特集 歩きながら見えてくる

写すこと、書くこと。「彼女のライフワーク」その後のはなし。 写真・文:熊谷直子

今年の3月に発行したタブロイド判『hinagata magazine vol.02』の特集“彼女のライフワーク”に登場いただいた、石川県金沢市出身で韓国ソウルに在住の書家・池多亜沙子さん。

取材を行ったのは、キーンと凍てつく冷気が身体中を巡る2月のソウル。東京を拠点に活動する写真家の熊谷直子さんと一緒に伺いました。

初対面の私たちをホームタウンに招きいれてくれ、生活のこと仕事のことたくさんのことを話してくれた池多さん。今回の“ライフワーク”取材の大きなポイントとして、書の制作風景の撮影もさせていただきました。書家である池多さんの核となる姿を切り取りたいーーその撮影は、編集やライターは同行せず、熊谷さんと池多さんのみで行われることに。取材が進み、時間をともに過ごす中で、女性の写真家と書家、互いに描き出す表現には、不思議と惹かれ合うなにかが生まれていたのです。

取材後、池多さんから、京都にある「Kit」と茶房「好日居」の2会場で個展が開催されるというお報せが届きました。帰国してもソウルでの出会いが心に染みついていた熊谷さんは、「もう一度」池多さんに会いに京都へ。

ソウルで池多さんの“書”に出会い、静かにシャッターを切りながら見つめたものを、もう一度確かめに。そして、池多さんとおしゃべりの続きを楽しみに。ふたりの女性、それぞれのライフワークが惹かれあい、生まれた縁。ひとつの出会いから続いていくお話を、熊谷さんに綴っていただきました。

 

写真・文:熊谷直子

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ソウルに住む書家の池多亜沙子さんとの出会いは、『hinagata magazine vol.2』の撮影だった。取材に行くことが決まり、事前に亜沙子さんの作品をホームページで眺めながら、「今にも動き出しそうな生き物のような字を書くこの方はどんな方なんだろう?」と、お会いする前から興味を掻き立てられていた。

取材では、亜沙子さんに丸2日間同行させてもらった。もちろん仕事ではあるけれど、私自身、純粋に亜沙子さんのことを知りたいという気持ちでいっぱいだった。

インタビューでは、現在に至るまでの亜沙子さんの人生が語られていった。これまでいくつかの職業に就き、“ここは私の居場所ではない”と感じつつも、与えられた仕事にきちんと向き合いやりきって、また次へ進んでいく。そうやって、じっくりと進んでこられたことがよく伝わってきた。
そして、ある時ずっと続けていた「書」を生業とし始め、ソウルへ移り住んだ。それまでの仕事や生活で経験してきたこと、そのひとつひとつが集まって、今につながっているのだなと。書家であり、旦那さんと二人で「雨乃日珈琲店」を営む店主でもあるけれど、肩書きのその前にひとりの人間であることをとても大切にされているように感じた。

編集部の「“書”の制作風景を撮らせてほしい」というお願いに、最初は積極的ではなかった亜沙子さんだけど、私たちがどんどん亜沙子さんの虜になっていることを感じ取ってくださったのか(笑)、撮らせていただくことができた。

後日、その時のことを「熊谷さんの持っている不思議な魅力に気持ちが変わり(中略)自分でもびっくりするくらいリラックスして書くことができ、なんとその時作品が完成したのでした」とブログに書いてくれていたことを知った。大袈裟だけど「あぁ、私、生きてて良かったな」とホロっとしてしまった。

ありがとう亜沙子さん。

制作風景は、その所作すべてが芸術作品の様で、筆を取り最初の一点を置く瞬間から一気に書き上げるまで、その一瞬たりとも見逃したくはないと息を殺しながら見入っていた。

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普段の緩やかな雰囲気から想像がつかないほどの勇ましい姿がそこにはあった。私が初めて彼女の「書」を見て感じた“今にも動き出しそうな生き物”が生まれ、魂が宿っていくのを見ているようで、胸が高鳴った。

あの時のことを誰かに伝える時、「亜沙子さんの身体に龍のような生き物がスルスルと入って、もの凄い力を放って一気に書き上げているみたいだった!」と、いつも表現している。

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亜沙子さんは、その時に書いていた“無丘”という言葉について、「人と人、国と国にも丘はない、という意味があるんですよ」と教えてくれた。サラッと聞いたその言葉の強さや深さを改めて思う。今、世界中で争っている人たちに届いて欲しい言葉だなと。

私にとって思い入れの強い作品になった「無丘」が、亜沙子さんの京都で開かれる個展で展示されるという報せをいただいた時は、本当にうれしかった。偶然にも、亜沙子さんの個展期間中に私も大阪で個展をしていたので、「これは見にいくほかないでしょう!」と、会場の茶房「好日居」へ向かった。

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奥の部屋にいた亜沙子さんが、話しをしている相手のほうにきちんと向いて座る姿を見た時、「ああ、亜沙子さんのこういう姿勢がすごく好きなんだよなあ」と、顔がほころぶ。

ソウルでの取材中、話しながら胸を熱くして涙ぐむ亜沙子さんの姿を何度も見ていたのだけど、私が京都へ来たことにもまた目に涙を浮かべて喜んでくれた。

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好日居の壁に掛けられた作品は、まるでずっとそこにあったようになじみ、けれど亜沙子さんそのもののように静かに力強くこちらの方を向いているようだった。

私自身、去年の暮れに初めて訪れて以来、ソウルの地にすっかり魅了されている。とにかくものすごく人々がパワフルで、血が沸き立つのを感じ、この土地に訪れるたびに自然と「生きる」ことに目が向いていく。

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亜沙子さんがソウルに住み始めた頃、突如「生活」という言葉を書きたくなったと話してくれたけれど、それも少し分かるような気がする。

『人として「生活」することを大切にしている』

言葉にするとどこか軽々しく聞こえてしまうし、日々が続いていくとついおろそかにしがちなことで。そんな中、亜沙子さんはどこにいても自分自身の「生活」をまっすぐ見つめている。そこで自分の時間を過ごしてきているのだろうし、だからこそ新しく始まったこの土地にある「生活」に目が向いたんだろうと思う。『hinagata magazine』の紙面でも語られていた「書も珈琲店も“仕事”と括れないんです」という言葉を思い出す。

 

写真を撮ることで沢山の出会いがあり、知らない世界を知ることができる、それは本当に幸せなこと。

私が写真を撮り始めたのは小学生に上がる前、たぶん5歳くらいだったと思う。両親が共働きだったことを良いことに、ひとりになると勝手にカメラを触っていた。ファインダーを覗いてシャッターを切る音に興奮したことは、今でも身体に染みついている。

その頃撮っていたのは、身近にいる人たちや日々の出来事……そう、今撮っているものと何一つ変わっていないし、人を撮ることが一番好きなのもその頃から変わっていない。

“写真を撮ることは、その人にしかない魅力を見つけること”だと知らぬまに気がつき、ファインダーの向こう側に言葉では表せないほどの輝く世界が広がっているのを感じていたのだと思う。

その後、20歳で本格的に写真を学ぶためにパリへ留学したのだけど、日常の中にこそ美しさがあるということをまざまざと感じる4年間だった。もちろんパリの街の美しさもあるけれど、それ以上に日々の生活を大切にするフランス人の暮らしそのものに随分と影響を受けた。

昨年初めて訪れたソウルにもその時と同じような空気を感じ、街並みもハングル表記を除いてはどこかパリに似ているところもあって……だから、一気にソウルに惚れ込んでしまったのだと思う。フランス語と韓国語の響きが似ているという私の意見にはまだ誰も共感してくれる人がいないんだけど(笑)

ソウルでは私の好きな鮮やかで激しい赤の色を強く感じる。

もちろん唐辛子や赤い肉の印象が強いのだろうけれど、それ以上に生命体としての強さだったり、激しさなんだと感じる。

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とにかく皆よく喋るし、よく食べる。
顔の距離が近いのに大きな声で話しをする。
なんでも共有する。

日本だとその距離の近さが鬱陶しく感じることもあるのだろうけど、韓国では“情熱”と感じるのは風土なのだろうか? 私にとっては、その熱がソウルの魅力だと思うし一番惹かれるところ。

写真を撮ることで沢山の出会いがあり、知らない世界を知り、そしてそこに好奇心と探究心が生まれ、また写真を撮りに行く。

そうやって私はこれからも進んでいくんだろうな。

ああ、早くまたソウルへ行きたい。

池多亜沙子さん
書家、「雨乃日珈琲店」運営。石川県金沢市生まれ。幼少より書を始める。2012年に韓国・ソウルに拠点を移し、日韓を行き来しながら個展やグループ展で作品を発表。古典をベースとした作品の制作、日本酒ラベルなど商品や店舗ロゴも手がける。月に2回、雨乃日珈琲店にて書道教室を開催している。ikedaasako.com

熊谷直子さん
写真家。兵庫県尼崎市出身。東京都在住。20歳で渡仏し、写真と芸術を学ぶ。帰国後、藤田一浩氏に師事し、2003年よりフリーランスへ。雑誌や広告、CDジャケット、舞台などで幅広く活躍するかたわら、個展などで作品を発表している。自身初の著作となる写真集『赤い河』( TISSUE PAPERS)を発売したばかり。kumagainaoko.com

(更新日:2017.06.30)
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見慣れた地元も、知らない街も、視点を変えて歩いてみれば新しい何かが見えてくるかもしれない。浦安からフィンランドまで、あの人と巡るまちの観察記録。
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