ある視点
vol.01 長岡京室内アンサンブルへようこそ
ヴァイオリニストであり教育者の森悠子さんを音楽監督に活動する、 「長岡京室内アンサンブル」。その名の通り、拠点は京都府・長岡京市。 この楽団に指揮者は存在せず、メンバーも流動的に入れ替わっていく。 技術、想像力、緊張感、コミュニケーション……
そうして構築されていく素晴らしく刺激的な音楽に出会った、写真家の大森克己さん。
「音楽は、ことばである」
その意味を体感すべく、この音楽が生まれる現場へ。
彼・彼女たちが、長岡京から世界に向けて
音楽を生み出す時間を記録していきます。
長岡京室内アンサンブルは、1970年代からヨーロッパ各地で演奏・教育の両面で活躍してきたヴァイオリニスト・森悠子さんが音楽監督として、
メンバー(
( 予告編の記事はこちらから)
2016年2月4日 京都府長岡京市
早春の明るい光に包まれて梅が咲き始めた古都の長岡天満宮、八条ヶ池のほとりに建つ村田製作所のセミナーハウスでは2日後に控えたコンサートのためのリハーサルが続いている。リハーサルは5日間にわたり、初日から3日目にかけて主にハイドン(1732~1809)のヴァイオリン協奏曲とチェロ協奏曲の練習が行われ、ボクがお邪魔した4日目のきょうは主にモーツァルトの 「音楽の冗談 K.522」と「ディヴェルトメント K.136 」が中心になる。「音楽の冗談」はモーツァルトが生きていた当時の流行音楽をパロディのように取り入れたモーツァルト一流の諧謔と反骨精神の現れたユーモアあふれる音楽で、確信犯的に音が外して書かれた部分があったり不協和音が使われたりで、高い技術と楽譜に対する深い読みが必要な難度の高い曲。アンサンブルを構築するには、演奏家の間で深いレヴェルでの意識の共有が必要だ。
森さんは時々演奏を止めてアドヴァイスを発する。そのことばを受けとめて、上手くいかない箇所の楽譜を詳細に確認して、お互いに感想やアイデアを出しあって検討した後、またみんなで合奏する、ということを繰り返していく。時にはチェロだけ、第2ヴァイオリンだけ、と云った具合に分奏して、それぞれのパートがどんな音を奏でているのかを聴いてみる。そして、微妙な呼吸が合わないことが続くと、何人かのメンバーが自発的に、今まで輪になって全員が中を向いて顔をあわせて演奏していたのを止めて、いったん後向きで(輪の外を向いて)練習することを提案する。前を向いてお互いの姿を見ながら演奏していると「何となく合ってしまう」ので、姿を見ないで、ただ音と気配だけを頼りに音楽をするのだ。
「ヴィブラートというものは、使いようによっては、凄いものになりますから」
「私、ノンヴィブラートと思われてるけど、かける時はかけますから」
「お芝居なんです。私たちは芝居しなきゃ。顔、ワーっと上げて!」
「ここはカンタービレだからさ、自分がオペラ歌手になったつもりで弾いてね」
「弾くんじゃないねん、歌うねん!ことばの発音には母音と子音があるじゃない? この中にある子音を見つけて!」
「譜面を見るんじゃなくて、呼吸を聴いて下さい」
「前もって気配を感じること。他人の音を聴いて。譜面ばっかりみてたら追いつかないよ。サッカーと同じ、パスが出てから走っても遅いでしょ?」
(輪の外を向いた練習で)「自分を大切にしないでください。自分を捨てて無になって下さい」ことばを発するのは森さんだけではない。
チェロ奏者の金子鈴太郎さんが、いったん合奏の輪から外れて皆の演奏を聴き、自分以外のチェロ2人に声をかける。
金子「テンポを聴くんじゃなくて、『歌い方』を聴かないと」「感極まらないと。それじゃ喜びが無いよ。音色を自分で見つけて!」
「もっともっと、うれしそうな音で」
森「(第2ヴァイオリンに向かって)この箇所は、きれいに弾いたらあかんのよ。『冗談』なんだから。機械みたいに弾いて!」
金子「ここだけ聴いた人いたら、『長岡京、全然だめだ』ってなるよな、笑」
休憩時間に庭で煙草を吸いながら森さんと金子さんが話をしている。
森「だんだん合うようになってきたね」
金子「でも、合うようになってきたら、怖さが無くなってくるね。ちょっと怖いという気持ちがあるくらいの方がいいよね。」
森「やっぱり練習のしすぎはよくないわ。(みんなの自発的な態度を求めて)そろそろ、私、しゃべるのやめようかな」
そして森さんは一緒に煙草を吸っていたボクに、
「そこ、ヴィブラートかけると、ぬるくなる」
「そんな真剣な顔ばっかりしなくていいのよ。楽しんでやろう!上手に弾こうと思わないで」
「(第2ヴァイオリンが)重いと、私たち(第1ヴァイオリン)が弾けなくなる。もっと聴かないと」
「タイミングじゃなくて、(第1ヴァイオリンが)どうやって弾きたいか。どんな気持ちなのかを聴いて」
「あの人はどうやって弾くんだろうって考えて、いっしょに運びましょうよ!」
正午頃にメンバーが集まり、全員での練習は14時前にスタートしたのだが、あっというまに時間は過ぎて、19時近くまでリハーサルは続く。
「覚えなさい、って云っている訳じゃないの。自分の技術をフルに使って『普通』になってどうするの?」
「いま、ほら!第2ヴァイオリンの音、聴こえたでしょ。凄くいいよ。こっち(チェロ)のピチカートも良かった」
リハーサルを終えて京都市内の自宅に戻る森さんと、阪急電車の中で話をする。オリンピックのエンブレム問題や新国立競技場のコンペの話から建築の話になり、かつて森さんがフランス滞在中に届いた日本からのニュース、フランク・ロイド・ライト設計の旧帝国ホテルの建物を修理して使うことをせずに建て直して、一部分だけを明治村に移築することになったことを聴いた時にとても悲しくなったということを話してくれる。
四条烏丸のビジネスホテルでベッドに入ったボクの頭のなかを、ちいさなちいさな消えてしまいそうな、弦にそっと優しく指が触れただけの、しかしというか、それ故にとても遠くまで響く美しいピチカートの音と壊れた機械が発するような不協和音が追いかけあって響きながら夜が更けていく。
2016年2月5日 長岡京記念文化会館
午前10時過ぎ、まだ誰もいないステージに現れて楽器を取り出し、自分のパートをさらい始めたのはチェロの柳橋泰志さん。少しづつ場所を動きながら自分の音がどう響くかを体感する。徐々に集まり始めたほかのメンバーも立ち位置を変えながら、時には客席に背を向けて音を確認していく。
客席で聴いているメンバーはステージ上に声をかける。
「もうちょっと音を遠くに飛ばすイメージで弾いてみて」
「もっと届くよ」
「自分が思っているよりもレスで弾いた方が届くかも」
森さんのことばは、いつも自身の体験に基づいた実践的なものだ。
「自分の立ち位置で音がどう響くか確認できてる? 舞台の上に立っていると孤立していると感じるのものよ」
この人たちは本当に緻密に音楽を創造しているんだ、ということをはっきりと形として目の当りにしたのが、石上真由子さんがソロをとるハイドン「ヴァイオリン協奏曲 第一番 Hob. Ⅶa-1」のリハーサル。
この曲は第1ヴァイオリン、第2ヴァイオリンともにそれぞれ4人づつで練習されてきて、この日もそれに加えてヴィオラ2人、チェロとコントラバスがそれぞれ1人、そして石上さんという計13人の編成でステージ上に半円を作るようにメンバーが並び、その円の中に石上さんとチェロの金子さんがいる、という形でリハーサルがはじまる。第2楽章(緩徐楽章)ではソリストの奏でるゆったりと美しい旋律と伴奏の優しい弱音のピチカートが同時に奏でられるのだが、それ故に音量のバランスがとても大切である訳だ。
リハーサルの途中、この曲には参加しないので客席に座って演奏を聴いている柳橋さんとステージ上のメンバーの間でことばのやりとりが頻繁あり、ヴィオラとコントラバスの位置を入れ替えて響きを試すなどの試行錯誤を経て、第1ヴァイオリンと第2ヴァイオリンの人数を1人づつ減らして響きのバランスをとることになる。演奏に参加しないことになった2人も今まで真剣に練習を重ねてきた訳だから、みんなと一緒にステージに立ちたいという気持ちは強くあるに違いないのだが、何よりも大切なのは「音楽」そのものなのだ。
そして石上さんの立ち位置に関して、
柳橋「もうちょっと前に立った方がソリスティックに聴こえるよ。下がって弾いているのも、とても綺麗だけれど」
石上「私はこの曲はソリスティックじゃないほうが良いと思う」
という会話から、最終的な全員の立ち位置が決まって行くのだった。
vol.02につづく。
長岡京室内アンサンブル
「
森 悠子
もり・ゆうこ/6歳よりヴァイオリンを始める。桐朋学園大学卒業後、
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大森克己
おおもり・かつみ/1963年、神戸市生まれ。1994年、第3回写真新世紀優秀賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表。主な著書に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。クラシック音楽にも造詣が深く、特にルネッサンス時代の合唱曲の大ファン。https://www.instagram.com/omorikatsumi/
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