COLUMN
あの子が故郷に帰るとき
浅井晶木

アートディレクター

第7話 『こうた』

両親の話によると小さい頃は感情表現が豊かな子だったらしい。確かに子どものときの写真を見ると、とにかく笑ってる。一緒に写っている友達はみんな髪の色も肌の色も目の色も違う。今見ると違和感しかない。でも子どもの頃は私にとってそれは普通のことで、何も感じなかった。

生まれたのはテキサス州のヒューストン。父は宇宙開発関係の仕事をしていた。

私が感情を表に出さなくなったのは10歳の頃、NASAの研究施設で無重力を体験させてもらってかららしい。

ふわっと体が浮いて自分の体の制御がきかなくなった瞬間、ブツっという音とともに一瞬、視界がブラックアウトして自分の中で何かが弾けた感じだけは未だにはっきりと覚えている。

宇宙を感じてしまったからなのか。

そのときの様子を父がビデオカメラで撮影していたので、映像が家に残っている。ハリウッドのSF映画みたいな映像。笑顔でカメラに手を振って装置の中に入って行く黒髪の少女。数分後そこから出てきた少女は明らかに様子がおかしい。感情がそこに無いのが、歩いてる姿を見ただけでわかる。

あの日以降、私は自分の存在がわからなくなった。

なぜここにいるのか。なんのために生まれてきたのか。なんで周りの子と外見が違うのか。一日中、なぜ? なんで? をひたすら考える子になった。自分の中に自分だけの世界がどんどん構築されていって次第に無口になっていった。外に向けて何かを発信する必要がなくなってしまったんだと思う。自分の疑問に答えるのは結局自分だったから。私の国の住人は私だけだった。

中学卒業と同時に私は両親とともに日本に来た。帰国なんて感覚は一切なかった。

私は日本での生活に強いストレスを覚えた。自分に個性を感じなくなったからだと思う。ヒューストンにいた頃は周りの人たちとの外見の違いに違和感を感じつつも、自分の存在に絶対的な個性みたいなものを感じていた。

確かに周りと見た目は違う、でもそれが私。
そこが私が救いを求めた唯一の着地点だった。
でも日本に来てからは髪の色も肌の色も目の色もみんな一緒。
学校で着る服も一緒。

モルモットになった気分だった。何かの実験台。お父さんの新しい研究のために私は日本に連れて来られて、学校という体の研究施設に放り込まれたんだと本気で思っていた時期もあった。

日本に来てからも私は相変わらず感情を表に出すことはなかった。けど、こんなところにいたくない、ヒューストンに帰りたい、その気持ちが強すぎて。でも言葉にはできなくて。

行動で示すしかなかった。校舎に上がるときは絶対に靴は脱がなかった。外履き内履きの概念がヒューストン育ちの私にはない。何度も怒られた。でも怒られることが自分のアイデンティティなんだって頑に信じてた。私はみんなとは違う。先生に怒られることであの狭いコミュニティの中での生存競争に生き残れると勘違いをしていた。私はモルモットなんかじゃない。

日本の学校で一番嫌いなものが教室の戸だった。横に開くあの教室の戸。ガラスの部分にシルエットが透けて映り、ガラガラっと開くとみんなこっちを見る。そこに自分が立っている。伝統芸を披露しているような気分になる。普通に教室に入りたいだけなのにそれをさせてくれない。私は横にしか開かない戸を、ドアのように縦に開けようとして何度も壊した。その度に怒られた。

体育の授業のとき、先生からバレーボールを倉庫に取りに行くように言われたことがあった。絶対に突き破れない頑丈な鉄の戸だった。

突き破れなかった。

先生から自分の無力さを突きつけられた気がして、意地になった私は、代わりにバレーボールを取りに来たクラスメートを振り切って戸に突進し続けた。

私のせいでバレーボールの授業が予定を変更して柔道になった。みんなが柔道をしているときも私は鉄の戸に向かって突進し続けた。あの一件以来、女子からの当たりもきつくなった。でもそれが私なんだ。

毎日いらいらしていた。

そんな私に救いの手を差し伸べてくれた先生が一人だけいた。陸上部顧問の田渕先生だ。

無表情で校内をものすごいスピードで早歩きをし、立ちふさがる戸をすべて縦に突き破る私に光るものを感じたらしい。
先生のすすめで私は競歩を始めることになった。いらいらをぶつけるにはちょうど良かった。
さぞ異様な部員だったと思う。練習着に着替えることもなく、誰とも話さず、とにかくグラウンドを何十周も早歩きだけして帰るのだ。
私が入部して陸上部の部室の戸は取り払われた。

今でも後悔していることが一つだけある。田渕先生に卒業のときにありがとうございました、と言えなかったことだ。

今思うと田渕先生は私に何かを聞いてくることを絶対にしなかった。
「早いな。いいぞ。突き破れ。誰もお前を止められないぞ」
私は先生のその言葉に頷くこともしなかったと思う。でも自分だけが特別な感じがしてすごく嬉しかった。先生の声は今でも耳にはっきりと残っている。
私は高校を誰とも一言も話さないで卒業した。
話さないでいると、話さないことが普通になる。
寝ないでいることは不可能だ。でも話さないでいることはできる。
でもこれは今になってそう思えることで、その当時は誰とも話してないことに気付いていなかった。私は私と話していたから。

私の国の住人は結局私だけだった。

大学時代も誰とも話さず卒業。
卒業後何をすればいいかわからなかった。卒業した後、どう過ごしていたのかはっきり思い出せない期間がある。でも、働いた方がいいよ、と誰かに言われた気がしたから働くことにした。
よく就職できた。松井さんには本当にお世話になった。
面接会場の入り口が戸だった。私はまたそれを突き破った。
面接官は大笑いをしていた。その時の面接官が松井さんだった。即採用だった。個人でホームページをデザインする会社だった。松井さんは仕事をしてくれれば話さなくてもいいよ、と言ってくれた。職場でも全く話さなかったけど、居心地の良さは感じていた。職場の人がとにかく優しかったから。みんな私に微笑みかけて、優しく話しかけてくれる。ご飯なに食べたの?風邪引かないようにね。上手に描けたね。もちろん私は一切答えないのだが。その時も多分嬉しかった。でもありがとうございます、は言えなかった。

ここまで書いたことが現実にあったことなのか、私の国の中であったことなのか、私にもわからない。

なんのことかわからないと思う。

無重力を体験したあの日から、十数年、私がどう過ごしてきたのか、当然私はわかっているつもりだった。私の記憶なんだから。でもそれが今みなさんが暮らしている現実の世界でのことなのかがわかっていないのだ。

大きな地震があった。揺れを感じた瞬間、ブツっという音とともに一瞬視界がブラックアウトした。無重力を体験した時に聞いたあの音だ。
なんだか体がどんどん楽になっていくのだけは感じた。
もうこの不思議な感じに身を任せてしまおう、と決めかけた瞬間、私を起こす私の声が聞こえた。
ばっと急に視界が明るくなって無我夢中で私は外に飛び出した。

死というものを、初めて身近に感じた。

意識ははっきりとしていて、体がすごく重かった。安堵感からか、強い目眩がして倒れそうになった。地面がまだ揺れている気もして、ふらふらふら~っとしたその時。

傾きかけた私の体を、何かがぐっと引っ張ってくれた。

右手に温もりを感じた。

感じたことのない感触だった。
手のほうを見ると、小さな子どもが私の手を握ってじっとこっちを見つめていた。
子どもの口が開いた。

「ママ」

「……こうた」

思いがけない言葉が自分の口から出てきた。それよりも先に、あ、私喋った、と思った。

知らない子どもなのにその子のことを「こうた」と私は呼んでいた。知らないのに、知っていた。こうたは私のことをママと呼んだ。
ママ、という言葉が信じられないくらい自分の中にすっと入ってきた。
どうやって生んだのかは思い出せない。もしかしたら生んでないのかもしれない。でもこの子は、こうたは私の子なんだと思った。

地震直後でパニックになっている街中をこうたと歩いた。

すると、こうたが嬉しそうに、

「今日はゆっくり」

と言った。何のことかわからなかったが、こうたの靴を見て息が止まりかけた。
靴が何かに引きずられたようにずるずるだった。
きっと……私がものすごいスピードでこうたの手を引きながら早歩きをしていたんだと思う。
職場が心配だったからこうたを連れて見に行ってみた。職場の私のデスクの横に小さな椅子が置いてあった。そこで初めて気付いた。

この子とずっと一緒にいたんだ。

みんなが優しくしてくれた理由がわかった。

ふと思い出すことが実際に私にあったことなのか、そうじゃないのか、それはまだわからない。でもこうたといる今の時間は絶対にこの世界で起きていることなんだとわかる。

あの無重力を体験した日に何があって、何がどうなって、と考えるのはもうやめた。今目の前にこうたがいる。それが現実だ。いや、もしかしたらこれも現実じゃないのかもしれない。でも今私は幸せだ。どっちでもいい。こうたと目の色も肌の色も髪の色も一緒なのが誇らしい。

最近少しずつ感情が表に出せるようになった。歩くスピードも普通の人と同じくらいになったし、戸も横に開けられるようになった。こうたといると自然と笑顔になる。こうたが笑うと私も笑う。私が笑うとこうたも笑う。

毎日寝る前にこうたに言うことがある。

こうた、ありがとう。

 

あの子が故郷に帰るとき
じろう

青森県弘前市出身。2006年4月に結成したシソンヌのボケ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC11期生。2014年第7回キングオブコント王者。演技力の高いコントを得意とする。著書に“川嶋佳子”名義で自身初の日記小説として書籍化した『甘いお酒でうがい』(KADOKAWA)がある。また7月からTBSドラマ『カンナさーん!』にレギュラー出演、11~12月には舞台『スマートモテリーマン講座』の出演も決定。2018年8/1~26まで赤坂RED/THEATERでシソンヌライブの一カ月公演も決定している。
http://sissonne.jp/

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