特集 過去と未来をつなぐ、
京町家の今

風も、人も、通り抜けていく京町家。
家の形にあわせて暮らす、
丸山さん5人家族の話。

夏と冬で寒暖の差が激しい日本の気候。それに対応するように、高気密、高断熱な建材をはじめ、住まいにまつわるテクノロジーも進化を続けている。では、昔ながらの住まいは単に時代遅れなものだろうか。いや、自然に抵抗するのではなく、自然と共生する形で暮らしてきた先人の知恵と工夫には、地球環境の変調が明らかな今、学ぶべきところが数多いのだ。

京都の街でおよそ1000年にわたって住み継がれてきた京町家。千本格子、瓦屋根、通り庇といった見た目のデザインが京都ならではの景観、古都のイメージを形づくってもきたが、京町家の意義は、むしろ自然との共生を実現した住まいの仕組みにある。どうして格子なのか、なぜ中庭や奥庭が設けられているのか。今回、実際に京町家に暮らす家族の声を通して、そうした京町家ならではの特徴の理由を教わった。

取材に応じてくれたのは、5人家族の丸山さんご夫妻。京町家で3人の子どもを生み育てるなかで、その家は子どもたちが気軽に集まる、近所に開かれた場ともなっている。

先祖代々、京町家に住み続けてきた世帯ともまた違って、あえてこの時代に京町家を選んだ丸山悠介さん、洋美さんご夫妻の話は、伝統にとらわれすぎることなく、新鮮な京町家暮らしの様子を伝えてくれる。

文:竹内 厚 写真:町田益宏

僕らの世代も、京町家が買える

丸山悠介さんと洋美さんは、結婚当初から京町家に住んでいたわけではない。郊外住宅地の様相を見せる、京都市左京区松ヶ崎の集合住宅がふたりの最初の住まいだった。京都の賃貸住宅は年単位で更新料が必要な家が多く、ふたりが住んだ集合住宅も2年ごとの更新。2年目の終わりにこれからの住まいをどうするかという相談が始まったという。そのタイミングで京町家のことを持ち出したのは、悠介さんだった。

「うちのおばあちゃんが京町家に住んでいたんです。子どもの頃に遊びに行ってた記憶もあって、僕にとって京町家というのは身近な存在でした。ただ、僕らの世代には関わりのないものだとすっかり思い込んでたのですが、親しい友人が京町家でゲストハウスを始めたというのを聞いて、個人で京町家を買うことができるんだと気づかされたんです」

 

京町家暮らしの実感があった悠介さんに対して、昔ながらの家に対する警戒心があったのが洋美さん。古い家屋にまつわる過去の記憶などから、消去法的にマンションを選んでしまうというのも、今よく耳にする話ではある。

「私は、実家が古い家だったので、古い家特有の不便さが身に沁みてました。だから、滋賀に戻って新築に住むのもいいと思ってましたし、マンションでもいいかなと思ってたくらい。ただ、家探しは夫に任せていたら、京町家ばかり探してくるんです。私も流されやすい性格なので……」

京町家に目を付けても、10年以上前の当時、売りに出ている京町家の情報は乏しく、紹介されるのはきれいに改修された高額物件ばかり。そこで悠介さんは、「古家付き土地」と書かれた物件情報に目星をつけ、手の届く町家を探し続けた。つまり、家は古すぎて市場価値はありませんと宣言された物件。京町家という言葉にすれば、価値あるのが当たり前のようにも思えるが、実際の不動産の現場では必ずしもそうじゃない。

広い土間にカメラマンが立って、板の前に腰掛ける丸山さん夫妻を撮影。手前も奥も左から明るい自然光が差し込んでいる。

「雨漏りでぼろぼろになった家とか、実際にひどい状態の家もたくさん見てきました。1年ほど探し続けてたまたま見つけた今の家は、それに比べると全然状態がよくて、立地もいい。ただ、通りに面した家の正面がモルタル(セメントに水と砂を混ぜてつくる建築材料)で覆われてたりとか、見た目にはどうかなというところがあったので、この家が本当に京町家かどうかを判断するため、『京町家作事組』にもいっしょに物件を見てもらいました。

これが築何年くらいの建物か、家の正面は元の状態に戻せるか、建具や内装の状態……いろいろと見てもらった結果、元々の京町家の状態に戻せます! ということだったので買うことを決めました」

京町家作事組とは、京町家再生を専門に手がける職人集団のこと。

丸山さん夫妻が見つけたのは、大正時代に建てられた京町家だった。正面がモルタルの壁に変えられていたのは、防火規制に対応するために多くの京町家で取られてきた対策だ。近年になって、その画一的な規制を受けることなく、京町家らしい外観へと適法に整備することが可能になっている。

 

購入条件は、「お地蔵さん移動不可」

丸山さん夫妻の京町家(以下、丸山邸)を私たちが訪れたのは8月22日。

京都では毎年8月23・24日(年により変更あり)、町単位、お地蔵さんごとに「地蔵盆」が開かれ、町々のお地蔵さんに近所の人たちが集う風景は京都の風物詩となっている。

ふたりに話を聞いている間も、丸山邸の前にがやがやと近所の人たちが集まってくる様子が聴こえるともなしに聴こえてくる。

実は、丸山邸の軒下には町内のお地蔵さんが安置されている。丸山さんがこの家を見つけたときには、モルタル壁にお地蔵さんが埋まった状態だったというが、その後の改修作業でモルタルをはずし、今は、お地蔵さんをまつる祠がきれいに形を現している。丸山邸の軒下、つまり敷地内にあるのだが、もちろんこれは街の共有財産。

10年前の改修で京町家らしさを取り戻した丸山邸の平格子、その前にお地蔵さん。これからまさに地蔵盆が始まろうとしているところ。

「この京町家の購入条件として『お地蔵さんは移動不可』と太字で書いてありました。けど、むしろ、お地蔵さんがあることでなんとなくこの家は大丈夫だと思えたんです。お地蔵さんは家を購入する決め手にもなってますね」と、悠介さん。

昨年は、丸山邸の居間を開いて、子どもたちを中心に輪になって長さ3~5mの数珠を念仏を唱えながら繰り送る「数珠まわし」という地蔵盆の大切な行事が行われた。京都の年中行事の中で、すでに丸山邸も欠かせない位置を占めているのだ。

「地蔵盆をやる場所って、近所の空いてる大きなガレージだとか、ある程度場所が決まっていて、この家でも何十年か前は地蔵盆をやっていたそうです。だから、家を買ったときから、うちで地蔵盆を開けたらという気持ちは持ってました。それが去年、やっと実現したんです。家の前の格子戸もすべてはずしてしまって、近所の子どもたちがうちの居間に集まって数珠まわしをやって。今年もうちで予定していたのですが、コロナのこともあってそれは中止になりました」(悠介さん)

「普段のお地蔵さんのお世話も私たちがした方がいいと思うのですが、この家が空き家だった時代が長くて、その間に町内の方々でお世話をするルールが確立されたみたいで、お地蔵さんのことは町内のみなさんにおまかせしっぱなしです。私たちがわかってないことも多いので、みなさんが優しくやってくれてはる感じです」(洋美さん)

 

地蔵盆のお経をあげるお坊さん、それを見守る町内のみなさんは距離を保ちながら。この日は京都のあちこちで同じような風景が見られた。

丸山さん夫妻が丸山邸に引っ越してきた当初は、同じ町内に若い世帯はほとんどなかったというが、その後、町内にお店がいくつもオープンするなどして、ふたりと同世代の世帯も増えてきた。

「引っ越してきた当初から町内会の体育委員だとか、子ども向けの委員は受け持ってきました。近所づきあいやそうした役をやることが面倒くさいって人もいるでしょうけど、僕はぜんぜん楽しんでやれる方なので。もちろん、みなさんにすごくサポートしていただいてます」(悠介さん)

光も風も物音も、家を通り過ぎていく

丸山邸は、2枚引き込み戸の玄関を入ると広い土間が広がり、その先に炊事場と「おくどさん」と呼ばれるかまども残されている。炊事場の上部は「火袋」と呼ばれる吹き抜け構造で、薄暗くなりがちな土間に光を通す。居間の奥には縁側と奥庭が設けられ、こちらも光と風の通り道になっている。

丸山邸の奥庭。「水やりも何もしなくても、勝手に草と木がどんどん育つんです。どこから種が飛んでくるのかもわからないけど、放っておくと大木になる勢いで勝手に木が育ちはじめるので、むしろ、それを抜くのが大変なくらいです」(悠介さん)

こうした家のつくりは京町家の典型なのだが、丸山邸は3度の改修を経て、丸山夫妻ならではの「思想」が反映されているのもユニークなところ。

「僕の思想っていうと大げさですけど、生活スペースはすべて2階にまとめて、1階はいろんな人が集まれたり、お商売をしたりといった共有の場所にしたいという気持ちがあったので、そういうポリシーでこの家を改修してもらいました。なので、お風呂や小さなキッチンも2階にあるんです」(悠介さん)

階段まわりには子どものための本が山積み。急な階段なので手すりをつけているが、悠介さんは一度、上から転がり落ちたことがあるそう。

丸山邸の1階を京町家カフェとしてオープンしていた時期もあった。ただ、店の運営を担っていた洋美さんの第3子出産もあって、店として営業できたのは1年程度。それでも基本的な生活スペースを2階にまとめたことで、1階は近所の人たち、特に子どもたちにとっては気兼ねなく出入りしやすい場所となっている。

「うちの1階はすっかり子どもたちの遊び場になっています。走り回って、プロレスごっこして。僕が1階に降りてきたら、知らない長女の同級生が机に座ってたこともありました。『学校の帰りに寄ってみた』って。その時、うちの子はまだ学校から帰ってきてなかったんですけどね」(悠介さん)

「家の前の通りもそんなに車通りがないので、夏は家の前でプールを出したり、水鉄砲で遊んだり。そうやって遊んでると近所の子が混ざってきて。にぎやかすぎるかなとも思うけど、ご近所さんもやさしく『いいよ~』って言ってくださるので。家の中と外と境目なく子どもたちは遊んでます」(洋美さん)

 

一番上のお姉ちゃん(長女)が静かに本を読んでいる傍ら、玄関から飛び出してきた丸山家の腕白ボーイズ、長男&次男。

そもそも京町家の構造は、内と外を厳格に隔てるのではなく、内と外をゆるやかにつなぐような仕組みといえる。たとえば、通りに面した家の格子。室内に座っていれば、格子を通して驚くほど外の様子が見え、光も、風も、外の物音も自然と家を通り過ぎていく。

「前の道を歩いてる人は部屋の中から見えていることがわかってないので、うちの前で立ち止まって家の写真を撮っていく人もいて。部屋の中で僕が昼寝している時に、外から写真を撮られるのが見えることもあって、びっくりして飛び起きてしまいました。表から奥庭へと風がよく通るのも気持ちがいいですね。換気もバツグン」(悠介さん)

家の中に風の道がある。高気密を売りにする現代住宅からすれば真逆の方向かもしれないが、丸山邸でも、居間に冷房と床暖房を入れることで暑さ寒さへの備えとしている。それでも結局のところ、来客のある時にしか使わない生活になったという。

「10年もここで暮らしていると、自然が近いことが当たり前になって慣れてしまいました。屋外と家の中の環境がそんなに違わないことで、私の身体も自然とともに生きてる感じがして、むしろ冷暖房が効いてる職場のほうがつらいくらいです」(洋美さん)

家が持ってる形にあわせて暮らす

丸山さん夫妻の京町家暮らしは、すべてが事前の想定どおりではない。3人の子どもが生まれることは想像もしていなかったし、1階をカフェとして開く計画は途中で休止した。それでも、「近所の人たちとうちの居間で忘年会をやったりだとか、気軽に集まりやすい家になっているので、結局そこは思惑どおりなんですね」という悠介さんが言うように、家のつくりと暮らしかたの掛け算で、日々の生活は成り立っている。何も難しい話じゃない、「家が持ってる形にあわせて暮らしていけばいいだけだと思ってます」と洋美さん。

 

暑さ寒さの対策に骨が折れる。近所づきあいが大変。町家ぐらしでよく聞かれるそんな後ろ向きな言葉さえも、丸山邸ではポジティブな要素になっていた。

自然の気候や天気に暮らしの習慣を合わせつつ、近所の人や子どもたちが気軽に出入りする。人との関わりが増えるのは面倒かもしれないが、とても楽しいことだ。そして、そのためには自分の家への愛着が欠かせない。

「僕は学生時代、バックパッカーでいろんな国の暮らしを見てきたのですが、その街の色ってそこに暮らす人たちがつくるものなんだなと強く感じました。そういう意味で、京都にはやっぱり京町家の暮らしが合っていて、この家が滋賀にあっても僕は買わなかった。ただ快適さや安さだけで家を選ぶのではなく、その街に合った家に暮らすことが街全体の幸せにつながるのかなと思ってます。京都に住むなら、京都に溶け込んだ生活を大事にしたいなって。

がんばってそうしてるとかじゃなく、それが面白いんですよ。この家の改装も3期に分けて進めましたけど、お金が貯まったら改修するという、趣味=家の改修、みたいな感覚でやってました。だから、僕らより若い世代にも町家を買って遊んでみたらって伝えたい。自分の家に愛着をもって暮らすのはすごく楽しいことですよ」(悠介さん)

編集協力:公益財団法人 京都市景観・まちづくりセンター

京町家まちづくりファンド
京町家の改修助成事業を通じて、オーナーとともに京町家を「公共空間」として再生し、次の時代につないでいく取り組みを行う「京町家まちづくりファンド」。伝統的な木造建築である京町家は、相続や維持費の問題があり年々減少しています。建物だけでなく京町家に宿る生活文化も残していくために、「京町家まちづくりファンド」は、町や通り規模で住まい方や活用を考えている京町家再生の助成を行っています。

HP:
https://kyoto-machisen.jp/fund/
(運営)公益財団法人 京都市景観・まちづくりセンター

風も、人も、通り抜けていく京町家。 家の形にあわせて暮らす、 丸山さん5人家族の話。
風も、人も、通り抜けていく京町家。 家の形にあわせて暮らす、 丸山さん5人家族の話。
丸山悠介さん・洋美さん 京都府京都市生まれ、滋賀県大津市育ちの悠介さん。27歳の頃、離職して上海からイスタンブールまで、アジア放浪の旅に出る。その後、アジアの安宿のようなゆるく遊べる空間を作りたいと、京都市松ヶ崎で住み開き型のシェアハウスをはじめる。その後、妻・洋美さんと現在の家に引っ越し、現在は家族5人で暮らしている。
(更新日:2021.09.29)
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京町家に関わる人の口から、自然とこぼれ出てきた、京町家を“預かっている”という意識。何百年もの月日を生きてきた建物の細部に宿る、先人たちの思いや生活文化とは? 未来へつなぐために、今私たちが知りたい京町家のこと。
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