ある視点

一番知っているようで、一番知らない親のこと。
親ではなかった頃の親を知ることから、
新しく生まれるものがあるかもしれない。
昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
vol.1 母が、白髪のままでいる理由
母:71歳/息子:40歳
真っ赤なずきん

1952年。母、当時3歳。
息子:「この、ずきんを被ってる写真は見覚えがあるなぁ。中学の頃、アルバムでこの写真見つけたとき、自分かと思ったぐらい(笑)」
母: 「親が大事にとってくれてたんだと思うけど、私のアルバムの真っ先に貼ってある、記憶にある最初の写真なの。ウールの真っ赤な帽子で、中側が紺色だったかな。ふわふわしてあったかかったのを覚えてる。3歳だと思うんだけど、ああ、記憶ってあるものね」
息子:「これは普通の帽子なの? それとも、防災ずきんみたいな?」
母: 「いやいや、母がつくってくれた手づくりの帽子。今みたいに既製品がない時代ですからね。大好きだったな」
息子:「この写真の裏に1953年って書いてあるね。さっきの写真の翌年かな? これも赤なんだね、セーター」
母: 「うん、赤いの着てるね。このセーターもぶくっと膨れたズボンも、全部手づくりだったと思う。兄弟の中で私一人が女の子ってことで、まあ被写体として赤がポツンと映えるのが綺麗という意味なんだろうけど、父から『赤を着なさい』と言われた覚えがある。今は髪が真っ白だから、周りからも赤が似合うとは言われるけど、あんまり落ち着かなくて。紺とかグレーの方が好きだな」
息子:「そうだよね、いまは赤いのを着てるイメージはないね」
母: 「赤は、パッと反射的に明るくなるでしょ。それがね、煩わしいというかうるさいって感じがするの。外に出かけたりする時はいいけど、家で何かする時、ちょっと下を向いて赤が目に入るのが私は煩わしいから、着ない(笑)」
不思議な習慣

一番左端に立っているのが母。墓石の前にて。
息子:「この写真は、納骨のときの?」
母: 「そう、祖母の納骨のところで、母方の親戚が一同に集まってる写真ね」
息子:「うちの家って、何回忌とかでお墓の前に集まって写真を撮るっていう不思議な習慣があるよね、墓石にカメラ置いて(笑)」
母: 「私は不思議と思わなかったけど、おかしいわよね、こういうのって(笑)。もう習慣になっちゃってるから、当たり前にやってるけど。この時の服はよそ行き用の上下一揃いで、よく覚えてる。生地を買って仕立ててもらうってことを当時はしてたの」
息子:「そういうさ、服を仕立てるのとかっていうのは、よくあるもんだったの? それとも、お母さんの家が特殊な感じ?」
母: 「特別ではないけど、母が割合そういうことをきちっとしなさいという教育を受けてきた人だったからね。父もすごく言ってた。それこそ、パーマっていうのが世に出て間もない頃は、髪の毛をちりちりにしたり、髪を振り乱したり、そういうだらしない恰好をするなって、父がよく母に言ってたなあ。『髪の形というのは顔の印象付けになるので、きちっとまとめて綺麗にしてなさい』って」
母も弟も私も、山が好きだから

左から、母、祖母、母の弟。
息子:「結構いろいろ、日本中行ってるよね」
母: 「うん、この写真は、北海道の一番南の方の歌才(うたさい)っていうところのブナの北限地なの。弟も野草とか自然が好きで、この歌才がとっても良いから母に見せたいってことでね。母も弟も私も山が好きだから」
息子:「自分の趣味ともつながってる感じはするな。はじめて屋久島に連れて行ってもらったのをきっかけに、そのあと自分は山登りにのめりこんで、気づいたらお母さんと同じようなことをやってて。大学時代、アジアにバックパッキングしてた頃も、あとで写真とか見せたら、同じところに行ってたりしたよね」
母: 「似たもの親子なんだろうね、結局ね(笑)。興味の対象も遺伝子がつながってるのかしら」
息子:「あと、こうして見てみると、髪形がずっと一緒じゃん、ショートヘアというか。それはなんかこだわりがあるの?」
母: 「忙しい家だったから、朝学校行く前に髪をとかしてリボンを付けてって親に頼めなかったっていうか。そういうことをしてもらう朝の余裕がなかったから、ショートにならざるを得なかったのね。だから髪を伸ばすのも、うっとうしいって感じになっちゃってね」
息子:「40歳くらいの時に、ある日完全に髪の毛を真っ白に変えてから、ずっと真っ白だよね」
母: 「あのね、男の子っていうのは中学に入ると、親なんかとみっともなくて話してられるか!っていう時期だから、あなたともう肩を並べて歩くことはないなっていうタイミングまで我慢したの、私!それでね、そういう時期が過ぎたある時、真っ白の髪をして運動会に行ったら、あなたが『もう絶対にまた黒くするなんてことはしないでくれ』って言ったの。私、それを聞いて、『これでいいんだ』って、子どもが私のこの姿を認めたんだって思って。それから、また染めようなんてことは全く思わない」
息子:「そんなこと言ったの、全く覚えてない(笑)」
母: 「別に肝に銘じてってほど大したことじゃないけど、『これでいいんだ』って思ったのを覚えてる。染めたりするのが面倒くさいっていうのも多分にあるんだけど(笑)」
バックナンバー
-
vol.1
-
vol.2
-
vol.3
-
vol.4
ある視点
-
それぞれのダイニングテーブル事情から浮かび上がってくる、今日の家族のかたち。
-
一番知っているようで、一番知らない親のこと。 昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
-
「縁側」店主河野理子どんなものにもある、“ふち”。真ん中じゃない場所にあるものを見つめます。
-
「読まれるつもりのない」言葉を眺めるために、“誰かのノート”採集、はじめます。
-
不確かな今を、私の日々を生きていくために。まちの書店さんが選ぶ、手触りのあるもの。
-
美術作家関川航平ほんのわずかな目の動きだって「移動」なのかもしれない。風景と文章を追うことばの世界へ。
-
徳島県・神山町に移り住んだ女性たちの目に映る、日々の仕事や暮らしの話。
特集
最新の記事
-
ニュース【ウェブマガジン「雛形」更新停止のお知らせ(2022年4月30日)】ウェブマガジン「雛形」は、2022年4月30日をもって、記事の更新を停止いたしました。 (「ウェ […]
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地どんな人にも、暮らしはある。すぐには役に立たないようなことも、いつかの誰かの暮らしを変えるかもしれない。/雑誌『暮しの手帖』編集長・北川史織さん北川史織さん(雑誌『暮しの手帖』編集長)
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地立場をわきまえながら、どう出しゃばるか。「困っている人文編集者の会」3名が語る、本が生まれる喜び。柴山浩紀さん(筑摩書房)、麻田江里子さん(KADOKAWA)、竹田純さん(晶文社)