特集 想像しながら、
生きていく。

違いよりも、同じ価値観に目を向ける。東京の真ん中にあるイスラムの礼拝堂から小さな種を蒔く。

代々木上原駅を降り、井の頭通りを歩いていると、頭にスカーフを巻いた若い女性が二人、前からやってくる。「近くまで来たかな」、少し勾配のある道を歩きながら、そんなふうに思っていると、美しい装飾のある白い建物、東京ジャーミイが見えてきた。

イスラム寺院である東京ジャーミイには、多くのイスラム教徒が礼拝のために訪れるのはもちろん、イスラム教徒以外の人々も見学にやってくる。

そうした見学者たちに、礼拝堂内を案内したり、イスラム教のこと、イスラム文明のことを伝えているのが東京ジャーミイの広報・出版担当 下山茂さんだ。

「無知から偏見が生まれ、それはやがて差別になる。だからこそ、本当のイスラム教について伝えたい」と話す下山さん。一方で「異文化理解、異文化共生というのは、言葉でいうほど生易しいものではない。いばらの道です」とも語る。

日本のイスラム教徒たちの礼拝の場であり、集会所やシェルターの役割を果たしてきた東京ジャーミイで、下山さんの思いに耳を傾けるとともに、この場所を訪れる人々にお話をうかがった。

文:小谷実知世 写真:田所瑞穂

偏見は、“知らない”から生まれ、
放っておくと差別になる

私がはじめて東京ジャーミイを訪れたのは、2014年11月のこと。ISILなどと呼ばれる過激派組織が毎日ニュースで取り上げられているような時期だった。
イスラムの人にとって、意図しない形で「イスラム」という言葉がメディアを通じて連呼される状況のなか、東京ジャーミイの案内をしてくれた下山茂さんのことがとても印象に残った。
日本人のイスラム教徒として、人々が疑問に感じていることを丁寧に汲み取り、正しく伝わるようにと、注意深く言葉を選びながら話す姿に「本当のイスラムを知ってほしい」という思いが溢れていると感じたのだ。

あれから約5年。久々に東京ジャーミイの見学会を訪れ、驚いたのは見学者たちの数だった。当時は30〜40人ほどだったが、この日はエントランスから溢れるほどの人が見学会の開始を待っている。「多い時には100人ほどの参加者があります」と下山さんは語る。

ジャーミイとは、アラビア語で多くの人が集まる場所の意で、集団礼拝ができる礼拝堂(モスク)のこと。なかでも東京ジャーミイは、日本最大の礼拝堂で、金曜礼拝には多くのイスラム教徒がここを訪れる。

東京ジャーミイの前身、東京回教礼拝堂が建てられたのは1938年のこと。2000年に東京ジャーミイ・トルコ文化センターとして再建された。毎週土日祝日には、見学ツアーが開かれている。

また、その美しさも東京ジャーミイがよく知られている理由だ。トルコから建材を運び、現地の職人さんも加わって建てられたオスマン・トルコ様式の建物。初めてここを訪れる人の多くが異国情緒溢れる建築や装飾の美しさに声をあげ、カメラを向ける。

「ひとりでも多くの日本の人々にここを訪れてほしいと思っています。撮影をしたり、その美しさを発信したりしてくれることも歓迎です。メディアやSNSなどでこの場所を知って、見学に来てくださった方の多くが、私の話を熱心に聴いてくださいますから。
どんなきっかけであっても、イスラムという大きな文明に目を向けてもらえたらと思うのです

27歳のときイスラム教徒になった下山茂さん。早稲田大学探検部として スーダンを訪れ、イスラム教徒たちの寛容さや親切な気持ちに触れて、 イスラム教に対する先入観が覆ったと言う。

下山さんがこのように話すのには、ある思いがある。

もともと出版や編集などの仕事をし、イスラムに関する出版物にも携わっていた下山さんが、東京ジャーミイの広報として働くきっかけとなったのは、2001年のアメリカ同時多発テロだった。

「世界にとっても、イスラム教徒の私にとっても大変な事件でした。イスラム教に大きなレッテルを貼られて、逆風の時代が来てしまうと思いました」

下山さんが、イスラムについて伝えるときに用いている「イスラム文明の科学遺産」の地図。これを見ると、アラビア数字やカメラ、珈琲、手術器具など、多くの文明がイスラムの地で発祥したことがわかる。

同じように考えた当時の東京ジャーミイのトルコ人イマーム(代表)に誘われる形で、下山さんは、2010年から広報担当として働くことになった。
その後も、世界各地で起こったテロ、そして日本人拘束事件。ジャーミイには、大きな事件のたびに新聞・雑誌、テレビなど、多くのメディアが取材にやってきたが、下山さんは、ほぼすべてに応じた。

「なかには『ネガティブな事件だから取材を受けないほうがいいのでは?』といった意見もありました。しかし私は、できるだけ話をしたかった。

そもそも、日本ではイスラム教のことがあまり知られていません。ですから、テレビや新聞の向こう側にいる多くの日本人に、イスラム教とはどういう宗教なのか伝えなくてはと思いました。

誤解や偏見は、知らないこと、無知から生まれます。そして、偏見は放っておくと、差別になってしまうのです

転んだり、衝突しながら
前に進んでいく

「日本では、欧米のようにイスラムフォビアと呼ばれる憎悪や宗教的偏見は広まりませんでしたが、テレビなどによって、怖い、テロといったイメージがしっかりと日本人の中に入っていきました」

そうした間違ったイメージではなく、正しいイスラムについて、とくに地域や近隣の人に知ってもらいたいという、下山さん。

東京ジャーミイでは、断食あけの最初の食事「イフタール」や、トルコ人シェフによるトルコ料理の食事会や講習会など、文化や料理を切り口にしたイベントに近隣の人を招いてきた。また、清掃活動など、近隣の人と顔を合わせる時には、積極的に声をかけるよう努めてきたと言う。

イスラム教やイスラム文明について知ってほしいという思いはもちろんあります。でも近所に住んでいる皆さんの関心はもっと日常的なことです。

ですから、まずは皆さんのお顔を覚え、すれ違ったらこちらから挨拶をするようにしています。そして、毎日『いい天気ですね』『お元気ですか』といった日常の言葉を交わす。

そこから、ようやく近所の方が、東京ジャーミイにはこういう人がいるんだなとか、食事会に行ってみようかなと、感じてくださると思うのです」

入り口にはナツメヤシと紅茶が置かれている。「モスクは、コミュニティであり、シェルター。立ち寄れば知り合いがいて、ちょっとお茶を飲んでいってという場であり、また分かち合いの場なのです」

しかし、せっかく積み重ねても、あっという間にゼロに戻ってしまうこともある。

「たとえば、礼拝に来て、近くの住宅街に路上駐車をしてしまい、近所の方に注意を受けた人がいました。その時、すぐに謝って移動させたらよかったのですが、ちょっとした口論になって、警察がやってきてしまったのです。
ジャーミイとしては礼拝には公共交通機関を使ってきてくださいねとお話していますが、ルールを守らないような出来事が起こると、積み重ねてきたものはすぐに元に戻ってしまう。やはりそこは、人と人との関係が重要なんです

そして、「異文化共生、異文化理解というのは、並大抵のことではありません」と、よく通るしっかりとした声で下山さんは続ける。

「移民の多い欧米諸国や、多様な民族でひとつの国家を形成するマレーシアのような国は、試行錯誤をしながら、いばらの道を歩んでいるといってもいい。

でも、日本はこれまでそういうことをしてこなかった。モノカルチャー(単一的文化)の中に、欧米の価値観ばかりを取り入れてきた日本で、異文化を理解し、受け入れることは簡単なことではありません。

ですから、私たちは異文化交流なんて大きな看板を背負うのではなく、井戸端会議のような小さなものを積み重ね、人間と人間として感じることを大切にしています。

異なる部分を頭で理解しようとするよりも、人として共通の価値観に目を向けること、互いの素晴らしいところを知っていくことです。

異文化理解、異文化共生というのは、そうしたことを重ねて、転んだり、衝突したりしながら、進んでいくものではないでしょうか

「モスクは生活になくてはならないもの」と語るエジプト人の男性。「子どもに生活習慣を教えるためにも、モスクへ来ることは大切なことなんです」

僕を構成するレイヤーのひとつに、
イスラム教があるだけ

話を伺っていると、一人の男性が下山さんに握手を求めてきた。

「いつも顔を合わせる友人ということでなくても、モスクを訪れる人はお互いに挨拶をし、声を掛け合います。モスクは礼拝の場であると同時に、集会所であり、シェルターのような役割を果たしているんです」

下山さんはそう言うと、「では、ちょっと中を歩いてみましょう」と、ジャーミイ内を案内してくれた。

その時、下山さんに紹介してもらった一人に、ジャーミイでアルバイトをするエルトゥルール・ユヌスさんがいた。ユヌスさんは、神奈川県内の学校に通う大学生で、トルコ人の父と日本人の母のもと岡山県で生まれ育つ。

東京ジャーミイでアルバイトをするエルトゥルール・ユヌスさん。スポーツ観戦が好きで、土日は横浜スタジアムや東京ドームで野球観戦をするのが楽しみなのだそう。

「両親ともにイスラム教徒で、僕自身も生まれたときからイスラム教徒として、日本で生活をしてきました。

といっても、人と違う暮らしをしてきたわけではなく、僕を構成するレイヤーのひとつに、イスラム教というのがあるのだと思っています」とユヌスさん。

しかし時には、異なる反応が返ってくることもあると言う。

「例えば、飲み会などで、僕のことを知らない人に『今から、トルコ人のハーフで、イスラム教徒が来るよ』って紹介されていたりすると、その場にいる人は僕が来る前から構えていたりするんですよ。実際に顔を合わせて話をしたら、ルーツが違うだけで、日本人としてみんなと同じような人生を歩んできてるってわかってもらえるのですが」

構えず、いじってもらうくらいでいいんですと、ユヌスさんは笑う。

そして、子どもの頃の思い出を話してくれた。

「中学に入学した頃、僕は太っていました。それで、中学1年生のある日、クラスメートの一人に『お前、豚を食べられないのに、豚みたいだな』ってからかわれたんです。
僕はブチ切れました。大喧嘩です。仲裁に来た先生も戸惑ってしまってどう止めたらいいのかわからない。その時、側で見ていた友達や先生の顔を見て、やっちゃったなって思いました。

僕がこういうことで怒ったら、今後一切、僕のイスラムの部分に関して、誰も触れてこないだろうって。それは本意ではないんですよね。だから、今でもイスラムは、僕のアイデンティティの一つであるだけで、特別なこととして捉えてほしくないし、ことさら違うところを伝えて壁をつくりたくないと思っています

ジャーミイに隣接するインターナショナルスクールには、マレーシアやエジプトなどにルーツを持つイスラム教徒の子どもたちが通っている。ジャーミイは彼らの遊び場でもあり、家族の憩いの場でもある。

ただ、これから就職活動をするにあたり、考えてしまうこともあると言う。

「イスラム教徒であると伝えることが、就職活動にマイナスに働いてしまったらいやだなぁという思いがあります。使いづらいなぁと思われたくはないんです」

そんなふうに考えてしまわなくてもいいように、社会が変わることも大切ですね、そう伝えると、その言葉に頷きつつ、こんなふうに教えてくれた。

「僕個人としては、イスラム教徒であることを強調するよりも、イスラム教徒だけれど日本社会に馴染んでやってきたことを伝えたい。僕にとっては、それが生きやすいんです。

同じイスラム教徒であっても、人によって、もしかしたら男女によっても違う考えがあるかもしれません。どういう考えであっても、自分が生きやすいと思う選択肢を選べる社会であればいいなと思います

「イスラム教徒の日本人」が
「隣の席に座っている」時代に

これまで、日本人にとって“イスラム教徒を知っている”=“イスラム教徒の外国人を知っている”ということだったと思います。でも、これからは “イスラム教徒の日本人が隣の席に座っている”という時代になっていきます」と、語るユヌスさん。今後増えていく後輩たち対して、自分の世代には役割があると考えている。

「僕は岡山で育ったので、学校には日本人の友達がたくさんいたけれど、モスクに行くと孤独でした。地域によっても違いがあるのですが、僕の通うモスクでは、同世代のイスラム教徒は、親の仕事の都合などで外国から来ていて、いずれ母国に帰ってしまうという子たちが多かったんです」

お父さんはエジプト出身。この日は、一番下の男の子にアラビア語を、お姉さんとお兄さんには、コーランを教えていた。

そういう環境にあって、イスラム教徒であり続けるには、家族のサポートが不可欠だったとユヌスさんは言う。

日本のイスラム教徒は、トルコでイスラム教徒であるよりもずっとたくさんのことを突きつけられます。
トルコの街では、何も考えずに買い物をしても、豚肉を使った食品やアルコールなど、イスラムで禁止されているものを手にすることはありませんし、礼拝をするのに説明は要りません。

でも日本では、食事や1日5回の礼拝の時間ごとに意志をもった選択を迫られます。それはとても大変なことで、僕はよく母にそうした葛藤を聞いてもらい、救われました。でも中には、両親に厳格なイスラム教徒として過ごすことを求められ、結果的にイスラム教徒であることをやめてしまう子どもたちもいました」

ハラールレストランが増えるなど、近年環境は急速に変わっている。だから時が解決することもあるとは思いますがと前置きしつつ、ユヌスさんは続ける。

日本に住むイスラム教徒としての過ごし方や考え方を一緒に考える、コミュニティのようなものが必要だと思っています。それが、日本人のイスラム教徒が日本社会で共生し、馴染んでいく第一歩になるのではないかと思うのです。
当時の僕のような中高生たちは、僕の世代以上に増えています。彼らが落ち着いて居心地よく生活するために、先輩として動いていきたいです」

世界中の価値観を発見し、
考える機会を

ユヌスさんとお話した後も、下山さんはジャーミイの中を歩きながら、いろいろな人に声をかける。近所に住むイスラム教徒の家族、ビジネスで日本を訪れるたび立ち寄るという男性、ジャーミイに隣接するハラールフードショップに買物に来た親子、カフェでお茶をする近隣のご家族など、さまざまな人がいる。ここが、礼拝の場であり、同時に集会所やシェルターの役割を果たしているという言葉を実感する。

日本在住のイスラム教徒はもちろん、日本に出張に来て立ち寄るイスラム教徒や、「ここには週1回はお茶をしに来て、珍しい食材などを買っていきます」と言う、ご近所の日本人親子の姿も。

「最近は、授業の一環で東京ジャーミイを訪れる高校生も増えています。これから社会に出ていくという高校生が、世界の見方や捉え方、欧米だけではない世界中の価値観を発見し、考える機会があるというのは、大変重要なことです」

そして、時代はようやく動き出し始めたのかもしれないと、下山さん。

人間と人間は、誰でも違いを越えて信頼し、付き合っていくことができます。日本にあるモスクは100カ所を越えました。こうした時代にあって、イスラム教徒である私たちは、これからも社会に対し内向きであってはいけません。
また日本人も異文化に特別なレッテルを貼ることなく、人と人との信頼を大切にし、異なることへの理解を進めていかなくてはならない。今という時代に、ようやく、そのための種が蒔かれたのかもしれないと感じています。
そして今後、高校生の頃から異なる文化を学んだ若者や、日本に住むイスラム教徒の子どもたちなどによって、さらに異文化を理解し合う土壌が育ってくれればと思っています」

美しく花を咲かせるトルコ原産の花 チューリップ。種はいつしか芽を出し、美しい花を咲かせる。

下山さんやユヌスさんのお話は、“異文化理解”“異文化共生”と一括りにしていては見えてこない、彼らだから語ることができる、確かな温度を持った言葉だった。

国や地域、肌の色に対するステレオタイプなイメージや先入観を、知らず知らずのうちに頭に植え付けてしまっていることがある。でも、個と個として出会い、ともに過ごした経験は、イメージや先入観よりもずっと強い感覚を伴って心とからだに残るのだと改めて感じた。
ニュースや他の誰かの経験から“知る”だけでなく、自ら挨拶をし、話をし、時間をともにする。蒔かれた種は、そこからようやく芽を出すのだろう。


取材・文:小谷実知世
こたにみちよ/ライター・編集者。京都市生まれ。大阪、東京を経て、現在は神奈川県・逗子市在住。インタビューをするなかで、話す人のおなかの中にある思いが溢れてくる、その瞬間に出会うのが一番のよろこび。写真家・田所瑞穂さんとのユニット、khorlo(コルロ)において、『ヨミモノコルロ』を発行中。


 

東京ジャーミイ・トルコ文化センター
住所:東京都渋谷区大山町1-19
電話:03-5790-0760
開館時間:毎日10時〜18時まで。金曜日の一般の見学は14時以降可能。
毎週土日祝は14時30分から日本語ガイド付きツアーを開催。
(現在は新型コロナウィルス対策により、参加予約が必要)
URL:https://tokyocamii.org/ja/

違いよりも、同じ価値観に目を向ける。東京の真ん中にあるイスラムの礼拝堂から小さな種を蒔く。
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下山 茂さん 東京ジャーミイ・トルコ文化センター広報担当。早稲田大学2年生のとき、早稲田大学探検部でアフリカのスーダンへ。村での滞在中に彼らのホスピタリティに触れて以降、イスラムに関する書籍を読み、イスラム教徒の留学生と交流を深める。そして、「皮膚の色、民族、国境を超えてきょうだいのようになれる」と27歳のときに入信。テレビ局、出版社などの仕事を経て現職。
(更新日:2020.06.24)
特集 ー 想像しながら、
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