ある視点
旅へ出かけ、独自の感覚で
土地の自然や文化を眺める。
山伏の坂本大三郎さんは、これまで
そんな体験を繰り返してきました。
偶然か必然か今私たちはここにいて、
それは、明日変わっているかもしれない。
その可能性は小さくても確かにあります。
「もしここで暮らしたなら」と想像してみる。
そこからはじまる大三郎さんの体験記は、
いつどこに移り住むかわからない私たちにとって
手引きでもあるのです。
vol.03 「香川県・小豆島」編
昨年秋、2016年の瀬戸内国際芸術祭に参加するため2週間ほど香川県の小豆島で滞在制作をしてきました。展示会場は小豆島南東の坂手港の丘にあり、そこからみえた海がとてもきれいで「小豆島はどうですか?」と島の人に聞かれるたびに「海がきれいですね」と答えていました。何度も同じように答えていたので「そればっかりですね」と友達にいわれてしまいましたが、でも本当に海がきれいだったのです。
瀬戸内の美しい島々をさんさんと太陽が照らし出す情景は、異国の地を訪れたような錯覚をおぼえさせてくれます。あちらこちらにオリーブの木が植えられている海岸線を歩いているとどこかから醤油の香りがただよってきます。島には醤油蔵が建ち並ぶエリアがあり、醤油長者たちの大きな屋敷がいくつも残されていて、歴史深い町並みを歩く楽しさもありました。
僕は小豆島の文化を織り込んだ作品を作りたいと思いました。人は肉体が滅んでも、そのおこないは残ります。人と人をつなぐ言葉や、生活する中で生まれてきた知恵などは長い時間の中で蓄積していき文化になるのだと僕は考えていますが、土地の文化を探ることは、その土地の死者と向かい合うことに他ならないのだと思います。
さっそく小豆島の文化風習を調べるために民俗資料館に足を運ぼうとしたところ、すでに閉館して現在は《オリーブナビ》という観光案内所になってしまっていました。町の図書館にいって、小豆島の民俗に関する本を探しても、なかなか難しく、川野正雄の『小豆島民俗誌』という本がやっとみつかりました。川野正雄は柳田國男と交流を持った民俗学者であったそうですが、ずいぶん前に亡くなり、その仕事を継ぐような方にも滞在期間中には出会うことができませんでした。
祠や神社も多く、民俗的なものが目につき、イザナギ・イザナミの国生み神話にも登場する小豆島には豊かな文化資源が眠っていることは確かです。僕が滞在した坂手周辺には年配の方々が集まる憩いの場がいくつかあり、そこでは地元の面白い話を聞くことができましたし、漁港で小舟や網の手入れをしているお爺ちゃんに話を聞けば、とても豊かな海や漁の話を聞けせてくれることもありました。でも祠などについて尋ねてみても「あそこがどんな場所だったのか、今ではわからない」との答えを何度か聞きました。
東北で暮らしていても、各地を旅していても感じることですが、かつての暮らしの中で培われてきた技術や知恵を知っている人たちが高齢になり、あと何年かしてお年寄りたちが亡くなってしまったら僕が興味を持っているような文化が一気に失われてしまうんじゃないかということ、それが小豆島ではすぐそこの現実になりつつあるようでした。
文化習俗、生活の技術や知恵は、どんどん便利なものに置き換えられてしまい、日常生活の上では、そんなものがなくても全然困ることはないのですが、これからの社会の中では、古い由来を持つ文化が残されていることが大きな価値を持つことになってくるのではないかと僕は思います。世界遺産に選ばれた富士山が、「信仰の対象と芸術の源泉」として文化遺産になったことはその一例といえるでしょう。
小豆島はただ「海がきれい」なだけでなく、そこには観光の観点からも人を惹きつける文化が存在しており、それをつなげられる人を、瀬戸内国際芸術祭や様々な取り組みを通して掘り起こしや育成ができれば、かなり面白い場所になるのではないかと個人的には感じ、そうなったらいいなと思っています。
それから僕の作品はというと、お盆の時期におこなわれていたという、そうめんを編み込んで祖霊を迎えるという風習をモチーフにして制作をしました。かつては小豆島全体でおこなわれた文化習俗だったそうですが、今では数軒がその伝統を引き継いでいるのみなのだそうです。
また滞在期間中には面白い出会いもありました。僕が暮らしている山形県の西川町出身の料理人・渋谷信人さんが、小豆島の草壁港近くでジェラート屋「MINORI GELATO」とイタリアンレンストラン「FURYU」をやっていたのです。滞在していた場所の近くでおいしいジェラートが食べられると連れていかれたのが渋谷さんの店でした。
そこにはいろいろな食材のジェラートがあり、一般的なバニラやチョコレートの他に、時期によって変化があるようですが醤油や酒粕や焼き茄子を素材としたものまでありました。ここで使われているものはすべて小豆島産なのだそうです。
小豆島町長である塩田幸雄さんとお会いした際に伺ったのは、渋谷さんは地元の人たちが見落としていたような食材を使ってジェラートや料理を作っているのだそうです。町長さんがいうには、渋谷さんのそういった取り組みを「島の救世主」のようだとおっしゃっていました。渋谷さんのように他の地域で生まれ育った人が島にやってきて、島の人とは異なる視点で島の文化に新しい風を送り込むということは、とても大切なことなのだと感じます。
別の夜には、ちょっと奮発して完全予約制のレストラン「FURYU」にもいきました。レストランは海が見渡せる丘の上にあり、最高のロケーションです。料理として出てきた地元でとれた魚や農産物のおいしさを味わうだけで、小豆島にどれほど豊かな自然があるのか理解できます。
今、小豆島にはUターンで帰ってくる人や移住してくる人が増えてきているのだそうです。渋谷さんのように自分でお店をはじめる人もいれば、そういった新しい店で働きはじめる人、もともとあったオリーブ畑などで働く人、さまざまなのだそうです。これだけ環境が良いのですから、暮らしやすそうです。
僕は渋谷さんの作った料理を食べながら、「自分がもし、いつかどこかで暮らすようになったときに、それまで自分が旅をしてきた場所で学んだ料理を提供できたら面白そうだな……」と、ぼんやりと考えていました。
僕が今暮らしている場所、渋谷さんの故郷でもある山形の山間部の料理といえば、まずなにより山菜料理です。僕は春が訪れるのを待って、山に入りました。山の料理は基本的なものとして、仕事がら旅をすることが多いので行く先々の料理を知って、店を出すかどうかは別としても、友達たちに万国大三郎料理を食べてもらうのは楽しそうだなと、思っています。
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坂本大三郎
さかもと・だいざぶろう/山伏、イラストレーター。千葉県出身。山伏との関連が考えられる芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、祭りや芸能、宗教思想の調査研究を行う。現在は山形・東北を拠点に自然と人との関わりをテーマに執筆・制作活動をしている。2016年、これまで出会ったモノや本を扱う店「十三時」を山形市内にオープン。著書に『山伏と僕』、『山伏ノート』など。
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