特集 メディアの現在地
ー迷いながら、編む。
更新され続ける倫理観のなかで、新しい言葉を探す。/「福祉」と「創造性」をテーマにするウェブマガジン「こここ」編集長・中田一会さん
世に出てきたときは、紙の雑誌に代わるのではないかと考えられてきたウェブメマガジンが一部で更新停止していくなか、2021年4月、福祉をテーマにしたウェブマガジン「こここ」は創刊された。運営元は数々の看板雑誌を持つ、マガジンハウスだ。
編集長に抜擢された中田一会さんは、これまで広報として第三者に「伝える」活動を行ってきた。情報発信がかつてないほどセンシティブになっているいま、「福祉」という領域を、メディアとしてどのように扱い、伝えていこうとしているのか。
言葉の選び方、メディアの役割をはじめ、ウェブマガジンを編集する上で悩める「現在地」について語り合った。
インタビュー:森 若奈(「雛形」編集部)
本文:兵藤育子 写真:大森克己
生きるうえで根幹にあるものだから、
多くの人が関わっている
「雛形」編集部 森(以下、森):「福祉」という言葉から連想するものは人それぞれ違うと思のですが、「こここ」ではどのように「福祉」を捉えて記事をつくっていらっしゃるのでしょうか。
中田一会さん(以下、中田さん):福祉という言葉には、大きくは「幸福」という意味があるんです。一方で、法律や制度の視点で見ていくと、さまざまな区分があります。
高齢の方に向けた介護サービスや介護施設などに関わる「高齢者福祉」。保育所や保育サービス、児童養護施設、乳児院などにも関わる「児童福祉」。障害のある人に向けたサービスや支援施設に関わる「障害者福祉」。この場合、ひとくちに「障害」といっても、身体障害、精神障害、知的障害、発達障害など非常に多様なんです。また生活が困窮状態にある人に向けた生活保護制度も福祉の一つです。
森:制度であげてみると、範囲が広く感じますね。
中田さん:じゃあ「『こここ』ではどの福祉を扱うの?」ってことなんですけど、福祉が意味する幸せって、生きるうえで根幹にあるものだから、みんなに関わっているんですよね。だから制度的な区分けに縛られすぎず、大きな意味で「福祉」を捉えて記事として届けたいと思っています。「もしかしたらこれも福祉じゃない?」というような物事や人も取材したいですし、みんなで考える機会を増やしたい。
森:福祉に関わることは、関わりの深さによって知識や経験が異なってくるのではないかと思います。だから、自分の知識では誰かを傷つけてしまわないかなど、触れにくいと思っている人もいるのではないかと。
中田さん:私自身、前職の公共文化財団に勤務するまで、福祉施設を訪れたことがなかったんです。知らないことの多さにびっくりしました。でも、誤解を恐れずに言うならば、福祉の現場では「すごく面白い!」と思う出会いや物事もたくさんあって。もちろん難しい状況や課題もあるけれど、だからこそ創造的な工夫や知恵が存在していて。最近では、アートやデザインの領域でも、福祉の実践と関わる取り組みがとても増えているんです。
どこかまだ遠いことと思われがちな「福祉」を、身近に感じたり、触れてみようと一歩踏み出すような入り口の一つになればと「こここ」を運営しています。
森:編集作業はどのようにすすめているのですか?
中田さん:コロナ禍に立ち上がった編集部なので、感染対策に気をつけながら取材しています。取材先にお願いしてインタビュー以外の時間もじっくり見学させていただいたり、状況が許すときは、編集部みんなで訪問させていただき、それぞれが質問したり、あとでそこで考えたことを共有したりする振り返りも大事にしています。編集メンバーの発案で取材対象者との出会い方を工夫し、「ゲームから始めましょう」とインタビューをしたこともありました。
あとは、原稿を仕上げる際に検討し、書き換えた言葉などを理由とともにストックしたり、編集部のメンバーが気になった言葉をオンライン上で書き込めるリストをつくって共有したりしています。取材方法や知識も、メンバーで共有したり交換したりすることを大事にしていますね。
更新され続ける倫理観のなかで、
新しい言葉を探す。
森: いまは福祉がテーマに限らず、表現や言葉の選び方に敏感になっていると思います。例えば、「雛形」で「親」をテーマに扱ったとき、親がいない人もいるし、亡くなった人もいるし、距離を置いている人もいる。そんな中で親がいることが当然で、大事にすべき存在である、というような一辺倒の考えに見えないように、親の老いをどう伝えられるかとても悩みました。「こここ」では、どのようにテーマや原稿と向き合っていますか?
中田さん:同じく、とても悩んでいますね。差別語・不快語・表現表現を使わないことはもちろんですが、「親」のように一般的に使われている言葉や概念でも一度立ち止まって考えるようにしています。
あとは、言葉だけでなく、記事に使うイラストも難しいんです。オンライン取材が増えたこともあって、撮影ができずイラストを制作することも多いのですが、たとえば「専門家と市民」や「親と子」のイラストを頼むとして、それぞれの職業や役割にどんな世代、性別の人を描いてもらうかは注意が必要です。「この職業は年配男性、この職業は若い女性」「子どもと一緒にいるのはお母さん」というバイアスを形成しないかとか。もちろん現実ではそういうパターンもある。ただ「それだけじゃない」っていうことはわかった上で、その事も含めて読者に伝わるように編集部が選択しないといけない。そういったことを日々編集部で話し合っています。
森:記事の原稿は、編集部から外部のライターさんにお願いしていると思うのですが、そういったことを考えながら、ライターさんとどのように原稿をやりとりされているのでしょうか。
中田さん:ライターさんからいただいた原稿は修正のお願いが多くなってしまいがちなんです。たとえば、原稿の中に「もしも自分が●●だったら」という、架空の設定があるとします。ライターさん自身はまったく意図されてなかったけれど、その状況が実は、特定の病気や障害のある方にとって「現実に起こりうる症状や状態」だったりする。そうやって、一度立ち止まって表現を検討しています。
そのことに編集部でも見逃してしまいそうになることも多々あります。だから、だから「こここ」では、まずはライターさんと担当編集者で取材前後から構成、執筆の後もじっくりやりとりをして、その後にデスクチェックで私やデスク担当がもう一回見て場合によっては話し合って……ということをぐるぐる繰り返しています。
誤りではないし、差別表現でもないけれど、さきほどの「親」の話のように、いろいろな状況にある人を想像して記事をつくりたい。そういう相談をライターさんにしています。
私も含めて人は自分が経験したなかで言葉に出会い、言葉を紡ぐものなので、いろいろな視点で見て初めて気づいたり検討できることもあって。編集作業というのはそういう発見の時間でもあって。
森:「雛形」では、普段からのコミュニケーションも大事だなと思っていて、もちろんはじめてお仕事をお願いする方もいらっしゃいますが、関係性のあるライターさん、カメラマンさん、イラストレーターさんから、取材移動中や普段やりとりするなかで聞いた関心ごとなどをメモしていて、そのテーマがきたときにその方にお願したりしていました。
中田さん:それとは少し違うかもしれないんですが、いまは、原稿上の修正だけで調整するのではなく、意識合わせで調整することができないかなと思っています。だから、日頃から、「このテーマはとても丁寧に扱おう」とか、「ああいう言葉遣いはしないでおこう」のように話し合えていたら、執筆から編集まで記事づくりの過程がもっと対話や議論の場として成り立つのかなと思っています。
創刊から1年経って、そこはまだまだ足りていないところなのでなんとかしないといけないなと思っているのですが。ただ、そうやって手間と時間をかけてでも、多様な立場の人を想定して記事を作る、新しい倫理に合わせた記事を作るっていうことを挑戦しないと、このメディアはできないんじゃないかなと。
森:そうですよね。そして、中田さんは、そういったことを制約というより、変化として受け入れていらっしゃる印象です。
中田さん:そうかもしれないですね。自分たちも含め、個々の状況や背景に対する解像度が上がったというか、単純に「見える範囲が変わったら言葉も変わるもの」ということかなと。
「こここ」の編集方針で大事にしていることの一つは「倫理」なんです。新たに更新されている倫理観のなかで、新しい言葉を探していきたい。同時に真面目なだけじゃなくて、柔らかさや遊びについても挑戦したい。
とはいえウェブメディアは、SNSなどで一部を切り取られやすいですし、過去記事が残るので、検索上でフラットに出てくるのもあり、慎重にならざるを得ないですよね。「こここ」の記事を使って誰かが傷ついたり、誰かが誰かを糾弾するようなことは避けたい。もちろん「もっと考えてみませんか」と問いかけはしたいけれども、「これが正義で、正解です」と振りかざすような記事はつくりたくない。そこから分断が生まれて話し合いが成立しなくなったり、その領域は怖いから触らないでおこうという雰囲気になってしまったら、福祉の入り口をつくるという私たちの役割自体が変わってしまうので。
未来に検索してくれる人にとっての、
杖になってほしい。
森:メディアを介さずとも個人で情報発信できる時代のなかで、メディアができることってなんだろうと考えてきたのですが、中田さんはいかがですか?
中田さん:私はこれまでアートの領域で働いてきたのですが、美術作品や表現活動には常に批評という言語とセットで、この世界に存在するともいえます。もちろん作品は単体でこの世に存在しているのですが、社会や歴史のなかにそれらを留めていく役割が、言葉にあって、その言葉を載せるメディアにもある。
「こここ」は批評媒体になりたいわけではないですが、福祉と創造性にあわいの領域があることを示せるのは、言葉の媒体だからこそなのかなと思っていて。ユニークなこと、実験的なことをしている福祉領域の団体も、福祉と関わる文化領域の団体もたくさんあって、一見わかりにくい活動や流動的的でつかみにくいメッセージをちょっと固定するために、メディアが存在してもいいのかなと。
森:言葉にすることによってそぎ落とされてしまうものも多くありますが、言葉にしたことで、グラデーションが生まれて、考える場ができたり、言葉が見つかって腹に落ちることもありますよね。読み手がどのぐらい「福祉」についての知識があるかも幅があると思うのですが、原稿や言葉の基準はどのあたりに置いているのでしょう。
中田さん:そのトピックに関心があるけれども、深くは知らない人、知りたいと思っている人、です。あるいは自分が生活していて悩んでいたり気になっている物事のヒントが、福祉の領域にあるとまだ知らない人。私自身もまだまだ知識不足ですが、こういったことを勉強する前の自分を思い出しながら、わかりやすさを意識しています。
何かもやっとしたときにネットで検索して、「こここ」にたどり着いたことで、言葉づかいやラベリングしたものの見方などが変わっていく手立てになればいいなと思っているんです。たとえば、このあいだ「こここ」の記事のなかに「オーディション募集要項などに『心身ともに健康な方』と、半ば無自覚に書かれていることもまだまだ多い」という一文を添えたんです。それを読んだ人のなかには、「確かによくあるフレーズだけど誰かを排除してたのか?」とか、もしかしたらご自身の仕事や生活の中で少し見直すことがあったかもしれない。
それがいま現在の読者ではないとしても、未来に、そのことについて検索してくれる人の杖になってほしいと思っています。なぜなら私も今、その杖がなくて苦しんでいるので。
森:こういった、企画してから取材して、原稿や写真を具体的にどういうプロセスを経て記事にしているのか、「編集」の仕事は見えづらいなと思っています。全方向には配慮できなくても、多様な状況にある人を想像し、そして責任を持って言葉を編んで世に出していくというのは、メディアの大事な役割なのではないかと思いました。
中田さん:私もそう思います。そういったことも含めて、「こここ」では、メディアの“人格”を大事にしたいなと思っています。私を含めメディアをつくっているメンバーの真ん中に置かれている、新しい人格と捉えています。個人に共感しながら情報を受け取ることが当たり前になった時代といえますが、個人に属さないニュートラルな存在だから立場や価値観の異なる人とも共有できる可能性がある。しかも「こここ」は専門職のための情報を載せるメディアでも、緊急性の高いニュース媒体でもない。いってしまえば、なくても生きていくうえでは困らない。けれども、わざわざあることによって新たな居場所をつくれるのかもしれない。メディアはそんな実験場なのかも、と信じて頑張っていきたいです。
ウェブマガジン「こここ」
「個と個で一緒にできること」を合言葉に、福祉をたずねるクリエイティブマガジン。「福祉」に関係のない人はいないという考えのもと、福祉発のユニークなプロジェクト、プロダクト、カルチャー情報から、現代社会を捉えるための思想や書評、対談まで幅広い情報を届けている。
サイト:https://co-coco.jp/
ー迷いながら、編む。
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