特集 街と自然と人がつくる、
浜松の表情

人が集まれる場をつくるには? 学生時代に生まれた夢を、 地元で形にしていく 

中谷明史さんを訪ねるのは、二度目になる。はじめの訪問は、2016年の9月ごろだった。浜松駅から山側へ向かって天竜川を沿うように車を走らせ、30〜40分ほどで中山間地域の入り口にあたる天竜地区にたどり着く。

今も林業が盛んな地域。中心を流れる川の脇に、旅館や肉屋、スーパーなど、昭和の面影を残すいい佇まいの商店街が見えてくる。ちらほらと、シャッターの下りている店もある中で、ひとつだけ真新しさのある「KISSA & DINING山ノ舎」があった。

写真:中村ヨウイチ 文:石田エリ

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「街の人にとっては山の入り口であり、山の人にとっては街への出口である」といわれる天竜区二俣町。商店街の一角に、山ノ舎がある。

お酒を呑むことよりも、
お酒のある場に興味があった

2015年にオープンした「山ノ舎」は、中谷さんが「人が集まれる場をつくりたい」という高校生の頃からの思いを形にした店だ。昼間はカフェで、夜はバーになる。オープンした年、中谷さんは24歳。店を始めることを決めて、東京からUターンでこの天竜区に戻ってきたという。そう聞いて、早い時期から目指すものを見つけ、それに向かって着実に歩んできた——そんなイメージが浮かんだ。

「生まれたのは浜松駅から数駅のところなので、厳密にはここが出身地ではないんです。子どものころ小児喘息を患っていたので、両親が空気の良いところで暮らそうと場所を探してくれて、中学入学と同時にこの天竜区に引っ越してきました。でも、その頃の、祖父に教えてもらった釣りや友だちとの川遊びなど、自然の中での楽しい出来事が鮮明に残っていて、自分にとっての地元はこの天竜区だという感覚もあります。このエリアは祭りの伝統が色濃く残っていて、祭りのための寄り合いがウチの家で開かれることも頻繁にありました。大人がお酒を呑みながら楽しそうにしているのを近くで見てきたことで、呑むことそのものよりも、“お酒のある場”に興味が沸いてきたんだと思います」

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そうして中谷さんが選んだ進学先は、酒造りから醤油、味噌など発酵食を学ぶ東京農業大学・短期大学部の醸造科。お酒のある場づくりに興味を持ち、酒造りから学ぼうとするのは、中谷さんの好奇心の強さからくるのかもしれない。

「いつかバーで働こうと決めたら、まずお酒がどうやって作られるのかが知りたくなったというのと、短期大学を選んだのは、できるだけ早く働き始めたかったんです。そして、実際に大学に入ってお酒が飲める年齢になり、飲む機会が増えてくると、よりその思いが強くなっていきました。僕はあまり人とのコミュニケーションが得意なほうではないけど、お酒はわかりやすく相手との壁を取り払ってくれる。自分はやっぱり酒造りではなく場作りがしたいんだなと確信しました。でも、卒業してすぐバーで働き始めたんですけど、バーテンダーの世界も想像以上に職人気質だったんですね。個人競技のようなもので、自分が思い描いている仕事とは違うことに気が付きました」

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求めているイメージはあるのに何を学べばよいのかと、悶々としていた矢先、霧を晴らせてくれるような、ある本に出合う。ようやく見つけた学ぶべき仕事だった。

「たまたま、青山ブックセンターで『東京R不動産』の本が目に入って、立ち読みをし始めたら止まらなくなり、買って帰って最後まで一気に読みました。自分が求めていた場作りは、酒の専門分野ではなくて、こういうところから生み出されているのだと。それで次の日には、この会社に入りたい!と思ってバーには退職願いを出して、東京R不動産には履歴書を送り付けたら面接をしてもらえることになり、奇跡的に採用していただけたんです」

思い立ったら即行動、というのが中谷さんのバイタリティ。単なる不動産ではなく、建築的なアプローチからコミュニティ形成を考えるという東京R不動産での仕事は、中谷さんの「いつか自分でも実践したい」という意欲を膨らませていく。そうして、ついに「山ノ舎」の物件との出合いがやってきた。

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「もともと僕の前にここを借りていたのが、静岡のロースタリーとしても有名な『ヤマガラコーヒー』さんだったんです。それが、1年前の5月ごろ、実家に帰ってきたときに、“移転しました”という張り紙がしていて驚きました。ふと『ここで店ができるかも』というのが浮かんできて、何でも思い立つとすぐ電話するクセがあってその場で不動産屋に電話してみたら、家賃が結構高かったんです…。冷静になって考えようと。マーケティングが必要かな、などとあれこれ考えたけど、結局この場所にそんなデータ的なことを当てはめても意味のないことだと思い直し、せっかくのチャンスだから、やってみるしかないと。自分の思いとやりたいことをまとめて大家さんに家賃交渉とプレゼンをしたら、共感していただいて、安く借していただけることになったんです」

山ノ舎の自家製ジンジャーエール。近所のお肉屋さんで仕入れる天竜ハムを載せたクロックマダムも人気。

失敗しながらも、
新しい道をひらいていく

「山ノ舎」という名前は、“みんなのもうひとつの家のように思ってもらえるような場がつくりたい”という思いからつけられた。家とは、人が集まっては出ていく場所。人が情報も一緒に山から街、街から山へと運んでいく。当初は、東京R不動産に在籍しながら天竜と東京を行ったりきたりしようと考えていたのが、実際に始めてみると東京に帰る隙もなく、オープン後の1年は、一瞬のうちに過ぎていった。

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そこから1年弱。再び「山ノ舎」を訪ねる機会があった。1年まるまる経っていないにもかかわらず、前回はまだおろしたての新品のような空気感だったのが、日々を刻む味わいのようなものがうっすらとまとわれていた。穏やかな時間が流れているように見えるこの場所でも、中谷さんにとっては初めての経験や挑戦の連続だったに違いない。

「9月には、オープンから2年を迎えようとしていますけど、正直こんなに大変だとは思いませんでした(笑)。1年目は、東京から戻ってきたばかりで、東京R不動産で得た経験をここで実践したいと、気持ちばかりが先走ってしまって。イベントも頻繁に開催していたし、カフェ以外にも地元の不動産と組んでシャッター商店街をなんとかしようと息巻いてました。いろんなことを同時にやろうとしていたのもあって、ふと振り返ったら誰もついてこれないところまで走っていて……去年の秋にスタッフがみんなやめてしまったんです。焦っては何も生まれないんだと、ハッとしました」

そこから、偶然に再会した同級生の岡部さんが、スターバックスで働いていた経験から、店長を引き受けてくれることになり、お客さんだった池野谷さんが「いつか自分でカフェをやりたいから」と新しいメンバーとして加わった。

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左から、中谷さんと、店長の岡部さん、スタッフの池野谷さん。

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面積の91%が森林という天竜区。その中心を流れる天竜川と、北遠五名山と呼ばれる山々は、絶好のアウトドアフィールドでもある。

「ちょうと、スタッフがいなくなったころに、車の免許をとってサーフィンを始めたんです。単純かもしれないんですけど、この2つが何かを大きく変えてくれたような気がします。車があることで、この天竜区の周辺には、まだまだいろんな魅力や可能性が詰まっていることに気づけたし、サーフィンは自分であれこれ背負ってしまっていた肩の荷をおろしてくれました。今は、いろんな層の人が楽しめる場がつくれるように、毎日の営業や月数回のイベントをコツコツと重ねていて、もうひとつには、ある縁から旅行業の資格を持った方との出会いがあって、『山ノ舎』の派生事業として、この6月から新しい旅を提案できる観光窓口を始めることになりました。秋葉街道という歴史あるトレッキングルートも整備すればもっといいアクティビティになるし、真冬のキャンプなんかも企画してみたいですね」

いつも自分に湧き出る興味に対して、直感的に従ってきた中谷さんは、失敗もするけど、その分だけよりよい道が開けてきた。次に来たときには、どんな中谷さんに会えるだろうか。そして、この天竜の自然を味わう旅もしてみたいと思う。

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山ノ舎(ヤマノイエ)
住所:浜松市天竜区二俣町二俣1283-1
電話:053-925-1720
営業時間:(昼の部)月・火・木・金・土・日 11:00~17:00(夜の部)金・土 19:00~24:00
定休日:水曜、第二・第四火曜日
www.yama-ie.com

人が集まれる場をつくるには? 学生時代に生まれた夢を、 地元で形にしていく 
人が集まれる場をつくるには? 学生時代に生まれた夢を、 地元で形にしていく 
中谷明史さん 1990年、浜松市生まれ。高校時代から興味を持ち始めた“お酒のある場作り”を学ぶため、東京農業大学短期学部・醸造科に入学。卒業後、都内のバーに就職。その後、東京R不動産に転職し、2015年9月、地元である浜松市天竜区にてカフェ「山ノ舎」をオープン。2017年6月より旅行業もスタートさせる。
(更新日:2017.05.25)
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