今ならまだ間に合う。
自分の子どもに食べさせられる漬物を。
老舗漬物メーカーの原点回帰。

かつて日本の食卓に欠かすことのできなかった漬物。もちろん今でも毎日食べる人はいるだろうが、食生活の多様化により漬物離れが進んでいるのも事実。一方、スーパーなどで一般的に売られている漬物の添加物の多さに、食べたいけれども躊躇してしまう人も多いのではないだろうか。

漬物は代表的な伝統食であるにもかかわらず、いつから添加物のイメージと結びついてしまったのか。「自分の子どもに食べさせられる漬物をつくりたい」という女性社員の思いが発端となり、昔ながらの製法と味に原点回帰した信州飯田の丸昌稲垣。企業としての反省も踏まえながら、ふっと出たのは「まだ間に合う」という切実な言葉だった。

文:兵藤育子 写真:阿部 健

信州名物、野沢菜漬けが
全国区になった功罪

白いごはんのお供やお惣菜、お酒のアテ、地方によってはお茶うけとして、日本の食卓を彩ってきた漬物。寒くて雪深い地域は特に、新鮮な野菜が乏しくなる冬場の保存食として欠かすことができず、それぞれの風土に寄り添い、工夫を凝らしてつくられた漬物は、ソウルフードと呼ぶにふさわしい食べ物だ。丸昌稲垣のある信州長野も、そんな日本有数の漬物天国のひとつ。

 

丸昌稲垣は、1925年(大正14年)に信州南部の飯田市で創業。味噌と醤油の醸造業がその始まりで、信州味噌が県外にも広まっていくなかで味噌漬け商品を展開するようになったのが、漬物メーカーとしての第一歩。そしてほどなく信州では、味噌だけでなく漬物も大きな転換期を迎える。野沢菜漬けの全国区進出だ。

創業者の稲垣来三郎氏。1935年撮影。【写真提供:丸昌稲垣】

信州人が当たり前に食べてきた野沢菜漬けが“発見”されたのは、長野県北東部の野沢温泉村といわれている。野沢温泉は古くから湯治場として知られ、大正時代にスキー場が開設。外からやってきた湯治客やスキー客がそのおいしさに感激し、地名を取って「野沢菜漬け」と命名したという説がある。

丸昌稲垣の市場開発長を務める稲垣尚文さんは、野沢菜漬けが全国へ広まっていった時代をこう振り返る。

「私が知る限り、30、40年前には野沢菜漬けのブームが起きていました。味噌漬けやたくあんなどに比べると、野沢菜漬けは緑色が鮮やかで、漬物らしからぬ見た目もよかったのかもしれません。うちも含め長野県内の漬物メーカーが、野沢菜漬けの製造に一気にシフトしていきました」

市場の動きとして、皆が同じことをやりだすと次に待っている展開は、価格の競争だ。野沢菜漬けは、量販店や大手スーパーで扱われる手頃で庶民的な漬物の筆頭となり、各漬物メーカーは業績を大きく伸ばしながらも、熾烈な価格競争の時代に突入していく。

一方で食生活が豊かになるとともに、問題視されるようになってきたのが塩分。今でこそ長野は、男女ともに健康寿命が全国1位(2020年)の長寿県として一目置かれているが、50年ほど前は脳卒中の死亡率がトップクラスだった。塩分摂取量の多さがその大きな要因とされ、しょっぱい食べ物の代表といえる漬物は戦犯的な扱いを受けることに。

「30年ほど前の弊社の味噌漬けは、塩分濃度が10%以上ありました。それが時代とともにどんどん下がって、現在では2%を切るくらいの漬物がほとんどです。しかし塩分を下げると日持ちが悪くなるので、今度は食品添加物で賞味期限を担保する必要が出てきたのです」

丸昌稲垣・市場開発長を務める稲垣尚文さん。柔らかな物腰から漬物愛が垣間見える、熱心な研究者でもある。

丸昌稲垣に限らず、漬物メーカー全般が食品添加物で品質を保持する時代になっていったわけだが、低価格競争と食品添加物の使用は切っても切れない関係にある。

「野沢菜は特に味の染み込みにくい野菜ですが、漬け時間を短縮して、商品の回転を早くさせるために欠かせないものの典型が添加物でした。極端な話、塩漬けにした野沢菜を調味液に浸してトラックに積み込み、輸送中の荷台で漬物ができあがってしまうくらい。そうするとたしかに安くて鮮度の高い漬物に仕上がるものの、添加物を多用しなければなりません。野沢菜だけでなく、日本中の漬物業界がそのせめぎ合いだったのではないかと思います」

 

過当競争の末、脱落していく企業も少なくなかったが、丸昌稲垣は量販向けの低コスト商品とは別に高品質のブランドを新たに展開。二極化する市場のどちらもカバーする、打開策となるはずだった。

「しかしながら結局のところ、製造する場所も人も同じなので両立が難しかった。どっちつかずのままくすぶっていたのが、ここ数年の状況といえます」

 

子どもの頃に見てきた風景を
今ならまだ伝えられる

飯田市出身で1児の母親でもある日野真央さんが、丸昌稲垣に入社したのは4年前。それ以前も長野市の食品会社で商品開発に携わっていたが、消費者の目線で食に対する意識が変わったのは、妊娠中だった。

「だしの素や便利な調味料もそれなりに使っていましたが、自分の子どもにはなるべく自然なものを食べさせてあげたいと思ったのです。10年ほど前から家庭菜園を始め、親世代の人に聞いたり、ネットで調べたりしながら自分で育てた野菜を漬けて、できる範囲で手づくりをするようになりました」

そんななか、丸昌稲垣の経営陣、正社員、パートなど立場は関係なく集まり、会社の方向性について話し合う機会がもうけられた。

「味噌や漬物、甘酒など手広く展開していて、自分たちが一体何屋なのかわからないような状態でした。そもそもの存在意義はどこにあるのか、根本的なところから話を始めていったのです」(稲垣さん)

 

漬物ブランドを新たに立ち上げるにしても、高級志向で洗練されたイメージやブランド力という点では京都の漬物にかなわない。だったら京都の漬物にはない、信州の漬物ならではの個性とは何なのか。喧々囂々と意見を言い合うなか、日野さんがふと発したのが「まだ間に合う」という言葉だった。

試作中の伝統野菜・源助かぶ菜の漬け物。日野さんたちは日々ここで、さまざまな素材を使って実験を行っている。

「自分の子どもに食べさせられる漬物をつくりたかったんです。自分の子どもだけでなく、地域の子どもやこれから生まれて大きくなっていく子どもにも、私たちが小さい頃に当たり前に見てきた風景を、今ならまだ伝えていくことができるのではないかと思いました」(日野さん)

「この辺りでも、うちのような伝統食品のメーカーさんが何社も廃業されていましたし、会社としても長年培ってきた技術を伝え残すことができる、ギリギリのタイミングだと思いました。どこかで半分、このまま廃れていくのかなあという気持ちも正直あったのですが、深層心理をついた、『まだ間に合う』というそのひとことに救われました」(稲垣さん)

材料や工程に妥協せざるを得ない、低コスト商品の製造を続けてきたことは、貴重な財産といえる伝統技術をないがしろにするだけでなく、仕事に対するプライドも置き去りにしてしまっていた。

「自分たちの技術を駆使した商品を適正な価格で買っていただき、おいしいと言ってもらう。ものづくりの基本といえるプライドをいつの間にか失っていたのです」(稲垣さん)

ものづくりの原点に立ち返り、プライドを取り戻すために約束事を明文化。「こだわり」という曖昧な表現で終わらせず、具体的に何をするべきか言葉にして、辿り着いたの結論は実にシンプル。おいしいものをつくるのに、急ぐ必要はないということだった。

 

野沢菜さん、すみません
これが本来の姿です

既存の商品を見直し、約束事に沿って改良を重ねて生まれたブランドが「かもしみ」シリーズ。漬物の第1号として商品化した野沢菜漬けには、特別な思いがこもっている。

「これまで低コストの野沢菜漬けをたくさんつくってきましたが、実際のところ農家さんはとても苦労して野沢菜を栽培しています。素材としては非常にいいものなのに、全国のスーパーのバイヤーさんにとって“野沢菜=量販向けの安い漬物”というイメージが定着してしまっている。野沢菜漬けのブランド力を落としてしまったのは、私たちメーカーの責任でもあると反省していますが、本来の野沢菜漬けはそんなもんじゃない。野沢菜さんすみません、これが本当の君の姿です、と謝りたいですね」(稲垣さん)

「のんびり熟した野沢菜漬け」は、塩のみで30日間かけてじっくりと乳酸発酵させた商品。乳酸発酵の酸味に慣れてない人でも食べやすいよう、熟成後、刻んだ野沢菜に出汁を加えている。

「私の祖母なんかもそうでしたけど、昔は大きな樽に野沢菜漬けを仕込んだので、春になると底のほうに酸っぱくなった漬物が残るんです。その味もまた大好きで、しかもそういう味に限ってずっと印象に残っているんですよね」(稲垣さん)

市販されている野沢菜漬けの大部分は茎と葉のみを使っているが、「のんびり熟した野沢菜漬け」はうま味の詰まったかぶも一緒に漬け込んでいるのが特徴。野沢菜は背丈のある立派な茎の下に、小さなかぶがちょこんとついているのだが、通常は地上に出ている茎の根元を刈り取って収穫するため、地元でもかぶの存在を知らない人が多いらしい。

野沢菜の小さなかぶ。茎と葉のみ使用する通常の野沢菜漬けは、洗ったり切ったりする工程を機械で行うことができるが、かぶ付きの場合は手作業が基本。

樽の中に入れるのは野沢菜と塩のほか、漬かりやすくなるための塩水のみ。重しを調整しながら水がゆっくり上がってくるのを待つ。

「野沢菜のかぶは、家庭でも一部の人しか使わなくなっていると思います。私たちも当初は、茎と葉だけで試作を重ねていましたが、記憶に残っている味と何かが違う。かぶごと漬けてみて、この風味がほしかったのだとようやく気がつきました」(稲垣さん)

「かぶごと漬けた野沢菜の香りを初めて嗅いだとき、『うわあ、いいにおい!』と思わず声に出てしまったほどでした。大根とも通常のかぶとも違う、とても爽やかな香りなんです。時間が調味料になって発酵、熟成していくことで、本当に味も香りもよくなるのだと実感しました」(日野さん)

本当に食べたい漬物と
買いたい漬物をイコールに

もうひとつ、商品化にこだわったのが源助かぶ菜の漬物。源助かぶ菜は別名、飯田かぶ菜とも呼ばれる信州の伝統野菜。南信州以外ではほぼお目にかからないが、野沢菜のように漬物にして古くから食べられてきた。

「野沢菜よりも背が低く、葉がやや紫色になるのが特徴です。この辺りの人が“菜っ葉の漬物”と呼ぶのは野沢菜ではなく、源助かぶ菜のほうなんです」(稲垣さん)

源助かぶ菜がなぜ野沢菜のように全国区にならなかったのかというと、野沢菜よりも背が低いぶん収量が少なく、農家にとっては効率の悪い作物だったことが大きいようだ。

「それでも、源助かぶ菜のほろ苦みやほのかな甘みは好きだったみたいで、農家の方たちは畑の隅っこで自家用として源助かぶ菜を植えて、近所に漬物をお裾分けをする。そんな習慣が細々と続いてきたようです」(稲垣さん)

実際、源助かぶ菜の漬物は、市販品としてほとんど出回っておらず、丸昌稲垣でも本格的な商品化は今回が初めて。言ってみればこれまでは、お金になる野沢菜は“外に出すもの”で、自分たちが日常的に食べる源助かぶ菜はそれぞれが自家製で賄ってきたわけだが、ここに来てようやく、食べたいものと買いたいものが一致することに。

 

「野沢菜はわさびと同じ仲間で、シャープな風味があるから人気が出たのではないかと私は思っているのですが、源助かぶ菜はもう少し優しい風味。南信州の人間そのものみたいな味わいなんです。自分で言うのもなんですけどね(笑)」(稲垣さん)

 

かもしみの開発プロジェクトを立ち上げ、再生に向けて努力を重ねるなか、社員の表情や行動も少しずつ変わってきた。塩と温度管理だけで野沢菜が日に日に変化することに感動したり、じっくり熟成させた漬物が放つ香りの高さに驚いたり。

「量販向けの商品は、とにかくトラブルが起きないようマニュアルをしっかりつくり、その通りにやることが現場の仕事といえました。だけどそればかりだと、自分で考えて動くことができなくなってしまう。その辺りも危機感を抱いた要因のひとつなのですが、今回はプロジェクトの立ち上げ段階から、全員を巻き込んで思いを共有しているので、まずは会社全体に発酵や熟成の面白さが広がっていけばいいと思っています」(稲垣さん)

稲垣さんや日野さんのようにプロジェクトの中心にいる人たちも、かつてない仕事の喜びを感じている。

「私が入社したのはちょうど量販向けの商品展開が始まった頃で、専門的に学んできた醸造発酵の知識をずっと生かせなかったんです。この歳になってやっとという感じですが、かもしみブランドのおかげで、持てる知識や経験を最大限生かせている実感があります」(稲垣さん)

「勉強の日々ですが、今の仕事は主婦として培った知恵や経験が役に立っている気がします。毎日、当たり前に野菜を扱ってきたのでそれぞれの特性や、季節や旬で味がどう変化するのか、プロジェクトのメンバーのなかでは一番わかっているかもしれません」(日野さん)

得意分野の異なる人たちが集まった、かもしみの開発チーム。和気あいあいと話すなかから新商品のアイデアが生まれることも。

世間の発酵食ブームは、漬物業界にとっても追い風になっているのかもしれないが、日本の食卓になくてはならないものであり続けた漬物を、一過性のブームで終わらせるつもりはもちろんない。

「あくまでもこだわっているのは、何回食べても飽きないおいしさ。私たちが3度の食事だけでなく、お茶の時間にも食べてきた漬物はそういうものでしたし、食べ飽きないおいしさを実現するための一番いい方法が、たまたま発酵・熟成だったんです」

この地に根づいてきた漬物と、それらを取り巻く技術や文化を伝えていく道のりは、始まったばかりだ。

稲垣来三郎匠 直営店
(工場に併設するショップ)
住所:長野県飯田市上郷黒田2721-1
電話:0265-56-1550
営業時間:10:00~17:00
オンラインショップ:https://www.kamoshimi.jp/






*南信州・伊那谷のソウルフード「源助かぶ菜漬け」 、冬季限定・数量限定で予約受付中です!
https://www.kamoshimi.jp/product/kabuna/
      

 

(更新日:2020.12.28)

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