特集 手を動かす人たち

山形・仙台・東京を移動しながら、 “手仕事”のデザインを探して 山に向かっていく

得体の知れない“デザイン”の姿を追って
コミュニケーションをとり続ける

今は川西町の仕事があるので週の半分はここにいます。あとは山形市内と実家のある仙台を行き来するのが日常です。なので、いつも移動重視! このリュックひとつでどこでも暮らせて、仕事もできるように。身軽ですかねえ?(笑)。ちゃんとPCも入ってますよ! グラフィックの仕事もこのAirMacでやっています。スキャンも近所のコンビニでやってますし。ああ、そういえばマウスも使ってないですね(笑)。ここ5年くらい移動や引っ越しが多かったのでこんなスタイルになりましたね。

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スキャナーもプリンターもすべてコンビニにおまかせ!

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川西町での仕事は、役場に行って打ち合わせをしたり、山菜を採りに連れていってもらったり(笑)。物産品のパッケージデザインや、イベントの企画とかポスター作りとか。川西町の玉庭地区で里山再生事業という動きがあって、その中で自伐式林業をはじめたのですが、それにも関わっています。

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里山再生事業に関わる地域の人と一緒に、伐採作業を行った。

里山再生事業に関わる地域の人と一緒に、伐採作業を行った。

専門的にグラフィックデザインの勉強をしてきたわけではないので、毎回作りながら覚えていった感じです。う〜ん、デザインという言葉の意味がよくわからなくて(笑)。形あるものを造ることはデザイン。どこか一箇所を目立たせることもデザイン。少し前だとコミュニティを作ることもデザイン、イノベーションもデザイン……ってどんどん言葉も意味ふえている。言葉や表面をつくること、思想の根本をつくること、人との関係性をつくること、すべてが“デザイン”で、その状況ごとに応じて直訳していくんですよね。でも、直訳だからうっすら輪郭は掴めていても、芯を掴んでいない。話す相手も分かったような分からないような感じになると、しばらく押し問答が続く。僕はそれがわずらわしく思ってしまって。なぜか“デザイン”って言葉が現れた時点で、正体のつかめない空間が広がっていく感じがして、デザインって言葉をあまり使いたくなくなった。

でも、その中で仕事をしていると、反対にこの“よくわからない”得体の知れない感じや、それにまつわる押し問答がデザインの性質なのかも知れないと思い始めて。わからないから、相手にどう伝えるか言葉を変え続ける。意志を伝えるためにコミュニケーションをとり続ける。答えがはっきり決まってしまうと、それを伝えた瞬間にコミュニケーションも終わってしまうのかなと思うから。いつまでもわからない状態だからこそ試行錯誤を続けていくんですよね。デザインっていうからっぽの言葉の中に何を注ぎ込めるのか、それはおもしろいなと思っています。

川西町観光協会主催の「春待ち市と音楽祭」のポスター

川西町観光協会主催の「春待ち市と音楽祭」のポスター。版画で文字を作っている。写真:本人提供

川西町産業振興課主催の朝市「こまつ市」のポスター。イラストは古いイラストブックから使用。写真:吉田勝信

川西町産業振興課主催の朝市「こまつ市」のポスター。イラストは古いイラストブックから使用。写真:本人提供

自然の近くに暮らしているからと言って、単にその環境をモチーフにものづくりがしたいとは思っていない。もっと手を動かすことで形づくられるもの……藁を編んだり、木の皮で籠を作ったり。民芸や民具と呼ばれたりもしている生活の消耗品ってすごく歴史も長いし普遍的なものづくりなんです。山に入って当たり前に山菜やきのこが採れるようになることも同じですけど、そういう人の近くにいたり、そこに自分も身を置いていれば、おのずとこの土地でやっていくことが見えてくるんじゃないかな。それを表現につなげていきたい。体や手を動かしながら形にしていくことの美しさとか心地よさみたいなものを、グラフィックの領域としてやってみたいと今、思っています。

試作販売した、川西町物産品のパッケージ

試作販売した、川西町物産品のパッケージ。写真:本人提供

東北芸術工科大学主催、2014年に行われた芸術祭「山形ビエンナーレ」の企画イベント「BARミチノオク」を飾った看板

東北芸術工科大学主催、2014年に行われた芸術祭「山形ビエンナーレ」の企画イベント「BARミチノオク」を飾った看板。写真:本人提供

プロジェクトの根本に関わりながら
仕事の輪郭線を作っていく

昔、僕がカフェをやっていた時にスイカフェという焙煎屋さんの豆を使っていて。僕がカフェをやめてデザインの仕事をはじめたことを知ったオーナーが『お店のパンフレットを作ってほしい』って声をかけてくれたんです。グラフィックとか、ウェブを作ったりする仕事だけだと思って引き受けたら、流れでお店のコンセプトを考えることになって(笑)。仕事では初めての体験でした。オーナーが断片的に文章にしてくれた豆の買い付け・保存方法・焙煎とか珈琲の淹れ方まで、お店のこだわりをひとつの文章にまとめるところからはじまりました。そこに僕が聞き書きしたスイカフェの姿とか印象を入れ込んで、意味を考えて大幅に変えてみたり。たぶん通らないだろうと思ったので、すこし強引に。新しい店名も提案しました。それをたたき台にして、すり合わせようと思って提案してみたら、『こういうのを待ってたよ!』って言ってくれて、すごくびっくりして(笑)。店名は変わらなかったけど、そこからさらに一緒にこのカフェを作っていこうという流れが生まれてきたんです。

suicafeのリーフレット

suicafeのリーフレット

この仕事を進める中で、山形にもう1店舗出すことが決まりました。それがすごくうれしくて。お店側もコンセプトがしっかり決まったことで、輪郭線がはっきり見えて次の店舗を出そうと決めたと話してくれたんです。そこから僕も新しいお店作りに参加していくことになりました。最初はパンフレット制作だけだった仕事が、商品開発とか少し経営に関わる部分にも入っていくことにつながって、長期的に続けていくことができるようになった。

今までは、クライアントワークと自分のプロジェクトってまったく別物でギャップがあったんですけど、ここではそのズレがなかった。これはいい方法だなあ!と(笑)。デザイナーとしてプロジェクトの根本から関わらせてもらう仕事は少ないと思うんですけど、自分としては、少なくてもこういう関わり方の仕事を中心にやっていけると、すごくおもしろいし、いいものが作れるんじゃないかと思いました。

でも、これは理想の関わり方ではあるけれど、僕は社員になるわけではない。なのでこの関わり方をどう実現させていくか報酬の面でもどういう枠組みでやっていくのがいいかを、オーナーと納得するまで話し合いました。そこで決まったのが、オーナーがもらっているお給料の10%をもらうことに決まって。オーナーの給与明細やお店の経営状態も共有し、お店の売り上げが上がれば僕の収入も増える。お互いの役割は違うけれど、同じように曲線を作ってやっていけたらいいねっていう意見にまとまった。

山形という社会を入り口に、
もっと奥へ手探りで進む

僕、すごく打ち合わせが長くなってしまうので、早く作ってくれ!って言われることもあって(笑)。でも、自分の中で相手の意見を噛み砕くことがすごく大切だし必要で。

今僕が住んでいる山形っていう社会と、この仕事そのものや、相手の仕事のスタイルとか、背景をどうつなげていけるのか。その接合点が見つかってはじめてアプトプットに向かう。そこでやっとグラフィックの話が始まるんです。そこが合致できると、グラフィックとして形になった時の相違がない。だから実際に手を動かす時間はそんなにかからないんです。その対話のクリエイションがすごくおもしろいから、いっそそこだけやってたいな〜とか(笑)。僕は成功論とか、儲かる方法をもっているわけではないから、いつも手探りなんですけど。

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髭文字の型紙を作り、よもぎで染めたふろしき。

髭文字の型紙を作り、よもぎで染めたふろしき。写真:本人提供

デザインに対して今の感覚をもったまま、なんの土壌もない場所に放り出された時、今までに見た事のない新しい表現方法が広がっているんじゃないかな。そこを自分で探っていくことがおもしろいですね。

プロジェクトも、仕事も、ライフワークもいろいろ同時に動いているけれど、ボーダーラインを作ってやるというよりは、すべてふくめて、ひとつの方向に向かって進んでいると思っていて。

土に近くありたいんです。すごく田舎くさいなあとは思うんですけど(笑)、今あるスキルとか価値観で自分が動いている方向性はそこなのかなと思って。山形からもっと山の奥へ行って自分が何を生み出せるか、もしそれが東京でもどこでもほかの地域で求めてもらえるものにできたらおもしろいなと。山か、海か…どこに行くんでしょうね?(笑)今はまだわからないな。

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山形・仙台・東京を移動しながら、 “手仕事”のデザインを探して 山に向かっていく
吉田勝信さん よしだ・かつのぶ/1987年、東京都・新宿区生まれ。幼少期は奄美大島で育つ。その後仙台へ移り大学入学と同時に山形へ。現在は家業である「台所草木染結工房」のブランディングや、山形県・川西町のデザインワークなど、さまざまな業種に渡りコンセプト構築からビジュアル作りまで、デザイナーとして携わる。HP Facebook twitter Instagram
(更新日:2015.05.11)
特集 ー 手を動かす人たち

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手を動かす人たち
壮大な自然と色濃い文化が暮らしに根付く、東北の地、山形県。ここに移り住み、自ら手を動かして「暮らし」と「仕事」をつくる人たちに会い、話を聞いた。
山形・仙台・東京を移動しながら、 “手仕事”のデザインを探して 山に向かっていく

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