特集 長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン

住民が「面白い」と思うことを、実行できる町に。自分たちの手で文化と仕組みをつくる。/山東晃大さん(自然エネルギー財団研究員)

山東晃大さんは、いつも少し重たそうなリュックを肩にかけ、コンパクトな小浜の町を、次はここ、次はあそこと、忙しく駆け回っている。

「自然エネルギーと地域経済」の研究者であり、小浜に暮らす一住民として“町おこし”にも取り組んでいる山東さん。
かしこまった場所では埋もれてしまうような町の人たちの本音を集めるための場づくりやタクシー事業、マリンレジャー事業など、さまざまなスモールビジネスのスタートアップに携わっている。

研究者と住民、この2つの視点を行き来することで見えてきた、小浜の未来像とは。

文:石田エリ 写真:在本彌生

小浜住民たちの構想が詰まった、
830件にも及ぶリスト

その重たそうなリュックには、いつ何時 “それ” が必要となる場面に出くわしてもいいように、ノートパソコンが入っているという。“それ”とは、小浜に暮らす住民たちの “小浜がこうなるといいな” をまとめた構想、830件ものリストだ。一つひとつのアイデアを補強するような記事のリンクもつけて、キーワードでソートがかけられるように整理され、パズルのピースが揃う瞬間を、今か今かと待っている。

なぜ、このリストをつくるに至ったのか。その発端は、彼が小浜に移住してきた10年ほど前にまで遡る。

山東さんの生まれは、兵庫県西宮市。関西学院大学の大学院、修士2回生のとき、たまたま友人の実家である小浜へ遊びに来たことをきっかけに、この町へ移住しようと決めた。その一番の理由は、ちょうど小浜で長崎大学と共同で温泉熱を利用した地熱発電で低炭素の町づくりを目指すプロジェクトが始まろうとしていたときだったから。友人の父からこの話を聞き、「興味あります!」と言うと、その協議会に引き合わせてくれたのだった。

小浜町の構想がリストアップされた山東さん愛用のEvernote。居酒屋で「こんなことできたらいいよね」と会話にでてきた小さなアイデアまで、くまなく記録されている。

「でも、当時は自然エネルギーについての知識があったわけではありませんでした。大学は総合政策学部で、卒論のテーマは『合意形成』。『ステークホルダー(多様な利害関係者)の意見をまとめるには』という内容で、環境についてそこまで意識はしていなかったし、小浜に初めて来たときも、『神戸空港の財務分析』というテーマで『空港を民営化するには』という内容の修士論文を書き終えたところでした。なので、エネルギーとはまったく分野が違っていたんです」

この大学での学びも決して無関係ではなかったと後々になってわかってくるのだが、そのとき山東さんが小浜にピンと来た理由は別のところにあった。

「小浜での滞在で、大学二年のころに後輩の実家がある徳島県の上勝町へ遊びに行ったときのことが思い浮かびました。上勝町といえばゼロウェイストの先進地域ですが、後輩のお母さんがこれを始めた人で、いろんな取り組みの話を聞かせてくれたんです。それまでは、何かパイオニア的なことをするなら海外へ行くしかないと思い込んでいたけど、人口2000人弱の過疎地域でも、こんなに面白いことができるんだと、驚きと発見があった。その後もイベントがあると度々手伝いに行くようになったのですが、上勝町はそのころすでに移住者が増え始めていたし、自分は山よりも海のほうが好きだったので移住したいとまでは当時思わなかった。でもこの経験があったから、小浜に惹かれたんだと思います」

「晩ごはんを食べにおいで」から
広がっていった、町の人たちとのつながり

修士論文を早々に書き上げていたので、「とにかく数カ月住んでみよう」と、その2カ月後には移住。「一般社団法人小浜温泉エネルギー」で働かせてもらうことになった。温泉地での地熱発電事業は、発電所をつくる以前に地域の人々からの理解を得るためのコミュニケーションがとても大切だと言われている。源泉が枯渇してしまうのではないか、騒音がうるさいのではないか、そうした不安を解くためのやりとりや、全国から視察にくる研究者や議員などの対応を、山東さんが担当することになった。

「小浜には、約30カ所ほどの源泉があるのですが、湯温が100℃な上に湯量も豊富で、70パーセントが未利用のまま海に流れている。この未利用分を使うので、枯渇することはないんです。なので、揉めるようなことはなく、むしろこれをきっかけに、町のいろんな人と話す機会が増えていきました。それに、『ごはん食べにおいで』と頻繁に誘っていただいて、移住者からするととてもありがたいことでした。多いときは2日に1回、誰かの家でごはんを食べさせてもらって、飲み屋に行って誰かに会うと、別の誰かを紹介してくれるんです。半年たったころには、すっかり町の人たちとのつながりができていました」

しょっ中、晩ごはんに呼んでもらっていたという、パンとケーキのお店「パック」の店主・松尾利則さんと。よく仕事の合間にお店に立ち寄り、近況を話しているのだそう。

小浜の町に、外から来る人に対してオープンなムードが流れているのは、温泉観光地としての歴史が長いからだというのは、皆が口々に話していたことだ。山東さんの人柄もあってのことだなのだろうが、移住して数カ月で、町の一員だと実感できるようになれる町は、きっとそう多くはない。当初は数カ月のつもりが、あっという間に半年が経ち、山東さんは地元の人の薦めで、小浜に暮らしながら京都大学の大学院へ進むことになった。

「『小浜温泉エネルギー』には、いろんな大学から教授が研究に来ていたので、『せっかくだから博士課程取ったら?』と、ある人から薦められて、視察に来ていた京都大学の教授に相談したところ、半年後に博士課程に入ることになりました。といっても、研究は再生可能エネルギー(地熱発電と洋上風力発電)によって地域にどれくらいの経済的な付加価値がつけられるかというテーマだったので、京都へ行くのは月に一回程度。生活が大きく変わることはなく、小浜で発電事業を進める日々を送っていました。発電所は実証実験が成功し、2015年に民間企業が事業を引き継ぐことになったので、僕も団体を離れて、論文を書くため京都へ移ることにしました」

かしこまった場では出てこない、
居酒屋で話すような本音を集めていく

山東さんが京都で取り組んだ論文のテーマは、『自然エネルギーと地域経済』だった。現在、日本の電力の約75%が化石燃料で賄われていて、この燃料を買うため、毎年10〜20兆円が国外に流れているという。仮に、この電力を自然エネルギーにシフトできたとしたら、国外に出ていくお金を日本の地方に流すことができる。その経済効果はどれほどのものになるのか、というのが山東さんの博士論文だった。山東さんは、この論文に取り組む一方で、地熱発電を事業化することはできたものの、エネルギーを生かした町づくり協働部会が思ったほどうまくいかなかった理由についてずっと考えていた。それが、再び小浜に戻る動機にもなった。

「協働部会は、観光協会や旅館組合など30ほどの団体の代表が集まって話をするんです。大人数で集まるので一人ひとりの発言が簡略化されてしまうし、話が具体的になっていかないので実行に移すこともない。この協議のやり方が失敗だったのではないかと感じていました。なので、小浜に戻って別の方法で町づくりをやり直してみようと思ったんです」

そこで、1年半ぶりに戻った小浜で、「考えの見える化」をするため、町の人たちが本音で話せる場を有志とつくり、その後、構想を実現させる組織として、一般社団法人OBAMA ST.(小浜ストリート)を設立した。

「町の人たちと個別に話をすれば、誰でもたいてい一つや二つは意見を持っているというのは、地熱発電のときにわかったことでした。たとえば、漁師さんに話を聞くと『農家はもっとこうすればいい』と言い、農家さんに話を聞くと『旅館はもっとこうすればいい』と言う。どのアイデアも面白いんです。ただ、こうしたことを発言する場がなかっただけだった。かしこまった場ではなく、居酒屋で話すような感覚なら、どんどん面白いアイデアがでてくるんじゃないかなと思いました」

普段は表に出て発言するようなことのない人たちを中心に声をかけ、本音で話してもらうために、少人数の知り合い同士のグループにわけて話を聞くことにした。聞く内容は2つ。「小浜の未来についてどう思うか」と、「小浜をよくするために何を改善すればよいか」。これを1日で8グループ、10日ほど続けて230人に話を聞き、でてきたアイデアを一つひとつ企画書にまとめ、「OBAMA ST. 2030」という構想に仕上げた。

「最終的には、空き店舗を使わせてもらって、この企画書の展示会をやりました。みんな自分の話したことが、どんな企画書にまとまっているんだろうと見に来てくれたし、そこで他の人の企画書にも触れてもらうことができました。小浜に暮らす人みんなが、小浜の未来について考えたり、話し合ったり、さらには『空き物件がでたから、こう使ってみよう』と実行できるような、とにかく『行動してみる』という文化が根付く町づくりの第一歩になったのではないかと」

 

自分が暮らす町を、自分たちの手で
よくするための文化と仕組みをつくる

この「OBAMA ST. 2030」は、行政や団体などから依頼された仕事ではない。山東さんや町の人たちが、“こんな町に暮らしたい”という思いから始めたことだった。一住民の思いが種となり、そこから数年が経って、このとき生まれた構想の中のいくつかは、実際に動き始めている。

「ひとつは、タクシーを利用した公共交通です。年配者のグループから話を聞いたとき、81歳のおかあさんが、いつも隣に暮らす82歳のおかあさんを車に乗せてスーパーに買い物へ行っているという話を聞きました。小浜地区は急勾配の坂道が多く、年々徒歩が辛くなってきているし、免許を返納するべきときが来たらどうしようと心配していました。そこで、『毎月、車の維持費に、いくらかかっていますか?』と聞くと、全部で『3〜3.5万』という。これを『OBAMA ST. 2030』では、小浜の地域内を定額でタクシー乗り放題にするという構想にまとめました。そしたら、展示会を見たという地元タクシーの関係者が相談に来てくれたんです。今まさに、『自家用車がなくても暮らしやすい町づくり』に向けて、デジタル化などの業務改善と新たなサービスの準備を始めているところです」

小浜町・富津(とみつ)漁港。(写真上)漁師の関さん(写真右)と。

もう一つは、昨年から漁師の関俊郎さんや港の飲み仲間で結成した「港壱番地(みなといちばんち)」で始めた、船釣りやSUPなどのマリンレジャーができるサービス。このプロジェクトは、地域ビジネスを学ぶ長崎大学経済学部の授業の一環として、学生にも手伝ってもらっているという。

また、一般社団法人OBAMA ST.では、「現代の湯治場」をテーマに、温泉街にあるホテルの元独身寮を改装して、ワーケーションができる場所をつくっている。

どれもまだプロセスの段階ではあるけれど、それぞれ少しずつ実現に向かっている。

「ゆくゆくは小浜の町が大学のようになればいいなと思っているんです。立派な建物もカリキュラムも必要のない、教授と生徒の関係性も、年齢の縛りもない大学。町の中で、どこにどんな知識や技術を持った人がいるのかが可視化されていて、ある分野では先生になり、別の分野では生徒になる。そして、何かやろうとするときは、それが得意な人たちが集まってつくるんです。失敗すれば、また別の方法を試せばいい。成功すれば、自分もできるんじゃないかと触発されて、スモールビジネスが増えていく。法人化したり協議会を立ち上げたりしなくても、“小浜をいい町にしたい”という目指す方向さえ同じであれば、自ずとチームワークができていくと思います」

一見、分野の違うさまざまなことに関わっているようにも見えるが、山東さんの中ではすべてが小浜の大学構想に紐づいている。そして、プロジェクト一つひとつを進めるうちに、自分の立ち位置もはっきりしてきたようだ。

「自分のアイデアを形にしたいと思う人がいて、それを実現可能にするために別の何かとつなげたり、膨らませるためのサポートをする。いろんなプロジェクトに関わりながら、自分の立ち位置を模索していたようなところがあったのですが、最近になって、『CSO』(Chief Sustainability Officer)が、自分の考えていることに近いんじゃないかと気づいたんです。CSOとは、企業の環境問題や社会的課題を考慮したサステナビリティ戦略を担う役職のこと。大手企業ではなく、スモールビジネスを支えるCSO担当になれたらと思い始めています」

住民が「面白い」と思うことを、実行できる町にするために。自分たちの手で文化と仕組みをつくる。/山東晃大さん(京都大学経済研究所研究員)
山東晃大さん さんどう・あきひろ/1987年、兵庫県西宮市出身。小浜温泉街在住。博士(経済学)。京都大学研究員、自然エネルギー財団上級研究員、一般社団法人OBAMA ST.メンバー。専門は、再生可能エネルギー(特に地熱発電と洋上風力発電)によって地域にどれくらいのお金が落ちるか数値化する研究(地域経済付加価値分析)。また、2012年から長崎県小浜温泉にて地域住民と地熱発電所の取り組みに携わる。現在は、主に自分の研究をやりながら、地熱発電を通して知り合った人と、小浜温泉の町づくり、塩づくり、タクシー、水産などの経営に関わっている。
*一般社団法人OBAMA ST.が運営する、長崎県・小浜温泉街の人をめぐるガイドマップ「OBAMA MEETUP GUIDE」。
(更新日:2022.04.04)
特集 ー 長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン

特集

長崎県・小浜町に芽吹く、営みの中のデザイン
その地で生きる人や社会がよくなるように、ものづくりの世界を編み直してきた、デザイナー城谷耕生さん。その生き方は、仲間を育て、多くの人の人生を明るく照らしてきた。その当事者である若きクリエイターたちが今、営みの中からつくりだす、長崎県・小浜町の風景。
住民が「面白い」と思うことを、実行できる町にするために。自分たちの手で文化と仕組みをつくる。/山東晃大さん(京都大学経済研究所研究員)

最新の記事

特集

ある視点