COLUMN
あの子が故郷に帰るとき
宇都宮綾子

43歳

バーンロムサイ
ボランティアスタッフ



第8話 『ラッキー集め』

宇都宮綾子と言います。現在はタイのチェンマイでボランティアスタッフをやっています。このままタイに骨を埋める気でいるのですが、もし叶うならもう一度自分が生まれ育ったあの街に帰りたいなと最近よく思うのです。

東京オリンピックのための区画整理で、私の生まれた街が大きな道路に変わってしまうそうなんです。国民が待ち焦がれているオリンピックと引き換えに自分の大切な思い出が失われるんです。なぜ私の街なのか、他の地域でもよかったんじゃないか、考えればきりがありません。

住んでいたのは20年以上前の話ですが、今でも思い出すことは子どもの頃過ごしたあの街のことばかりで。

生きているうちに1年でも1ヶ月でもいいのでもう一度住みたいのですが、それはできません。なぜならここには私を必要としている人が大勢いるからです。

自分の気持ちを整理する意味も込めて、少しお話させて下さい。

私は東京の下町で育ちました。実家は卸問屋街のはずれにあって、小さな「くじ屋」を営んでいました。「くじ屋」って聞いても今の若い方はピンとこないでしょうね。

景品は小銭の形のラムネや棒きなこ、駄菓子以外だとスーパーボールなんかが割と有名でしょうか? そういったくじだけを扱うお店でした。

どれも1回10円、20円で、地元の子ども達のたまり場みたいになっていました。

小学校の時はクラスのみんなに羨ましがられたものです。

私の生き方に大きな影響を与えたのは父なんです。男勝りな性格も父親譲りなんでしょうね。もう少し女の子らしく育ちたかった。。

父は大のギャンブル好きでした。

よく競馬場やパチンコ屋さんに連れて行かれました。くじ屋をやりながら自分も毎日ギャンブル浸け。賭け事の為に生まれてきたような人でした。母は相当苦労したと思います。今ほど家庭にベッドが普及していなくて、同級生みんなが掛け布団敷き布団に挟まっている時代に私はベッドでした。理由はベット(賭ける)に似てるからだったんです。父が賭け事に強い子に育ってほしいからとのことでした。

父は競馬場の前に来ると必ず私にどの入り口から入るかを選ばせました。なんとなくで入るな、って言うんです。中に入ったら座る椅子も選ばせました。トイレに行く時も女子トイレの前までついてきて、ちゃんとどの便器でするか選んでからするんだぞ、って言うんです。父曰く「ラッキー集め」なんだそうです。例えばトイレに便器が3つあったら、それぞれラッキーの量が違うっていうんです。ラッキーを沢山集められたやつが幸せになれるんだ、とよく聞かされました。テレビで交通事故や殺人事件のニュースが流れると必ず、ラッキーを集めてなかったらこうなるんだぞ、と真顔で幼い私に言うんです。

そのせいで、いや、おかげで、って言ったほうがいいのかな。私は何をするにでも、ラッキーの多そうなほうを考えて選ぶようになりました。

お酒も好きだった父は私が20歳になる頃に体調を崩し入院しました。ある日、自分が入る棺桶を選びたい、と突然言い出しました。母は「バカなこと言ってんじゃないわよ」と、相手にしていませんでしたが、父は競馬をしている時と同じ目をしていました。私はこれは本気だなと感じたので、病院から連れ出し、葬儀屋さんで選ばせました。

競馬場で調教師さんに引っ張られてぐるぐる回る馬を見るかのように沢山並んだ棺桶を真剣に見ていました。父は「綾子。どれがラッキーだと思う?」と聞いてきました。ひとつ、妙にひっかかる棺桶があったので「あれ。」と選ぶと、父は嬉しそうに「父さんも一緒だ。」と言いました。

 

翌日、父は亡くなりました。

 

予兆は全くありませんでした。突然のことだったので、長年罵り合いながらも夫婦を続けていた母は泣き崩れていました。私は父が棺桶を選びたいと言い出した時から、こうなることはなんとなく予想できていたんです。父が自分の死を感じているんだろうな、ってわかったんです。散々父の賭け事に付き合ってきたせいで直感というか、予想することが日常になっているというか。父っぽく言うなら、父は自分の死を当てて、私は父が自分の死を予想していることを当てたんです。

父は最後に自分が賭けた棺桶に入って旅立ちました。賭け事に人生の大半を捧げた父らしい最期でした。お葬式の日、私は予想できてしまってた分泣けなくて。もっと泣きたかったなぁと思いました。

私は父の死後、実家を出て“自分がラッキーだと思うほう”を選んで選んでしながら生活をしていました。子どもの頃に身に付いた習慣ってなかなか抜けないものなんですね。そのせいで20代は移住と転職の連続でした。千葉にラッキーを感じた職場があったので就職をしていたのですが、直感で沖縄にラッキーがあると感じて仕事を辞めて移住。3年暮らして、ある程度ラッキーが集まった気がしたところでフィリピンにラッキーを感じて移住。けど空港についた瞬間、沖縄にまだラッキーが残っている!と気付いて再度沖縄に移住。後先考えずに自分の決断に今まで蓄えた全財産を投じていたので、なかなかの極貧生活でした。父親の賭け事好きの血なんでしょうね。でも自分の意志で選択し、決断をしてきた結果の移住だったので、お金はなくても心は満たされていました。

33歳の頃です。友人に誘われて旅行でチェンマイに行った時に衝撃が走ったんです。もちろんただ旅行がしたくてチェンマイに行ったわけじゃありません。友人の誘いに微かなラッキーを感じたから行くことにしただけなんです。

街並を見て驚きました。私が幼い頃に過ごした下町に雰囲気があまりにも似過ぎていて。ここに住みたいと思ったんです。ただ、すごく迷いました。ラッキーを感じなかったんです。初めてのことでした。今までラッキーを感じたから選択をする、っていうのが私のルーティーンというか、生き方だったんです。住みたいけど、ラッキーを感じない、なんてことはなかったんです。すいません、ラッキー、ラッキー、もういいよって思いますよね。でもあの頃の私は、それ基準でしか生きられなかったのです。

何日も迷いました。

ここに居たいけど、違うような気もする。父ならどうするんだろう、帰国するか移住するか、父ならどっちに賭けるんだろう。そんな毎日でした。

ある日、現地で知り合った日本人のボランティア団体の人に誘われて、チェンマイの孤児院に行くことになりました。現地の子ども達と遊ぶことで気分が少し紛れるかなと思ったのです。最初はその程度の気持ちでした。

私はマーケットで果物やお菓子を買って行き、簡単なくじを作って子ども達に引かせました。子ども達はくじをやったことがないらしく、大喜びしながら楽しんでくれました。

施設の方もこんなに子ども達がはしゃぐのは珍しい、と言ってくれました。

白いランニングシャツと短パンではしゃぐ子ども達の姿に、私はくじ屋で一喜一憂する同級生達の姿を思い出しました。

やっぱりここには私の記憶の大半を占める大好きな光景がまだあるんだなと思いました。だけど、まだラッキーは感じることができませんでした。

何か明確な答えを導きたくて、私は連日施設に通いました。煙たがられるかなと不安だったのですが、子ども達はもちろん施設の職員の皆さんも私が来ると喜んでくれて、歌やダンスを披露してくれました。

帰国予定の前日、施設から戻ってホテルでどうするべきか悩んでいたら、テレビに見覚えのある風景が映りました。さっきまでいた施設でした。現地の言葉だったのでニュースは何を言ってるかわからなかったのですが、映像だけでお金持ちの男性が施設に多額の援助をしたんだろうなというのがわかりました。

翌日、お別れを言うでもなく、ここの残ると言うでもなく、なんとも不安定な感情で再度施設を訪問すると、施設に着いた途端子ども達と職員さんが私の元に駆け寄ってきました。暴動かと思うくらいの勢いで、一瞬後ずさりしてしまいました。みんな手に私が作ったくじを持っていました。どうやら昨日の多額の寄付は、抽選だったらしく、ここの施設が当たりを引いたとのことでした。ただ職員の誰も怖がって引きたがらず、私が作ったくじで一等のドリアンを当てた少年に試しに引かせたら、その子が当たりを引いたのです!

みんな口々に私をラッキーガール、ラッキーガールと呼びました。
綾子が来てからみんなハッピーになった。綾子が幸運を運んできてくれたんだ。みんなそんな目をしていました。

私が長年集めてきたラッキーがまさかチェンマイで人の為に使われるなんて思ってもいませんでした。

この日から私はラッキー集めをしなくなりました。

自分が色んな人のためのラッキーな存在であればそれでいい、そう思えるようになったのです。

これが私がチェンマイに移住することにした経緯なんです。

過去のことを振り返ることで故郷に帰りたい気持ちが強くなるんじゃないか、と不安でしたが、今の気分は思いのほか晴れやかです。

これから変わり果てるであろう自分の生まれ育った街。それはそれで現実として受け止め、いま目の前に広がるこの懐かしくて愛おしい景色を大切にすればいいんですよね。

自分の決断は間違っていなかったと思います。父もチェンマイに残る、に賭けたんじゃないかな。

今はチェンマイの施設内で小さなくじ屋をやっています。

くじが入った箱に手を突っ込み、真剣な表情で悩み抜いてくじを選ぶ子ども達に私は絶対に聞くことにしています。

 

あなたが手にしたそのくじにラッキーを感じる? と。

 

 

あの子が故郷に帰るとき
じろう

青森県弘前市出身。2006年4月に結成したシソンヌのボケ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC11期生。2014年第7回キングオブコント王者。演技力の高いコントを得意とする。著書に“川嶋佳子”名義で自身初の日記小説として書籍化した『甘いお酒でうがい』(KADOKAWA)がある。また7月からTBSドラマ『カンナさーん!』にレギュラー出演、11~12月には舞台『スマートモテリーマン講座』の出演も決定。2018年8/1~26まで赤坂RED/THEATERでシソンヌライブの一カ月公演も決定している。
http://sissonne.jp/

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