COLUMN
もしここで暮らしたなら

旅へ出かけ、独自の感覚で
土地の自然や文化を眺める。
山伏の坂本大三郎さんは、これまで
そんな体験を繰り返してきました。

偶然か必然か今私たちはここにいて、
それは、明日変わっているかもしれない。
その可能性は小さくても確かにあります。

「もしここで暮らしたなら」と想像してみる。
そこからはじまる大三郎さんの体験記は、
いつどこに移り住むかわからない私たちにとって
手引きでもあるのです。

vol.02 北海道・知床半島

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僕は寒さが苦手で、常々暖かい場所で暮らしたいと思っています。でも知床〜羅臼を訪れて、その自然の豊かさを前にしたときに「この土地で暮らしても良いかも……」と思うようになったのは自分でも驚きでした。

 

はじめて羅臼を訪れたのは秋でした。札幌の美術展に参加していた僕は、リサーチのために北海道各地をまわり、美術展のスタッフに紹介していただいて知床羅臼町観光協会の中村さんに知床近辺をご案内していただいたのです。

 

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夏が最盛期だという昆布漁の熱気も感じられず、寂れた漁村といった佇まいの街は寒々しさを感じるほどでした。目の前に広がる海と背後には笹が茂る山が迫ってきて、なんだか押しつぶされてしまいそうな心持ちになってきます。海と山の間にしがみつくように建ち並ぶ建物は住居以外にも漁で使う番屋といわれる小屋が所々に建ち、海岸線の先には切り立った岩肌がかすんで見えました。

 

海辺を散策していると小さな川の河口付近の水面になにやら黒い塊がスーッと動いていることに気がつきました。よく見ると大きな魚です。鮭でした。最初の一匹に気がつくと、それからは河口のまわりに鮭の大群がうごめいている様子が目で捉えられるようになりました。

 

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鮭の様子に興奮して海沿いを少し歩いていると、足元にこんもりとした白い塊がありました。それは魚の骨でした。なぜ魚の骨がこんもりと盛られているんだろう……。不思議に感じましたが地元の人が「それはカラフトマスを食べたヒグマの糞だ」と教えてくれました。鮭に先立ってやって来たカラフトマスをヒグマが海辺で食べた痕跡のひとつだというのです。

 

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そのとき写真家・星野道夫の著作『イニュニック』にあった北米先住民の「鮭が森をつくる」ということわざが思い出されました。

 

アラスカでは川で生まれ海へ下っていた鮭が、秋になると故郷の川を遡上し、それを狙ってクマが森の中からあらわれるそうです。クマに食べられた鮭は糞となり森の養分になっていくのでしょう。

 

僕は目の前にひろがる生命が循環する様子に興奮しました。こんなにダイナミックな自然の営みを実感できる場所が日本にあるなんて、想像以上のことでした。

 

その夜、中村さんに連れられて街中から少し離れた小屋を訪れました。小屋の脇には小さな川が流れ、歩くときには何故か「川の方には近寄らないで歩くルール」になっているのだと教えられました。小屋に入ると中村さんの同僚・佐藤さんが双眼鏡をかまえて川の方を指差し「来てるよ」と言いました。

 

川の方に目をやると何やら白い大きな鳥が動いていました。その大きな鳥はシマフクロウでした。距離があってどれくらいの大きさなのか、僕には正確なところはわかりませんでしたが、かなり大きそうです。絶滅危惧種で北海道に140羽しか棲息していないと言われているシマフクロウに遭遇できるとは……

 

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シマフクロウは川に依存した鳥で通常ひとつの川にひとつの家族しか住まないそうです。ヒナがきちんと育つためには年間約5,000匹の魚が必要で、それだけの魚が生息して、シマフクロウが魚を捕獲できる程よい水の流れと40センチ程度の水深の浅瀬があり、冬に凍結しない水の豊富さがある川でなければ、シマフクロウは繁殖できないとのことでした。

 

そんな条件を備えた川は知床でも20本ほどしかないのだそうです。つまりこれだけ豊かな知床の自然の中でも、シマフクロウは20家族しか住むことができないということなのです。

 

「そりゃ絶滅危惧種になってしまうよな」と思うと同時に、アイヌの祭りで神様として祀られるシマフクロウが、かつては北海道各所にたくさんいたのだろうと、どれだけ雄大な自然があったのだろうかと想像しました。

 

この川のほとりに建てられた観察小屋は元々水産加工所として使われており、夜、窓から漏れる灯りをたよりに、暗闇では目がみえにくいシマフクロウが川で魚を捕まえるようになり、それからこの場所でシマフクロウと人が何十年もの間、隣り合って生活する関係が生まれたのだそうです。いま、観察者が川のそばを歩かないのもシマフクロウと人間の関係を良好に保つために、「そちら側には人間はいかないよ」というルールとしておこなっているのだそうです。

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灯りにひかれてやってきたシマフクロウは、数時間にわたって川岸にとどまっていました。それには理由があり、そのシマフクロウはこの川の主である父親シマフクロウの娘なのです。実は少し前に母親が亡くなってしまい、それから娘シマフクロウは父親に対して求愛行動をするようになってしまったのだそうです。父親は娘のことは相手にせず、自分のパートナーになってくれるメスを夜な夜な探しに出ているそうですが、娘は父親の帰りをじっと待っているのです。もし父親が新しいパートナーを見つけてくれば、ひとつの川にはひとつの家族というルールに従い、娘は川を出ていかなければなりません。メロドラマのような、ギリシア神話のような話です。

 

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このようなことを前にして、僕は動物の世界の物語と土地の神話世界を語って、自然をガイドする仕事ができたら面白そうだな……と感じました。

 

もし自分がここに暮らすなら、そんな仕事がしてみたいです。現在暮らしている山形の出羽三山でも、山案内をして土地の物語を紹介することがあります。近頃は自然のことや古い文化や物語に関心をもつ若い人が多く、そういった仕事の需要はあるのではないでしょうか。出羽三山では1日山案内して日当が数万円ほどです。いろいろな地域でネイチャーガイドをしている友人がいますが、地元のガイド協会のようなものに入るか、それとも独立してやるのか、あり方は様々です。

ただその土地で暮らしてきた人たちと仲良くできるようじゃないと暮らしていくのは難しくなってしまいます。各地でしきたりも違いますし、人間関係は一概には言えないところもあり、このあたりのことは実際にその土地で暮らしてみないとわからないことなのでしょう。

 

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また知床はヒグマが多い土地で、この辺りにくらしていたオホーツク文化人がつくっていたクマの骨を使って動物をあしらった細工を参考にして、カトラリーなど作ってみるのも面白そうです。実際に山形に帰ってからツキノワグマの骨でフォークを作ってみましたが、なかなか好評でした。季節によっては山菜やキノコもたくさん採れるでしょうから、生きていく方法はたくさん見つけられそうです。ちなみに僕の祖父は北海道で暮らし、山菜採りをしていました。

 

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また知床・羅臼を6月に訪れた時には、海にシャチが訪れてきており、僕は船に乗ってシャチを前にしたとき、自分でも驚くくらい感動してしまいました。その時期、羅臼の海にはシャチの集団が何グループも訪れており、これだけ集まる場所は世界でも有数なのだとか。海に出て雪をいただく羅臼岳を背景に、悠々と泳ぎまわるシャチの姿をみていて、僕はもし生まれ変わりというものがあるのなら、シャチになりたいと思いました。

 

こうして、僕の心の中には、知床の自然のうつろいを人生の中の一年でも二年でも良いから自分の目でみてみたいという衝動が沸き起こってきたのでした。僕はいまでも度々、知床で生活する自分の姿を空想しています。

 

 

 

追伸
川で暮らしていたシマフクロウの家族の、お父さんが亡くなったそうです。車にひかれてしまったのか、ある日から帰らなくなり、娘は別のパートナーを見つけ、川で暮らしているそうです。これからのシマフクロウ家族がどうなっていくのか、気になっています。

 

 

もしここで暮らしたなら
坂本大三郎

坂本大三郎 さかもと・だいざぶろう/山伏、イラストレーター。千葉県出身。山伏との関連が考えられる芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、祭りや芸能、宗教思想の調査研究を行う。現在は山形・東北を拠点に自然と人との関わりをテーマに執筆・制作活動をしている。2016年、これまで出会ったモノや本を扱う店「十三時」を山形市内にオープン。著書に『山伏と僕』、『山伏ノート』など。

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