特集 長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン

カタチあるものだけがデザインではない。知恵を継ぎ、風景をつくっていくこと。/山﨑超崇さん(目白工作)

「言語化できないことすべてをデザインと呼ぶのなら、自分は一生この仕事に携わりたいと思いました」

空間デザインから果樹の植樹まで、生活と仕事の境目がない暮らしを実践する山﨑超崇(やまざき・きしゅう)さん。福岡のデザイン学校で「オリジナルを追求するデザインとは」という授業に疑問を感じていたときに出会ったのが、小浜で活動していたデザイナー・城谷耕生さんだった。講師の中で唯一デザインの話をしなかった城谷さんに惹きつけられ、長崎県雲仙市・小浜町へ移住。それから約8年、山﨑さんは刈水地区に暮らしている。

「デザインプロセスによって人と人とをつなぐ」という城谷さんのデザイン哲学を間近で見てきた彼が、自分なりの解釈を携え歩み始めた、デザインの行方。

文:石田エリ 写真:在本彌生

風土に根ざした、生きるための知恵を授かった8年間

プラムや橙、ブルーベリーなどの果樹が、石造りの生垣から顔をだす古い民家。一見すると昭和的でシンプルな家構えだが、門柱を一歩入るとハーブなどの多様な植物たちが混ざり合う植栽から、彼らの暮らしに対する感性が窺えた。

果樹に囲まれた玄関先にて。山﨑超崇さんと伊藤香澄さん。

山﨑超崇さんは、現在この家に、パートナーで織物作家の伊藤香澄(いとう・かすみ)さんとともに暮らしている。城谷耕生さんが設立したデザイン事務所「Studio Shirotani」の二代目アシスタントを務めていた山﨑さんは、刈水地区に住むきっかけとなった、自然・観光・生活をつなぐ地域活性プラン「エコビレッジ構想」が立ち上がった時のことをこう振り返る。

「長崎大学からの依頼は、『地熱発電事業を始めるにあたり、その電力をどう使えばよいかデザインしてもらえませんか?』という内容でした。その時、城谷さんとは、地熱発電が成功するかどうかもわからないので、成功しなかったとしても小浜に還元できるデザインをしようと話をしました。

調査対象のエリアを刈水にしたのは、この上に原生林を抜けていく通学路があるんですが、お年寄りたちも子どものころから使ってきた、みんなが懐かしく大切に思っている場所だったというのが、まず最初の理由にありました。温泉街も近いのでここにしようと調べ始めたら、14軒もの空き家がでてきたんです。それに刈水地区の道はどれも車が入れないほど細いので、空き家のまま放置して倒壊でもすれば、産廃できずに瓦礫が負の遺産として残ってしまうことになる。これをなんとかしようと、城谷さんは『エコビレッジ構想』を立ち上げました」

原生林に囲まれた、通学路でもあるこの急な坂道は、刈水地区の住民にとって思い入れのある大切な道。

刈水地区には、高齢化する住民のひとり暮らしという課題もあった。まずは「Studio Shirotani」で空き家を2軒借りることにし、そのひとつを自分たちの活動を知ってもらいつつ文化拠点となるような場所「刈水庵」に、もうひとつを若者が住む家として改修することに。当時のスタッフの中で一番若かった山﨑さんが、思いがけず刈水の住民となった。

高齢者にとって刈水のように勾配のきつい坂道ばかりとなると、自ずと不便なことも増えてしまう。この集落唯一の若者となれば、その負担も大きくなっていったのではないかと聞くと、その逆の答えが返ってきた。

 

「ここに暮らし始めたころは僕ひとりだったんですが、そのあと古庄悠泰くんや尾崎翔くんが『刈水庵』の店長として入ったときは同居していたし、国内外からゲストが来ると泊まってもらうこともよくあったので、この集落に若者ひとりという感覚はそれほどなかったんです。近隣の人たちには『何かあったらいつでも言ってくださいね』と言っていたので、主にひとり暮らしのおばあちゃんたちの御用聞きのようになっていきました。でも、僕が力仕事を肩代わりする以上に、おばあちゃんたちからここの風土に根ざした生きる知恵をたくさん授けてもらったんです。それでもまだまだ、おばあちゃんたちの中には知恵が眠っている。

この先、お年寄りが全員亡くなって移住者ばかりになったとき、ここで代々受け継がれてきた知恵まで途絶えてしまっていたら、ここを小浜の町だと言えるだろうかと考えるようにもなりました。実際に、僕がここで暮らし始めてからもう3人亡くなられていて、お葬式のたびに『もっと教えてもらっておけばよかった』という話になる。なので、できるだけ急いでここで育まれてきた文化を収集していかなければと思っています。これを“刈水の暮らし方”としてためていって、僕がいつかいなくなったときでも次の人たちにつなぐことができたらと」

山﨑さんが各地で集めてきたという雑貨たち。まるで頭の中を覗き見ているかように、山﨑さんの感性が窺える。

デザインの捉え方が、山と海という
自然を含んだフレームへと変わっていった

おばあちゃんたちから日々授かってきた知恵は、山﨑さんにとって単に暮らしのスキルであるだけでなく、目に見えない財産ともいうべき自然観を芽吹かせたのではないだろうか。「Studio Shirotani」から独立して以来、小浜の中だけでも元同僚だった尾崎翔さんの「カレーライフ」をはじめ山﨑さんがデザインを手がけた店舗はどんどん増えているのだが、その一方で空き地に果樹を植える活動や、温泉熱を利用した塩づくりの活動など、刈水の住環境・自然環境に紐づくような動きも加わるようになった。

家の目の前にある山﨑さんの畑。そう大きくはない敷地に、落花生、インゲン、カブ、春菊、大豆、エゴマ、チコリ、フェンネル、ディル、ホーリーバジル、チェリーセージ、ローズマリー、山椒、唐辛子、ローリエなど多種多様な野菜、ハーブが育っている。

「お年寄りの人たちと接していくうちに、自分たちの暮らしている範囲だけでなくて、もっと広い範囲で、地区まで自分ごとのように気にかけて暮らすようになっていきました。ゴミを一個拾うだけでもそこに自分がいるという実感になる。そんなことを考えているうちに、海と町と山とがひとつの視界に収まる小浜の自然に目が向くようになっていきました。

果樹の活動は、世帯の減少から生まれた町の隙間に果樹を植えることで、新しい風景をつくりながら食べることもできるという後々の実利も残していけるんじゃないかと思って始めたこと。といっても、自分の家の庭に蒔いて余った種を植えるというささやかなものなんですが……。そして塩づくりは、かつて小浜で行われていた温泉熱で乾燥させる製塩業を復活させたおじいちゃんがいるのですが、もう高齢なので誰かに継いでもらいたいと相談を受けて、地熱の研究をしている山東晃大くんと受け継ぐ準備を始めているところなんです。この2つは別々のことのようで、自分の中ではひとつにつながっている。山が豊かになれば、その養分が海に流れて海も豊かにできると思うから」

 

たとえば、尾崎さんのお店「カレーライフ」をつくるときも、「町の人たちの食堂のような存在となり、小浜の風景を耕していけるような店になるにはどうすればよいか」と、とことん話し合い、限られた予算の中で自分たちで足場をつくるなどして最後まで手づくりで仕上げていった。

依頼主の利益となる店舗デザインを超えて、自分たちが暮らすこの町の風景をよくしていくためのデザインという意味では、山﨑さんの言うように果樹も塩も決して無関係ではない。そこには、デザイナーである前に、同じ町に暮らす広義の家族としての眼差しが感じられる。

山﨑さんが内装を手掛けた尾崎翔さんのお店「カレーライフ」にて。この日は、近所で採れたスモモでつくったジャムをお土産に。

そしてその原点は、やはり「城谷耕生」にあるのだろう。

「もともと、ある伝統工芸の職人さんから『これから何をつくっていけばいいんだろうと悩んでいたときに、デザイナーに助けられた』という話を聞いて、福岡のデザイン学校に入ったんです。でも、いざ学校が始まると『オリジナルを追求するデザインとは』という授業ばかりで、自分が学びたかった『なぜデザインするのか』という根本的なところを教えてくれる先生はいなかった。

それならもう学校を辞めようと思っていた矢先に、先生が5人のデザイナーと設計士を講師を呼んでくれたんです。その中のひとりが耕生さんでした。『僕は気持ちのいいことが好きで、イタリアでは、馬車馬のように働くことよりも人間らしく生活することが大事で、暮らしに必要な分だけ働き、余った時間は家族と過ごしたり音楽を聴いたり読書をしているよ』と、他の講師の方たちと違って耕生さんだけがデザインの話をしなかった。

インターンをやらせてほしいと初めて小浜に訪ねたときも、当時のアトリエで耕生さんは『そろそろ17時だね』と言ってベランダにテーブルをだして、海と夕焼けを見ながらグラスにビールを注いでくれました。このとき、こうした言語化できないことすべてをデザインと呼ぶのなら、自分は一生この仕事に携わりたいと思ったんです」

城谷さんは、小浜温泉の地熱で野菜や卵などを蒸すことができる海辺の「小浜マリンパーク」に、小浜に訪れる若者を連れていき、夕陽を見ながらお酒をともにしたという。

“暮らしをつくる”ことに重きを置くことで見えてきた、デザインの輪郭

刈水庵」の主催でマーケットやワークショップなどのイベントが頻繁に行われるようになったころ、「Studio Shirotani」が、「外からのおもしろい移住者を増やそう」と独自につくったチラシを見て、小浜に移住を決めたのが、伊藤香澄さんだった。募集した移住者は、山﨑さんの暮らしている家の“はなれ”に住むことになっていたが、伊藤さんは、知らない男性と暮らすことに抵抗はなかったのだという。

まるで展示スペースのような、玄関の下駄箱。

伊藤香澄さんは、デンマークから持ち帰った機織り機で、テキスタイルを中心に、生活に必要なものをつくっている。

「デンマークやスウェーデンでは、「フォルケホイスコーレ」(19世紀にデンマークの農村にはじまり北欧各地へと発展していった、民衆の民衆による民衆のための大人の教育機関)で、織りものや仕立て、テキスタイルについて学びました。フォルケでは、若い人から60歳を超えるお年寄りまで、国籍も性別も生業もばらばらな人たちが寝食をともにするんです。それがまったく窮屈ではなく、むしろすごくたのしかった。その感覚があったので、山﨑さんとの同居にもまったく抵抗がなかったんです。スウェーデンにおいてはジェンダーや婚姻関係に捉われない多種多様な家族のカタチがあって、私もいつか性別や年齢関係なく似た感覚を持つ人たちと共同生活できたらたのしそうと思っていたくらい、結婚への拘りもありませんでした」(伊藤さん)

同じ家に暮らすうち、庭仕事という共通のたのしみから“似た感覚”の持ち主であることを知るようになったふたり。お互いに結婚への拘りはなかったけれど、結果入籍することにしたのは、制度の都合のよさがあったからだという。

「“暮らしをつくる”ことに重きを置いて、デザインを大きく捉えた仕事をしていこうと『目白工作』という屋号をつけて、一緒に働き始めました。家も賃貸だったのを購入することにしたのですが、同居人だと何かと行政の手続きに手間暇がかかってしまうんです。それならと、入籍することにしました」(山﨑)

「デザインする」とはどういう行為なのか。城谷さんと同じ問いを見つめ続けてきた山﨑さんは、刈水のおばあちゃんたちの知恵や伊藤さんとの出会いを経て、言葉にならないデザインの輪郭をくっきりと感じられるようになったのかもしれない。

「以前にも増して、『山﨑くんのデザインって何?』という質問に答えづらくなってます(笑)。でも、自分の感覚としては、この町で誰かのお店をデザインすることは、同時に自分の人生をデザインすることでもあると思うようになりました。逆も然りで、デザインの前にまず自分たちがしっかりと生きていくこと。その中で得た知恵や経験をシェアしていけるような仕事がしたいと思っています」

トークイベント 「耕す。 デザイナー城谷耕生の仕事」
人口約7700人の海と山と温泉の町、長崎県雲仙市小浜町を拠点に活動した、デザイナー城谷耕生さん。2002年に帰国すると故郷小浜町にスタジオを構え、地域に根ざした仕事の可能性を時代に先駆けて追求した。2020年12月に道半ばで急逝した城谷耕生さんの仕事について、彼と関わりが深いキーパーソンをゲストとともに、2日間にわたるトークを通じて解き明かされる。今回インタビューさせてもらった山﨑さんは、3月26日のトークショーに登壇する。

日時 : 2022年3月26日(土)~27日(日)
開場時間:13:40(第1回、第3回)、16:40 (第2回、第4回)
参加費 : 無料
会場 : アクシスギャラリー(東京都港区六本木5-17-1 アクシスビル4階)
申し込み : Peatixにて事前予約制 https://tagayasu-sirotani.peatix.com
配信:トークの様子はInstagramにて無料ライブ配信
アカウント 刈水庵 @karimizuan
特設ウェブサイト:https://tagayasu.studio.site/

第1回 3/26│土│14:00-15:30 刈水プロジェクトの夢 ― すべてはエコヴィレッジ構想から始まった
イタリアから帰国し地元雲仙市小浜町を拠点とした城谷は、2012年から過疎化が進む刈水地区の創生に 尽力し地区内にショップとカフェ「刈水庵」を開き、以来小浜町には様々な変化が起こり始めます。移住し たクリエイターたちが小浜町で起こったこと、その未来について語ります。
〈スピーカー〉古庄悠泰:グラフィックデザイナー │ 諸山朗:「刈水庵」店長 │ 山﨑超崇:デザイナー
〈ファシリテーター〉村松美賀子:編集者、文筆家

第2回 3/26│土│17:00-18:30 ものづくりのユートピア ― エンツォ・マーリから引き継いだもの
城谷は2001年に、親交のあったイタリアデザインの巨匠、エンツォ・マーリを招き長崎県の陶磁器産地、 波佐見町でのワークショップを企画します。その後城谷は自身で、竹職人たちとの研究グループ「BAICA」 を結成。マーリのデザイン哲学、そして城谷と職人たちとの取り組みをよく知る関係者が語ります。
〈スピーカー〉大橋重臣:竹工芸家、BAICA代表│多木陽介:批評家、アーティスト│田代かおる:ライター、 キュレーター
〈ファシリテーター〉池田美奈子:九州大学大学院芸術工学研究院准教授

第3回 3/27│日│14:00-15:30 伝統工芸の創造力を耕す ―
小石原と唐津におけるワークショップから 伝統工芸の産地と積極的な交流を図った城谷は、小石原焼(大分県)、唐津焼(佐賀県)の作陶家らと ワークショップを行います。伝統の歴史的背景にとどまらず地元の農作物や料理について綿密な調査を 行ったのはなぜか。城谷が考えた伝統工芸の創造力について迫ります。
〈スピーカー〉池田美奈子:九州大学大学院芸術工学研究院准教授│川浪寛朗:デザイナー│熊谷裕介:小 石原焼伝統工芸士│多木陽介:批評家、アーティスト
〈ファシリテーター〉田代かおる:ライター、キュレーター

第4回 3/27│日│17:00-18:30 地域に根ざしたデザイン ―
奈良、常滑、能登、雲仙から未来を探る 奈良、常滑、能登に拠点を構えて地域の人々や環境と調和のある暮らしを営む二人のデザイナー(坂本大 祐、高橋孝治)と一人の建築家(萩野紀一郎)を招き、従来のデザインとは異なる価値観と方法論で仕事を 作り出す可能性について実践者たちが語ります。
〈スピーカー〉坂本大祐:デザイナー│高橋孝治:デザイナー│萩野紀一郎:建築家、富山大学芸術文化学 部准教授
〈ファシリテーター〉村松美賀子:編集者、文筆家

カタチあるものだけがデザインではない。知恵を継ぎ、風景をつくっていくこと。/山﨑超崇さん(目白工作)
山﨑超崇さん やまさき・きしゅう/1985 年、熊本県生まれ。福岡デザイン専門学校卒業後、2012 年城谷耕生に師事、「Studio Shirotani」所員として雲仙市へ移住。主に空間、プロダクトを担当。 2019 年独立し、「目白工作」を設立。長崎県内を中心に宿泊施設、飲食店などの 店舗や住宅のインテリア、家具、空間に関する設計・監修に取り組みながら、 地区の耕作、塩づくりなど山から海まで活動の範囲を広げている。
(更新日:2022.03.24)
特集 ー 長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン

特集

長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン
その地で生きる人や社会がよくなるように、ものづくりの世界を編み直してきた、デザイナー城谷耕生さん。その生き方は、仲間を育て、多くの人の人生を明るく照らしてきた。その当事者である若きクリエイターたちが今、営みの中からつくりだす、長崎県・小浜町の風景。
カタチあるものだけがデザインではない。知恵を継ぎ、風景をつくっていくこと。/山﨑超崇さん(目白工作)

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