特集 老いと親
ゆっくりとお別れの挨拶をするために撮りはじめた、母の姿。フォトエッセイ「長いお別れ」 写真・文:熊谷直子
3年ほど前、吉祥寺の本屋で行われた写真展に行ったときのこと。
壁に飾られていたパネルの中で、70歳くらいの白髪の女性が無邪気に笑っていた。サングラスと赤い口紅でほほえむ姿、窓の外をまっすぐに見つめる横顔。聞けば、それは展覧会を開いていた写真家・熊谷直子さんのお母さんだという。
元教師で型破りなお母さんのことを、「いつまでも元気だと思い込んでいた」と熊谷さん。今お母さんは地元の介護施設で暮らしているため、東京と地元を行き来する生活を送っている。
いつか先にいなくなってしまうのに、目をふせてしまいがちな親の老い。
あの写真に写っていたお母さんについて、熊谷さんに綴ってもらった。
写真・文:熊谷直子
人々の感情が溢れてる
良いも悪いも
私が思うより
誰かは誰かのことが好きで
誰かは誰かと傷付け合っている
母と私もそうだったのだろう。
母の気持ちなんて一度も理解したことはないし
母も私を分かったことなんてないのだと思う。
そんな風に母に対して反発していたので
まさか突然認知症になろうとは
想像もしていなかった。
50歳を目前に迎えた母がある日、中型バイク(HONDA CBR250)に乗り始めた。
まだ中学生だった私にはそれがどれ程イカレタ行為だったのかは分からなかったのだけど、大人になるにつれ相当のことだったと気付く。
何せ中学校の教師だった母がバイクと同じ青色の皮のボディスーツを着て出勤していたのだから、ヤンキー達の羨望の眼差しを一身に受けたのは容易く想像がつく。
自分の母親でなければ、なんてぶっ飛んでいて面白い人なんだろうと興味をもったに違いない。けれど子供としてはたまったものでは無かった。
だからくも膜下出血で倒れた母の手術が終わり「認知症」になった時も、また冗談かと思った。
その事実を受け止めるのは容易ではなかった。
私自身が実家に引き上げ母を介護しようか、
または東京の施設に母を呼び寄せようか。
考えるほど答えは見つからず、絶望的な時間が過ぎていった。
そんなある日、南三陸の震災ボランティアをきっかけに知り合った気仙沼のご家族のお母さんから『自分の人生を生きなさい』と電話があった。
涙がボロボロと流れ落ち、背中をバンッと叩かれシャンとしなさいとまるで母に言われたようで乾いた心がなんとも言えない温かさに包まれた。
もしかしたらその温かさは母に求めていたものだったのかも知れない。
それ以来、家族の形って血の繋がりだけではないのではないかと思うようになった。
母が倒れるまで母にカメラを向けてこなかったから、ほとんど写真はなかった。母を撮ろうと思ったのは、“ 写真を通して対話”し、ゆっくりと長い時間をかけてお別れの挨拶をしたいと思ったから。
つい先日、施設で暮らす母に会いに行ってきた。
モニター越しでの面会だったからか
私のことを認識していなくて
一言も話さなかった。
母の手を握って話をしたら思い出してくれるんじゃないかと
コロナ禍を凄まじく悲しんだ。
けれどこの9年、いつだってそのXデーが来ても大丈夫なように
母と対話しながら撮った写真が私には残っている。
だからいつだって母が「バイバイ」って言いたくなったら
少しの間は落ち込むだろうけどきっとちゃんと受け止められると思う。
それでも9年前のこと少し後悔があって
母のことをいつまでも元気だと思い込んでいた。
50歳目前からマラソンをはじめ、バイクに乗り、
50歳を過ぎてスノボをはじめて、
倒れる直前の頃は毎日グランドゴルフで忙しくあちこち走り回っていた。
いつまでも大丈夫だと高を括って、電話も帰省も最小限に止めて母のことに気を掛けていなかった。
今から思うと父が他界してからの寂しさは拭えなかったのだろう。
時として寂しさは毒に変わる、それに気付いてあげられなかったことが悔しくて堪らない。
母が36歳の時に生まれた私は、同年代の子たちよりも少し早く親の老いを感じていて、友達や周りの人にはマメに実家に連絡して欲しいと思う。
去年半年間にわたって韓国の友人が立ち上げた有料メルマガサイトで母のことを書いていた。そういった機会でもない限り、母と過ごした時間を思い返すことはなかっただろう。
いつかは先にいなくなってしまう親のことを思いながら子供の頃を振り返ると、大体のことは美しい記憶にすり替わっている。
感謝しか出て来ない……とまでは言わないけれど(笑)
そんな時間を持つことは悪いことではないなと思う。
母に見せたい景色や母に会わせたい友達や母に食べさせたい料理――。
日々そんなヒカリで溢れている。
次会う時は手を握って話がしたいな。
熊谷直子写真集『赤い河』
(TISSUE PAPERS 01)3,300円
「これは私の人生だけど、誰かの人生でもある」
愛、肉、死、光、命--遠く離れて暮らす母親を定期的に撮影しながら、生まれては消え、出会っては別れてゆく私たちを確かに繋ぐもののことを考えた、東日本大震災以降の6年間の記録。 数々のアーティスト、俳優のポートレートで活躍してきた写真家・熊谷直子の、初の本格作品集。