COLUMN
あの子が故郷に帰るとき
吉村美和

34歳

郷土料理店スタッフ

第3話 『私のばあば。私はばあば』

故郷に帰ることを決意したタイミングでこのお話を頂きました。自分の記憶なのかどうなのか、割とごっちゃになることが多かったのでちょうど良い機会なのかもしれません。なんで私に? とは思わなかったんです、不思議と。すんなり受け入れられたんです。これもきっと、ばあばが望んだことなんだろうなって。

さてさてまず私の話をしちゃいます。1982年(ほんとは伏せたいです笑)12月18日、鹿児島県の指宿市で生まれました。読めますか? いぶすき、と読みます。テレビ番組の漢字クイズで何度か出て、最近は読める人も増えてきたと市内の人は喜んでいます。温泉が有名な街です。最近アダムちゃん、というゆるキャラが一部のコアな方々に人気なのですが、ご存知ですか?

いぶすき→いぶが好き→イヴが好き→アダム、ということだそうです。残念ながら地元の人間からは全く愛されてません(笑)。もし観光に行くことがあったら温泉とアダムちゃんを是非堪能してって下さい。

うちは地元ではちょっとだけ有名な大家族で、家族構成は父と母、で、こっからがすごいんです。上から姉、兄、姉、兄、姉、私、妹。私は7人兄弟の下から2番目になります。「美和が男だったらちょうど女、男、交互になったのに」と、お父さんが近所の人と話しながら笑っているのをよく耳にしていました。

今思えばなんてことない、ただのお父さんの笑い話みたいなものだったんでしょうけど、未だにこんなにはっきり覚えてるということは私にとっては何かしらのダメージにはなっていたんでしょうね。

勝手に自分の居場所を家の中で失った気になっていたので、よくばあばの家に遊びに行っていました。週末は、ほぼ毎週ばあばの家に泊まりに行っていました。

ばあばは私の家から自転車で15分くらいの所に住んでいました。一面すいか畑の間の、人がやっと一人通れるくらいのあぜ道を自転車で走るんです。小さい頃はこの道が怖くて仕方ありませんでした。

忘れもしません、1992年の8月14日です。自転車で大きな石に躓いて転んだ拍子に畑に落ちて頭ですいかを割ったことがありました。大きなたんこぶができて大泣きしましたが、ばあばは私の頭で割れたすいかを「美和の頭で割れたすいかだから特別甘くて美味しいね〜」と嬉しそうに食べてくれました。ばあばはいつもだるだるのランニングシャツを着ていたのでおっぱいが丸見えで、私はその光景を見て痛みを忘れて泣きながら笑いました。

あの日から、私はばあばみたいになりたい、と思うようになりました。

じいじは私が生まれたときにはもう亡くなっていたので会ったことはありません。ばあばの家に遊びに行くとまずお線香をあげさせられます。ばあばは、お鈴の鳴らし方が独特で高速で3回鳴らすんです。ちんちんちーんって。みなさんが想像する倍の早さだと思って下さい。本当に早いんです。情緒もなにもないんです。そして鳴らした後、じいじに何かを語り始めます。それがまた長いんです。皆さんが想像する12〜3倍の長さだと思って下さい。語り始めたときは正座してたのに、語り終わる頃には横になってるんです。じいじがどんな人だったかはわからなかったけど、ばあばにとって本当に大切な人なんだろうなと幼いながらに理解はできました。語りかけるばあばを横目で見ると、いつもだるだるのランニングシャツの横からおっぱいが丸見えでした。私はばあばの横から見える大きなおっぱいが大好きでした。

ばあばの思い出話で終わっちゃいますね(笑)。子どもの頃の思い出はほとんどばあばとの思い出なんです。

10歳のときばあばが亡くなりました。私にとって初めての「死」というものでした。夏の暑い日、農作業中に突然倒れてそのまま。私はそのとき体育の授業中で、キックボールをしていました。私が打席に入って、転がってきたボールをキックしようとした瞬間、ばあばの声がしたんです。「美和ちゃんがんばれ〜」って。その声にびっくりして私は空振りをして派手に転んで頭を強く地面に打ってしまって脳しんとうを起こしてしまいました。

目を覚ました時には家にいました。頭の痛みと沢山の人の足音と床の揺れで起きました。体を起こして、大人達をかき分けて進んだ先にはいつもと変わらないばあばがいました。眠っているみたいでした。

私の家で横になっているばあばは、私にはとても居心地が悪そうに見えました。泣きながらお父さんにばあばの家で眠らせてあげて、と言ったことを鮮明に覚えています。

その日の夜、横になったばあばと、ばあばの家で2人きりにしてもらいました。

私の頭にはすいかを割った時と同じ位置に大きなたんこぶができていました。

たんこぶを触りながら、ばあばがすいかを美味しい美味しいと言って食べていたあの日のことを思い出しました。たんこぶを触って痛みを感じる度に、ばあばが忘れないでね、と言ってるような気がしました。

私はばあばをいつでも独占したかったので、家族がばあばの家に遊びに行こうとするのを、あの手この手を駆使して阻止していました。そのことをばあばに謝りました。ごめんね、ばあば。私だけじゃ寂しかったね。って。ばあばの優しい寝顔は、そんなことないよ、美和がいてくれて楽しかったよ、と言ってくれているような気がしました。

初めてじいじのことを考えたのもこの時でした。どんな人だったんだろう。ばあばとはどうやって知り合って、どんな風に暮らしていたんだろう。何歳で亡くなったんだろう。じいじのことを考えれば考えるほど、ばあばが誰もいないこの家でどんな気持ちで一人で過ごしていたのかが思いやられてまた涙が溢れてきました。

今まであげさせられていたお線香を初めて自分であげました。マッチの付け方、お線香のあげ方、お鈴の鳴らし方、全部ばあばの真似をしてやってみました。

じいじにばあばのことを沢山話しました。気がついたらじいじの仏壇の前で私は横になって眠っていました。

 

夢を見たんです。浅黒い若い男の人と畑で楽しそうに談笑していました。男の人は多分じいじの若い頃だったんだと思います。私を“きよ”、とばあばの名前で呼ぶんです。私とじいじが縁側で冷や麦を食べていると一人の女の子が泣きながらすいかを持ってきました。その子は紛れもなく私でした。ばあばが見る夢を私が見ていたんです、と言えばわかりやすいんでしょうか。

 

目が覚めた時、私は横になりながら、ばあばのおっぱいの上に手を置いていました。初めてばあばのおっぱいに触ったのがこの時だったんです。

多分この日から私ひとりの人生じゃなくなったんだと思います。私は私であり、ばあばでもあるんです。

なんのことかわかりませんよね(笑)

私のばあばみたいになりたい、という思いが強すぎたのか、ばあばが私ともっと一緒の時間を共有したいと思ってくれたのか。乗り移った、という表現はあまり好きじゃないので使いたくないのですが、わかりやすく言うのならそういうことなんです。私には、私の時間、と、ばあばの時間、が存在するようになったんです。

中学の頃、霊感の強い沖縄出身の子が同じクラスにいたのですが、私を見て、「おっぱい丸出しのおばあちゃんが居る!」と騒いだことがありました。その子には私がばあばに見えたと言うんです。

こんなこともありました。高校卒業間近に卒業アルバムが配られたのですが、その日にすぐ一時回収されるという事件が起きました。私の個人写真にだるだるのランニングを着ておっぱいが少しこぼれたお婆ちゃんが映り込んでいたそうです。しかも私の背後じゃなくて前だったそうなんです。ばあばの写真に私が写り込んでいる感じって言えばわかりやすいですか?(笑)

心霊写真というにはあまりにもはっきりと写っているし、私の前に立っているので、卒業アルバム制作委員会の子達が全員呼び出されて、誰がこんないたずらをしたんだと先生達に数時間詰められたそうです。もちろん誰もそんないたずらはしていないんです。卒業写真を撮ったその日の私が、ばあばの日だった、ということなんだと思います。

高校を卒業してしばらくは実家の農家を手伝っていたのですが、気がついたら箱根の小さな旅館で働いていました。信じられますか? どういう経緯で箱根に行ったか、そこで働きはじめたか、全く記憶がないんです。我に返ったとき私はだるだるのランニングにもんぺを穿いていました。すぐに、あ、ばあばだったんだなと気付きました。ブラジャーは辛うじてしていました。ブラジャーをつけていてあんなにほっとしたことはありませんでした(笑)。

あんなに長い時間ばあばでいたのは後にも先にもこの時だけです。お父さんに聞いたらばあばとじいじは箱根で旅行中に知り合って恋に落ちたんだそうです。思い出の地にもう一度行ってみたかったんだろうなと思ったら怒る気にはなれませんでした。

旅館で私は人気者でした。正確には私じゃなくてばあばがっていうことなんですけど。ばあばは携帯も使いこなしていたらしく、メールの送信履歴を見たら色んな人と毎日沢山メールのやりとりをしていました。やたらとすいかの絵文字を使っていたのがもう可愛くて可愛くて(笑)。

私はいつ私が私でいられたかを把握するために、毎日日記をつけることにしました。もし空白の時間があったらそこが私がばあばでいた時間になると思ったんです。

2〜3カ月、私でいる時間が続いた時期がありました。ばあばはもう箱根でやりたいことはないのかなと思いました。お世話になった女将さんに旅館を辞めて故郷に戻る旨を伝えました。帰る日の朝、箱根での最後の日記を書こうと思って日記帳を開いたら驚きました。

 

宮島に行きたい きよ

 

と書かれていたんです。前の日の夜までは何も書いてなかったはずです。

ちょうど指宿に帰る途中に広島は通るし、私は宮島に行くことにしました。

私はばあばが満足するまで私の体を貸してあげようと思いました。ばあばとずっと一緒にいられるような気がして嬉しかったし、自分の人生がばあばの人生の一部になれると思ったんです。ばあばが他の家族の誰でもなく、私を選んでくれたのも誇らしいというか。そんな風に思いました。

新幹線で広島に着き、そこからフェリーで向かうことにしました。フェリーで眺めのいい席に座って久しぶりの潮風を感じながらうたた寝をしてしまいました。

ここまでははっきり覚えているんです。でもこの後、私はまたばあばになったようなんです。

怒鳴り声で我に返りました。何が起きているのか全くわかりませんでした。

目の前には神主さん。神主さんって怒らなそうなイメージがありませんか?

声を荒げる神主さんを私は初めて見ました。よっぽどのことをばあばはしたんだなと思いました。言い訳をするのをしばらく我慢して、お説教に耳を傾けました。ここが厳島神社だということ、ばあばは巫女さんのアルバイトとしてここにいることがわかりました。そして巫女さんの格好をしないでランニングともんぺでうろうろしていたことが神主さんの怒りの引き金になったこともわかりました。私は怒られながらもばあばのその姿を想像して思わず笑ってしまいました。実際にそんな格好でうろついていたのは私なのですが。神主さんに見た目は確かに私なんですけど、実際はばあばなんです、なんて事情を話してもわかってもらえるはずもないので、私は暫く神主さんの怒りに身を任せました。人生で一番長い時間叱られたと思います。

翌日、久しぶりに父に連絡をしました。「厳島神社で巫女をしている」と言ったら3〜4回聞き返されました。まさか久しぶりに連絡してきた自分の娘が巫女をしているなんて思いませんもんね。話の流れでばあばと厳島神社ってなんか関係あるの?と聞いたら、じいじとばあばはここで結婚式をあげたとのことでした。ばあばが厳島神社に来たがった理由がわかりました。

巫女のアルバイトはこのあとすぐクビになりました。巫女ってクビになることがあるんだな、というのがまず率直な感想でした。神主さんは怒って口をきいてくれませんでしたが、神主という神聖な職に就いた人間に「無視」という行動を取らせるばあばの豪快さが、私にはとても心地良かったです。

もう宮島ですることも特にないので指宿に帰ろうかと思ったのですが、神主さんの奥さんがとても親身になってくれる方で、「もんぺとランニングで働ける仕事があるよ」と働き口を紹介してくれました。杓子を作る工房でした。

なんてことない仕事ならお断りさせてもらおう、と思っていたのですが、私は自分の中に頼りに出来る技術も知識もなかったので、杓子を作る技術を身につけたいと思い、その工房にお世話になることにしました。

杓子工房で私は夢中になって働きました。木の削られる音、木屑の匂い、細かい地道な作業で一つの作品が出来上がっていく過程、全部が私に合っていました。

日記帳も毎日とはいきませんでしたが、割とまめに書き続けました。ばあばの時間はほとんどありませんでした。私だけの時間を過ごすのはばあばに申し訳ない気もしたのですが、ばあばがやっと私がちゃんとした職に就いて日に日に進歩していく姿を見守ってくれている時間のようにも感じました。

これが本来の普通の人間の暮らし方なんですよね。

工房で8年働きました。お師匠さんから独り立ちしてもいいと言って頂けました。これだけ私の時間が続いているということは、ばあばもきっと指宿に帰りたいと思っているでしょう。私は工房を辞めて帰ることにしました。

帰る前の晩のことです。洗面台の前で顔を洗い、顔を上げると、鏡の中にはばあばがいました。一瞬のことだったんで記憶は曖昧なんですけど、私がばあばの姿になって映っていたと思います。あまりに突然のことだったので、私は「きゃあっ!」と声を上げて飛び上がり、後ろの壁に頭を強くぶつけてしまいました。痛みで頭を抱え込んで、恐る恐る立ち上がって鏡を覗いてみたら、普通の私が映っていました。久しぶりに見たばあばに驚いて悲鳴をあげてしまったことがなんだかショックでした。私が驚かなかったらお話できたのかなとも思いました。

翌朝何気に頭を触ったら痛みを感じました。前の晩にぶつけた箇所にたんこぶができていました。そうです、すいかを頭で割った時にできたたんこぶと同じ箇所に、です。

指宿に着くまでの電車の中で何度も何度もたんこぶを触りました。忘れないよ、忘れないよ、と心の中でつぶやきながら。

指宿の駅に着いてしばらくしたら、私はばあばの家にいました。この時の、ばあばの家に着くまでの感覚が今までにない感覚だったんです。駅に着いたのははっきりと覚えてるんです。そこからすごくぼんやりというか、自分の目に映る景色も覚えているのですが、私が私の視界にもぼんやり映っているんです。何か会話をしたこともうっすら覚えてるんです。

きっとばあばと一緒に帰ったんです。

指宿に帰ってきてもうすぐ1年になります。今は飲食店のお手伝いをしながらお金を貯めています。いずれは指宿で杓子工房を開きたいと思っているんです。

帰ってきてからはばあばになる時間は全くなくなりました。でも街を歩いていると、知らないおばあちゃんから挨拶されたり、家に招かれてご飯を御馳走になったりするんです。

もう私がばあばなのかもしれません(笑)。

最後に。良い写真が撮れたのでお願いして載せさせてもらいました。

ちょうど私半分、ばあば半分の時の写真なんです。この時のことは割とはっきり覚えてて、一緒に写真を撮ろうって私が言ってみたら、恥ずかしいから嫌だってばあばが答えたんです。プロの人に撮ってもらうことなんてないんだし、せっかくなんだしいいから、って。

カメラのシャッター音が鳴った瞬間、恥ずかしかったんでしょうね。お鈴がちんちんちーんと高速で鳴りました。みなさんが想像する倍の早さでですよ。

今年もばあばの畑から沢山すいかが採れました。

誰が作ったのかはわかりません。

そこは皆さんのご想像にお任せしますね(笑)

 

あの子が故郷に帰るとき
じろう

青森県弘前市出身。2006年4月に結成したシソンヌのボケ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC11期生。2014年第7回キングオブコント王者。演技力の高いコントを得意とする。著書に“川嶋佳子”名義で自身初の日記小説として書籍化した『甘いお酒でうがい』(KADOKAWA)がある。また7月からTBSドラマ『カンナさーん!』にレギュラー出演、11~12月には舞台『スマートモテリーマン講座』の出演も決定。2018年8/1~26まで赤坂RED/THEATERでシソンヌライブの一カ月公演も決定している。
http://sissonne.jp/

LATEST ENTRIES
COLUMN

RECOMMEND

TAG

INSTAGRAM

地域で出会ったユニークなアニマルたち