ある視点

『夜行バスに揺られて』

第9話 『夜行バスに揺られて』

生まれつき引きこもりがちだった。がち、じゃないかな。一切家から出なかった。

学校や家庭に何か原因があって引きこもりになるのが普通らしい。けど、私の場合は生まれつきだった。だから、「なんで家から出ないの?」と聞かれても説明のしようがない。本能。木の上でしか寝ない動物に「なんで地面で寝ないの?」と聞いてるのと同じことだと思う。当然『引きこもり』なんて感覚は自分の中にはなかった。家にあった動物図鑑を何度も読み漁って自分と同じ習性の動物がいるんじゃないかとひたすら探した時期もあった。けど結局人間に落ち着いた。両親も人間だし。

引きこもりっていう言葉がすごく嫌い。ネガティブなイメージしかしないから。

外に出ることがそんなにいいことなのか。寝るのも起きるのも家なのに、なんで日中は外に出ないといけないのか。どんなふうに生きるかなんて自分が決めることで誰かにどうこう言われたくない。世間の当たり前を私に押しつけないでほしい。私はそういう生き物なんだ。

15、6歳まではそんな感じだった。

外に興味を持ったのは父が天体望遠鏡を買ってくれてから。正確には天体望遠鏡まがいのものだったんだけど。私の目に映る世界が一気に広がった。けど星なんかよりよっぽど見ていて面白いものがあった。人間。

外の世界を知らない当時の私に世間の常識っていうものは一切なかったから一日中望遠鏡で人間を見まくっていた。最近になってやっとそれがあまり良くないことだったんだなって思えるようになった。それでも常識がないなりに、心のどこかでとても悪いことをしている気はしていた。これも人間としての本能なのか。でもその罪悪感が逆に、なんだか、とても心地良くて、どんどん望遠鏡越しの世界に私は浸かっていった。

毎日朝から晩まで望遠鏡を覗き続けた。望遠鏡越しにしか物を見たくない時期もあって、家のテレビも望遠鏡越しに見たりしていた。テレビまでは距離がさほどないからとにかく見辛かった。でも目をレンズに押し当てる時に感じる圧が何事にも変えられないくらい、とにかく気持ちよかった。

ある日、やたら夜中に人が集まる場所を見つけた。私の地元の伊達市は市街地を離れたらほとんど街灯はなく真っ暗だ。そんな中、うっすらと明るいある一帯にだけ人が集まっていた。初めは街灯に群がる虫を見るのに似た感覚で覗いていた。でも虫を見るより人間を見るほうが面白いに決まってる。すぐ夢中になった。

みんな手に大きな荷物を持っている。何かよくない取引をしようとしてるんだと思った。オール訳ありに見えた。

これが私とバスターミナルの出会いだった。

私はバスターミナルに狂った。なんでかって言ったら、そこには色んな感情が溢れていたから。神妙な面持ちで大きなボストンバッグを持った中年男性。リュックひとつ背負って携帯電話で楽しそうに話している私と同い年くらいの青年。死んでるんじゃないかって思うくらいベンチから一切動かないスーツ姿のサラリーマン。望遠鏡越しで見てもわかるくらい固く強く手をつないだ女の人と小さな男の子。レンズを通してもあそこにいる人たちの背負ったものとか覚悟とか、無情な人生みたいなものを感じ取れた。

あそこに行ってみたい。

今までにない「自分」の感じがした。

動物としての自分、の進化を感じた。外に出る習性がない動物が初めて外に出る瞬間だった。こうして私という種は進化をしていくんだ。自分のことなんだけど、変わっていくことが嬉しかった。

忘れもしない、2010年の7月5日。初めて自分の足で外に出た。

それから毎日バスターミナルに通った。

そこで気付いた。家から出てみたかったんだって。出たからそう思ったのかもしれないけど。私っていう生き物は極端で、今度は逆に家に帰らなくなった。毎日バスターミナルに入り浸った。ただベンチに座って、バスに乗り込む人、バスから降りる人を見続けるだけの毎日。面白い会話のやりとりや、劇的な出来事が起きるわけじゃなかったけど、私と同じ空間で生きている人間の日常と感情を間近で見るのは家でドラマや映画を見ているよりもよっぽど楽しかったし、外の世界を知らない私には新鮮だった。

毎日いると職員の人とも仲良くなった。初めのころは何度も警察を呼ばれて補導された。

40回近く補導されても通い続けたら職員さんたちも「君の勝ち。好きなだけいなさい。」と言ってくれた。

私に一番話しかけてくれたのは小田嶋さん。埼玉—伊達間のドライバーさん。いつも埼玉からお土産を買ってきてくれた。私が初めて贈り物をしたのも小田嶋さん。

地元の桜餅を持って行ったけど、その日は会えなくて事務所に預けた。会えたのはその4~5日後。「桜餅、今受け取ったよ!」と嬉しそうに食べてくれた。賞味期限も絶対に切れてたし、カチカチだったと思う。でもおいしそうに食べてくれた。嬉しかった。贈り物に生ものは良くないっていうことも小田嶋さんから教わった。

2012年の3月26日、小田嶋さんに今日でお別れだよ、と言われた。

固まった。次の瞬間私は、無意識に、自分の左右の指を丸くして、両目に押し当てていた。

こんなつらい思いをするなら、ずっと覗いておけばよかった。外になんて出てくるんじゃなかった。

小田嶋さんは今月いっぱいで定年で、伊達から埼玉に戻るこの便が最後の運転になるとのことだった。

私は小田嶋さんの今までの苦労も考えずに「まだ働けるじゃん! まだ働けるじゃん!」を連発した。小田嶋さんは優しい笑顔で私の頭を撫でながら、「うんうん」と聞いてくれた。

「最後にバス、乗るかい?」

小田嶋さんの優しさ。こうでも言わないと私はどうにもならないと思ったんだろう。

私は初めて自分の生まれた街を離れた。その日は乗客がゼロで私の貸し切り状態だった。交代するドライバーさんが座る席に座らせてもらって、埼玉までの数時間、小田嶋さんとずっと話をしていた。一人の人とあんなに長い時間、話をしたのはあの日が初めてだった。

埼玉に着いて小田嶋さんは私にお金を渡してきて、これで帰りなさいと言ってくれた。

なんでかわからないけど、バスに乗って埼玉に向かっている時から、帰るつもりは全くなかった。小田嶋さんと暮らす気満々だった。

小田嶋さんは「そんなのダメだ。君が良くても私が捕まるやつだ」と言った。

小田嶋さんは絶対に帰らないという私を車で家まで送ってくれた。私のせいで短時間に伊達−埼玉間を2往復させてしまった。

そこからの1年、私は死に物狂いで勉強をした。埼玉の大学に入学する以外に私が小田嶋さんの近くで暮らせる方法はないと思ったからだ。

今になって冷静に考えてみても、なんであんなに小田嶋さんと一緒にいたかったのかはわからない。恋、では当然ない。相手は65歳のおじいさんだ。執着、って言えばいいのかな。家の中から一度も出たことがなかった私が初めて向き合った人間。初めて心を許した人間。その相手に対する異常な執着みたいなものだったんだと思う。

ここからの私は常軌を逸していた。

勉強を初めて2年で私は無事、埼玉の大学に合格。

小田嶋さんが暮らすアパートの向かいのアパートに部屋を借りて私の学生生活はスタートした。勉強は学校で済ませ、家にいる時は丸くした指を目に当てて窓から小田嶋さんを眺める。勉強に費やした2年間は一度芽生えた人とのコミュニケーション能力を完全に奪っていた。引っ越すことは小田嶋さんには告げていなかった。驚かせたくて。私が向かいに住んでいるとわかった時の小田嶋さんの表情。今でも覚えてる。あの頃の私には、嬉し過ぎて驚いていたようにしか見えていなかったけど、あれは恐怖の果ての絶望のような顔だ。小田嶋さんはとても質素な暮らしをしていた。家族はなく、いつも一人。バス会社に勤務しているときの人当たりの良さや、急に話しかけられても誰も不快に感じないだろうなと思わせる柔和な表情が見られることはほとんどなかった。

敢えて話しかけなかったわけではないんだけど、小田嶋さんを鑑賞する方に私は楽しさを見出してしまっていた。来る日も来る日も丸くした指を目に当てて覗き続けた。

眼圧依存というらしい。レンズ越しに何かを覗くことに快感を覚えてしまった人は、その時の目にかかる圧力が体に染みついてしまい、抜けられなくなるそうだ。

4年間覗き続けた私は、『小田嶋さんの生活』という卒論を書いた。

やがて卒業が決まり、私は小田嶋さんに会いに行くことにした。卒論を手渡したかったから。

卒業式の日、私は晴れ着姿で小田嶋さんの家を訪問した。

が、そこに小田嶋さんの姿はなかった。隣りの方に聞いたら前日の深夜に引っ越していたようだった。

不動産屋に連絡をしてみたが当然、引越先を教えてくれるわけもなく、なんの手立てもなかった。4年間観察し続けた小田嶋さんの生活の記憶を遡ってみたけどなんのヒントもない。

私は伊達市のバス会社に向かった。顔見知りの職員さんがまだ残っていて、小田嶋さんから何か聞いてないか問いただした。晴れ着姿で捲し立てる私に、職員さんはただただ圧倒されていた。そのときふと、一人の職員の方が、「小田嶋さん、山形出身だったよね」と言った。

思い出した。小田嶋さんの最後の運転の日、2人きりでずっと話したあの夜。確か小田嶋さんは、「いつかは山形に帰りたい」と言っていた。

今年の3月、山形の大学の大学院を受験して合格した。

小田嶋さんが山形にいるかどうかもわからない。仮にいたとしてもこの街にいるとも限らない。この1年、勉強しながら少しだけ冷静になれてどうかしていた自分に気がつけた。でも気がつけた上で、やっぱりもう一度、小田嶋さんに会いたい、見たいと思っている。

小田嶋さんに関しての情報を持っている方がいたら連絡頂けますか?

何かの手がかりを得られたらと思い、まだまだ若輩者の私ですが今回ここでこうして、自分の半生を振り返らせてもらいました。

昨日、ちょうど山形への引っ越しが完了しました。夜行バスに揺られて。

小田嶋さん、会いたいです。

栗原典子

あの子が故郷に帰るとき
じろう

青森県弘前市出身。2006年4月に結成したシソンヌのボケ担当。よしもとクリエイティブ・エージェンシー所属。東京NSC11期生。2014年第7回キングオブコント王者。演技力の高いコントを得意とする。著書に“川嶋佳子”名義で自身初の日記小説として書籍化した『甘いお酒でうがい』(KADOKAWA)がある。また7月からTBSドラマ『カンナさーん!』にレギュラー出演、11~12月には舞台『スマートモテリーマン講座』の出演も決定。2018年8/1~26まで赤坂RED/THEATERでシソンヌライブの一カ月公演も決定している。
http://sissonne.jp/

(更新日:2018.05.18)

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