ある視点

“オルタナティブ”に生きるために

私たちが暮らす「都市」と「地域」。
その社会をとりまく状況は日に日に速度をあげ、大きく揺れながら変化しています。
 地域活性、地方創生、新しい働き方、過疎化、資本主義経済……
聞きなれた言葉、見慣れた文字が生活の中で流れていく。
あらゆる意味で“自然”と共存するには、ほど遠い世界にあるいまの暮らし。
いま、「なにか違う」「こっちのほうがおもしろそうな気がする」と察知して移動する人たちは、「地域」「地方」「田舎」とくくられる土地に行き着いている。そんな彼・彼女たちの姿を、中沢新一さんはじっと見つめています。
これからの時代に本当に必要な、いまを動かす、古くて新しい哲学。
“無意識”の動きに言葉を与える、新しい思考。
人間の暮らしの“もと”をひも解きながら、
次の時代を生き延びるための可能性を探っていきます。

「人類の、たのしい仕事」はじまり、はじまり!

 

構成:薮下佳代  題字:吉田勝信

第2回 “オルタナティブ”に生きるために

消え去っていく原始的なものを
学ぶこと、体感すること

ぼくは昔から、プリミティブなもの、野生的なものに惹かれていました。若い頃、民俗学者の宮本常一の本をよく読んでいて、地方には、日本のプリミティブな古い要素がまだたくさん残っているところがあると知り、それを見届けたくて日本中をまわりました。

 

いま見ておかないといけない! という切迫感があったのでしょう。学生時代は、日本中を歩きまわり、宮本常一や柳田國男たちが見た“日本の原風景”ともいうべき暮らしを消えてなくなってしまう前に見ることができました。

 

チベットに行った時も同じでした。
チベット仏教をいま勉強しておかないといずれなくなってしまうだろうと思っていたら、チベットでは実際になくなってしまった。1980年代後半は、ロシアと東欧へ行きました。崩壊しつつあった社会主義がこれからどうなっていくのか。ソ連がなくなる前に、どうしても見ておきたかったのです。

 

なぜ、いまある世界の最後を見届けようと強く思ったのかといえば、それは、次の時代をつくる時に必要なものだからです。

 

次の時代をつくろうとする時、人はいまあるものとは違う方向へ行こうとします。そうすると必ず行き過ぎてしまうものなのです。

 

その行き過ぎたところから引き戻して、ちょうどいい「中間点」を探さなければいけない。その中間点を探すためには、一度、後退しなきゃいけないんです。それはつまり、世界のバランスを取り戻すということにほかなりません。

後退しているようで
ぐるぐる上がっていく未来

仏教を勉強していくなかで、ぼくの思想に近いなと思ったのは「中道(ちゅうどう)」という概念です。言語観念やイデオロギーなど、“右”か“左”に極端に振れるものは一切偽物で、常に真ん中でありながら、自然状態のまま発達していくものが正しい。それが「中道」という仏教の考え方になります。「中道」を実現していくためには、発達し過ぎたものが、遅れたものとして切り捨てていったものを、もう一回組み込まないといけない。

 

つまり、意識が発達しすぎて、無意識を抑圧していくと人間は破綻してしまいますが、その場合、どうしたらいいのでしょうか?

 

それは、無意識のなかに抑圧したものを取り戻すことです。

 

人間は夢を見たり、想像力をもって、未来のことを構想すればいい。そのためには後退しなきゃいけないんです。それは、けっして反動ではありません。

 

たとえば、螺旋(らせん)をもう一段階に上がろうとすると、前に進むのではなくて、後ろに戻っているように見えますが、実際には、螺旋はいまよりも確実に上がっていく。

 

そういった“後退上昇”、つまり後退しているように見えながら、実は螺旋を上がっていくという生き方を、ぼくらは発見していかなくてはいけないのです。

時代が捨ててきたものを
もう一度巻き込んでいく

行き過ぎた社会が切り捨ててきたものから、もう一度良いものを取り入れて、引き戻して中間点に持ってくるということは、いまの発達した近代の産業社会が否定してきたものを体感しておかないと引き戻すことができません。

 

もともと「revolution(レボリューション)」という言葉は、ただ前へ進んで行くという意味ではありません。

 

「re – volute」、つまり「volute」というのは「巻き込む」という意味で、「re」という言葉は「もう一回」ということですから、捨てられたものを巻き込んで行くということ。だから「捨てる」ということと「巻き込んで行く」ということが、両方組み合わさった言葉が「revolution」という言葉なのです。

 

極端な方向へ向かってしまった社会を理解して、「re – volute」していくことこそが、「revolution」であり、いまの世界に必要なのは「revolution」だと、ぼくは思っています。

 

地域へ向かう若い世代の人々が、そのことを知ってか知らずか無意識にいま「revolution」をやっているように思うのです。

ダメな世界を生き抜くために
必要なこと

都市生活は、お金がないと暮らしていけないし、お金がすべてと言っても過言ではありません。働けど働けど、お金は増えていかないのに、世界はモノであふれかえっています。富は誰かのもとに集中し、すべての人々へ分配されず、格差はますます広がるばかり。

 

もはやどこから手をつけていいのかわからないほどに、あらゆる問題がぼくらの暮らしを息苦しくさせています。

 

仕事の問題、食の問題、格差の問題、環境の問題、原発の問題……

 

そのどれもが、最終的には同じ問題にいきつくのです。その大きな原因は、資本主義が本来の意義を見失い、行き過ぎてしまったからでしょう。

 

19世紀、マルクスはその資本主義の矛盾した構造を見抜き、『資本論』を書きました。「資本主義はダメだ」ということを指摘したこの本は、貧困にあえぐ世界中の若者たちを熱狂させました。

 

けれど、マルクスの時代とは違った意味で、「資本主義がダメだ」ということを、ぼくらも知っています。

 

でもぼくらは、このダメな世界を、ダメだとわかっていながらも生きていかなきゃいけない。

 

ぼくらにとって、この世界を生き抜くためのオルタナティブな方法がきっとあるはずです。これからの未来をつくっていくためにはどうすればいいのか。

 

それを、ぼくなりに考えてみたいと思います。

 

つづく

人類の、たのしい仕事
中沢新一

なかざわ・しんいち/1950年山梨県生まれ。東京大学大学院人文科学研究科修士課程修了。現在、明治大学野生の科学研究所所長。民俗学、宗教学、哲学など、あらゆる学問的領域を縦横無尽に飛び越え、しなやかに思考する人類学者であり思想家。著書に『森のバロック』『哲学の東北』『カイエ・ソバージュ』『アースダイバー』『日本の大転換』『日本文学の大地』など多数。

(更新日:2015.10.07)

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