ある視点

人生の計画なんて、そう簡単に立てられるものじゃない。

予想を上回る独身生活だったり、長く住む家がどこになるか分からなかったり、パートナーと別れたり、転職したり。先の読めない人生のなかで、安くない、かさが大きいダイニングテーブルを買えない人はけっこう多いのではないか、と思う。同時に、人生の変わり目に購入した人もいるはずだ。

ダイニングテーブルは、食事をするための机でしかないが、戦後の日本では“家族の象徴”として捉えられてきた。だからこそ、ダイニングテーブルを取り巻く環境を探ることで、今日の家族のかたちや暮らしのありようが浮かび上がってくるかもしれない。

それぞれの、ばらばらのダイニングテーブル事情に、耳をすます。

イラスト:中村桃子

第3回: エッセイ「自分の生活」

金川晋吾(写真家)

2019年3月から現在まで、私は調布市の3LDKの部屋に斎藤玲児くんと百瀬文さんとの3人で暮らしている。食事をするときは、玲児くんが持っていたちゃぶ台を使っていて、私が1人暮らしの10年のあいだずっと使っていた折り畳み式のテーブルは引っ越しの際に処分した。自分の持ち物のなかで愛着があって捨てられないものがないことに、そのとき気がついた。

血縁関係がない人と一緒に暮らすのははじめてのことだった。誰かと暮らすことで、生活に対する自分の感覚が他人とはちがうものだという当たり前のことに気づき、自分がどういう生活を送ってきた人間なのか、はじめてなんとなくわかったような気がする。

自分は家具や食器などの生活のための道具にお金をかけるという感覚を育んで来なかった。私にとってコップはコップであって、さすがに100均のプラスチックのマグカップを使いたいとは思わないが、ある程度使いやすければそれ以上のことは考えないというか、考えられない。まったく興味がないというわけではなくて、2人の持ち物だった食器を使ったりすると、「いいものだな」と思いはするのだが、やっぱり自分で買おうとは思わない。

今の暮らしを誰かに説明するときには、女男男の3人で住んでいて、男性はそれぞれ女性とパートナーであり、男性2人も生活を共にする大切なパートナーです、とこれまでは言ってきた。この説明は今でもまちがいではないが、自分の実感からはずれてきている。私としては、2組のカップルがまずありきというわけではなくて、3人の関係が大切なのだと言いたくなっているし、また、百瀬さんと私との関係がいわゆるカップルと言われるような恋愛関係をベースにしたものではない、別の親密な関係なのだと言いたくなっている。ただ、これは私がそういうことを考えている、そういう表現を望んでいる、ということであって、三人の総意というわけではない。それぞれが感じていることは当然ちがうし、使う言葉や言葉に込めているニュアンスもそれぞれでちがってくるので、同じ説明にはならないだろうと思っている。

親密さというのは、それぞれの関係ごとで独自のかたちに形成されていくものであり、そのあり方も時間とともに変化していく。だからこそ、何か型を設けてそこに当てはめていったほうが混乱は少なくてすむのかもしれないが、それはあくまで設けられた型なのだから、しっくり来ない人が出てくるのは当然のことだと思う。私は今の3人の関係は永続的で不変であることに価値を置くのではなくて、変化を許容しようとする関係だと思っている。なので、ダイニングテーブルみたいな重くて大きなものを買うということには考えがおよばないのだ。

実際、家にはお客さんもちょくちょく来るし、3人で食べるときでもせまく感じることもまあまああるが、もっと大きなテーブルを買おうという話が出たことはない。食事は各自の好きにしていて、家にいるときは一緒に食べる。当番制にはしてなくて、作ろうと思った人が作り、それ以外の人が片づけをすることになっている。そうすると食事を作るのは玲児くんが圧倒的に多くなり、割合としては8:1:1ぐらいになっている。玲児くんはクリスマスのときには鳥の丸焼きに肉やキノコを詰め込んだ御馳走を作ってくれたりするが、普段のご飯もとてもおいしい。玲児くんの味噌汁を飲むと、私は今でも感動する。百瀬さんと私はむらがあるが、最近は体のために食事に気を使っている百瀬さんが料理をする日が増えている。百瀬さんが作る料理は名前がないような炒め物がとくにおいしい。

自分がダイニングテーブルを買いたいと思うようになる日が来るとは、今はとても思えないけども、人との出会いによって、あるいは自分がものすごく稼げるようになったりしたら、ころっと変わることはあると思っている。

今の暮らしをするまでは、漠然と自分もいつかは結婚をして子育てをしたりするのだろうと思っていた。というか、それ以外の可能性があるとは思っていなかったので、結婚するかしないかのざっくりとした2択をぼんやりと思い浮かべていただけだった。でも、3人での生活がもうすぐ3年が経とうとしている今では、できれば結婚はしたくないというのがけっこうはっきりとある。結婚せずに、誰かとともに生活するにはどういうやり方があるのだろうかということを考えるようになった。

ただ、こういうことは頭で考えてこうしようと思ってできることではなかったりする。今の暮らしも2人との出会いがあって、たまたまこうなった。今の私の考え方に対して、人から「責任を負いたくないだけじゃないのか」、「決断を先延ばしにしているだけじゃないのか」と言われることもたまにあるし、自分の内側からそういう声が聞こえてくることもある。でも今は、自分がより自分らしくいられる人とのつき合い方を模索していきたいと思っているし、だからこそ、こういう話を人ともっとしたいと思っている。

金川晋吾
写真家。1981年京都府生まれ。神戸大学卒業。東京藝術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。作品集に『father』(青幻舎、2016年)、『犬たちの状態』(太田靖久との共著、フィルムアート社、2021年)。三木淳賞、さがみはら写真新人奨励賞受賞。日記を声に出して読む「日記を読む会」を不定期開催。
HP:http://kanagawashingo.com/
(更新日:2022.01.18)

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