COLUMN
あの子が故郷に帰るとき
佐藤真理子

27歳

ニット製造
会社勤務

第2話 『母と別れて三千里』

1989年12月13日、私は父、武郎、母、育子の元、3人兄弟の末っ子として千葉で生まれました。

両親は上の兄2人の子育てには相当苦労したらしく、一番下の私は、ほぼほったらかし。そのおかげで自由奔放に育ったんだと思います。

私は近所では有名な失踪癖のある子だったそうです。もちろん私的には失踪してるつもりはありません。ちょっとお散歩、くらいの感覚だったのです。

真っすぐな道があったらそれがどこまで続いてるのかただただ知りたくなる、そんな子だったんです。いなくなる度に犬を一匹連れて帰ってくるので、一時期我が家には大小様々な犬が8匹いました。

多分3歳か4歳の頃だったと思います。母が突然いなくなったのは。

それに気付いたのは12歳の時でした。自分がよくいなくなるので、誰かがいなくなってもなんとも思わないのです。犬がいすぎたのも原因かもしれません。

たまたま会えてないだけで、母は家の中のどこかにはいるんだろうなと思っていました。終わりのないかくれんぼをしているような感覚だったんです。なんなら私が母から隠れているくらいに思っていました。どれだけ会えずにいられるものか毎日わくわくしていました。なので母は隠れてる訳ではなく、出て行ったんだと知らされたときはさすがにショックでした。

どこに行ったか、なぜいなくなったか、父は一切教えてくれませんでした。

私の小中高時代は母がいないまま終わりを迎えようとしていました。多感な年頃に母親がいないのは辛かったでしょう、とよく言われるのですが、辛かったに決まってます。寂しかったに決まってます。犬がいすぎたおかげで母がいないことに耐えられたのもあると思います。母がいなくなってから私は全く失踪しなくなりました。突然いなくなるということは相手にこんなに辛くて悲しい思いをさせるんだと知ったからです。

母はもういないんだ、私が将来母親になったとき自分の子どもには絶対にこんな思いをさせない。そんな高校生らしからぬ覚悟を決めた17歳の誕生日の夜に私宛に宅急便が届きました。人生で初めての私宛の荷物でした。開けてみると厚手の民族ものっぽい敷物が入っていました。折り畳まれた敷物を広げてみると、中からCD-Rが1枚。誰からなのかは不明でしたが、きっと私宛てのプレゼントなんだろうなと思いました。

CDをプレイヤーに入れてかけてみると、昔っぽい曲が流れ始めました。

何の曲かはわかりませんでしたが、歌が始まった瞬間視界が真っ白になりました。

母の声でした。

十数年振りだったと思います。でも間違いなく母の声だと確信が持てました。すぐ父と兄に聴かせました。父は目を瞑って曲を聴き、1番が終わったところでつぶやきました。

「17歳だ」

17歳という曲のようでした。私の17歳の誕生日に母が自分で歌った「17歳」(作詞:有馬三恵子/作曲:筒美京平)を送ってきてくれたのでした。

「私は今生きている。私は今生きている」

サビのここの歌詞を聴いた時、嬉しいでも悔しいでも悲しいでもない、当時の私には説明できない感情の波が押し寄せてきて涙が止まらなくなりました。

割合で言ったら嬉しい6、悔しい3、悲しい1、くらいの割合だったと思います。

悔しい、の感情は母の歌があまり上手くなかったことが原因だと思います。

でも、母は生きている。私の誕生日を覚えてくれている。それが本当に嬉しかったのです。

私は高校を卒業して、大学に進学。母からの連絡も17歳以降途絶えました。

どこにいるのか、何をしているのかも全くわかりません。

唯一の手がかりは母から届いた厚手の敷物でした。お母さんの手作りなんだろうなと勝手に想像していました。

就職先に悩んでいた21歳の冬、部屋で敷物の上で寝てしまった時、不思議な夢を見ました。

私はジャングルを彷徨っていました。聞き慣れない言葉がジャングルのなかに響き渡ります。木陰に隠れて振り返ると、褐色の肌をした外国人100人くらいが銃を持って私を捜しているのです。1対100です。絶対に逃げ切れないと諦めかけた時、声がしました。

「こっち! こっち!!!」

振り返るとそこには白い小猿がいました。小猿がまた言います。

「こっち!」

日本語なのですが、こっち、ではなく、kotti、の感じでした。片言の日本語を話す白い外国小猿だったのです。

小猿に導かれるがままに私は無我夢中でジャングルの中を走りました。よっぽど慌てていたのでしょう、小猿と同じく四つん這いで走りました。

辿り着いた先には大きな工場がありました。その頃には小猿はキーキーとしか言わなくなっていました。古い鉄格子の扉を開けると、なんとそこにはマラカスを持った母がいました。母はマラカスを振りながら小躍りを披露し、私に向かって「オラ!」と言ったのです。そこで目が覚めました。

夢で見た地はどこだったのか。なぜ母に罵倒されたのか。考えても考えても答えは見つかりませんでした。母が送ってくれた敷物に何かヒントがあるんじゃないかと思い、敷物を手に取って隅々まで細かく見てみました。

あ!!!

私はとうとう気付きました。気付いたとき、頭の中にファミコンの『さんまの名探偵』の重大な発見をした時にだけ流れるあの恐ろしい音が流れました。そうです、あの、

デゲデンデン、デーレーレーレーレーレー、デレデレデンデンデン!

です。あの時のさんまさんの顔は今でもトラウマです。

私が敷物だとばかり思っていたものは、なんとポンチョだったのです。

歪んだ円形の民族ものっぽい敷物だとばかり思っていましたが、よく見ると真ん中に穴が空いていたのです。私は母とポンチョに、ごめんね、と心の中で詫びながら、初めてポンチョをポンチョとして扱いました。

 

「行くのか」

 

振り返るとそこには父がいました。私は父の姿を見て固まりました。

父はソンブレロを被っていたのです。父の後ろから兄2人も顔を出しました。武仁兄さんはギター、雅仁兄さんはマラカスを持っていました。

 

「全部お母さんから?」

「そうだ」

「うん」

「そう」

 

3人が同時に答えました。

母がメキシコにいることは明らかでした。

父は再び私に問いかけました。

 

「行くのか?」

 

私は何も言わず頷きました。

この日の夜、私達はギターとマラカスの音に身を任せ、泣きながら踊り明かしました。8匹から2匹に減った犬達も何かを感じ取ったかのようにギターの音色に合わせて遠吠えをしていました。

ある時期から家庭内が妙にギクシャクというか、みんな何かを我慢しながら生活している感じはありました。それがこの日を境になくなったことを今でも覚えています。

そして大学4年の夏、私はついに母を求めてメキシコへと旅立ちました。

 

メキシコに着いて私はあてもなく母を探し始めました。まずコヨアカンという露店が沢山並ぶ地域へ行き、ポンチョを見せ、どこで作られたものか聞き込みを始めました。するとまさかの一人目のおばさんが明らかに知ってる反応を見せました。何を言ってるかはわかりませんが、とにかく私は日本人であるということだけを伝えました。日本人だとわかってもらえたら優しく扱ってもらえるような気がしたんです。

「ヨソイ、ハポネサ! ハポネッサ!」

私が言ったことを理解したらしく、露店から少し離れたところにある小さな家に私を連れていってくれました。道中突然マリファナをすすめられたのかと思ったら、マリアナ、と自己紹介をしてくれていただけでした。マリアナさんがドアを開けると家の中にはおばさんが3人いました。マリアナさんが一人のおばさんにスペイン語で何かを話すと、その人から思いもよらない言葉が返ってきました。

 

「こんにちは。日本人なの?」

 

なんとこんなメキシコの地に日本人の方がいたのです。一番の問題と思っていた言葉の壁が早くもクリアされたのです。

 

「はい! 日本人の方ですか?」

「ええ。ポンチョを仕入れに来たんですって?」

 

マリアナさんは私がポンチョを仕入れに日本から来たと勝手に勘違いしていました。

 

「いえ、違うんです。実は、人を探してて」

「あら……。残念だけど、ここで行方不明になった人は滅多に見つからないわよ」

 

この答えを聞いて浮き足立った私の気持ちは一気に冷めました。そうです。ここはメキシコなんです。私は自分がマリアナさんにハポネサハポネサ連呼したことが急に怖くなりました。海外で日本人は格好の犯罪の的だと何度もテレビで見たことがあります。もしかしたらこの日本人のおばさんは日本人観光客を狙った犯罪組織の一味で、日本人を油断させる役割を与えられてる人なんじゃないか、と突然信用できなくなってしまいました。

 

「探しているのはお友達?」

「………」

「いつメキシコに来たの?」

「………」

 

私は自分の情報をこれ以上言うのは危険な気がして、何も話せなくなってしまいました。私の急な豹変ぶりを見て、マリアナさんは日本人のおばさんに何かを話し始めました。ちょっと怒っているようにも見えました。私をどこに売り飛ばすか、人質にする価値はあるか、そんな話をしてるように聞こえました。

なんとかこの場を逃げ出さないと、そう思っていると、私の肩に何か気配を感じました。顔を横に向けると白い小さな塊が視界に飛び込んできました。

 

「キャー!!!」

 

私は悲鳴を上げて自分の左肩に乗った白い塊を振り払いました。

 

「キー!!!」

「キャー!!!!!」

「キー!!!!!」

「………キャー!!!!!」

 

私は何が起こったのかわからず、耳に入ってくる高い音にひたすら高い音で返す、という理解不能な行動を取りました。

 

「大丈夫よ! 落ち着いて。」

 

日本人のおばさんの声でやっと冷静になりました。白い塊は小猿だったのです。

小猿……?

そうです! あの夢で見た小猿です。全てが繋がった瞬間でした。

 

「もしかして、お母さん……?」

「え?……もしかして……真理子?」

 

思い描いた再会とはだいぶ違いました。私は会った瞬間お互いがお互いだとわかり、涙し、抱き合い、泣きながら言葉にならない言葉のやり取りをするつもりでいました。が、実際は約20年振りに再会したのにお互いのことはさっぱりわからず、小猿がきっかけで一か八か聞いてみて気が付くというものでした。

 

それからしばらくメキシコで母と暮らしながら私はポンチョの作り方を教わりました。母はメキシコでも有名なポンチョ職人になっていました。一度だけ一緒に日本に帰ろう、と言ったことがあります。母は部屋に貼られたアントニオ・バンデラスのポスターを眺めながら何も言いませんでした。

一度だけ「何で家族を置いてメキシコに来たの?」と聞いたことがあります。その時も母はバンデラスのポスターを眺めながら何も言いませんでした。

その時、私は決意しました。

ひとりで帰ろう。

 

帰る日の朝、母は私に手紙をくれました。そして別れ際にこう言いました。

「ポンチョを、東北へ」

寒い地ならポンチョが流行る、という意味だったのか、被災して困っている皆さんへポンチョを届けなさい、の意味だったのか、真意はわかりませんが母の言葉をしっかりと受け止め私は空港へ向かいました。

空港に着くと荷物の影からアメデオが飛び出してきました。あの白い小猿です。私はアメデオと名付け可愛がっていました。別れが辛いので会わずにこっそり帰ろうと思っていたのですが、アメデオはそれを察してか私の荷物に忍び込んでいたのです。着ていたポンチョの陰にアメデオを隠して私は飛行機へ乗り込みました。

帰りの飛行機の中で母がくれた手紙を開けてみました。

 

ポンチョを東北へ

 

と書かれていました。母が私に伝えたいことはこれ以外になかったようです。

私はアメデオと共に遥か三千里先の日本へ帰るのでした。

 

日本に着いてすぐアメデオは没収されました。許可なく日本国内に持ち込んではいけない小猿のようでした。薄々没収される覚悟はできていたので私はそこまで動揺しませんでした。メキシコ―東京間の機内に潜り込めたことが奇跡だったのです。

日本に帰ってから私は東京でポンチョの会社を立ち上げましたが、ポンチョのみを扱う店が流行る訳もなく、1年半で閉店。でもその間にポンチョのみを扱う変な店、という括りでテレビの取材が何度か入り、そのおかげでタモリさんに会えました。ポンチョがタモリさんに会わせてくれたんです。一生の思い出です。

私は東京での成功を掴めず途方に暮れていました。夜のやってはいけない仕事をしようかと思ったこともありました。でもそんなのポンチョに失礼になる! と思い止まりました。でも働かないことにはどうにもなりません。せめてポンチョの要素を、とヒスパニック系の女性が働く夜のいけないお店に面接に行きましたが、「君は日本人。ポンチョ、羽織ってるだけ。」と門前払いされました。

いよいよどうしようもなくなっていたとき、知らない番号から一本の電話が入りました。

山形のニット会社からでした。

タモリさんの番組を見ました。ポンチョを編む技術を是非教えて欲しいもらえませんか、とのことでした。

山形なんて行ってもな、と思っていたのですが、母の言葉を思い出しました。

私はすっかり忘れていたのです。

ポンチョを東北へ。

「時は来た!」

はっきりと口に出して言ったことを覚えています。

私は依頼を受けて山形の寒河江市へ移住することにしました。

ポンチョ作りを教える傍ら、私もニット製品の製作工程を沢山学ばせてもらいました。セーターやマフラーを編んでいても、集中し過ぎると無意識にポンチョに作り替えてしまい何度も叱られました。今はポンチョ部門の顧問として山形だけに留まらず、福島、宮城にもポンチョを普及させようと日々頑張っています。

先日何年か振りに母から荷物が届きました。開けると中には今の私の技術では絶対に編めない、精巧でそれはそれは美しいポンチョが折り畳まれて入っていました。ポンチョを広げると中にはDVD-Rが入っていました。時代の変化に母はちゃんと付いていってるようでした。DVDを流してみると、母が巨大なポンチョを広げながら、ジュディ・オングの「魅せられて」を歌っている映像でした。よく見ると母の肩にはアメデオが乗っていました。無事日本から送り返されたのか、それともアメデオに酷似した別の小猿だったのかは、私にはわかりません。後ろの方ではマリアナさんがマラカスを持って踊っていました。最後に母はカメラに向かって一言、こう言いました。

「Hola!(オラ!)」

自分が納得ができるポンチョが作れたら、またメキシコへ行って母にプレゼントしたいと思っています。

今ちょうど父から電話がきました。実家の犬は1匹になったそうです。

 

 

おわり

あの子が故郷に帰るとき
じろう

青森県弘前市出身。2006年4月に結成したシソンヌのボケ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC11期生。2014年第7回キングオブコント王者。演技力の高いコントを得意とする。著書に“川嶋佳子”名義で自身初の日記小説として書籍化した『甘いお酒でうがい』(KADOKAWA)がある。また7月からTBSドラマ『カンナさーん!』にレギュラー出演、11~12月には舞台『スマートモテリーマン講座』の出演も決定。2018年8/1~26まで赤坂RED/THEATERでシソンヌライブの一カ月公演も決定している。
http://sissonne.jp/

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