「わからない」からはじめる。小さな違和感から生まれた企画展『ふれて すすむ まえへ』ができるまで。インタビュー・藤川悠さん/@神奈川県・茅ヶ崎市美術館

神奈川県・茅ヶ崎市美術館では、12月6日(日)まで『ふれて すすむ まえへ 音と光と香りとともに』展が開催されている。小さな木のオブジェに触れることで、視覚、触覚、聴覚、嗅覚といった感覚が開いていく作品『うつしおみ』、そして、『うつしおみ』の“音”と“身体”に焦点をあてて取り組んだワークショップから見えてきたものとは? 茅ヶ崎市美術館の近隣を案内していただきながら学芸員の藤川悠さんにお話を伺った。

文:小谷実知世 写真:松永 勉

作品『うつしおみ』

遮断か、好奇心か?
「わからない」から企画は生まれた

JR茅ヶ崎駅を降り、海へと続く道を歩く。通りには、陽当りのいいテラスのあるカフェや、地元の青々とした野菜が並ぶ八百屋、クラシックな教会や図書館などが並ぶ。天気のいい日曜日ということもあり行き交う人もどこかリラックスした表情で、つられて伸びやかな気持ちになってくる。目指すは、行く手に見えるこんもりとした木々のある場所。「高砂緑地」という緑地公園に入り、道なりに勾配を登ると、ようやく建物が見えてくる。茅ヶ崎市美術館だ。

「わかりにくい場所にありますよね」

茅ヶ崎市美術館 学芸員の藤川 悠さんが目を細めて可笑しそうに言う。表通りからはほとんど建物が見えないため、たしかに初めて訪れる人には見つけにくい場所かもしれない。でも、一度認識してしまえば、緑に囲まれる様は気持ちがよく、隠れ家を見つけたようなうれしさもあって、美術に触れる場所として願ってもない立地だ。

 

 藤川さんは、美術館の中だけでなく建物に入る前や、出た後の空気感も大切にしたいと言う。

「美術館の扉から一歩出たら非日常から日常に切り替わってしまうというのではなくて、さっきまでの体験が外につながっていくような場所であってほしいんです。ここは小さな美術館ですので、館内の展示を楽しんだ後も、美術館で開いた感覚をそのまま外に持ち出し、いつもは気が付かないものに目をやったり、触れたりしたくなるような、そんな展示になるよう意識しています」

実は、美術館が少し見つけにくい場所にあることは、2019年に開催した『美術館まで(から)つづく道』展と今回の『ふれて すすむ まえへ 音と光と香りとともに』展の企画を発想するきっかけにもなっている。

「6年前からこの美術館で働くようになって、何度か『道がわかりにくい!』という苦情をうける受付スタッフの姿を目にしました。そのたびに、看板をもっと大きくしたほうがいいだろうか、どうすれば迷わずに来ることができるだろうと考えていました。
でもあるとき、視覚障害者(弱視)の方がおっしゃった、『美術館までの迷路みたいな道のり、楽しかったよ』という一言にハッとしたんです。これまで、“わからない”ことが“困惑や苦情”につながってしまうことに、わかる気持ちとともに少し不思議な気持ちを抱いていたんですね。でも、その方の“わからない”が“楽しむ”へとつながったことに『これだ!』と、もやもやがパーンとほどけたような気持ちになったんです」

藤川 悠さん。茅ヶ崎市美術館に隣接する「松籟庵」は藤川さんのお気に入りの場所だと言う。美術館と併せて訪れるのもおすすめ。

もちろん藤川さんが、お客様には気持ちよく美術館にたどり着いてもらいたいと考えていることに変わりはない。ただ、“わからない”から困惑や怒りが生まれたり、“わからない”が他者を遮断したり、批判したり、それ以上に知ることを諦める言い訳の言葉になったりしていることが、小さな違和感となって心に滞っていたことに気がついた。

「本来、“わからない”は、“だから、知りたい”という好奇心のスタート地点になりえる言葉のはずだと思ったんです」

そうして、藤川さんは新しい展覧会を企画する。

「互いに感覚の違う、わからないことの多い人同士が、入り組んだ迷いやすい道を一緒に歩くことで、次の世界を見ることができるんじゃないか。そんな発想から『美術館まで(から)つづく道』展は生まれました」

 

この『美術館まで(から)つづく道』展は、聴覚障害者、盲導犬ユーザー、車椅子ユーザーなど、障害者やマイノリティと位置づけられることの多い人々と作家が、ともに美術館までの道のりを歩くフィールドワークを行い、そこで得た感覚を共有して、作家が作品をつくりあげるというもので、企画から開催まで約2年の年月をかけて行われた。

「展覧会を企画したとき、私の中には、障害のある人と健常者で感覚の違う部分が出てくるだろうという前提がありました。でも、実際に美術館周辺を歩き感じたことを共有するなかで、みんな同じ道を、同じ時間、同じ陽気のなか歩いていたのに、その道程で何を感じたかは、一人ひとり全く違っていたことがわかったんです。
つまり、障害の有無によって違う何かがあるのではなく、すべての人の感覚は個々に違うということです。言葉にするととても当たり前のことだし、よく耳にすることです。でもそのことを、私はこのフィールドワークで身をもって経験し、ストンとおなかに落ちました」

フィールドワークでの経験は、5組の作家たちの手により、絵画や立体作品、インスタレーションなど多様な作品となって『美術館まで(から)つづく道』展で発表された。

その中のひとつ、『うつしおみ』は、MATHRAX〔久世祥三+坂本茉里子〕による作品で、彼らが、視覚障害者の女性と盲導犬とともに歩いた経験から生まれた。ロの字に組まれた木製のひとつづきの「道」。その上には、さまざまな形の小さな木のオブジェが並ぶ。オブジェに触れると音が鳴り、次の音に触れたくて前へと進んでいくことになる。途中には香りや光の変化もあり、触覚、聴覚、視覚、嗅覚で感じる作品だ。MATHRAXの二人は、フィールドワークの日、雨と風が強い日にも関わらず、盲導犬を信頼し、思いがけないスピードで軽快に歩く女性の姿を目にした。振り子のように相手が進めば、こちらも進む。その一頭と一人の様子から、誰もが自らの中にそうしたパートナーがいれば、一人でも前へと進む力になるのではないかという思いで制作された。

企画段階から実際の展示まで、すべて実験のような展覧会だったと藤川さんは言う。しかし、この展覧会は多くの反響を呼び、神奈川県バリアフリー街づくり賞や、文部科学大臣表彰 奨励賞を受賞するなど、大きな評価を得た。

「たくさんのうれしい反応をいただきましたが、中でもアンケートでいただいた『美しい体験が、バリアそのものを融解させた』という言葉がとても印象に残っています。研修会や参考書などで得た知識がバリアを無くしたのではなく、『美しい体験』からそう感じてくださったことがとてもうれしかったのです」

また、“わからない”ということが、フィールドワークと展覧会によって、よりポジティブに働くことを目標としていたが、藤川さんのその思いにも変化があった。

プロジェクトを終えて、私の中で湧き上がったのは、『わからないことがあってもいいのではないか』という思いでした。わかろうとすることは大切です。でも、『わかりあわなくてはいけない』『ぜったいにわかるはずだ』と思っていると、それができない時に衝突してしまう。私自身、それまで、『わかることは素晴らしい』と思っていたような気がします。でも、プロジェクトが進むにつれ、みんなそれぞれ違うのだから、すぐにわからないことがあってもいい。それが諦めや落胆につながらなければ、『いつかわかるかな』くらいの気持ちで置いておく。必死でわかろうとしなくても、ちょっと立ち止まって、浮遊させておいていいものは、そのままにしておいていい、と思うようになりました」

触れるという
日常的な行為も表現になる

現在、開催されている『ふれて すすむ まえへ 音と光と香りとともに』展は、2019年の『美術館まで(から)つづく道』展がなくては生まれなかった企画だ。

神奈川県が推進する、障害の程度や状態にかかわらず誰もが文化芸術を鑑賞、創作、発表する機会の創出や環境整備を行う「ともいきアートサポート事業」。その一環として、障害のある人達とアート団体とのコラボレーションを企画しており、『美術館まで(から)つづく道』展を観た関係者から、茅ヶ崎市美術館も養護学校とともにプロジェクトをしてくれないか、と声がかかる。

『うつしおみ』の小さな木のオブジェに触れると一つひとつ異なる音色を発する。何人かが同時に音を鳴らしても不協和音となることなく、美しく調和した音を奏でる。

打診を受けて藤川さんは、まずは養護学校を訪問することにした。

そこで印象に残ったのは、知的障害のある子たちの体育の授業だった。

「前に先生が立って体操のようなことをしているのですが、子どもたちの動きはバラバラ。跳ねている子、あっちこっちと動き回る子もいれば、先生の動きを観察して動いている子もいる。その光景がなんだかいいなぁと思いました」

そして同時に、藤川さんは、ダンサーの岡田智代さんのことを思い出した。

「2019年の『うつしおみ』の展覧会に岡田さんに来ていただいたのですが、その時、木のオブジェに触れる岡田さんの手は、ほかの誰のものとも違っていました。それを見た時、触れるという日常的な行為も表現になるんだと感じたんです」

文化祭に向けて学校では、紙に描かれた木に、生徒一人ひとりの手形を付け、オーナメントのようにして、クリスマスツリーを完成させる作品をつくっていた。このように皆で何かをつくり上げる表現ももちろんある。しかし、成果物を完成させるばかりが表現ではない。

藤川さんの頭に浮かんだのは、「養護学校の中学生一人ひとりがそれぞれのやり方で、『うつしおみ』の木のオブジェに触れていく。その様子を表現として捉えることができないか」ということだった。

それぞれの“触れる”から
何を感じるのか?

こうしてプロジェクトはスタートした。

実際に、養護学校の中学生たちが『うつしおみ』に触れる日。新型コロナウィルスの影響で全員が茅ヶ崎市美術館に集まることは叶わなかったが、学校の音楽室を借りて、ワークショップは開催された。
初日は、車椅子に乗った肢体に不自由のある中学生7人が、一週間後には、知的障害のある中学生9人が『うつしおみ』の置かれた音楽室に集まった。ワークショップのファシリテーターを務めたダンサーの岡田さんや先生たちに促され、一人ずつ、それぞれのやり方で木のオブジェに触れていく。

 

この時の様子について、藤川さんは「想像以上に、みんなそれぞれ触れ方が違いました。とても美しかった」と声をはずませる。

ある中学生は、車椅子に乗ったまま、先生に促されて木のオブジェにそっと手を伸ばした。思うように動かず身体がこわばるが、懸命に伸ばした手に木が触れると、やさしい音がひとつ空間に解き放たれる。ひとつ、またひとつと、音に誘われながら前に進むにしたがって「だんだんと身体が柔らかくなっていった」というのは、先生の言葉だ。最初は先生のガイドでどうにか手が届くという様子だったのが、しだいに自分一人でめいっぱい手を伸ばすようになり、ひとつずつ確かめるように木に触れたかと思うと、ぎゅっと包むように球体の木のオブジェを握りしめた。

知的障害のある中学生たちは、最初の音が鳴ると跳ねるように喜んだり、どこから音が鳴るのか、音の元をキョロキョロと探したり、人の鳴らす音をしきりに褒めたりしている。なかには教室に入ることができず、廊下で泣いている子もいたが、聞こえてくる柔らかな音、そしてみんなの楽しそうな雰囲気につられるように部屋に入ってきて、その輪に参加した。

彼ら一人ひとりの「触れる」様子を映像に収め、表現を届ける役割を担った映像作家の松永勉さんは、撮影した映像を編集しようと彼らの様子を観るうちに、その姿に見入ってしまったという。「木のオブジェに触れる手に、何か意思を感じたんです。彼らは、この作品を本当に楽しんでいると思いました」と松永さん。松永さんの言葉に、藤川さんは何度も頷きながら、もう一度力強く「一人ひとり、美しいんです」と言った。

 

あともう数日、会期は続く。

「触る(さわる)」と「触れる(ふれる)」は似ているが、「触る(さわる)」が一方的に対象にタッチすることを指す言葉であるのに対し、「触れる(ふれる)」は触れる側と触れられる側の相互の関係性が伴う時に使うという。そうだとするならば、中学生たちは、間違いなく木に触(ふ)れ、そして『うつしおみ』という作品から返ってくる反応を、一人ひとりのやり方で、味わっていた。

会場では、映像作品として彼らの表現を目にすることができる。また、同時に、茅ヶ崎市美術館で木のオブジェに触れ、音を奏で、光と香りに包まれている誰もが『うつしおみ』をめぐる表現の一員となれる。映像に映る子どもたちの、その場にいるみんなの、そして自分の「触れる」から何を感じるか、ぜひ確認しに出かけてほしい。

編集協力:茅ヶ崎市美術館

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