特集 メディアの現在地
ー迷いながら、編む。
どんな人にも、暮らしはある。すぐには役に立たないようなことも、いつかの誰かの暮らしを変えるかもしれない。/雑誌『暮しの手帖』編集長・北川史織さん
「丁寧な暮らしではなくても」
2年前の冬、本屋さんでふと目にしたこの言葉が書かれていたのは、意外にも70年以上続く雑誌『暮しの手帖』の表紙だった。誌面を開くと広がっていた、今日にでもつくりたくなるような料理ページや、新鮮な視点の読み物、思いや迷いを隠さず紡がれた編集後記。そこで、その号から編集長が変わったこと、名前が北川史織さんであることを知った。
以来、久しぶりに雑誌を読む楽しさを味わいながら、どんな人がつくっているのか気になってきた。まぎれもなく『暮しの手帖』なのに、何かが違う『暮しの手帖』。9代目編集長である北川さんに話を聞きに行った。
インタビュー:森 若奈(「雛形」編集部)
本文:小谷実知世 写真:阿部 健
すぐには役に立たないようにみえても
いつかは役に立つかもしれない。
雑誌『暮しの手帖』は、戦後まもない1948年に生まれた。理念としたのは、「もう二度と戦争をおこさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」という創業者、大橋鎭子さんと花森安治さんの思いだ。以来、74年間、広告を入れず、衣食住を楽しむための提案を続けている。
9代目の編集長となった北川史織さんが、最初に手掛けた第5世紀4号の表紙に記された、「丁寧な暮らしではなくても」。『暮しの手帖』が 丁寧な暮らしを牽引してきた、というイメージを抱いていた人は多いかもしれない。実際、想像以上の反響があったというが、はじめからこの言葉を掲げて制作していたわけではなかったと北川さんはいう。
「ライターさんとの試行錯誤の流れのなかで、偶然に生まれた言葉だったんです。ただ、そういう心はあったんだと思います。日々を丁寧に積み重ねていくことは、理想であると思いますが、一方で『#丁寧な暮らし』とつくような、あるスタイルができあがっていることに違和感もありました。『丁寧』は人それぞれのはずですし、この雑誌は『暮らしを楽しみたい』と思う人が読んでいるということを改めていいたかった」
表紙の言葉のインパクトから、変革への大きな意気込みがあるのではないかと想像していたが、北川さんの思いはそれとは違うものだった。
「2年前、編集長職を引き受けるときイメージしたのは、『バトンを受け継ぐ』ということでした。歴史の長い雑誌で、『暮しの手帖』とともに年を重ねてきたと感じてくださっている人もいる。そういう読者の思いを大切にしながら、私と同世代、あるいは少し下の世代にも手にとってもらえたらというのが願いでした」
「それに、私は有名な編集者でもなければ、何者でもないですから」と北川さんは付け加える。雑誌の編集長交替時には、判型から連載記事まで大幅にリニューアルされることはよくあることだ。しかし、北川さんが立ち返ったのは、初代編集長である花森安治さん時代の『暮しの手帖』。
「編集長になる少し前に、花森安治が編集長だった頃の『暮しの手帖』152冊すべてをしみじみと読みました。このときの『自分たちのベースはここなんだ』という思いがなかったら、編集を見直す上での考え方が違っていたかもしれないですね」
また、取材を通じて、創刊の頃の編集部員に会う機会もあった。どこかストイックにつくっているイメージを持っていたという北川さんにとって、当時の編集部の様子は少し意外なものだった。
「5人ぐらいの編集部で、本当にわいわいしながらつくっていた時代の話を聞いたんですね。戦後すぐで、家具ひとつ手に入らない時代だったから、『リンゴ箱で椅子をつくる』みたいな素朴な記事であっても、読者はとても喜んでくれた。もちろん、平和を築いていくというポリシーはあったけれど、同時にみんな雑誌をつくること、読者に響くことを、とても楽しんでいたそうです。その根本にあるのは役立ちたいっていう心で、いかに役に立つものをつくるかを大切にしていたんですね」
そして、創刊号から変わらず記され、見慣れていたはずの「暮しの手帖宣言」が新鮮にうつったという。
「“すぐ今日 あなたの暮しに役立ち”、“すぐには役に立たないように見えても”、“いつか あなたの暮し方を変えてしまう”って、おもしろいなって。たとえば、読み物はそのときに興味がなくても、あとで読みたくなったり、年を経てさまざまな経験をするなかで響いてきたりすることもある。だから、いまはその両方が載ってることを意識してつくっています」
北川さんが編集長になって見直したページのなかに、料理の記事がある。それまでは、記事約10本のうち5本ほどが料理記事だったものを、3本ほどにしたのだという。
「ページ数でいうと、10ページぐらい減らしました。読者の声、とくに長年読んでくださっていて、ある程度自分の定番料理がすでにある方から、『料理ページが多すぎるのではないか』という声があったのが理由のひとつです。それにいまは、レシピの掲載数でいえばウェブサイトに敵いません。ですから、ページを減らす代わりに、料理の理論やコツを伝える解説を増やし、質で勝負しようと思ったんです。つくれない料理がいっぱいあるのではなくて、実際につくってもらえる料理記事であることを心がけています」
レシピはすべて、編集部員が社内や自宅のキッチンで試作している。手に入れやすい材料を用いているか、料理経験が豊富な人でなくてもおいしくできるか、原稿の形に整えたレシピを見ながら、ときには何度も試作を繰り返すのだという。編集部はもちろん、営業部も加わって、みんなで食べて意見を出し合うこともある。
「試作は、料理記事に必要な校正のプロセスだと思っています。手順を追えば必ずおいしいものができるという実感は、誌面に対する信頼にもなります。それに、まずは最初の読者として、実際につくって食べることでわかることがたくさんあるんです。
あと、料理ページは、今日すぐ役に立つものにしたい。同時に、季節が巡るたびにつくりたくなって、10年経っても変わらずつくり続けている、そんな普遍性があるものがいいと思っています」
普遍性がありながら、
どこかユニークな雑誌でありたい。
創刊から74年の歴史がある『暮しの手帖』の読者は幅広く、3世代にわたって読んでいる人もめずらしくない。また、家族と暮らす人、一人暮らしの人、子どもがいる人いない人などさまざまだ。そんな読者について、北川さんはどのように考えているだろうか。
「地下鉄で、目の前のシートに、20代から80代まで世代もさまざまな人たちが座っているとしますよね。『もしかしたら、この人たちが読者かもしれないな』と想像したりします。InstagramやTwitterで、私たちの雑誌のことを書いてくださっているのも読んでいますが、そこにはやっぱりいろんな人がいます。掃除をするのが好きだという人もいれば、出汁をひくのはちょっと面倒だなと感じる人も読んでくださっていて、その一人ひとり、どんな人にも暮らしはあるんですよね。だから『暮しの手帖』の読者は、“暮らしのある人”だと思っています」
そう聞いて、ちょっとほっとしたような気がした。忙しく過ごす毎日のなかで、理想の生活とはほど遠いような、洗い物がたまってしまうことも、料理に時間をかけられない日も多々あるからだ。
「私たち編集部だって同じです。バタバタとせわしなく、ゆとりのない日もある。でも、そこにはそれぞれの暮らしがあるし、こう暮らしていきたいという思いもあります。
読者の皆さんも同じように、いまは叶えられていなかったとしても、いつかは、と心に抱くものがあると思うんです。だから、『暮しの手帖』のなかから、何か一つでも取り入れられたらという思いで、読んでくださっている方も多いのではないかと思っています」
そんな読者の思いに応え “いま”や“いつか”に役立つ雑誌でありたいと考える北川さんには、同時に譲れない思いもある。
「たとえば、電子レンジでつくる料理があってもいいと思っています。フライパンを使うよりおいしくできるなら取り上げたい。でも、もし特別おいしいわけではないけれど、簡単だからということなら、それはやっぱり載せたくないんです。
日常の暮らしの雑誌だからといって、『この程度でいいんじゃないか』という気持ちでつくってしまったら、なし崩しになってしまう。だから、つくるほうも理想を持っていたいし、奇をてらわず、普遍性があって、どこかユニークな雑誌でありたいと思っています」
いまを生きている私たちが、
いまを生きている人に渡す。
幅広い読者がいるからこそ、取り上げたい記事があると北川さんはいう。たとえば、「迷惑かけたっていいじゃない」、「わからないって、面白い」などの読み物記事もそのひとつだ。ここでは、登場人物の暮らしの奥にある生き方を掘り下げている。
「読み物記事は、いまを生きている私たちが、いまを生きている人に渡すということを意識しています。いまここにあること、ときには課題や問題を、共有したいという思いがあるんです。
たとえば、『迷惑かけたっていいじゃない』という記事は、自主幼稚園「りんごの木」での取り組みを紹介しています。取り上げているのは保育ですが、その根底にあるのは「私たちはどうしたらもっと生きやすくなるのか」というテーマです。また、私もその一人ですが、子どもを持たない人が子どもと無関係かといえば、そうではないですよね。“子どもを社会で育てていく”とよく言われますが、それはどういうことなのか、考えていきたいと思っています」
読者のなかには、取り上げるテーマに興味や関心がなかったという人もいるだろう。そうした読者をも惹きつける企画を出すのは、簡単ではないはずだ。
「迷うことはいっぱいあります。でもそれができるのも、編集部員20人で一緒になって企画を考えているからできることなんです。いま本当に知りたいことや掘り下げたいこと、会ってみたいと思う感覚を、素直に素朴に持ち寄っている。だから私も知らないことが本当にいっぱいあります」
編集部で記事を企画するプロセスについて、「編集者の手帖」で、北川さんはこんなふうに書いている。
―――
残念ながら、私は「鶴の一声」でみんなを引っ張っていける編集長ではありませんし、お金をかけたマーケティングができるわけでもなし、頼りにするのは自分たちの暮らしの感覚だけです。せわしい日々のなかでごはんをつくり、何とか家事をこなし、たとえ人に誇れるものじゃなくても、笑ったり怒ったり涙したりして一生懸命暮らしている、この感覚だけ。そんな感覚を持ち寄って、本音を重ねることで広がっていくものが確かにあるのです。
(第5世紀6号より)
―――
まさに編集者一人ひとりの、それぞれの暮らしが種となって、『暮しの手帖』は生まれているのだ。
誌面を通じて、
人間同士の付き合いをする。
編集部には、記事の感想やご意見などたくさんの手紙が届く。メールやSNSツール全盛のこの時代に、毎月何通もさまざまな読者から直接手紙が届く編集部というのがどれだけあるだろうか。
それらは「伝えたかったことが、ちゃんと届いている」と実感できる手紙も多いというが、ときには批判や疑義を含んだ、すぐには返事ができない意見が届くこともある。それに対し、北川さんは次のようにからりと話す。
「『暮しの手帖』に書いてあることを、全部そのとおりと言われるほうが、不自然な気がします。いろいろなご意見をいただき、それに対してお手紙を書いたり誌面で返答をしたり、雑誌を通して人間同士の付き合いをしていると感じていますね」
最新号(第5世紀17号)のなかに、「この土地と生きる」という編集部が執筆している記事がある。記事の発端は、5年前に遡る。「電力は選ぶ時代」という記事で取り上げた再生可能エネルギーに対し、メガソーラー建設に反対する方々から疑義の手紙が届いたという。その後、編集部は現地に赴き、交流を重ねてきた。通常なら緊張感が漂ってもおかしくない関係性からはじまり、今号の記事につながったのだという。ときに間違えながら、同じ時代をともに生き、学んでいこうとする、人と人との付き合いがここにもある。
自分たちの感覚を重ねてつくる企画、迷いも間違いもひらいていくコミュニケーション。同じ時代を生きる読者を信頼し、ともに考えようとする、人と人との瑞々しい関係が、『暮しの手帖』の誌面上にはある。
それは、“丁寧に”暮らせていなくても、ほんの少し理想の暮らしに近づけたうれしさや“いつか”という憧れを抱えながら、一生懸命に私の暮らしを大切にすればいい、そう思わせてくれる。
「いろいろな人が読む雑誌だからこそ、できることがある」と、北川さんはいう。世代も、家族構成も、考え方も違う、さまざまな人が読んでいるからこそ、一緒に考えたり、共有できることがあるというのだ。
言いかえれば、読み手が知らなかった暮らしの知恵や生き方に、誌面を通じてばったり出会えるということでもある。そうやって意図せず出会った事柄が、知らぬまにそっと心に住みつき、“いま”か“いつか”の私を支えてくれるのかもしれない。
雑誌『暮しの手帖』
「もう二度と戦争を起こさないために、一人ひとりが暮らしを大切にする世の中にしたい」という理念のもと、創業者大橋鎭子さん、花森安治さんによって、1948年に創刊。まだもののない時代、手に入るもので暮らしを彩る衣食住のアイデアを提案し、生活者の立場にたった「商品テスト」では多くの読者の支持を得る。創刊以来、広告を掲載しないスタイルを貫き、現在は400を超える号を重ねている。
HP:https://www.kurashi-no-techo.co.jp/
『暮しの手帖』最新号 第5世紀17号
定価:998円(税込) /3月25日発売
<目次>
いまもいつかは思い出になる
白崎裕子さんの米粉のクイックパン
うれしいおかずの素
玉子が決め手
部屋を彩る、スラッシュキルト
わたしの好きな ふるさとのお菓子
アマゾン先生の夢
木の家具を手入れする
家をたたむ、その日のために
この土地と生きる
- 北川史織さん きたがわ・しおり/住まいづくりの雑誌の編集部を経て、2010年暮しの手帖社入社。以降、数多くの本誌記事や別冊『暮しの手帖のクイックレシピ』などを担当。2017年『暮しの手帖』副編集長を経て、2020年編集長に就任する。好きな分野は、料理、住まい、人物ルポルタージュなど。
ー迷いながら、編む。
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