと思って見ていました。

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写真左:福森 伸さん © silent voice/werner p enzel film production

ーー確かに、限りなく素に近いマインドでいられることこそ、ほんとうの心の幸せと言えるのかもしれません。映画の中では、「私たちは筆と絵の具を渡されると『ここにどんな色を使って、どんな絵を描こう』と、まず考えるけれども、彼らは何のためらいもなくすっと紙に筆が下ろせる」というようなことをスタッフの方もお話されていていましたよね。

衝動と行動が一体化しているということですよね。彼らだって、筆を下ろす時にイメージがないわけではないと思うんです。ただそこに、「これを描いたらどうか」というような思惑が介在していないだけで。彼らにとって結果はどうでもいいことで、今これを描いている一瞬一瞬が喜びなんです。芸術という範疇でいえば、それが一番強いですよね。

ちょうど、同時期に“禅”をテーマにしたドキュメンタリー映画『ZEN FOR NOTHING』を撮っていたのですが、しょうぶ学園を知れば知るほど「過去でも未来でもなく、今にただ居続ける」という禅のメッセージとつながることに驚きました。今まで知的障がい者の方たちのことを、そんなふうに見たことはなかったですから。でも、福森さんはずっと以前からそこを捉えていて、「ほら、彼らはこんなにすごいぞ!」「彼らから学ぶべきことがあるんじゃないか」と、世の中に投げかけ続けている。

私たちを取り巻く固定観念というのはさまざまにあって、それらを一つひとつ溶かしていくためのヒントが、しょうぶ学園には詰まっていると思うんです。障がいがある・ないではなく、今の世の中をいろんな理由から生きづらいと感じている人たちは少なからずいて、そうした人たちを社会不適合ということばで括るのではなく、受け入れ解放させてあげられるような寛容さを、ここに学ぶことができる。この映画がひとつの種として、これからの社会のありかたを考える素となっていけたら、とてもうれしいですね。

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profile 茂木綾子
もぎ・あやこ/1969年、北海道生まれ。写真家、映画監督。東京藝術大学デザイン科中退。92年キャノン写真新世紀荒木賞受賞。97年よりミュンヘン、06年よりスイスのラコルビエールに 暮らし、ジュパジュカンパニーを設立。多彩なアーティストを招待し、生活、製作、交流を実験的に行うプロジェクトを企画実施。09年淡路島へ移住し、アーティストコミュニティ「ノマド村」をヴェルナー・ペンツェルと共に立ち上げ、様々な活動を展開。写真集『travelling tree』(赤々舎)、映画『島の色 静かな声』(silent voice/2008)など。

映画『幸福は日々の中に。』

渋谷シアター・イメージフォーラムほか、全国順次公開
監督:ヴェルナー・ペンツェル、茂木綾子 時間:73分
公式HP:http://silentvoice.jp/whilewekissthesky

<上映中>
鹿児島ガーデンズシネマ:〜7月29日(金)
大分県日田市日田リベルテ:〜7月29日(金)
渋谷シアター・イメージフォーラム:〜8月5日( 金)

映画『幸福は日々の中に。』 茂木綾子監督インタビュー 私たちが、なんとなく引っかかっていることへのヒントが、この映画にはたくさん散りばめられている。
(更新日:2016.07.26)
特集 ー 地域と福祉の関係

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地域と福祉の関係
病気や障がいのある人もない人も、子どももお年寄りも、そこに暮らす誰もがありのままいて、楽しむまちを目指して。地域と福祉、これからのかたちを考える。
映画『幸福は日々の中に。』 茂木綾子監督インタビュー 私たちが、なんとなく引っかかっていることへのヒントが、この映画にはたくさん散りばめられている。

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