特集 長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン

「デザインすること」の意味を問い続けたデザイナー城谷耕生さんが、長崎県雲仙市・小浜の町に遺した種。

「将来、人の生活に関わるような仕事がしたい」

中学生のころからそんな思いを抱いていたデザイナー・城谷耕生(しろたに・こうせい)さんは、バブル絶頂期のコマーシャリズムを前提としたデザインのあり方に違和感を覚え、23歳でイタリアへと渡った。アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリという二人の偉大なデザイン界の巨匠との出会いをはじめ、営みの中のデザインを学んだ10年のミラノ生活を経て、彼が活動の場として選んだのは、故郷である長崎県小浜町だった。

2002年に帰国後、地域に根ざした仕事の可能性、デザインの持つ社会性を問い続けた。そんな彼の生き方に影響を受けた若い世代のクリエイターたちは、小浜町へと移り住み、現在もおのおののやり方と場で活動している。

一昨年、道半ばで急逝された城谷さんが築いてきた、人の営みと密接に関わろうとするデザインプロセスをもとに、長崎県・小浜町に芽吹く新しい風景をたどる。

文:石田エリ 写真:在本彌生

ものづくり“以前”に踏み込み、
関係性を再構築するデザイン

長崎空港からバスを乗り継ぎ1時間ほどしたころ、ふいに車窓からの視界が開け、霞がかった淡いブルーの海が姿を現した。年季の入ったシート越しに眺めていると、時が巻き戻されたかのような錯覚を覚え、いよいよ遠くへ来たことを実感する。湯煙の立つ海岸沿いのバスターミナルに降り立つと、イタリアからこの海辺の町へと帰着することを選んだ城谷耕生さんへの興味も一層ふくらんだ。

長崎県雲仙市小浜町は、島原半島の西岸に面した歴史の古い温泉地である。どれほど古いのかといえば、最古の記述ははるか713年の『肥前風土記』にまで遡る。江戸時代にはドイツ人医師が療養泉としての効能を発見。大正の初めごろから湯治場として利用されるようになり、温泉観光地として栄えてきた。

 

湯温は日本一高く、湯量も豊富。弧を描く海岸に沿って温泉宿が建ち並び、夕日があたり一面を真っ赤に染めながら水平線に沈んでいく……。温泉観光地としての魅力は十分にありながらも、例に漏れずかつてほどの賑わいを失ってしまったことのひとつには、空港から遠く離れていることも一因しているのかもしれない。けれど、そのおかげで大きな資本が介入することなく、住民たちの手で文化の創生が始まるのを待つことができたとも言えるだろう。

この小浜に、再び古くて新しい文化の風が吹く端緒となった城谷耕生さんのことは、一昨年急逝されたことを耳にするまでそれほど深くは知らなかった。

城谷さんが「将来、人の生活に関わるような仕事がしたい」という思いを抱いたのは、小浜で建具屋を営む父の仕事を手伝うようになった中学生のころだったのだという。高校を卒業し、デザインが学びたいと上京するも、バブル絶頂期のコマーシャリズムを前提としたデザインのあり方に違和感を覚え、23歳で渡伊。ミラノを拠点に活動する中で得た、アキッレ・カスティリオーニ、エンツォ・マーリという二人の偉大な巨匠をはじめとするざまざまな出会いから、競争よりも協力して社会をつくるためのデザイン哲学を見出す。とりわけ、イタリアでの10年の活動の中でも後半期に、田舎町で携わった伝統工芸の職人の暮らしに深く入り込み協業するデザインの仕事は、日本へ戻る大きな理由となった。城谷さんは、あるインタビューでこう話している。

「自分がデザインしたものを職人たちが形にする。彼らがその仕事でどれほどの賃金を得て、どんな暮らしができるのかまでを考えることがデザイナーの仕事だというカスティリオーニやマーリの教えは自分の指針になりました。でも、イタリア社会全体のことを肌身で理解することは日本人である自分には難しかった。生まれ育った日本で、同世代の職人たちとともに地域と暮らしを考えながら仕事がしたいと思うようになりました」

親交が深かったデザイン界の巨匠、エンツォ・マーリと対話する城谷耕生さん。(写真提供:アクシスギャラリー)

イタリアから戻り、なぜ小浜に拠点を置こうと決めたのかと問われると、城谷さんは決まってはじめに、「生活費がかからないと思ったから」と答えている。実際には日本の伝統工芸と関わるのに九州はよい立地であったこと、そして「北イタリアの港町・カモーリの海辺の風景は、小浜ととてもよく似ています」という言葉にもあるように、イタリアでの暮らしを経験した眼で見た小浜は、改めて出会ったともいうべき新鮮さをまとっていた。しかしその反面、イタリアのフィルター越しに、日本の田舎の課題もはっきりと見えた。また別のインタビューでは、こんなことを語っている。

「日本とイタリアを文化レベルで見比べると、東京とミラノはそんなに変わりはないんです。でも、地方においては大きな違いがあると思います。イタリアは、人口数百人のような田舎町でも、上質でマニアックなコンサートや演劇、映画の上映会が頻繁に開かれているし、文学について語り合うような光景が日常にありました。ところが、日本に帰ってくると田舎は田舎のまま。あるのは、コンビニとレストランチェーンと服の量販店で、イタリアとの決定的な違いは田舎に文化がないことだと感じました」

「Studio Shirotani」設立当初、アトリエを構えていた場所。海と空が驚くほど近い。

2002年、小浜に「Studio Shirotani」を設立。沿岸の丘の上、窓をあけたら海と空のみというすばらしい眺望を持った、父の木工所の敷地にアトリエを構えた。

そこから、別府の竹工芸、福岡の小石原焼、佐賀の唐津焼など、九州各地で職人とのプロジェクトを次々と手がけていく。たとえば、陶芸においては少子化でこの先さらに売りづらくなっていくことを想定し、作陶と地域文化としての農業をつなぐ半陶半農を提案するなど。イタリアの田舎町でやってきたような、職人たち自身がその土地でこの先どう生きていきたいのかという、ものづくり以前の根本に踏み込むデザインを展開する。

大学やデザイン専門学校とつながり、教育に携わるようになったのもこのころだった。現在、独立して小浜に暮らしながら、それぞれの個性を生かし地域のデザインを担う山﨑超崇(やまさき・きしゅう)さん、古庄悠泰(ふるしょう・ゆうだい)さんは、当時、城谷さんの講義でデザインの本質に開眼し「Studio Shirotani」の門を叩いた二人だ。こうして、小浜を拠点とした城谷さんの新たな活動は、同じ価値観でつながる世代を超えた仲間を増やしながら、自然と小浜自体の文化創生へと向かっていった。

福岡県東峰村の小石原焼の窯元3軒、九州大学の池田美奈子研究室と城谷耕生さんがともに進めたプロジェクト、「COCCIO(こっちょ)」のリサーチ現場。(写真提供:Studio Shirotani)

知力と体力があれば、お金がなくてもできる。
動き出した「エコビレッジ構想」

大通りの裏手、かつての歓楽街だった通りを挟んだ山側に、勾配のきつい坂道と車が通れないほどの細い路地が入り組んだ、原生林や湧水の残る過疎となった居住エリア・刈水地区がある。2013年、城谷さんはスタッフや学生、ボランティアとともに、約半年ほどかけて小浜の新たな文化拠点としての場所「刈水庵」を完成させた。

 

この「刈水庵」が誕生するきっかけとなったのは、2010年、産学官・地域の連携で発足した温泉発電のプロジェクト『小浜バイナリー発電事業』。城谷さんは、この事業に関わる長崎大学から相談を受け、自らの主催でデザインを学ぶ学生たちを対象とした、自然・観光・生活をつなぐ地域活性プラン「刈水エコビレッジ構想」と題したワークショップを行った。

いつものデザインプロセス同様に、町の隅々まで徹底的にリサーチをして空き家や耕作放棄地を洗いだし、この地域に暮らすすべての人にインタビューを敢行する。このリサーチをまとめた冊子を制作し、地域住民を集めて発表するまでがワークショップの目的だったが、地域住民からの強い希望と後押しがあり、具体的なプロジェクトとして走り出すこととなった。

刈水庵」は、14件あった空き家の中のひとつ、もとは大工の棟梁の屋敷と家畜小屋だったという建物を改修して造られた。建物自体に刻まれた築80年という時間が、ある意味むき出しとなった外観。けれど、ディテールには細やかに手が加えられている。この集落の風景の中で、突出することも埋もれることもない。古樹のような存在感があった。

「改修は、補助金を一切つかわずにやりました。僕も含め、若い人たちが自分たちの力だけでできたと実感するのが大事だったし、知力と体力があれば、お金をかけずにここまでできるんだと証明したいという思いもありました」

「刈水庵」2階のカフェには、ゆったりとした時間が流れている。

エコビレッジ構想の段階では、ここを食堂にしようという案だったが、最終的には「Studio Shirotani」のアトリエとショウルーム、ショップと喫茶を兼ねたスペースにした。波佐見焼のシリーズ「RIM」、別府の若手竹工芸家グループと制作した知育玩具「tenta」、KINTO社の耐熱ガラスや調理器具のシリーズなど、城谷さんが手がけてきたデザインプロダクトと、彼の視点で集められた国内外のデザイン雑貨が並んでいる。2階は、喫茶室。小浜の町を一望できる窓が心地の良い光を取り込み、目線の低いインテリアでまとめられた空間には、ゆったりとした時間が流れていた。

この「刈水庵」の店長を務めるのは、諸山朗(もろやま・あき)さん。5代目のアシスタントとして入った「Studio Shirotani」で現在も働いている。神奈川県出身、大学では建築を学び、東京で番組制作の仕事をしていたが、東京の速いサイクルに馴染めず一年で退職。父が自身の実家である島原の家の設計を「Studio Shirotani」に依頼したことをきっかけに城谷さんと出会った。当時の店長だった尾崎翔さん(現在、小浜でカレー店「カレーライフ」を営む)が独立するタイミングだったこともあり、「店長をやらせてください!」と手を挙げたのだそうだ。東京から小浜への移住をすんなり決断できたのは、東京が肌に合わなかっただけではなかった。

肌で感じてきた城谷さんの生き方を、「かたちには残せないけど、自分のなかにとどめておきたい」と話す、諸山朗さん。

「刈水庵」1階のショップ。城谷さんのデザインしたものだけでなく、国内外の工芸家の作品、世界各地の雑貨が並ぶ。

城谷さんがデザインした、KINTOのパイレックス製のテーブルウェアシリーズ<CAST>。(写真:久高良治)

「ここに来た時、山﨑さんや古庄さん、尾崎さんという先輩たちが、『Studio Shirotani』を独立しても小浜で暮らしていることを知って、直感的にいいところなんだと思ったんです。実際に働き始めると、城谷さんの日々の過ごしかたは、私が理想としていた生活スタイルそのものでした。のんびり歩いて出勤して、自分が好きなデザインの仕事をして、残業はせず、18時になると家に帰り、家族との時間を愉しむ。天気のいい日には、仕事を早く切り上げて友人やスタッフと海辺でおいしいワインを飲み、食事をし、一年のうち一回は長期で海外に行き、スタッフにも同じように旅にでるよう薦めていました。私にとって城谷さんは、デザインの先生であり、人生の先生でもあったんです」

そう話す諸山さんは今、地域おこし協力隊として小浜に移住した夫の岳志さんとともに、ここ刈水地区の空き家を購入し、新しく事業を始めようとしている。その事業とは、生前に城谷さんが話していたという、イタリアのアルベルゴ・ディフーゾ(分散したホテル)という取り組みから着想を得たゲストハウスなのだそう。

奥に見える2軒が、購入した物件の一部。

「購入した空き家の敷地内に3つの建物があるので、その中のひとつをゲストハウスにしたいと思っているんです。アルベルゴ・ディフーゾは、町の中に点在している空き家をリノベーションして、レセプション、客室、食堂など、宿泊施設の機能を建物一つひとつに分散させて、町をまるごとホテルのように捉えるというもの。旅行者に地元の生活を擬似体験しながら滞在してもらうことで、町がまるごと活性化できます。城谷さんにも相談しながら、まずは私たちが一軒ゲストハウスを作ってみて、それがうまくいけば増やしていけたらと話していました」

“文化的な田舎”は、政治力や資本力でつくれるものではない。そこに暮らす人同士が世代を超えて影響を受け合うことでしか生まれ得ないものだ。時の流れとともにできてしまった隙間に息を吹きかけ、この土地に受け継がれた知恵(文化)を持つ住民と、新たな風(文化)を運ぶ移住者とをつないだ「刈水エコビレッジ構想」は、城谷耕生が信じたデザインそのものだった。道半ばでもあったこの構想は、住民たちによって語り継がれながら、また新しい景色を生みだそうとしている。

諸山朗さん(写真右)と岳志(左)さん。

参考:ウェブマガジン「AXIS」山水郷チャンネル

トークイベント 「耕す。 デザイナー城谷耕生の仕事」
人口約7700人の海と山と温泉の町、長崎県雲仙市小浜町を拠点に活動した、デザイナー城谷耕生さん。2002年に帰国すると故郷小浜町にスタジオを構え、地域に根ざした仕事の可能性を時代に先駆けて追求した。2020年12月に道半ばで急逝した城谷耕生さんの仕事について、彼と関わりが深いキーパーソンをゲストとともに、2日間にわたるトークを通じて解き明かされる。今回インタビューさせてもらった諸山さんは、3月26日のトークショーに登壇する。

日時 : 2022年3月26日(土)~27日(日)
開場時間:13:40(第1回、第3回)、16:40 (第2回、第4回)
参加費 : 無料
会場 : アクシスギャラリー(東京都港区六本木5-17-1 アクシスビル4階)
申し込み : Peatixにて事前予約制 https://tagayasu-sirotani.peatix.com
配信:トークの様子はInstagramにて無料ライブ配信
アカウント 刈水庵 @karimizuan
特設ウェブサイト:https://tagayasu.studio.site/

第1回 3/26│土│14:00-15:30 刈水プロジェクトの夢 ― すべてはエコヴィレッジ構想から始まった
イタリアから帰国し地元雲仙市小浜町を拠点とした城谷は、2012年から過疎化が進む刈水地区の創生に 尽力し地区内にショップとカフェ「刈水庵」を開き、以来小浜町には様々な変化が起こり始めます。移住し たクリエイターたちが小浜町で起こったこと、その未来について語ります。
〈スピーカー〉古庄悠泰:グラフィックデザイナー │ 諸山朗:「刈水庵」店長 │ 山﨑超崇:デザイナー
〈ファシリテーター〉村松美賀子:編集者、文筆家

第2回 3/26│土│17:00-18:30 ものづくりのユートピア ― エンツォ・マーリから引き継いだもの
城谷は2001年に、親交のあったイタリアデザインの巨匠、エンツォ・マーリを招き長崎県の陶磁器産地、 波佐見町でのワークショップを企画します。その後城谷は自身で、竹職人たちとの研究グループ「BAICA」 を結成。マーリのデザイン哲学、そして城谷と職人たちとの取り組みをよく知る関係者が語ります。
〈スピーカー〉大橋重臣:竹工芸家、BAICA代表│多木陽介:批評家、アーティスト│田代かおる:ライター、 キュレーター
〈ファシリテーター〉池田美奈子:九州大学大学院芸術工学研究院准教授

第3回 3/27│日│14:00-15:30 伝統工芸の創造力を耕す ―
小石原と唐津におけるワークショップから 伝統工芸の産地と積極的な交流を図った城谷は、小石原焼(大分県)、唐津焼(佐賀県)の作陶家らと ワークショップを行います。伝統の歴史的背景にとどまらず地元の農作物や料理について綿密な調査を 行ったのはなぜか。城谷が考えた伝統工芸の創造力について迫ります。
〈スピーカー〉池田美奈子:九州大学大学院芸術工学研究院准教授│川浪寛朗:デザイナー│熊谷裕介:小 石原焼伝統工芸士│多木陽介:批評家、アーティスト
〈ファシリテーター〉田代かおる:ライター、キュレーター

第4回 3/27│日│17:00-18:30 地域に根ざしたデザイン ―
奈良、常滑、能登、雲仙から未来を探る 奈良、常滑、能登に拠点を構えて地域の人々や環境と調和のある暮らしを営む二人のデザイナー(坂本大 祐、高橋孝治)と一人の建築家(萩野紀一郎)を招き、従来のデザインとは異なる価値観と方法論で仕事を 作り出す可能性について実践者たちが語ります。
〈スピーカー〉坂本大祐:デザイナー│高橋孝治:デザイナー│萩野紀一郎:建築家、富山大学芸術文化学 部准教授
〈ファシリテーター〉村松美賀子:編集者、文筆家

「デザインすること」の意味を問い続けたデザイナー城谷耕生さんが、長崎県雲仙市・小浜の町に遺した種。
城谷耕生 しろたに・こうせい/1968年、長崎県雲仙市生まれ。1991年渡伊、ミラノのデザイン事務所を経てフリーランスに。2002年に 帰国し、長崎県雲仙市小浜町に「Studio Shirotani」開設。自身のデザイン活動とともに九州の伝統工芸産 地の職人たち、大学の学生らとの協働作業を精力的に行う。2012年に始まった「エコヴィレッジ構想」を 通じ、刈水地区の地域創生や、もの・人・地域をつなぐ独自のデザイン活動に力を注いだ。2020年12月急病により逝去。
(更新日:2022.03.23)
特集 ー 長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン

特集

長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン
その地で生きる人や社会がよくなるように、ものづくりの世界を編み直してきた、デザイナー城谷耕生さん。その生き方は、仲間を育て、多くの人の人生を明るく照らしてきた。その当事者である若きクリエイターたちが今、営みの中からつくりだす、長崎県・小浜町の風景。
「デザインすること」の意味を問い続けたデザイナー城谷耕生さんが、長崎県雲仙市・小浜の町に遺した種。

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