COLUMN
もしここで暮らしたなら

旅へ出かけ、独自の感覚で
土地の自然や文化を眺める。
山伏の坂本大三郎さんは、これまで
そんな体験を繰り返してきました。

偶然か必然か今私たちはここにいて、
それは、明日変わっているかもしれない。
その可能性は小さくても確かにあります。

「もしここで暮らしたなら」と想像してみる。
そこからはじまる大三郎さんの体験記は、
いつどこに移り住むかわからない私たちにとって
手引きでもあるのです。

vol.04 「九州・対馬」編

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九州には多くの祭りや習俗が残されていて、ずっと関心を持ち続けていました。でもこれまで九州を訪れたことはほとんどなく、記憶にあるのは奄美大島(一応鹿児島県)を観光したことと、20歳の時に原付バイクで千葉から沖縄へ行こうとして北九州市で資金が尽きた、若く苦い思い出のみ。千葉生まれで山形に暮らす僕にとって九州は遠い場所でした。

 

なかなか行くことができなかった場所ですが、今回取材とトークイベントの出演の機会があり、とうとう九州へ。

 

山形から車で千葉の実家に寄り、格安航空券で成田空港から福岡空港。あんなに遠かった九州が90分のフライトで行けるとはビックリです。

 

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取材ではまず対馬に行きました。対馬には天道信仰という太陽を祀る文化があり、その史跡を巡ることが長年やりたいことでした。対馬空港に降り立つと、起伏の激しい地形と色濃い照葉樹の森が視界に飛び込んできます。島独特の湿度の高さは、関東や東北の気候に慣れている僕にとって異国を訪れたかのような胸のざわめきを感じさせました。

 

僕は空港近くでレンタカーを借り、近くのスーパーで昼食用に寿司を買いました。僕は知らない土地を訪れるとスーパーに寄って食料を調達することにしています。その土地の食材を食べてみることで、そこがどれくらい自然豊かな土地なのかを想像することができると考えているからです。そして寿司を食べてみて驚きました。今まで各地のスーパーで買った、どの寿司よりも安くてうまかったのです(ちなみに2位は函館のスーパーです)。「さすが古くからの海民の島だ」寿司を頬張りながら対馬の自然を巡ることへの期待が高まりました。

 

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対馬に到着して、まず豊玉町にある「和多津美(わたつみ)神社」を訪れました。和多津美神社までは空港から車で40分弱の道のりです。海辺に建てられている神社の駐車場に車を停め、海の方をみてみると沖に向かって、いくつかの鳥居が立っていました。ちょうど有名な厳島神社のような光景です。これは人間が通るための門ではなく、海の彼方から聖なるものを迎えるためのものなのでしょう。

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和多津美神社の境内には潮が満ちてくると社殿近くまで海水が入ってくるように水の道が作られており、ここにも天体の働きに合わせて聖なるものの訪れを感じさせる神話的な仕掛けがなされています。水の道のさなかには石を囲むように三角に組まれた鳥居があり、この石がトヨタマヒメの子であるイソラエベスと伝えられています。和多津美神社のご神体は蛇の姿をしているとされ、神主の背中にはウロコがあるという言い伝えがあります。イソラエベスの聖石はウロコ状に亀裂があり、対馬に残された神話世界を眼前にしたようで深い感動をおぼえました。

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それから僕は南部にある豆酘(つつ)の龍良山(たてらさん)へ向かいました。龍良山の麓には多久頭魂(たくずたま)神社という遥拝所があります。この多久頭魂神社の近くには儀礼のために赤米を栽培している水田があり、豆酘の人々に古代米と呼ばれるそのイネをDNA鑑定したところ縄文のイネである熱帯ジャポニカの流れを汲むものであることがわかったそうです。稲作といえば弥生時代以降の文化と考えられてきましたが、近年の研究ではおよそ1万年前の中国大陸長江流域の湖南省周辺を起源として稲作がおこなわれていたとされます。日本列島には縄文時代には漁労をおこなっていた海民たちの渡来によってもたらされ、そのイネは水田で育てる水稲ではなく、雑穀とともに育てる陸稲の熱帯ジャポニカであったのだそうです。
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おそらく海と太陽の神話もイネをたずさえて渡来してきた人たちによって対馬にもたらされたのではないかと想像できます。いまでも豆酘では古風な亀卜(占い)や赤米神事がおこなわれており、対馬はまさに大陸や朝鮮半島から日本列島へとつづく神話の道にあるといえる土地なのです。
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龍良山の南北にはそれぞれ天道信仰に関わる聖地があり、天道法師の墓とされるのが石がつみ重ねられた小さなピラミッドのような形をしている八丁郭と呼ばれる場所で、天道茂やオソロシドコロとも呼ばれました。ここにあやまって足を踏み入れた場合、草履を頭の上に乗せて「インノコインノコ」と言いながら後ずさりして立ち去る作法があったそうで、インノコはおそらく犬の子のこと、それは「自分は人間ではない」という言い訳をして恐ろしいことがおきないようにするまじないだったのでしょう。
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龍良山の北部には山頂へとつづく登山道があり、スダジイやウラジロガシやイスノキの大木が鬱蒼と茂る森のなかに伸びています。その途中には裏八丁郭と呼ばれる天童法師の母親の墓とされる聖地があり、やはり石がつみ重ねられたピラミッドのような形をしています。ここにも母子の関係があらわれています。強力な聖地であったために斧の入ったことのない照葉樹原生林の大木たちは平均でも200年は生きているそうで、その貴重な森のあり方が国の天然記念物に指定されています。
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龍良山は訪れる人も少なく、登山道は森の中をくねくねと曲がりながら進んでいくため、とてもわかりづらく迷いやすい道です。鬱蒼とした森のなかにはシカなどの動物の気配が濃厚で、禁足地であったというだけあって、ぐねぐねと枝をうねらす大木の姿が恐ろしく思えてくる独特の雰囲気があります。

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標高は559メートルですので、それほど長い行程ではありませんが、山頂付近は岩場で、そこに落ち葉が覆っているため滑りやすく少し注意が必要です。

 

僕は山を歩きながら「なぜ龍良山という山の名前なのか」をぼんやりと考えていました。そして山頂近くに差しかかったときにハッとしました。

 

対馬を訪れて最初に行った和多津美神社にあった聖なる石の名は「イソラエベス」でしたが、それを漢字にすると「磯良恵比寿」となります。磯良は海神の娘である豊玉姫の子供ですが、豊玉姫は日本書紀の中で出産の際に龍の姿になったと記されています。つまり子供の「磯良」に対して、母の「龍良」という母子関係のなかで山の名前がつけられたのではないかと気がついたのでした。これだけ後になって気がつくなんて自分の勘の悪さが恨めしく思えました。
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多久頭神社や八丁郭や裏八丁郭はかつて儀礼がおこなわれていた斎場であったと考えられています。天童法師の母は太陽に感精して懐妊したとの言い伝えもありますが、海の底に存在する母なる神に儀礼をおこなうことで、太陽の子を身ごもった海の神が出産し、海底から立ち現れてくる子供が「太陽=天道」だったのです。

 

翌朝、僕は早起きをして見晴らしの良い山の中で、海の中から太陽が昇ってくる様子をみていました。暗闇を徐々に明るくする、真っ赤な一直線に伸びる日の光が照らし出す情景を数千年前に対馬に渡来してきた人たちもきっとみていたはずです。このときの感動と朝日に触れる身体の暖かさを僕はずっと忘れないと思います。
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九州について書こうと思うと、対馬だけでこれだけの長さになってしまいました。対馬から福岡に戻り、福岡〜熊本〜鹿児島でトークイベントをおこない、また鹿児島から山や人々の暮らしに関して取材し、高千穂峡や国東半島や英彦山などをまわりました。それらの各箇所で季節ごとにおこなわれている祭も興味深く、それらのことを調べるには九州に住まないと無理だな……と漠然と考えていました。

 

でもよく考えてみると、それも不可能な話ではないかもしれません。
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東京から飛行機に乗れば格安航空券で7000円もかからずに90分で福岡まで着きます。山形から東京まで新幹線で3時間弱、運賃も1万円ほど、それを考えると安くて早いです。家賃について友人に聞いたところ「東京で15万のマンションが福岡だと5万くらいで借りられる」とのことでした。それはちょっとオーバーかな、と思いましたが調べてみると確かに安いです。

 

さらに友人の写真家の津田直さんも福岡で暮らしていて、そこに一泊させてもらいましたが、津田さんも南島の写真を撮りたいと思ったときに東京方面から引っ越してきて、飛行機や新幹線などの交通の便を考えて福岡に家を借りたそうで、九州に暮らすという選択肢がありえないものではないように思えてきます。

 

堅い仕事をやりたい場合は無理でしょうけれど、僕のような不安定な収入でも良しとする場合(良しとしてはいけないんですが……)、九州に限らず文化を調べるために数年間住みたい場所に住むという選択は悪くないなと思うのですが、どうでしょうか。

 

今回は山形〜東京に新幹線や車で行くより福岡〜東京間が安くて早かったことにショックを受けました。

 

 

 

もしここで暮らしたなら
坂本大三郎

さかもと・だいざぶろう/山伏、イラストレーター。千葉県出身。山伏との関連が考えられる芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、祭りや芸能、宗教思想の調査研究を行う。現在は山形・東北を拠点に自然と人との関わりをテーマに執筆・制作活動をしている。2016年、これまで出会ったモノや本を扱う店「十三時」を山形市内にオープン。著書に『山伏と僕』、『山伏ノート』など。

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