ある視点

町には図書館がある。
絵本を読む子ども、新聞を読むおじいさん、ノートを広げる学生。
会話はなくとも、ここに流れる時間そのものがコミュニティだ。
町の図書館が新しくなる。
それは、この町の風景や、暮らす人の時間に
とっておきの変化が訪れる時。
この町を新しく知る人にとっての入り口にもなるかもしれない。
変わっていくもの、変わらないもの。
ひとつの図書館の動きが町にもたらすもの。
ワクワクしたり、じっと眺めたり、
聞き耳を立てながら、
その行方をそばで見て、記していこう。
文・長谷川竜人(高梁市地域おこし協力隊) 写真・佐藤拓也 イラスト・COCHAE
vol.04 ステキにスバラシイ、地元のイタリア料理店
筆者の故郷は東京である。
筆者は東京まで電車及び新幹線を乗り継いで帰ることを好む。しかし筆者は、よく目当ての電車に乗り遅れる。
というと読者諸氏の中には「ハハハ、電車の一本くらい逃したところで次の電車に乗れば良いではないか」と、一笑に付す方もいるであろう。だが問題はそう簡単ではない。
例えばこれが京急蒲田駅であったなら、京急久里浜行きだの泉岳寺止まりだのの電車がしゅごしゅご忙しく発着するのであろうが、田舎ではそうはいかぬ。一時間に一本とか二本とかしか電車が来ない、くらいのことが当たり前なのである。
だから備中高梁駅で電車を逃した際には、せめて冷たい夜風だけは避けようと駅舎のベンチに腰掛け手持ちの文庫本でも読むにしくはない。
すると改札から帰宅途中の女子高生がわらわら出て来る。筆者は彼女たちが颯爽と家路を急ぐその脇で、ただ紙面に目を落とすことだけに集中しようとする。
しかし筆者が読むのは「密室」だの「首なし」だの「ドグラ・マグラ」だの、そういうことばかりが書かれた本で、そういう本を一人寂しく読む筆者と彼女たちとの間の隔たり。なにゆえ俺はこんなところで一人で本を読んでいるのだろう。コムプレックス。
おとなしく座っているだけでも頭の中ではたいへんなことが起こって、手と足と胴体がそれぞれバラバラに動き出しそうになる。そのセツナサ……クルシサ……嗚呼……
優しい目をした誰かに会いたいものである。
しかし捨てる神あれば拾う神あり、である。
拾う神とは「高梁市複合施設」で今年の2月から開業している、イタリア料理店「ガット・リベロ」、及びその店主冨弥明宏氏である。
1月上旬、開店準備中の「ガット・リベロ」を訪ねてみた。店内には冨弥氏が一人。完全に作業が終わっている訳ではないが、内装はほぼ完成しているようだった。

今回のお話の主人公、冨弥氏。「ガットリベロ」は日本語で自由猫という意味。
挨拶をしてから早速話を伺う。まずは冨弥氏の出自についてである。
冨弥氏は高梁市生まれ大阪育ちで、学生時代は建築関連の道を進んでいたのだそうである。
しかし、建築とイタリアンとは、まるで関連のない分野であるように思われる。なぜイタリアンの道に進んだのか。
「建築やってたときはパソコンでの作業ばかりで。自分の中でどこか違和感があったんですよね。それで、なにか違うことやってみるか、と思って料理の道を選んだんです。以前から料理経験はあったので」
それで、大阪のイタリア料理店で修行を積んだのだそうである。その後岡山にUターン。
「岡山市のイタリア料理店で8年くらい働いていました。そして今、新しく自分のお店をやるために高梁に帰ってきたんです」
つまり冨弥氏は大阪、岡山を経て数十年ぶりに高梁に帰って来たのである。無論、年末年始や盆休みに実家に帰省することはこれまでにもあったのだそうだが、そこはそれ、文章の綾である。
「けれども建築学科で学んだことも無駄ではなかったんですよ」と冨弥氏は言った。
どういうことかと言うと、冨弥氏、お店の設計は自分でしたのだそうである。

店舗からホームを眺める事ができ、行き来する電車を見ながら食事を楽しめる。

カウンターが特徴的な内装は、冨弥さん自らが中心となって手がけた。
こういうのを“昔取った杵柄”という。筆者は昔好きだった女の子の写真を見て夜まくらを濡らすことが時たまあるけれど、それと同じであろう。
冨弥氏は2016年、11月中旬から内装に手をつけ、高梁に暮らす父、それと左官屋をしている知人の協力を得てほとんど完成までこぎ着けてしまった。
また、その時期に結婚までされたそうであるから、筆者はただただ恐れ入る次第である。

奥さんと二人三脚でお店を運営している。
ところで冨弥氏は、なぜ高梁で店を開こうと思ったのか。
「自分の生まれた高梁で店を出したいと思って、二年くらい前から物件を探していたんです」
「二年前ですか」
「二年前です」
しかし店舗探しは難航した。
そんな折、高梁市のホームページで複合施設内のテナント募集の記事を見たのだそうである。まさに渡りに船であったのだ。
それで、では実際どのような店になるのかといえば、もちろんイタリア料理のお店なのだが、やはり気になるのは食材。
訊くと、
「やっぱり地元の野菜を使った料理をお出ししたいです。実家で作っている野菜も使えたら、と考えています」
それだけではなく、例えば飲み物も、ワイン、イタリアンビールなどだけでなく、地元酒造の日本酒をメニューに加えることも検討しているそうである。
例えばワイングラスに透明な日本酒を注いだところを想像してみる。
「ステキにスバラシイ」筆者は思わず呟いた。
ちなみに冨弥氏、思い返せばプロの料理人を相手にずいぶん野暮な質問をしたものであるが、得意料理を尋ねたところ、
「お好み焼きです」
との答えであった。無論、店のメニューにお好み焼きはない。
店では酒に合うつまみなども提供する。
「電車を待っている時、一杯飲みに来てくれるのも大歓迎です」と冨弥氏は笑う。
これはステキかもしれないぞ……
筆者は俄然そう考えた。なぜといって、もちろん夕食を食べて帰るのも良いだろう。しかし、電車を一本逃した際、ちょっとイタリアンのつまみを肴にビール、ワイン、日本酒が飲める……なんてスバラシイ……目のくらむような思い付きだろう……女子高生など恐るるに足りぬ……
しかし気になることがある、というのは、ガット・リベロはイタリア料理店である。一方、高梁市地元の野菜というのは、これは当然日本で栽培できる野菜である。
日本の野菜を使用して、それはイタリア料理として成立するのであろうか?
けれども冨弥氏の答えは明瞭であった。
「もちろん大丈夫ですよ」
しかし、イタリア料理というものは、なかなか日本では気楽に食べられない、というか、いうなればスーツを着ていないと、そのうえでワイングラスを傾けて足を組みながらでないと食べられない、みたいな料理なのではないでしょうか。
「そんなことないんです」冨弥氏は否定する。「イタリア料理って、もともととても自由な料理なんですよ」
じゃあなんでも使えるんですか。
「そうですね。だから、地元の野菜だけじゃなくて、山菜とかも積極的に試していきたいです」

アスパラ農家の渡辺さん宅にて。渡辺さんのアスパラガスをメニューに加える事が決まった。
ぜひ使ってください、と筆者は言った。普段食べ慣れている食材の新しい調理法、これまで知らなかった魅力に気付かされるという体験は、とても蠱惑的で美しいものであるから。
そういえば、店名の「ガット・リベロ」ってどういう意味なんですか。会見の最後に筆者は訊いた。
「イタリアの言葉で、直訳すると『自由猫』って意味なんです」
自由猫。なるほど。イタリア料理の自由な精神をアラワしているんですね。
「そうです」冨弥氏は言った。「でもそれだけではなくて」
この言葉は、イタリア本国では日本でいうところの野良猫を指す言葉として使用されているのだそうである。
イタリアではひとところに止まらずそこらをぶらぶらしている猫のことを、自由な猫だというふうに捉えるらしい。あくまで野良ではなく、一定のエリアを己の居住区として自由に闊歩する猫なのだと。
「猫の居住権を認めているってことなんですよね」冨弥氏は言った。
冨弥氏は高梁市で生まれた。そして育ちは大阪だけれど、これから高梁市民としての生活を始めたのである。
「『ガット・リベロ』っていう名前には、そういう思いも込めているんです。僕らはこれから高梁市で暮らしていきます。ぜひ高梁市の皆さんに、居住権、というと大袈裟ですが、市民の一員として認めてもらえるようになりたいって」
開店後、筆者は再度冨弥氏を訪ねた。無論、イタリア料理を食すためである。
冨弥氏の作るパスタは美味であった。

ランチタイムは地元の食材を中心に作られた「本日のパスタ」が楽しめる。
店を後にした筆者の前を、備中高梁駅から吐き出された女子高生の群れが通った。しかし恐れることはない。筆者も、己自身のコムプレックスから自由になるのだ。
「おのれ。かかってきやがれ」筆者は心の中で念じた。けれども彼女たちは、筆者には見向きもせずに歩いていってしまった。
それはそれで寂しい気がした。
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岡山県高梁市図書館
2017年2月、岡山県高梁市に新しく開館する図書館。地域のコミュニティとしてだけでなく、地元の物産や観光地など地域の情報が集まった観光案内所もあわせて館内に建設中。この図書館づくりに携わる地元の人、高梁市の地域おこし協力隊、運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社のスタッフとともに、新しい町のコミュニティづくりを追いかけます。
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