ある視点

旅へ出かけ、独自の感覚で
土地の自然や文化を眺める。
山伏の坂本大三郎さんは、これまで
そんな体験を繰り返してきました。
偶然か必然か今私たちはここにいて、
それは、明日変わっているかもしれない。
その可能性は小さくても確かにあります。
「もしここで暮らしたなら」と想像してみる。
そこからはじまる大三郎さんの体験記は、
いつどこに移り住むかわからない私たちにとって
手引きでもあるのです。
vol.01 山形からこんにちは

旅のお供の炊飯道具。
人生において旅から多くのことを学んできました。10代の終わりに、はじめての海外で訪れたネパールでは、河原で火葬がおこなわれていたり、街のいたるところにある祠や大きな寺が人々によって大切にお祀りされていたり、かつての日本人が持っていたかもしれない自然とのつながりを感じることができました。
また、20歳過ぎにはアメリカの鉄道に乗って各地をまわり、問題を抱えながらも街ごとに豊かな文化があり、人々の考えも様々だということを知り、それまで「正義を建前にして世界の警察を気取っている傲慢な国」というイメージしかなかったアメリカに対する自分の考えがとても狭いものだっだと思い改めることができました。
旅によって、世界の広さと自分の狭さ小ささを学ぶことができたとも言えるかもしれません。もちろん旅に出なくても学べるという人はいると思います。でも自分の人生を振り返ってみると、旅は学びの場であったと感じています。

ボルネオ島ニアの壁画のある洞窟にて。
数十万年前の人類の足跡を辿ってみればアフリカを出発した祖先たちは、長い年月を旅して世界の隅々まで暮らしの場を広げ「ホモ・モビリタス(移動する人)」とも呼ばれました。松尾芭蕉の『奥の細道』に「月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり」とのくだりもあります。400年近く前の人も言っていることですから、ありきたりのことかもしれませんが、僕は生きていること自体が旅のように感じています。
千葉県で生まれ育った僕が東京を経て、山形に移り住んだのも、出羽三山をはじめとする東北の山間部に残る伝統的な生活技術を学びたいと思ったからです。
はじめて山形を訪れたのは10年ほど前、山伏修行に参加するためでした。ただの好奇心からやってみた修行でしたが、体験してみると面白く、なかでも山伏が日本列島の文化の中で芸術や芸能の発生や発展と関わりを持っていたという点に関心を持ちました。子供の頃から絵を描いたりモノ作りをするのが好きだった僕にとって、それらはどんなところから生まれてきた文化だったのか、ずっと知りたいと思っていたことだったのです。

肘折温泉
そうして山形に通うようになり、知り合いも増えていったときに、山深い肘折温泉の湯治宿『つたや金兵衛』の柿崎雄一さんに「山形に来るなら旅館の屋根裏部屋を使っていいよ」と言っていただいたことをキッカケとして山形で暮らすようになったのでした。
僕は文章や絵を描く仕事をしていたので、パソコンさえあればどこでも仕事ができたという点も、移住することの助けになりました。
また、見知らぬ土地で暮らすためには、いかに地域に溶け込むのかが大きな問題になります。そのことに関しても、初対面の人との会話が苦手で、山伏ということで怪しく思われがちな僕一人であれば難しかったかもしれませんが、柿崎雄一さんに集落の会合(飲み会)に誘っていただいたことが大きな助けになりました。お酒を飲んで腹を割って話すと、大体の人と仲良くなれるように思います。やはり移住する際に大切になってくるのは、その土地と自分を結びつけるキーマンとの出会いなのでしょう。

肘折の聖地、地蔵倉からの眺め。

伝説の猟師がとった獣は博物館に展示されている。
その他にも月山周辺でずっと猟師をやってきた100歳のおじいちゃんに動物のことを聞いたり、ブナの森に関してものすごい知識を持っているおじさんに植物のことを教えてもらったり、山の素材を使ってカゴやワラジなど生活用具を作る達人のおじいちゃんに技術を伝授してもらったり、山菜料理がとくいなおばさんに山菜の処理のやり方をおしえてもらったり……日々、たくさんの人から多くのことを学ばせていただいています。
「そんな人たちに、どこに行ったら会えるんだろう?」と思う人もいるかもしれません。僕自身は興味のある場所や、人の集まりに顔を出しているうちに、いろいろな出会いがありました。もし、また違う土地で自然や手仕事に詳しい人に出会いたいと思ったら、その土地の博物館を訪ねてみたら良いのではないかと思います。博物館で開かれているワークショップのようなものに参加してみることも良いと思いますし、博物館の職員の方々も専門分野を持った自然に関する知識人のはずです。「面白い情報を持った人のところには面白い人が集まる」というのが、山形や各地を旅してきた中での実感です。

樹液を採取する。
僕は冬の楽しみとして、月山の森の中でイタヤカエデの樹液を採取して、煮詰めてメイプルシロップを作ります。近頃ではその日の空気の感じで今日は樹液が出る日なのか、そうではないのかがわかるようになってきました。これもたくさんの人たちから自然の知恵や技術を学んでこれた成果だと思います。少しづつですが、森と会話ができるようになってきたような気持ちです。

月山のメイプルシロップをケーキにかける。
ずっと昔、山伏は各地を放浪する旅人であったそうです。また山伏はマツリを司り、自然と人を結びつけ、土地に根ざす側面も持っていました。人は移動と定住を繰り返しながら生きてきました。これから山形に移り住んだ体験をもとにして、日本各地の旅先で「もしここで暮らしてみたら」自分だったらどんな風に暮らしを作っていくだろうか、どんな風に自然との対話ができるだろうか、思い感じたことを書いていきたいと思います。
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坂本大三郎
さかもと・だいざぶろう/山伏、イラストレーター。千葉県出身。山伏との関連が考えられる芸術や芸能の発生や民間信仰、生活技術に関心を持ち、祭りや芸能、宗教思想の調査研究を行う。現在は山形・東北を拠点に自然と人との関わりをテーマに執筆・制作活動をしている。2016年、これまで出会ったモノや本を扱う店「十三時」を山形市内にオープン。著書に『山伏と僕』、『山伏ノート』など。
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