特集 老いと親

老いに対して、無力な医療。いま子どもが学ぶべき、老いのこと、親のこと。

だんだんと老いていく親の姿。遠くない未来に訪れるであろう介護や同居のことが、心のどこかにひっかかっている。

そんなある日、兵庫県尼崎市のまち医者として、在宅医療に従事している長尾和宏先生の著書『痛くない死に方』に出合った。人の死は、もっと自由になっていいのではないか。親だけでなく、自分自身にもいつか訪れる終期についても考えさせられる一冊だった。

220日(土)から、その書籍をモチーフにした、柄本佑さん主演の映画『痛くない死に方』が公開される。また、長尾和宏先生のドキュメンタリー映画『けったいな町医者』も公開がはじまった。そこには、病とではなく、患者と向き合う長尾先生の日々が映し出されている。

人生100年時代といわれる今、親の老いは避けて通れなくもあり、いつかの自分自身のことでもある。
日々、患者とその家族と向き合い続ける長尾先生に、子どもとして親の老いとどんな風に向き合っていけばいいのか、お話を伺った。

文:兵藤育子

老いに対しては、医療は無力。
覚悟が必要なのは、親を支える子ども

ーーそもそもなぜ私たちは、老いに対して不安や怖さを感じてしまうのでしょう。

僕は大企業の産業医(※労働者の健康管理などを行う医師)もやっていますが、本人の健康相談だけでなく、離れて暮らす親についての相談を多く受けます。老いや介護に対する基本的な知識がないうえに、学ぶ機会がなく、どう対応したらいいのかわからない、という方がほとんどです。それでも子どもだから親の面倒を見なければならず、逃げるわけにはいかない。自分の仕事と家庭の両立だけでも大変なのに、親の介護の負担も加わって三つ巴になってしまっているのです。

日本は間もなく、団塊の世代が後期高齢者となり、超高齢化社会を迎えます。2025年問題ともいわれていますが、今話したような悩みを抱えているのは、その子どもたちの世代が中心となっています。現在30代、40代、あるいは50代もそうですが、いい病院をネットで調べようとするけれども、判断基準がよくわからない。介護保険というものがあるのは知っているけれどもーー40歳になったら給料から天引きされますからねーー自分の親にそれを具体的にどう使えるのかもわからない。

その昔、人生50年といわれていた時代は、介護自体がそもそもありませんでした。人生80年から90年、100年時代になろうとするなか、親の老いは新たに発生した問題といえます。親自身は、老いることにそれなりの覚悟ができていたりするけれど、それを支える子ども世代のほうができていなかったりする。これからますますクローズアップされてくるでしょうね。

在宅医療をする長尾先生。医師然とした白衣は着ないのがポリシー。©︎「けったいな町医者」製作委員会

ーー先生の著書『親の「老い」を受け入れる』のなかにも、「今、我々日本人に圧倒的に足りないものは、「老い」を受け入れる力なのだと考えます」という一節がありました。子ども世代に基本的な知識がないことをその理由としてあげられましたが、具体的にはどういったことなのでしょう。

ひとつは医療信仰、つまり医療を過信していること。大きな病院、有名な病院、名医のところに行けば何とかなると思いがちですが、老いに対して医療は無力なのです。医学的にもまだ解明されていませんし、老いそのものを止めることはできない。もうひとつは、老いを身近で見るチャンスがこれまでなく、親を通して初めて老いに接する人が多いことです。子どもにとって偉大な存在で、ある地点までは上り坂のイメージしかなかった親が、下り坂に差し掛かってくると、「まさかそんなはずはない」という否定が先に来てしまう。親が老いることを信じたくない、受け入れたくないという心理が働いてしまうのです。

今の30代~50代は、人が死ぬ瞬間を一度も見たことのない方がほとんどだと思います。60代でもそういう方はたくさんいますし、80歳前後でもいるくらい。だから老衰といわれても、イメージが湧かないんですよね。その点、昔は死が日常でした。在宅医療という言葉もなく、老いたら家で死ぬのが当たり前だったので、小さな子どもでも、おじいちゃんやおばあちゃんが死んでいく姿を身近で自然に見てきました。
ところが現代社会では、老いを病気として捉える医者が多いですし、施設か病院で死ぬ人が8割以上なので、死を見る機会が限られている。だから必要以上にショックを受けてしまうし、それが自分の親ならなおさらのこと。「年だからしょうがない」なんて僕が言ったものなら、「なんとかなるはずだ!」と怒る子どもさんもたくさんいらっしゃいます。「もっと名医のところに行ったら、治してくれるはずだ」と。

 

認知症のケアは、薬よりも“関わり方”。
子育てと同じで、「褒めて伸ばす」

ーー認知症は新たな国民病といわれていますが、親の認知症に対して子どもはどう向き合っていくべきなのでしょうか。

若年性認知症は別ですが、認知症の多くは病気と老いの部分が重なっています。そもそも認知症はどんな病態かというと、単なるもの忘れではないんですね。精神的な不安を感じたり、生活障害といって、たとえば日々の料理や買い物、家計の管理など今まで当たり前にやっていたことができなくなり、何らかの介助が必要になる。そういった認知症が薬で治るものだと誤解している人がとても多いのです。

日本で現在使われてる抗認知症薬は4種類ありますが、副作用が強いため、フランスでは2018年に保険適用外になっていますし、アメリカでもほとんど使われていません。欧米ではそのように扱われている薬でも、日本では子どもが親のために率先して求めてきます。もちろん副作用が出ない方もいますが、副作用で認知症になってしまう方がとても多い。僕はむしろ、そっちのほうが多いんじゃないかと思っているくらい。
しかも認知症の薬は一度投与を始めたら、階段を上るように段階的に増量しないといけないという変な規則が日本にだけあり、十数年間放置されていたのです。これに対して僕たちは「抗認知症薬の適量処方を実現する会」を設立して、現在は副作用があれば中止・変更の検討ができるようになりました。

『痛くない死に方』では、長尾先生をモデルとする役を奥田瑛二さんが演じている。©︎「痛くない死に方」製作委員会

認知症のケアは、薬よりも関わり方。できないところを叱ったり責めたりするのではなく、できること、その人らしいところを褒めてさらに伸ばす。子育てと一緒なんです。大事なのは上から目線ではなく、横並びで寄り添ってあげること。しかし、親の失敗を子どもが必要以上に責めてしまって、認知症を進ませてしまう悪循環が本当に多く見られます。

認知症に関する問題は本当に難しく、僕はこれまで何冊も本(*)を出してきましたが、本人つまり高齢者に向けた内容はもう書き尽くしたと感じていて、今はまさに子ども世代に対する本を書き続けています。子どもたちに向けて発信したほうが、本人も子どもも幸せになれると思うからです。

*参考:著書『薬のやめどき』『認知症は歩くだけで良くなる』『家族よ、ボケと闘うな!』など著書多数

離れて暮らす負い目から、
“いい医療”に頼ろうとしてしまう

ーーコロナ禍で、離れて暮らす親となかなか会えず、その間、親の変化を感じながらも身動きが取れなくて、もどかしい思いをしている人も多いと思います。子どもとして大切な心構えなどはありますでしょうか。

コロナで家に閉じこもっているせいで足腰が弱くなり、歩くのがおぼつかなくなったり、転倒する高齢者が増えています。こないだも、「離れて暮らす親が転んで骨折して、熱も出てきているからどうすればいいか?」という相談がありました。毎日のように電話やメールで子どもとやり取りをしたのですが、最終的には親のほうが「先生は自分の体のことを一番知っているし、自分の利益を一番に考えられると思うから、子どもの判断ではなく先生に任せたい」と言ってくれて。僕自身もとても楽になりました。

しかしこういうケースは稀で、子どもに「入院させてくれ」「救急車を呼んでくれ」と遠隔で言われたら、大抵は従うしかない。ところが今は救急車を呼んだとしても、どの病院も逼迫しているので入院できるところがないんですよ。親と離れて暮らす子どもは、十分に面倒を見てあげられていないという負い目があります。だからこそ、とにかく“いい医療”を受けさせようとする。だけど特に認知症の方などは、普通の生活を続けることが大事で、慣れない環境や自分の望まない環境にいると、症状が悪化してしまうことがあります。

患者本人が意思表示できるにも関わらず、子どもの意思が尊重されてしまうのも、日本特有の風潮でしょう。実際、医師が患者ではなく子どもの意思を尊重しなかったことで、訴訟で負けてしまった判例がたくさんありますし、日本は本人の意思の尊重が最もなされない国だと僕は思っています。認知症の方の意思決定を行うのは、3分の2が家族で、3分の1が医師。本人が行うケースはわずか3%であることが、厚労省の統計でわかっています。3分の2の家族のなかには、もちろん子どもも含まれていますが、誤った病院信仰や薬信仰で意思決定をしている。これはかなり歪んだ姿といえます。

©︎「痛くない死に方」製作委員会

一方でコロナ禍において、病院や施設から自宅に帰ってくる人も増えています。おかげで、今まで介護から逃げていたけれども、初めて親子で向き合ったという方もいらっしゃいます。働きながらの介護は無理だと最初から諦めている人は多いですが、フルタイムで働きながら、最も手厚い介護を要する「要介護5」の親を在宅介護している方は、実はそこそこいます。就労と介護は思っている以上に両立できるものなのです。具体的な方法としては、介護保険を上手に利用することになるのですが、それがあまり知られていないし、理解のあるケアマネージャーも実は少ない。在宅介護を勧めるわけではないけれども、選択肢のひとつとしてぜひ知っておいてほしいですね。

病院や施設から自宅に帰るのは、家族がいる人だけではなく、おひとり様もたくさんいます。僕の患者さんにも、身寄りがない天涯孤独の方が結構いらっしゃるのですが、認知症になっても意思表示がしっかりできるような方は、自分の家で死ぬと明言されてハッピーに暮らしている。そのくらい、老後の幸せな過ごし方は、本人の意思を尊重することが大切です。

そして当たり前ですけど、死というものをどこかで意識しておかなくてはいけない。そういう意味でコロナは、現代の日本人が初めて死を自分ごととして考えるきっかけになったと思います。これはおそらく、戦後75年で初めてのことと。それほど私たちは、死生観が脆弱な国民なのです。

 

親の問題としてではなく、
自分自身の問題に。

ーー先生の著書が映画となっている『痛くない死に方』も、やはり死や家族の関わり方について考えさせられます。

在宅医療や看取り、医療の選択について自ら意思表示をする「リビング・ウィル」などを題材にしています。こういう時代だからこそ観てほしいですし、きっとそれぞれに感じることがあるはずです。在宅医療の映画はこれまでもいくつかありましたけれども、この映画は在宅医療を美談ではなく、あくまでもリアルに描いています。医者もいろいろ、患者さんの人生もいろいろなので、医者との相性を確かめないといけないし、医者選びの参考にもなるでしょう。どんな人にも、いつか絶対に死ぬときは来ます。ですから親の問題としてだけではなく、自分自身の問題としてもこの映画を観てほしい。

©︎「痛くない死に方」製作委員会

高橋伴明監督はこの映画を自分の遺作だと言われましたが、僕はこの映画を自分のライフワークだと思っています。エンターテインメントであると同時に、おこがましいかもしれないけど教育映画の側面もある。だから高齢者だけでなく若い人にも観ていただきたいし、医者を志すような人にも観てほしいし、もっと先の狙いを言えば病院の先生にも観てほしい。

『けったいな町医者』のほうは、私の日常をとらえたドキュメンタリー映画です。こちらは、人前で歌いたいだけの変な医者として描かれていますが、本当はもっと真面目にやっているんですよ(笑)。どちらの映画にも同じように肺がんの方が登場して、看取りのシーンが出てきます。『痛くない死に方』の前半は、私の著書を読んで、親御さんのために痛い延命治療を続ける入院でなく在宅医療を選んだのに、痛い思いをして亡くなったという娘さんと対談した書籍『痛い在宅医』のエピソードです。ぜひ両方観て、違いを感じていただければと思っています。

©︎「けったいな町医者」製作委員会

■映画『けったいな町医者』
1995年、病院勤務医として働いていた際、「家に帰りたい。抗ガン剤をやめてほしい」と言った患者が自殺。それを機に勤務医を辞め、尼崎の商店街で開業し、町医者となった長尾和宏。24時間365日、患者の元に駆けつける長尾の日常をカメラで追いかけたドキュメンタリー。転倒後、思うように動けなくなり、以前自分の旦那を看取った長尾を往診に呼んだ女性や、肺がん終末期の患者などの在宅医療を通して、「幸せな最期とは何か」「現代医療が見失ったものとは何か」を問う。『痛くない死に方』で主演を務めた柄本佑が、ナレーションを担当。
監督・撮影・編集:毛利安孝
予告編:Youtube  https://youtu.be/EEq8msvY5jM
公式サイト:
https://itakunaishinikata.com/kettainamachiisha/
シネスイッチ銀座ほか全国順次公開中

■映画『痛くない死に方』
長尾和宏の10万部売れたベストセラー『痛くない死に方』『痛い在宅医』をモチーフにした、在宅医と患者と家族の物語。主人公は、矛盾や葛藤を抱えながら在宅医療に従事する河田仁(柄本佑)。担当した末期の肺がん患者が苦しみ続けて死んだことで、悔恨の念に苛まれ、先輩医師・長野浩平(奥田瑛二)の元で在宅医としてのあるべき姿を模索。そして2年後、再び末期のがん患者である本多彰(宇崎竜童)を担当することに。そこにはまったく違う患者との向き合い方をする医師の姿があった。
監督・脚本:高橋伴明  原作・医療監修:長尾和宏 出演:柄本佑 坂井真紀 余貴美子 大谷直子 宇崎竜童 奥田瑛二
予告編:YouTube https://youtu.be/uQSrkY_7leg
公式サイト:http://itakunaishinikata.com/ 
2021年2月20日(土)よりシネスイッチ銀座ほか全国順次公開


■著書『痛くない死に方』
ブックマン社/1100円)
がん、認知症、心不全、肺炎……、2000人の最期を看取った医師が明かす、「痛くない」「苦しくない」人生の終わり方について。平穏死という視点から、痛くない死に方とはどういうことなのか、わかりやすくまとめた一冊。
■著書『親の「老い」を受け入れる』
(ブックマン社 /1430円)
今の日本人に足りない「老いを受け入れる心」について、下町で多くの認知症患者を診ている町医者・長尾和宏と、西宮市のNPO法人「つどい場さくらちゃん」の理事長を務める丸尾多重子が説く。介護経験者も未経験者も、心が軽くなる言葉の処方箋。

老いに対して、無力な医療。いま子どもが学ぶべき、老いのこと、親のこと。
長尾和宏先生 1958年、香川県生まれ。1995年に兵庫県尼崎市で「長尾クリニック」を開院。年中無休の外来診療と在宅医療に従事し、現在まで多くの看取りを行ってきた。
日本慢性期医療協会理事、日本ホスピス在宅ケア研究会理事、日本尊厳死協会副理事長関西支部長、全国在宅療養支援診療所連絡会理事、近畿在宅療養支援診療所連絡会世話人、(社)エンドオブライフ・ケア協会理事、(社)抗認知症薬の適量処方を実現する会代表理事、(社)日本在宅救急医学会理事など多くの団体、医学会、大学の理事を務める。
(更新日:2021.02.14)
特集 ー 老いと親

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老いと親
少しずつ、だんだんと老いていく親のこと。離れて暮らす親のこと。いつか考えなきゃと後回しにしてきた、親の老いについて、いつしか自分も迎える老いとして、考えていく。
老いに対して、無力な医療。いま子どもが学ぶべき、老いのこと、親のこと。

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