ある視点
vol.04 音楽が響く“場”をつくること
ヴァイオリニストであり教育者の森悠子さんを音楽監督に活動する、 「長岡京室内アンサンブル」その名の通り、拠点は京都府・長岡京市。 この楽団に指揮者は存在せず、メンバーも流動的に入れ替わっていく。 技術、想像力、緊張感、コミュニケーション……
そうして構築されていく素晴らしく刺激的な音楽に出会った、写真家の大森克己さん。
「音楽は、ことばである」
その意味を体感すべく、この音楽が生まれる現場へ。
彼・彼女たちが、長岡京から世界に向けて
音楽を生み出す時間を記録していきます。
前回の更新から随分と時間が経ってしまったけれど、もちろん森悠子さんもアンサンブルのメンバーたちも、それぞれの精力的な活動はずっと続いている。ボクが直に接することができただけでも2016年11月の上野文化会館で聴いた長岡京室内アンサンブルのチャイコフスキーの弦楽セレナーデ、東京・広尾のチェコ大使館で行なわれたチェコ音楽コンクールで1位になった石上真由子さんのヤナーチェク、2017年2月に大阪と京都で聴いたニューイヤーコンサートでのベートーヴェン、メンデルスゾーン、モーツァルト。3月には京都、十念寺で行なわれた若手4人のロワンカルテット(長瀬大観vn 石上真由子vn 野澤匠va 杉本環紀vc )によるシューベルトとベートーヴェン。そしてオペラシティの近江楽堂での高木和弘さんのバッハとバルトーク。どの演奏にもハッとする驚きの瞬間があって、聴いているボクの魂が脱皮するかのような嬉しい時間を何度も体験した。写真の仕事をしている中で、生きている中で、そういう魂の脱皮のような素敵な時間を思い出しながら、世界に接することが出来るのは本当に幸せだなと思える。
さて、ボクが長岡京室内アンサンブルのことをこの雛形に書いていることによって、思いがけない形の新しい出会いもあった。奈良で「sonihouse」 というスピーカーを作る工房を運営している鶴林万平さんが『雛形』の記事を読んで長岡京室内アンサンブルのコンサートに足を運び、その感想を SNS に投稿されていたのがきっかけで交流が始まった。
そしてなんと鶴林さんは来たる9月24日に自身のsonihouse の2階のスペースで森悠子さんを招いてコンサートを企画するというのだ! そして僕もそのコンサートのインターヴァルに森さん、高木さん、松崎さんと一緒にトークで登壇することにもなりました。
「改めて弦の音の美しさ繊細さを知った。そして音量のこと。とにかく小さい。はじめ音が想像以上に小さくハイ落ちに聴こえたのでまるで耳栓しているかのように感じた。耳が慣れてくるとベースの音から第1バイオリンの音まですごくバランスがいいのが分かる。一人一人の音の重なり、綾が見えるがごとく感じられる。ソロを取るバイオリンとバックのバランスが絶妙に感じられる。本当に旨い寿司ってこんなんだろうなとフっとよぎる(笑)。それぞれがそれぞれの仕事に徹する。しかも楽しそうに踊るように。それが自然とピタリと揃う。普通のことのようにすごいことが起こっている。
主宰の森さん以外は僕と同じくらい、それより若い世代で構成されている。すでにクラシック音楽をやることに悩んだり戦ったりする時代ではないと思っているのかもしれない。躍動するように演奏している姿が心強いかったり誇らしかったりする。ここで聴かれた音と音の余白や余韻は日本人がクラシックというフィールドでできる日本人なりの表現なんだという思いに至る。“聴く“ことを突き詰めていくことで到達できる日本人のメンタリティとかローカリティがあるんだなと勇気をもらえた気がした」
(鶴林さんの2月27日のFACEBOOK のポストより)
「互いの音を聴きあって演奏する」という当たり前でありながら、難易度の高いことをやり続けている森悠子さんと長岡京室内アンサンブルの魅力と9月のコンサートをどういう趣旨で企画されたのか、鶴林さんと話しをした。
鶴林万平(以下、鶴林) 今年『hinagata magazine』で、新潟のエフスタイルさんと対談させてもらう機会をいただいて、取材前に「どんな媒体なんやろう?」と、雛形を読んだんです。そこで大森さんの記事を見つけて。「お! クラシックについて書いてる!」というのと、もともと写真家としての大森さんのことは知っていたので興味があって。あと僕は、写真家が音楽について語る言葉が好きなので、読んでみたら、やっぱりすごーく良かったんです。特に、森先生の言葉の抜粋とか、びっくりするほどすごくて。もう、大森さんは全部わかってるなあって……なんか、えらそうなんですが(笑)、本当に感動しました。写真のプロが、音楽についてあれほどの表現力で本質的なところを掘り起こしているんですよ?
大森克己(以下、大森) ありがとうございます(笑)。音楽についてしっかり書くのは初めてだし、ある種の開きなおりっていうのかな、音楽を専門的に知らない人間だからこそ、感覚的に表現するしかない部分もあって。ボクは楽譜はほとんど読めないけれど、音を聞けば確実になにかとてつもないことが起こっていることは分かる、そこをどういう風にことばにすればいいのか。プロの音楽家だったら、精度とか専門用語の話に閉じていってしまうかもしれないしね。そういう“部外者”が書く良さはあるのかなと思います。
鶴林 そうですね。ちゃんと自分の言葉に翻訳されている、ここに自分の言葉があるなって感じました。なので、今回のイベントは、すでに長岡京室内アンサンブルを知っている人だけでなく『雛形』で大森さんのコラムを読んで興味持ってくれた人に来てほしくて。なんで写真家がここまで音楽に没頭するんだろう、とか、なんで写真家が音楽家のことを語るんだろうとか、そういう疑問を持っている人が来てくれたらすごくうれしい。
大森 sonihouseでは、音楽と食のイベント「家宴」を定期的に開催していますよね。来られるお客さんはどんな感じの方ですか?
鶴林 だいたい僕らと同じ世代で、30代くらいです。sonihouseの活動に興味を持っている人とか、出演してくれるミュージシャンがもともと好きな人だったり、奈良で同じようにものづくりしている人だったり。いろいろですが、みんな音楽そのものの楽しさに素直に反応してくれる人たちで。普段から熱心に音楽を聴いていなくても、演奏の素晴らしさに感動してくれていて、純粋な意味で音楽を楽しんでくれている気がします。出演者が有名だからどうとかじゃなくて。毎回ジャンルは違っても、続けて来てくれる人もいたりしているので、そういう人に聴いてほしくて。
- 家宴-IEUTAGE-vol.18「一雨1℃」食の部 (写真提供:sonihouse)
“どう届けるか”ではなく、
“届いたものが音楽”という感覚
大森 このコラムの取材で、はじめて「くらしき作陽大学」に行った時、弦楽四重奏のリハを大きな教室で練習する予定が手違いでできなくなってしまって、小さい教室で練習することになったんですね。そこで練習する時に、森先生が「あななたちは、これからいろんな場所で演奏しなきゃいけない。大きなホールで演る時もあれば、喫茶店やバーでやることもあるかもしれない。その時はすぐにその場所に合わせないとダメよ。その場でどう響かせられるかが大切なのよ」って言ってたんだよね。
鶴林 ほんまにそうですよね。それは絶対に必要で、それこそ“聴く”ってことですもんね。今、“聴く”ってことがすごく切実な問題になっていると思っていて。これほど音楽は溢れているのに、聴くことがおろそかになっている時代だから。
大森 うん。その時はなるほどなあって聴いてたんだけど、今改めて思うと深い言葉だなあって。
鶴林 長岡京のコンセプトのすごさって、演奏の場の中で音楽を作っていくというか、響きを作っていくことがひとつあって。演奏者の数も変えたり、その場でミックスしていく感覚っていうんかな。お客さんにどう届けるかっていうより“届いたものが音楽”っていう感覚。それが大きな特徴であって。その考えで言ったら、演奏の合間に演者たちが他愛のないトークを入れることも場作りですよね。音楽をいいものにしていく、という方向を考えた時の手法が音楽じゃないっていうのがすごい次元ですね。僕としては、場作りとして、そこは新しい次元の話だと思います。僕は音のことを中心に考えてしまうけど、どうやってお客さんに楽しんでもらうかって考えた時に、笑いとか、間とか手法がさまざまなんだと思う。
「この音楽好きなんだよね」って
友だちと話したい
鶴林 クラシックのコンサートって、実際のところお客さんの年齢層がかなり高くて、もっともっと若い人が聴きにくればいいな、と思うんですが、長岡京は演奏しているメンバーも若い人が多いので、いままでクラシック音楽の生演奏に縁のなかった若い人たちに本当に聴きに来てもらいたいんですよね。
大森 そうだよね、それは僕も率直にそう思います。
鶴林 いまの長岡京の20代の演奏者が、40代になった時に、コンサートにはどんな人が来るんだろうと考えて。演奏力も上がってすごい完成度の演奏をしていても、もし、聴いているお客さんが少ないなんて状況になったら、こんなにも素晴らしいものがあるのに、聴く人がいなくなってしまったらほんまに危ないなって。そう思ったら、なにかやれることはないか、って。そういう感じです(笑)
大森 そのさしでがましい感じがすごくいいんだよ! 僕たちはさしでがましい人たちなんだよ(笑)。今回もそういう感じになるといいですよね。僕が万平くんすごいなあって思うのが、その行動力。読んで感動してくれて、いいねって言ってもらうことはあっても、じゃあコンサートに行こうってなる人はそんなに多くはない。もちろんそういう人もいるけれど、僕とも森先生ともまったく面識がないのに、あのコラムを読んで森先生にコンサートの依頼をしているということが相当すごい。
鶴林 大森さんが、こうして長岡京アンサンブルの音楽を紹介してくれて、この素晴らしさを自分だけのものにしなかったっていうことが、すごくありがたくて。
大森 いや、それはさ、「この音楽好きなんだよね」っていろんな人と話したいじゃん。ただ、それだけなんですよ。
鶴林 その感じ、その感じ!(笑)、僕もその感覚なんです。
大森 「昨日のセレッソの試合めっちゃ良かったな~」っていうのと同じくらいの親密度で(笑)
鶴林 ほんまにそう(笑)
大森 それって、長岡京だけの話しじゃなくて、さまざまなアートとか政治とかすべてにおいて、だと思う。いま現在自分たちの言葉で語れる場があるような、ないような……インターネットのおかげで出現した新しいメディアもたくさんでてきたけれど、こうして実際に会って話すことってやっぱり楽しいじゃない? 「場所」をつくることって本当に大切なんだな、と思うんだよね。
音のすき間の美しさに感じる、
音楽の地域性
大森 森先生の音楽人生、ヨーロッパやアメリカでのプレイヤーとしての経験、教師としての経験———様々な場所で、様々な言語で、いろんな立場で積み重ねて来られたことが本当におもしろいなあと思うんです。日本での活動、フランスでの活動って、いいとか悪いとかではなく、全然違うと思うから。
鶴林 パリで活動していた森先生のことってちょっと想像つかへんなあ。今の森先生の考えって、パリにいた頃からあったのか、日本に帰ってきてから作られてきたのか、気になりますね。
大森 そういうことも、お話しできたら良いですね、せっかく演奏の合間にトークもやる訳だし。
鶴林 はい。世界各地それぞれの音がある中で、日本でもそれを作りたいという想いで長岡京室内アンサンブルがあるじゃないですか。僕が最初に聞いた時は、間の美しさというか音がやんだあとの、音と音の隙間というか、そこの緊張感や空白や余白がものすごくきれいやなって思ったんです。そこって日本的な感覚というか、それを長岡京の音楽は表現している気がして。そこに僕は地域性を感じていて、日本人としての軸がある気がしていて。
大森 今回のsonihouseの企画がすごくいいなと思うのは、クラシック音楽を常に演っているようなホールでの開催ではないってところだよね。もっとこの音楽を、いろいろな場所で聴きたいよねって。
鶴林 はい、森先生も大きな会場と小さな会場ではまったく違うから、そこに合わせたかたちでやりたいって。
大森 元お寿司屋さんの2階でねえ(笑) sonihouse 初の生音!
鶴林 そうですね(笑)、どんなに小さくても場は場ですから。この展開はおもしろい実験ですね。
家宴 vol.20「おとと音楽とことば」
出演:森悠子(vn) 高木和弘(vn) 松崎国生(piano)
日程:9月24日(日)
時間:14:30 開場 /15:00 開演
会場:sonihouse(奈良市四条大路1-2-3)
公演曲目:
【森】未定
【高木】バッハ/無伴奏ヴァイオリンソナタ第1番 ト短調 BWV 1001 よりI. Adagio II. Fuga (Allegro)
【高木】バルトーク/無伴奏ヴァイオリン・ソナタ Sz.117 BB 124
【高木・松﨑】松崎国生/グランドファンタジー1027
入場料:
音の部・食の部合わせて ¥6,500(夕食+フリードリンク付)
音の部のみ参加 ¥3,500(ウェルカムドリンク付)
* いずれも当日受付にて、現金でのお支払いになります。
ご予約は「家宴への参加予約」をタイトルに、
「お名前・人数・電話番号・食の部への参加の有無」を
メール(info@sonihouse.net)もしくはお電話(0742-31-5211)にてご連絡ください。
* 食の部のみの参加は承っておりません。
* 静寂を大切にした音楽の為、小学生未満のお子様のご来場はご遠慮頂いております。
長岡京室内アンサンブル
「
森 悠子
もり・ゆうこ/6歳よりヴァイオリンを始める。桐朋学園大学卒業後、
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大森克己
おおもり・かつみ/1963年、神戸市生まれ。1994年、第3回写真新世紀優秀賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表。主な著書に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。クラシック音楽にも造詣が深く、特にルネッサンス時代の合唱曲の大ファン。https://www.instagram.com/omorikatsumi/
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