ある視点
町には図書館がある。
絵本を読む子ども、新聞を読むおじいさん、ノートを広げる学生。
会話はなくとも、ここに流れる時間そのものがコミュニティだ。
町の図書館が新しくなる。
それは、この町の風景や、暮らす人の時間に
とっておきの変化が訪れる時。
この町を新しく知る人にとっての入り口にもなるかもしれない。
変わっていくもの、変わらないもの。
ひとつの図書館の動きが町にもたらすもの。
ワクワクしたり、じっと眺めたり、
聞き耳を立てながら、
その行方をそばで見て、記していこう。
文・長谷川竜人(高梁市地域おこし協力隊) 写真・佐藤拓也 イラスト・COCHAE
vol.01 我が町に新しい図書館がやってくる!
確か初めて我が町の図書館が新設されると聞いたのは霧の濃い冬の朝だった。しかしよく考えれば我が町では冬の朝はたいがい霧がかっているのだから、つまりその日も平時と代わらぬ凡庸な朝だったのに違いない。
我が町というのは岡山県の中西部に位置する「高梁市」という自治体である。「高梁」これで「たかはし」と読む。
その時筆者は、個人的な事情により高梁に移り住んできたばかりであって、意外な報せに対しそれなりに驚き口をすぼめて笛を吹くくらいのことはした。
筆者は帝都東京に生まれ、二年前、二十六歳の頃に岡山県高梁市に居を移すこととなったのだ。
移住である。「ちょっと振り向いてみただけの異邦人」などというお手軽なレヴェルの話ではない。住民票も移しちゃったのである。
ではなぜ筆者は高梁市にやってきたのか。その説明には多大な時間と労力を要する。
筆者は金田一耕助が好きだったのである。
読者諸氏はご存知であろうか? 日本三大探偵の一人、金田一耕助氏は岡山県と非常に縁が深い。彼が解決した難事件の幾つかは岡山及びその近辺で発生したものなのだ。
二年前、当時務めていた会社を退職することになった筆者は、金田一耕助に憧れ岡山県への移住を決めた。そうして、東京・有楽町のNPO法人ふるさと回帰支援センターの紹介によって現在の職を得て、はれて同県高梁市に移り住むこととなったのである。
筆者は、あまり恥ずかしいから普段はいわないのだけど、高梁市の「地域おこし協力隊」として働いている。「地域おこし協力隊」とはなんぞやということについては本当に説明が長くなるので各人で調べて頂ければ幸いである。
とにかく高梁市のために働いている、くらいに捉えて頂ければ良いのだが、筆者はこの「協力隊」という名称が、「科学特捜隊」とか「うしろ髪ひかれ隊」「見たい、聴きたい、歌いタイ!」みたいというか、ぶっちゃけモラトリアム全開で、前の会社を“ぽややん”と辞めてしまった筆者にとって皮肉のようで、とにかく己の身分を明かすと面映ゆい気分になる。けだし過剰な自意識ではある。
で、どうして筆者が新図書館建設の報を耳にしたその時、それなりに驚き口をすぼめて笛を吹くくらいのことをしたかというと、それは至って単純で、一言でいえば筆者は本が好きなのである。筆者が好むのは自己啓発書やビジネス本といった類いのものではなく、小説一辺倒である。社会不適合者を自認する筆者には、読む本は実生活に無益であればあるほど、そうして精神衛生上有害であれば有害であるほど好ましい。
例えばそれは高校の頃好きだった女の子がついに籍を入れたと聞いて、行ったことのないスナックに入ってそこのママに「俺はあんな女好きじゃなかったんだよ。ほんとうだよ」と涙を隠してうそぶいている時のような、破滅と堕落の入り交じった愉悦なのである。
しかし筆者の読書嗜好は本稿に於いてまったくのところ無関係なのでくだくだしく書き記すことはしない。
それよりも、である。
読者諸氏は、筆者自身に関するあれこれよりも、本稿の舞台である高梁市に対してより強い興味を抱かれているのではないだろうか。
されば、諸氏の要望にお応えし、筆者は以下数行に渡り我が町高梁市に関するごく簡単な解説をほどこさんとする次第である。
高梁市が岡山県に属する自治体であることは先述した。
これもまた上述の通り、同市は同県の中西部を占め隣県広島との県境を成している。市域の大半が丘陵地によって構成されたいわゆる、この「いわゆる」がいったい世間一般のどのくらいの人に通用する「いわゆる」なのか筆者は関知しないけれども、つまり同市はいわゆる中山間地なのである。
筆者が暮らす集落も同市内中心部から自動車を走らせて三十分の山間地に息づいている。
無論、市内には従業員を数十名、数百名と抱える企業が幾つもあるが、けれど筆者が暮らしている集落(宇治町というところ。京都の宇治とは別である)は山の中にあるためか、隣近所の方々は程度の差こそあれ、農業を活計を立てる手段としているようだ。
程度の差、というのは、例えば企業に勤めているが休日には家の近くに作った畑で農作業に従事している、という人が一定数いるからで、というか筆者の周囲ではほとんどの企業人、がそのような生活を送っているのだが、今日の農業について語る時に高確率で「半農半エックス」という言葉を聞くけれども、そういう生き方を実践している方ばかりなのである。
高梁市は過疎化に対抗するための移住施策が比較的充実しているようで(断言できないのは筆者は同市以外に移住施策を推進している自治体に暮らしたことがないので比較が不可能だからである)、筆者もそういう移住者の方々と懇意にさせてもらっているが、中には同市にやってきてゲストハウスを開業した人もいる。レストランやカッフェーの如き飲食店を開業した人もいる。十幾年前に引き越してきて町長にまで上り詰めた傑物もいる(人当たりの良い気さくな御仁である)。
多様といえば多様なのだが、筆者はこのように移住者の多様性が遺憾なく発揮される土壌は、もともと同市に培われていたものであると考える。
というのは、今日の高梁市は平成十六年に幾つかの自治体の合併によって完成したのだけれども、その合併元となったのは高梁市、上房郡有漢町、川上群川上町、成羽町、備中町、実にこれ一市四町に渡る大合併だったのである。
領地が隣接していたとはいえ各地共に文化も風土もまったく同一のものであったはずがない。それらの文化、風土が合一し、多様性は多様性として認めながら、現在も市内各地域がそれぞれの特徴を活かして暮らしを営んでいる。多様性の結合、それが今日の高梁市の姿である、と筆者はまとめたい。
では、各地域がどのような特色を持ち、そこに暮らす人々がどのような生活を送っているのか。
それについての論述は本稿ではしないが、というかたぶん今後の連載で紹介する機会が幾らでもあると思うのだが、とにかくいま、同市にまた新たな文化の創出拠点が誕生しようとしている。
新しい図書館は同市に暮らす人々、筆者もその一人なのであるけれど、筆者含む住民にどのような変化を及ぼすのか、また同市及び住民たちは新図書館にどのように関わってゆこうとしているのか、それら諸々の雰囲気のさわりだけでも、本連載に於ける拙文で読者諸氏に伝えられたら、筆者はうれしく思う次第である。
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岡山県高梁市図書館
2017年2月、岡山県高梁市に新しく開館する図書館。地域のコミュニティとしてだけでなく、地元の物産や観光地など地域の情報が集まった観光案内所もあわせて館内に建設中。この図書館づくりに携わる地元の人、高梁市の地域おこし協力隊、運営するカルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社のスタッフとともに、新しい町のコミュニティづくりを追いかけます。
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