INTERVIEW

異国の地・日本で自信をなくした女性たちと、“目を合わす”料理の力。

兵庫県
黒田尚子さん
「神戸アジアン食堂バル SALA」店主
居住地: 兵庫県神戸市

神戸元町商店街と中華街・南京町とを結ぶ路地にひと際目をひく、色鮮やかな店がある。黒田尚子さんが経営する「神戸アジアン食堂バル SALA(以下、SALA)」は、

日本で暮らすアジア人女性の雇用を生むために誕生した、珍しい食堂だ。

結婚や夫の仕事の関係などさまざまなきっかけに日本にやってきて、もともと料理人ではない彼女たちが朝夕日替わりで、自国の料理をつくっている。

 

20年近く日本に暮らしながら、一人では徒歩10分圏内しか出かけたことがない女性、日本語が読み書きできないために積極的に行動できず、すっかり自信を失っていた女性。

 

そんなアジア出身の女性たちと黒田さんが出会った10年前の日本では、
彼女たちのことは社会問題としても扱われていない、“小さな問題”だったという。

なぜ黒田さんは、その“小さな問題”と向き合うことになったのか?
どのようにして「神戸アジアン食堂バル SALA」をつくったのか。
多くの人が通りを行き交う日曜日、黒田さんを訪ねた。

文:小谷実知世 写真:田所瑞穂

 

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“混ざって暮らす”とは
どういうことか?

多様性、ダイバーシティという言葉がひとり歩きするなかで、本当の意味で、多様に生きるとはどういうことだろうと考えた。いろんな背景を持った人がひとつの場所に住んでいれば、働いていれば、それは“混ざって” 暮らしていると言えるのだろうか?

そんなことを考えていた時、ある大学のシンポジウムでこんな考え方に出会った。それは、ダイバーシティ・マネージメントについての研究(谷口真美氏、中村豊氏など)をもとにしたもので、社会が異なるものを受け入れるプロセスは「拒否」→「無視・同化」→「承認」→「違いを活かす」という流れを経るという考え方だった。

違いを受け入れるプロセス

「拒否」は、異なる背景を持つ人に対する『わからない』という感情からくるもので、抵抗の形として表れる。次のプロセス「無視・同化」は、その言葉通り、一緒の場にいるけれど『自分たちには関係がない』というように無視をする状態、さらに『私たちのようにしていなさい』と、同じであることを求める状態のことをいう。次の「承認」は、違いに対し『なるほど、そういうことか』と違いを認め、違いに価値を置くこと。そして、ようやく「違いを活かす」、互いに幸せである状態となるという。

この考えをもとに、つまり同じ場にいても「拒否」したり、「無視・同化」の状態、「なんかいろんな人がいるけど、自分には関係ない」とか「常に私たちと同じように行動してね」という関わり方では、“混ざっている”とは言えないのではないかと考えた。「互いの違いを認める」、さらには「それらを活かし合う社会」という段階になっていてこそ、“混ざって”暮らす社会なのではないかと。

でも実際にそんな社会は実現しているのだろうか? そんなことを考えるなかで知ったのが、SALAを運営する黒田尚子さんのことだった。

アジアの“お母さんたち”が
日替わりで料理を提供するお店

 

神戸のJR元町駅から歩いて3分ほど。神戸元町商店街と関西最大の中華街・南京町との間の路地に、神戸アジアン食堂バル SALAはある。2016年にオープンしたアジア料理を出すレストランだ。このお店がほかと違うのは、アジア出身の女性たちが日替わりでキッチンを任されているということ。

黒田さんを訪ねたこの日は、タイ出身のアサリさんがキッチンで、同じくタイ出身でまだ働き始めて1カ月というセンさんがホールで忙しそうにしていた。11時半の開店後すぐなのに、店内はすでに満席だ。注文したのは、日替わりメニュー「緑なすと豚肉と野菜をホーラパー(タイのバジル)とタイの味噌で炒めたもの」と、タイの鶏料理「カオマンガイ」。どちらもタイのスパイスや調味料が香る本格的な一品だった。

蒸し鶏・揚げ鶏・ラープカオマンガイの「3種類から2種選べるカオマンガイ」は、異なる鶏のおいしさを選べる人気メニュー。パクチーも追加して、本格的なおいしさを味わった。

ここできびきびと働く女性たちは、もともと料理人や飲食店経験者だったわけではない。黒田さんが親しみを込めて“お母さん”と呼ぶ彼女たちは、タイや台湾、フィリピン、中国などから、結婚や夫の仕事の関係などさまざまなきっかけで日本にやってきた。しかし、言葉の通じない日本で社会に溶け込むことができなかったお母さんたち。そんな彼女たちの働く場として、黒田さんは神戸アジアン食堂バル SALAを立ち上げた。

実際に自分の目で見て、確かめて。
「そんな社会に住みたくない」 

「アサリさんなどお母さんに出会ったのは10年前のことで、私が大学生のときです。当時設立されたばかりの、社会起業学科という学科に通っていました」

SALAのお昼の営業が終わった後、まずはお母さんたちとの出会いを聞くと、黒田さんからこんな答えが返ってきた。お店がオープンして3年というが、出会ったのは10年前とはどういうことだろう。その頃のお話から伺っていく。

「絵を描くことや、何かをつくることが好きで、学生時代は、当時学校になかった剣道部を立ち上げたり、一から何かを始めるのが好きでした。ですから “起業”という言葉に惹かれて入学を決めました。でも、そこが社会問題の解決を目指した起業家を育てる“社会起業”学科だとは気づかずに入ってしまったんです(笑)」

なんと痛恨の勘違い。社会起業学科出身という言葉を聞いて、なるほどと頷いた矢先のまさかのエピソードに、黒田さんと一緒に苦笑いする。しかし、その勘違いが、黒田さんをある出会いに導くことになった。

「日々、学ぶのは社会問題。社会にはこんな問題があって、こんなNGOがあって、こんな仕組みがあって……と。でも、いくら授業でそれを聞いても、私は、ぜんぜんピンと来なかったんです。困っている人に会ったわけでもなければ、支えている人の話を直接聞いたわけでもない。何かよくわからなくて……」

そこで黒田さんは、まずは出かけてみようと考えた。ホームレスの問題を調べるために日雇労働者が多く暮らす街に行き、障がいのある人のことを知るために施設を訪問するなど、実際に自分の目で見て、確かめることから始めた。

「そのなかの一つに外国出身の女性たちの生活相談を受けていたNGOがあり、そこで何人かの女性たちに出会いました」

彼女たちから聞く言葉に、黒田さんは衝撃を受ける。

ある女性は、ご主人の仕事の関係で20年近く日本に住んでいるにも関わらず、一人で出かけることができるのは、徒歩10分圏内にあるスーパーだけ。多くの時間、家に引きこもっていたという。

また、別の女性のご主人は日本人で、子どもたちも日本で育ち、みるみる日本語が上達していく。そのなかで日本の社会と関わりの少ない自分だけが取り残されるような、自分自身が小さくなったような感覚を味わい、すっかり自信をなくしていたという。

「10年前の当時、彼女たちの話は“社会問題”としては扱われないような“小さな”問題でした。彼女たちのような人たちがこの街で暮らしていることを誰も知らない。誰も彼女たちと“目が合わない”。“目が合う機会がない”んだと思いました。そして、それではあまりに生きづらい社会だと思ったんです」

何か自分にできないかと考えた黒田さんは、すぐにそのためのヒントを見つけることになる。

「お話を聞いたその日、彼女たちはお弁当を持ってきていたんです。あなたも食べてと差し出されて、いただいたお弁当が本当においしくて。私はそれまで本場のアジア料理を食べたことがなかったので、初めてのおいしさにびっくりしていたら、縮こまり、恥ずかしそうにぽつりぽつりとしか言葉を発しなかった彼女たちが、めちゃくちゃがんばって日本語で料理の説明をしてくれたんです」

料理のこととなると途端にいきいきとし始めたお母さんたち。どんな料理があるのかという話から、だんだんと自国のことについても話しだしたお母さんたちを見て、黒田さんは「これってすごいことだ!」と感じたと言う。

厨房でキビキビと働いていたアサリさん。黒田さんとの出会いは10年前のこと。

「お母さんたちは、自分たちの料理を特別だとか、自慢だとか、そんなふうには思っていませんでした。でも私は、こんなにおいしい料理をつくれるなんてすごいって思ったし、こんなふうにいきいき話す人たちが、たまたま異国に来たというだけで、自信をなくして、いろんなことができなくなってしまう。そんなの嫌だと思いました。誰かが手助けをしたら、環境さえあれば、力を発揮できるはずなのに、自分も含めて誰も気が付かず見過ごされてしまっている、そんな社会にいたくないって思ったんです」

そうして黒田さんは、お母さんたちと一緒に屋台イベントを開くことを思い立つ。1日だけ場所を借り切って、お母さんたちのさまざまな料理をみんなに食べてもらおうと考えたのだ。

「たとえば、台湾出身の游(ゆう)さんには、焼きビーフンを30食つくってくれるようお願いしました。家族以外の人にビーフンを焼いたことがない彼女は、本当に自信がないという表情で、しぶしぶ30食つくることを引き受けてくれました」

黒田さんたち学生チームはチラシをつくり、お母さんたちをサポート。初めてのイベント開催にどんな準備が必要か手探りだったと言いますが、彼女たちの心配をよそに、蓋を開けてみたらイベントは大成功!用意していた料理は午後2時くらいにはすっかりなくなっていた。

私たちが訪れたこの日は、センさんとアサリさんというタイ出身のお二人がランチタイムを担当。ほかにも、外国人支援のNGOから紹介を受け、今では台湾やフィリピンなど、8カ国の人々がこのお店で働いている。

「イベントが成功したのがすごくうれしくて、やったーって喜び合いました。不安そうだった游さんも、焼きビーフンがあっという間に完売したことが、本当にうれしかったようで、イベント前とは全く違ういきいきとした表情になっていて。

このイベントによってお母さんたちも、学生も、一緒に自信をもらうことができたんです。参加してくれたのは、弱い立場にあると言われている人たちでした。でも、あの場では違った。力を合わせてイベントを成功させ、お互いに自信をつけることができたんです」

“お互いに”この言葉に力を込めた黒田さん。学生たちがイベントをやってあげて、それでお母さんたちが自信をつけたのではなく、力を合わせて成功させたことで学生たちも一緒に自信をつけることができた。

「誰もがこんな風に自信を持って生きることができ、互いの価値を認めあえたら、日本全体、社会全体がもっともっと良い世界になるんじゃないか。こんな小さなイベントでこれができるなら、さらに広げていけば、いつか社会を変えることができるのではないか」

このイベントを期に、この思いがむくむくと大きくなっていった。

「ボランティアを商売にするな」

その後もイベントを重ね、大学を卒業後は、お母さんたちが料理を担当する飲食店を開きたいと考えるようになった黒田さん。一方で、もやもやした感情も抱えていたという。

「学生がこうした活動をしているとすごく褒められるんですよ。若いのに社会貢献活動なんてえらいねぇって。でも、それでは違うなぁと思っていて。『学生が人のためにがんばってる、だから料理を食べてあげよう』そう考えてくださる方には、自ずと私達の思いは伝わっていきます。でも、社会貢献活動として関心の高い人にだけに届くのではいずれ行き詰まる。それでは、社会を変えことはできないと思いました」

また、ビジネスマンだったお父様とも口論が続いたという。

「『ボランティアを商売にするな』というのが父の言い分でした。私自身も、このままお店をオープンしてもすぐに潰してしまうのではないかという不安があり、卒業も間際になっていろいろ迷いましたね」

そして、黒田さんは就職しようと決める。それは、お店を繁盛店にするための決断だった。

「本当に社会を変えるためには、まずはめちゃくちゃ流行るお店にして、ビジネスとして成立させなくてはならないと思ったんです。そうすることで、今まで“目が合わなかった”人が、社会貢献とか以前に、おいしいお店、人気のお店として認識してくださる。お母さんたちがつくった料理をたくさんの人に食べていただくことができ、お母さんが自分自身の手でお給料を得ることもできる。お店の背景をお伝えするのはその後でいいと思いました」

そのために圧倒的に足りないのは集客力だと考えた黒田さんは、大手広告会社に就職。飲食店の広告営業担当になり、経営の問題解決などを手伝うなかで、自身でも飲食業に関する知識を得ていくと同時に開業資金も貯え、3年後に念願の『神戸アジアン食堂バルSALA』をオープンする。

お店に反対だったお父様だったが、お店のオープン後は経営をともに支えている。

 

「おいしい」と言ってもらってお金を得る
それが“ここでやっていく”自信になる

SALAのこだわりは、現地と同じ調味料を用いた本格的なアジア料理を提供すること。ランチタイムとディナータイムでキッチンスタッフを交代し、日替わりでアジア各地の味を楽しんでもらうことができる。店の外観や内装にもこだわった。店の中にいると前の小道を通る人が「なんのお店だろう」という表情で、覗き込んでいく。

「料理を食べて『おいしいですね、中に何が入ってるんですか?』と聞いてもらったり、壁の小物や絵を見て、『かわいいですね』とか、『どこの国のもの?』って、話しかけてもらえたら、ヨシって感じで、その国のことやこのお店の背景を話せます。そのためにもいろいろと飾っているんです。お客様の関心事が先にあって、そこから私たちのお話ができるほうが自然に耳を傾けていただきやすいし、結果的に思いが届きやすいと思うんです」

黒田さんの思いを世の中に伝える方法は、ほかにもあったかもしれない。でも、「おいしい」という誰もがうれしくなる感覚を媒体にして思いを伝えることは、「結局、何よりも早く、多くの人に伝わるのではないか」と黒田さんは言う。

調味料は主に南京町にある輸入食材店で揃える。同じアジア料理でも、国ごとに用いる調味料が違うため、キッチンにはさまざまな調味料が並んでいる。

でも、実際の経営は思ったよりもずっと大変だったと黒田さん。今では毎日たくさんの人が訪れるSALAだが、この3年の間には、何度も閉店の危機があったという。そんななか、どうしてがんばってこれたんですか?と伺うと、黒田さんはさらりと、でもきっぱりとした口調で言う。

「このお店がなくなってしまったら、お母さんたちの働く場所がなくなってしまう。だから絶対に潰すわけにはいかないんです。自分の国の料理を食べてもらい、お客様においしいですと言ってもらえる。働く場所ができて、自分自身でお金を得ることができる。それが、お母さんたちがここで(日本で)やっていく自信につながっています。そういう様子を見ていたらこちらも元気をもらうんです。毎日お店に来るとがんばろうと思える。お客様に気づいてもらうため、また来ていただくために、何ができるかばかり考えてやってきました」

そんな話をしていると、台湾出身の游(ゆう)さんがお店にやってきた。メリケンパークで行われているイベントに買い物に行く途中だという。私たちが黒田さんに話を聞きに来たと知ると、「こんどの土日のイベント、もしよかったら来て。お店でいつも出しているビーフンとはぜんぜん違った味のをつくるから。そっちも絶対においしいよー。来てねー」そう言って、帰っていった。

30食つくるにも自信がなかったなんて想像がつかないほど、明るく朗らかな游さん。

「最初の一歩を踏み出すお手伝いをするだけで、その人がもともと持っていた大きなパワーを発揮するというのを私は何度も見てきました。ちょっとしたお手伝いで、人はぐっと変わることがあります」

という黒田さんの言葉に深く頷いた。

お友達と一緒にお店に立ち寄った游さん。オープン準備や後片付けの時間は、最近あったこと、今の悩みなどを話す楽しい時間。「おしゃべりは止まりませんね。手さえ動かしていればOKなんで」と、黒田さんは笑う。

自分とは違っていたとしても
まずは“理解”すること

店の壁に描かれたフィリピンのアーティストCecilleさんの絵には、SALAのコンセプトである「Empowerment of all people」(お互いの価値を認め合い、自分の価値も認められる社会に)という思いが込められている。

そうはいっても、異なる文化背景を持った人と一緒にやっていくとき、困ったことや意見が食い違うことなどはないのだろうか? そう伺うと、お店での例を教えてくれた。

「お客様の残されたお料理を持ち帰るスタッフがいたんですね。それは日本の飲食店ではダメなんだって話をしました。でもただダメと伝えるだけでは、何故かわからないし、反発がある。だから、そういうときは、あなたの国ではどんなふうなの?って彼らの暮らしや、文化を聞くようにしています。そのうえで、でもね、日本ではこういう理由でダメなんだよと。そうすると、なぜ彼女が持ち帰ろうとしたのか、その背景を理解できるし、彼女も日本の考え方に耳を傾ける。大切なのはそうしたコミュニケーションだと思います」

食べ物や宗教など大事にしたいことが、みんなそれぞれにある。だから、さまざまな文化や価値観の人が集まった時、ただ仲良くなるというのは難しいと黒田さん。でもだからこそ、相手が大切にしているものやことを、自分とは違っていて共感はできなかったとしても、まずは“理解”することだという。

黒田さんの言葉や、働いているお母さんたちの様子に触れて、社会が異なるものを受け入れるプロセス「拒否」「無視・同化」「承認」「違いを活かし協働する」を思い出した。黒田さんは、まさに、「互いの違いを認める」「それらを活かし合う」を体現する場をつくっているのではないかと思ったのだ。

同時に、意識的に「拒否」したり「無視」するつもりはなくても、結果的にヘルプを求める人と“目が合う機会がない”まま暮らしていたり、「自分とは関係ないかな」と、そうした人について想像することができず、素通りしてしまうことがあるのではないかと考えた。

黒田さんは、そんな “目が合わなかった”人同士がお互いを活かしあう場をつくっている。

お母さんたちはここで自信と笑顔を取り戻し、SALAを訪れる人たちは、料理のおいしさを通して異なる文化の豊かさに触れ、お母さんのような存在に気づくことができるのだ。

この日、黒田さんの母校の学生たちが、お茶で煮込んでつくるゆで卵「茶葉蛋」のつくり方を教わりにやってきた。学生たちのような若い人たちとの交流も、思いを伝えることにつながっていると黒田さん。

最後に黒田さんはこんな話をしてくれた。

「最近、私自身で取り組んでいることもあるんですよ。新しいデザートの開発です。3年間、お母さんたちの料理をどんなふうにおいしく提供するかを考えてきました。それはもちろんこれからも続くのですが、この間お店の前のワゴンにイラストを描いていて、あぁ私こういうの大好きだったって思い出して。今度は私の番かなぁって思っています。3年経ちましたから、また新しい取り組みをスタートさせていきたいです」

お店に伺ったのは、お昼ごろだったのに、いつの間にか外は暗くなっていた。店の前で明るく手を振って見送ってくださる黒田さんから温かいものを感じた。黒田さんは、自分のやり方で、お母さんたちの、そして自分自身のエネルギーを生み出している。

身の回りをくるりと見渡してみること。それだけで目が合う誰かがいるかもしれない。もし目が合う誰かがいたら。そのとき、ほんの少しでも、お手伝いすることが私にもできるだろうか? そんなことを感じながらお店をあとにした。


取材・文:小谷実知世
こたにみちよ/ライター・編集者。京都市生まれ。大阪、東京を経て、現在は神奈川県・逗子市在住。インタビューをするなかで、話す人のおなかの中にある思いが溢れてくる、その瞬間に出会うのが一番のよろこび。写真家・田所瑞穂さんとのユニット、khorlo(コルロ)において、『ヨミモノコルロ』を発行中。


 

異国の地・日本で自信をなくした女性たちと、“目を合わす”料理の力。

神戸アジアン食堂バル SALA
住所:神戸市中央区元町通2-3-16 食堂館1F
営業時間: ランチ11:30~15:00(ラストオーダー14:30)、ディナー17:30〜22:00(ラストオーダー21:30)
定休日:火曜日(日曜日はランチのみ営業)
電話:078-599-9624
URL:http://kobe-sala.asia/

異国の地・日本で自信をなくした女性たちと、“目を合わす”料理の力。
黒田尚子さん 1989年生まれ。兵庫県出身。関西学院大学 人間福祉学部 社会起業学科卒業。大学卒業後は、大手出版社で飲食店への企画営業や広報・店舗プロデュースなども経験し、2016年7月「神戸アジアン食堂バル SALA」を開業。日替わりでタイ、フィリピン、中国、台湾などアジア出身の女性たちが母国の家庭料理を提供している。コンセプトは、「Empowerment of All people(お互いの価値を認め合い、自分の価値も認められる社会に)」。
(更新日:2020.03.30)
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