ある視点
一番知っているようで、一番知らない親のこと。
親ではなかった頃の親を知ることから、
新しく生まれるものがあるかもしれない。
昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
vol.3 親と話すほど、傷つく人もいる
母:62歳、娘:26歳
娘:「これって何歳くらい?」
母:「これは私が小学校6年生で、兄が中学校2年生とかの頃かな。カラオケ大会で準優勝した時の写真よ。『あまい囁き』って曲があってね。パローレパローレパローレ~ってやつ。あれを歌ったの」
娘:「え、これ6年生なんだ? (笑)。どこで歌ってるの?」
母:「昔、『スタジオ緑屋7(セブン)』っていうラジオ番組があってね。東北放送ラジオで放送されたの」
娘:「なんか、ちょっと恥ずかしいな……」
娘:「これはいつの写真だろ? 学校だよね?」
母:「1972年、中学2年生の時の弁論大会だね」
娘:「代表して喋ったみたいな感じ?」
母:「そう。良い子ぶって弁論大会に出た時の写真だね。クラスの代表で選ばれて、『迷惑をかけるのはやめよう』とかなんとか、いかにも大人が喜びそうなことを書いたら選ばれたやつ」
娘:「一中に弁論大会があったんだ……」
母:「そうそう。あとこれ、制服がある時代だよ。あなたのお兄ちゃんの時代が、制服が自由化になってはじめての代」
娘:「そっか、母の時は制服があったのか! 」
娘:「これは、高校生くらいかな?」
母:「これはね、21歳! 成人式なんだけども、自分たちの成人式の次の年。ミスユニバースのポスターを真似して、マフラーをたすきみたいに体に巻きつけて、ふざけてる写真(笑)」
娘:「なんで成人式の場に、成人じゃない母が……(笑)」
母:「この時ね、大学時代の放送部にいて、あなたのお父さんも放送部で。大学生の頃ってつるむじゃない? で、成人した後輩たちをひやかしに行ったのね」
娘:「ああ~、そういうことか。私、母が髪長いイメージないな。こんな長かったのはじめて見た」
母:「あーそっかそっか。あなたのお姉ちゃんくらいの時までは長かったけど、末っ子にもなるとね、だんだん力尽きてくるのよ(笑)」
娘:「すごい意外。しかも、こんなかわいらしい服を着てるイメージもない」
娘:「この写真も同じ服だよね。お気に入りだったの?」
母:「気に入るも気に入らないも、そんな服なんか持ってないもん。こないだ家を片付けた時、あなたが置いてった服を全部洗って、この量の服をどうしようと思ったよ」
娘:「ああ……もう処分してください(笑)。で、この頃にはもう父と付き合ってたの?」
母:「そうそう、大学1年生の後半くらいかな。ほら、女子大だったから、放送部でドラマとかつくる時は男の声が必要なんで、他の学校から呼んでこようってことで。その中にいたひとり。初めて会った時はあんなに細かったのに」
娘:「父が細かった時代を、私は生まれて26年見たことがないから、この父は嘘でしょって思う(笑)」
母:「よく食べるし、動かないからね。彼は当時からめちゃくちゃ運動ができなかった。でも、私はもともと体育会系はいやなので、ね」
娘:「この写真は、誰が撮ってるの?」
母:「私の兄だね。東京に就職する兄をお父さんと2人で見送った時の、仙台駅構内の写真かな」
娘:「あ、仙台駅なのこれ? 神戸って書いてあるから旅行でもしたのかと」
母:「してるわけないじゃん~、この環境で」
娘:「結構、叔父さんと父と母で一緒に過ごすことが多かったの?」
母:「うん。っていうのは、大変厳しい母だったから、例えば夜の集まりで帰りが遅くなったりした時は、兄と一緒に帰って、一緒に怒られることによって母の怒りを分散させてたの(笑)。そうやって生きる技を身につけなきゃいけなかったのよ」
娘:「そのおじさんと父と母の関係性は初めて知ったな。私も、おばあちゃんの時代からしたら結婚適齢期ってことで、『あんたいつ結婚するの?』とか言われるけど、そういう言葉を母はもっとダイレクトに受けてきたんだもんね」
母:「うん、そうね。そもそも、親には権力があるからね。私自身それは絶対に自覚して子育てしなければいけないなって思ってきたよね。世の中には、親と話せば話すだけ傷つく人もいる。親との関係で故郷のことを思ったり、懐かしかったり、実家に帰るの嬉しいなとか、そういう風に思うのはマジョリティだけれども、親から支配されたり虐待されている人もいるわけで、親にこんなひどいことされましたよっていっていいんだよと思ってる。あ、そう思うと私だって本当にひどいことばっかりしてたね、ごめんね。あなたの口の周りに泥棒ひげを描いたりとか、色々やってたもんね(笑)」
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