ある視点
一番知っているようで、一番知らない親のこと。
親ではなかった頃の親を知ることから、
新しく生まれるものがあるかもしれない。
昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
vol.4 「女の子だから」と言わないわけ
父:73歳、娘:39歳
うな重につられて、伊勢神宮参拝へ
娘:「学ラン着てるね。高校生の時?」
父:「そうだね。正月に、親父と親父の仕事仲間で、観光バスに乗って伊勢神宮に行った時の記念写真」
娘:「おじいちゃんと2人で出かけることってよくあったの?」
父:「いやあ、そうないよ。だけど伊勢神宮は2回くらい行ったんじゃないかな。毎回、お袋が招待されるけど行かないって言うから、私が代理で。しかも、伊勢へ行くと美味しいうな重を食べさせてもらえるっていうのもあったしね」
娘:「それ目当てか(笑)。この頃って思春期の時期だと思うんだけど、親に反発したりしてなかったんだ?」
父:「してない、してない。仲良いってわけじゃないけど、一緒に来てくれんかって言われたら、『じゃあ行こうか』っちゅう感じ。でも、母親に対して結構傲慢な態度をとる、亭主関白で嫌な親父っちゅう意識はあった」
娘:「なるほど。それで反面教師で亭主関白にはならなかったんだね」
父:「そうそう、反面教師。俺はなるまい! とね」
学園祭ではしゃぐ父
娘:「これは、大学時代なのは分かるんだけど……、何してるの? (笑)」
父:「大学1、2年の頃の大学祭だな。仮装行列に出ようかって言って、これやったの。当時流行ってたサイケデリック・ミュージックでダンスを踊ったのかな。覚えていないけど、バカ踊りでしょうねえ(笑)」
娘:「踊ったんだ! この文字の感じも、時代だね~」
父:「この時代はよく授業に出ずに、『何のために大学に行くのか』について議論してたな。それからもう一つ楽しかったのは、ワンダーフォーゲル部っていう山のクラブにいた時ね」
娘:「部活の女の子にモテたという自惚れは何回か聞いているんだけど、ワンダーフォーゲル部に入ってくる女の人って、結構強い人が多かったんじゃない?」
父:「強いよ。みんな私に言いやすかったんか分からんけど、よく部員の女の子の愚痴を聞いてた。私たちの頃は民間企業だと女性の本社採用ってのがなくて、事業所採用になっちゃう。それで、『あんな出来ん坊主の同期に上司ヅラされるなんて!』とかね」
娘:「お父さんは私の進路について、ああしろこうしろっていうのは少なかったよね」
父:「女の子だからどうこうっていうのはなかったね。私の母親は歯医者になりたくて学校を行きだしたんだけど、胸を悪くして諦めたんだよね。2年くらい療養してから国鉄に就職して、年頃になったら父親と結婚して、その後は戦争で苦労した。母親は、自分の人生がいまいちこんなはずじゃなかったという意識があったと思う。それを子どもの頃から見てたから、女性も好きな仕事に就いた方が良いとはぼんやり感じてたね」
娘:「私はメディア関係の仕事を目指してたけど、なかなか就職先が決まらなくて、大学4年の1、2月になんとか新聞社が決まったんだよね。お父さんはその時、好きな仕事についたというより、『職なしにならなくてよかった』っていう安堵の方が大きかったんじゃない?」
父:「いや、良い仕事だと思ったよ。基本的には本人が好きな仕事に就くのが一番良いけど、好きな仕事を見つけるのが大変なんだよな。私も本当に好きな仕事で定年迎えたかどうか、ハテナだもんね」
娘:「入ってから見えてくるものかもなあって、最近ちょっと分かってきた気がする」
父:「自分の中で納得しながら、好きな仕事にしてくっていうのも重要かもしれない」
遊園地に行けなかった、幼少時代
娘:「これ、家にも飾ってあったけど、どこに行った時の写真?」
父:「河口湖。南アルプスの奈良田っていう温泉地に行った帰り。結婚前」
娘:「若々しいね~。お母さんと旅行に行った話は、結婚後のことしかほとんど聞いてないかも」
父:「あとは、八ヶ岳に2回くらい行ったかな?」
娘:「やっぱ、ほとんど山だね。お父さんの趣味に付き合わせてる感! 家族旅行で山が多かったのも、この頃からの延長なわけだね」
父:「そう。ロッジや旅館泊まると高いじゃない? この頃は安月給だったから、テント持って行くのが一番安上がりだったの。車が停めれて、テントが張れて、温泉があるキャンプ場を探して行ってた。だから、よく温泉に入ったろ?」
娘:「確かに家族旅行はそうだったね~。遊園地に行きたいとか子ども的なレクリエーションは結構無視される傾向にあったよね。ディズニーランド行くとずっと眉間にシワ寄ってたもん(笑)」
父:「お父さん、遊園地嫌いなのよ……」
娘:「大人になってからは、山登りとか、良い経験したなあと思うんだけど」
バックナンバー
-
vol.1
-
vol.2
-
vol.3
-
vol.4