ある視点
vol.03 教え子たちに語りかける音
ヴァイオリニストであり教育者の森悠子さんを音楽監督に活動する、 「長岡京室内アンサンブル」その名の通り、拠点は京都府・長岡京市。 この楽団に指揮者は存在せず、メンバーも流動的に入れ替わっていく。 技術、想像力、緊張感、コミュニケーション……
そうして構築されていく素晴らしく刺激的な音楽に出会った、写真家の大森克己さん。
「音楽は、ことばである」
その意味を体感すべく、この音楽が生まれる現場へ。
彼・彼女たちが、長岡京から世界に向けて
音楽を生み出す時間を記録していきます。
2015年12月2日
ボクが初めて森悠子さんに直接お会いしたのは昨年末のこと。教授を務められている岡山県のくらしき作陽大学だった。
長岡京室内アンサンブルの音楽を聴いて魂を揺さぶられて森さんのことを本やネットで調べているうちに、どうしてもご本人にお会いして話を聴きたくなった。そして、もし叶うならば森さんが教え子達にどのようにレッスンをしているのか、その現場を見たくなったのだ。取材の申し込みを快諾していただいて、編集者と2人で大学に向かったのは12月2日の午後1時前。大学に到着し、挨拶もそこそこに「じゃあこちらにいらっしゃい」と教室に連れていって下さり、午後の最初のレッスンが始まった。
その日の練習曲はブラームスの <ピアノ三重奏曲の第1番> 第一楽章。ヴァイオリンとチェロを学生が弾く。ピアノも本来であれば学生が弾くのだが、その学生が残念ながら腱鞘炎になってしまい、急遽、モスクワ音楽院特別演奏コースの特任講師 アレクサンドラ・マカレーヴィチ(サーシャ)さんが担当する。森さんは3人の演奏を聴き、気になるところで演奏を止め、アドヴァイスをしながら、時に自分が演奏して学生に問いかける。
「こういう音を出すにはどういう技術が必要だと思う?腹筋をあげていくこと、今は固めているからダメ。上げていかないと」
「もっともっと音が語らないといけないの」
「そこ、そこがすっごく大事で一番気に入らなかったところなんだけど、ただ弾いちゃだめなの、お話をしないと。どんどんしゃべっていなかいと」
「甘い、甘い、うーん、もうちょっとだなあ。形としてのフレーズはできてきてるんだけど、もっと緊迫感があるはず。緊迫感はあなたから逃れられない。だれかにダーっと追いかけられていて、逃げられない自分。どんなに失敗してもいいから、だれかに追いかけられている緊迫感を表現して。悩みから抜けられない。そういう緊迫感をここで持っていなければ……そのあと、ふわ~っと、ほら、天国が待ってるでしょ? だから、そこにいくまでの心の葛藤が弱い。まだ若いからだけど、少々乱暴でもいいから、そのあたりは自分を追い込んでごらん。ね?やれるでしょ。その代わり、きれいな天国が待っているんだから」
「あなたひとりが優柔不断。もう始まっているんですよ。まわりに惑わされてる。あなたは一人で違う世界に入っているかもしれないけど、こちらはフォルテ。絶対そうです」
森さんのアドヴァイスはもちろんのことだが、こどもの頃から楽譜を読んだり、楽器を弾いたりする訓練を高いレヴェルで続けて来た学生たちに向けられているものだから、楽譜の読めないボクには実際のところ分からない部分も多いのだが、そのことばの比喩の豊かさ、深さに惹きつけられる。そして、もし自分が楽譜が読めるのなら、その情報量はとてつもなく大きいものであるなぁ、ということがはっきりと分かる。
「ピアノの左の音をちゃんと聴いてない。よく聴いて。ピアノのテンポはすごくいいの。ちゃんと聴いて」
「サーシャさんお願いしていい? 右手をとって左手だけで弾いていただけますか」
「こういう左手があったことを知っていましたか? ねえ、すごくない? この左手。ずーっと長い道を歩いてくるんですよ、それに対して、あなたのビブラートは道がない。綺麗な音は弾いてるんだけど、道が聴こえない。これはブラームスの人生なんだろうけど、ずっと過去に道があって、その道はずっと続いていく。素晴らしい左手。右手はとても華やかな音色がついているけれど、そこだけじゃない。左の音、じとーっとこない?あなたたちは聴いていなかったの。でも今聴いたから。今度は左手の響きに心を寄せて弾いてみて」
「はいストップ!そこに音色の変化とらえられなかったね」
「弓は一箇所じゃない、弓を持ちすぎてるから、一本になってる」
「ほら、そのビブラートだと聴いてる人は、ただ長いなあ、大変だなーってなっちゃうでしょ。はい、もう一度同じところいきましょう」
「ちゃんとリズムを心の中で数えて。そうしないとずれていくから。数えていればだらけていかない」
「うん、だいぶよくなったね」
「どうだった?あなたたち(生徒たち)の意見は?」
「とても変わりました」
「どう変わった?」
「ピアノの左手を聴くこと。緊迫感を意識すること」
「ピアノをあなたたちは聴いていなかった。聴こえるんです。でも聴こえるのと聴くのでは意味が違うから。聴こえてても聴いてなかったのね。克明に聴こえるとはじめて『あの左手はすごいことをやってる』ってわかる」
レッスンが始まって、あっという間に時間が経っている。ここで、本来のレッスン時間は終了なのだが、次の授業のコマが空いている森さんは生徒たちにいう。
「もうちょっとやる?」
「はい、やらせて下さい」という訳で、休憩を挟んだ後にもレッスンは続く。
(レッスン再開)
「はい、そこ、エネルギーが出ていてすごくよかったけど。なんの躊躇もなく弾いているね。私なんか足があがっちゃうけど、大きな希望が出てくる感じ。これくらい私は全身のエネルギーを出した。半分立ってたけど。座っていれなくて。それくらいエネルギーが欲しいの。長い長い人生の道のりを歩いて。ものすごくドイツ的なエネルギー。『うわああああっって』でも形でやってもダメ、心がそうなってないと、音にならないの。弓の持ち方もそう。手首がゼロ。手首っていうものがない。手首が一番大事なの。多分ピアニストもそうだと思う」
サーシャ「はい、手首は呼吸です。だから柔らかさも大事です」
「うん、音を作るのは手首と腕の動き。手首が固まっていたら腕も動かないの。ずっと言っているけど直らないね。縦向けてやらないで。今からでも遅くないから」
「ああ、いまね、脈が聞こえた。心臓の音が聞こえたよ。心臓の音って聴こうと思わないと聞こえないんだけどね」
「もう、身体中が震えるように。行き場を失った……恋だかアムールだかわからないけど、恋人もなにもかも見つからない、行き場がないーーそんな感情。歩いても歩いても答えが返ってこない。そういう精神にならないと、今の音じゃ綺麗すぎる。ドロドロのドラマがある。そんな道を歩いていく。解決しないの。恐ろしい曲だよ」
「あなたたちは、音楽を作るという境地に達していなくて。楽譜を弾くっていうのはあるけれど、あなたたちは技術をもっていて、楽譜通りに弾くということはとっくにできていると思うの。でも、人生でなにが難しいかって、きちっと弾くことは案外若い時にできている。そこで、この音楽からどのようなストーリーがあって……この音楽の中で自分が感じることを小説にしてもいい。詩でも短歌でもなんでもいいの、なにか感じたモヤモヤみたいなものを文章にするなりしないと、そうじゃなかったら音にしないと。音だけ弾くなら誰でも弾けるんです。物語の音を弾くとなると、そんなに簡単じゃあない。ストーリーを、って私は簡単に言っているけど。それが演奏家だし、音楽家だし、哲学者です。芸術家は哲学者。アーティストになるための方法を考えてください」
両手で本来奏でられるピアノ演奏を、右手のパートと左手のパートに一旦解体し、左手のメロディーだけに、その場にいた全員で耳を澄ましていた時間は、全体の中の個、広い広いこの世界でたくさんの人が生きている中で、他でもないこの自分(あるいはあなた)の声がはっきりと聴こえるかのような、とても不思議な高揚感に包まれたものだった。たくさんの雑音や声が渦巻く街を歩いている時に、とつぜん聴覚を覆う薄い膜がぺろりとはがれ、すべての声が同時にエッジをもって立ち上がって来るようでもあった。それはきっと音楽になる寸前の何かなのだけれども。ピアノの左手の音を聴く、というその行為は、この世界で生きていくための大きなヒントでもあるのだな、とはっきりと思えたのだった。
2016年7月19日
くらしき作陽大学の学生や聴講生、OB達によるコンサート「弦楽合奏室内楽研究発表会」を聴くために、再び倉敷を訪れた。プログラムはC.P.E. バッハの<sinfonia No.2>、 マーラー<adagietto> 、サティ< Jack in the box>、ドヴォルジャーク <terzetto>、そして、くらしき作陽大学OB で長岡京室内アンサンブルのメンバーでもある松崎国生さんが作曲した<くらしき作陽大学入学式のための祝典音楽><Folk song medley for G7> 前期古典派から近代までの幅広い選曲で、松崎さん作曲の祝典音楽はバロックの香りがする晴れやかな曲。大オーケストラではなく少人数の編成の中で、透明感のある繊細なうねりを見せたマーラーをはじめ素晴らしい演奏だった。どの曲も瑞々しい若さに溢れていた。大好きな人に初めて出会った時の喜びや予感のようなものが、ステージ上にほとばしっていた。
このコンサートに昨年12月のブラームスのレッスンを受けていた小野さんも参加して、ドヴォルジャークとマーラーでヴァイオリンを弾いていた。コンサート終了後の新倉敷駅前の居酒屋で行われた打ち上げ会場で話を聴くことが出来た。
小野さんは東京で、ある音大から大学院に進みヴァイオリンを専攻していたのだが、周りには「真摯に音楽を追求しよう!」という人がほとんどいないように感じられ、学校に通いながらも、その環境や教え方に半信半疑で自分の疑問をぶつけることがほとんど出来ずにいた、という。そして大学院を終えた自分がどう進むべきか迷っていた時期に森さんと出会い、昨年の4月から、くらしき作陽大学の聴講生として森さんの下でレッスンを受けている。それまで自分の体、肘が硬い、ということに気がついてはいたのだが、そのことに関して相談する人もいなかった。
「最初の森先生との個人レッスンの際に、その場で『ハイハイして見なさい』って云われました。それで、その場で赤ちゃんみたいに教室の地面をハイハイして、猫の動きを思い出したりして、猫みたいに動いて。で、そのあと、もう一度バッハを弾いてみると自分でもびっくりするんですが、すごい音が出たんです。森先生のもとで1年と3か月経ちましたが、自分がどんどん変わっていける、ということがが未来への希望になっていますね。森先生は答えを教えてはくれないけれど、考えるヒントをたくさん与えてくれます。ちいさな技術的な完成をすぐに目指すのではなくて、根本的に成長するポイントを見てくれます」
この日のコンサートでの小野さんの演奏からは音楽を奏でるよろこびが生き生きと伝わって来た。「左手の音」はちゃんと聴けるようになった?と尋ねると「無理に聴こうと意識しなくても、聴けるようになってきました」と笑顔で応えてくれた。
打ち上げの席では森さんのレッスンに関しての様々なエピソードを学生たちから聞くことができた。オーケストラの練習で体が硬くなっていたらすぐに「走ってきなさい」と云われる。弓を垂直に、ぶれないように持って大学の廊下を走る。足にバッグを挟んでインナーマッスルを意識しながら弾いてみる。息を止めて、吸って、吐いて、何秒息を止めていられるか試す。演奏前に四股を踏む。森さんいわく「口で言わずに体感させるのよ。いくら説明しても身体が知らなきゃダメ」ということだ。音楽を演奏して、何かが上手くいっていないとき、森さんは具体的な奏法や心構えとともに、必ず身体に関するアドヴァイスを学生たちに与えるのだ。
そして最も興味深く、羨ましいと思ったのは、森さんの教え子たちは、ほとんど全員が森さんに「泣かされた」経験がある、ということ。それはレッスン中に怒られて悔しくて泣いた、という意味ではなく、個人レッスンの最中に森さんが弾いたヴァイオリンの音色、ほとんどの場合、出だしの数フレーズだけであるにもかかわらず、その美しさ、深さに感動のあまり泣いてしまう、ということなのだ。ラフマニノフのヴォカリーズ、ラヴェルの亡き王女のためのパヴァーヌ、モーツァルトのソナタ。その様子を想像しながら、森さんを中心としたこの希有な音楽コミュニティの存在に感謝する気持ちがボクのなかに溢れてきた。
長岡京室内アンサンブル
「
森 悠子
もり・ゆうこ/6歳よりヴァイオリンを始める。桐朋学園大学卒業後、
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大森克己
おおもり・かつみ/1963年、神戸市生まれ。1994年、第3回写真新世紀優秀賞。国内外での写真展や写真集を通じて作品を発表。主な著書に『サルサ・ガムテープ』(リトルモア)、『encounter』、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)など。クラシック音楽にも造詣が深く、特にルネッサンス時代の合唱曲の大ファン。https://www.instagram.com/omorikatsumi/
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