特集 生きる感覚を取り戻す 熊野紀行

自然にも人にも、どこまで優しくなれるか。目に見えない土中の世界を見据える環境改善活動家と、熊野古道を歩く。

熊野古道は、2004年に世界遺産に登録されて以来、益々多くの人が足を運ぶようになった。多量の雨が育んできた森の中で、苔むした石畳みの道を歩くのは、それだけで心地が良い。

では、なぜ石に苔むしているのか? そもそも、なぜ石畳みが敷かれてあるのか?
そして、なぜ心地良いと感じるのか?
今西友起さんは、それぞれの事象に対して問いを立て、科学的な考察を試みる。

「人間がいるからこそ、自然環境や他の生き物に良い影響を与えていることがあるんです」

その言葉のごとく、環境改善という仕事に一途に邁進する今西さん。そのひたむきな眼差しは、私たちが何気なく見過ごしている、草木の表情や土の状態といった自然界の信号を捉え、ひいては、土中の水や微生物といった目に見えない世界にまで意識を働かせている。

全身で心地良さを感じつつも、風景の一つひとつの要素を気に留めながら、私たちは秋の熊野古道をゆっくりと歩いた。

文:吉澤裕紀 写真:熊谷直子

どんな生き物にも、
必ずそれぞれに役割がある。

一週間に渡る、熊野紀行。熊野に根ざして生きている人たちを訪ね歩いてきたが、せっかくならば熊野古道をもう少し歩きたい、どうせ歩くならば学びになるような山歩きがしたいと思った。そこで頭にふと浮かんだのが、三重県松阪市在住の今西友起さん。今西さんは、土中環境を重視した、山林や庭の環境改善の仕事をしており、全国各地でその考え方を伝え回っている。多忙な中、遠方からわざわざ熊野へ足を運んでくださることになった。

那智の滝から車で山道を上がること約10分、遠くに熊野灘を望む見晴らしの良い高台に私は到着した。観光客の声と滝の音で賑わう麓とはうって変わって、凛とした静けさが保たれている。そこで待ち合わせた私たちは、付近のお寺へゆっくりと歩き出した。

お寺にお詣りするや否や、今西さんはしゃがみこんで本堂の下を覗き込んだ。回廊の柱をよく見ると、うっすらとカビが付着している。

造園・土木の職人でもある今西友起さん(右)。学生時代は服飾デザイナーを志望していたという。

「カビというのは嫌われがちなんですけど、停滞した空気中の水分を動かすために存在するんですよ。例えば、タンスの裏なんかも、風通しが悪くて空気が動いてないから、そこに振動を生み出すためにカビが生まれる。どんな生き物にもれっきとした役割があるんです。だから、カビを見苦しいと感じる人間にも、心地良い環境を求める本能が残っているということです」

今西さんが携わっている「環境改善」という取り組みは、実に奥が深い。縦横無尽に道路が通され、河川にはダムができ、山には針葉樹が植林されたままの現代の日本。一見何も問題ないように見えても、土中の環境に目を向けると急速に荒廃が進んでいる。熊野も多分に漏れず同じ問題を抱えており、この取材中、何度も同じような話を聞いてきた。環境改善という取り組みは、そんな日本の現状に危機感を覚えた造園家の方々が始めた活動。土中も含めた自然環境での空気と水の流れを円滑にすることで、微生物やカビ、その他様々な生き物が活発になっていく。それがひいては人間にとっても心地の良い環境へと繋がっていくのだ。

現代土木のやり方に疑問を持っていた今西さんは、数年前に環境改善の考え方に出会った。以後、自分なりに研究を重ねながら仕事をし、現在では全国各地を飛び回ってその考え方を伝えている。環境改善の活動をするうちに、家の作りも昔ながらの石場建てが理にかなっていることを実感し、その施工も併せて行っている。

「日本の昔の家って瓦屋根ですよね。わざわざ屋根を重くしたのは、柱を通じて礎石に圧力を伝えるためでもあったと思うんです。例えば、右と左の手の平を合わせて力をいれると、ぶるぶる震えますよね? 同じように、柱の重量が石に伝わることで、拮抗する形で石の押し返す力が働いて、振動が生まれるんです。振動によってその環境の水分が動くことになるから、柱も腐りにくい」

ほんの些細な会話でも、今西さんが環境について語る際の言葉は必ず科学的な思考に基づいている。漠然とした経験の記憶や人から得た不確かな情報につい頼りがちな私は、今西さんのお話に付いていくだけでも必死である。

 

理想的な環境になる手助けを
してあげるのが、僕らの仕事

私たちは本堂を離れ、さらに山の上の奥の院へゆっくりと登って行った。「熊野古道」のイメージのごとく、杉林に囲まれた歩道には石畳が敷かれ、所々苔がむしている。歩いているだけで心が洗われるような、ひんやりとしっとりとした空気に包まれる。

 

「森の中というだけで気持ちがいいんですけど、地面を見ると傷んでいますね。多分、定期的にお寺の人が落ち葉を掃き落としていると思います。歩きやすいようにという気遣いなんでしょうけど、そうすることで地面が直接雨に叩かれる。すると、シルト(粘土より粒子の大きな土)が周囲に流れ、土の隙間に詰まってカチカチになってしまう。シルトは斜面を降りて川にまで流れて行くから、そこでも目詰まりを起こす。こうして山全体の水の流れが滞っていってしまうんです」

石や根っこの間に見えている土に触れてみると、確かに固く引き締まっていて、指が入る気配がない。そういう土壌は酸欠状態になるので、木の根が空気を求めて浮き上がってくるのだと言う。登山道の木々や街路樹の根が地上にせり出しているのをよく目にするが、それは木が苦しんでいる状態だというわけだ。私たちが普段何気なく見ている光景には、土中環境を知ることのできる多くのヒントが詰まっている。

ただ散歩をしているだけなのに、すぐに立ち止まっては身振り手振りを交えて語り出す今西さん。その目はどこまでも純粋だ。「子どもの頃、コンセントを舐めて舌がビリってしたことがあるんですけど、その感覚が女の子にドキッとして背中に電気が走る瞬間と全く同じで。それで初めて電気の仕組みを実感することができました」

「そうそう、こういう根や石の下に隠れてるところは、ふかふかでしょう? これが理想の環境。雨に叩かれず、かつ適度な湿度が保たれているから、苔も生えやすいし、実生の幼木なんかも生えてきたりする。そういう環境へと向かっていく手助けをしてあげるというのが、僕らの仕事ですね」

木の根に隠れて雨に打たれない土の表面は、しっとりとしているのにふわふわと柔らかい。

登っている階段の途中に枯れ枝が落ちていると、今西さんは慣れた手つきで枝を細かく折り、落ち葉の溜まっている斜面に横向きに並べている。

「枝をこんな風に水平に置いておくだけで落ち葉がそこで溜まることになるから、その下で、菌糸が絡んでいくようになる。地面に穴ぼこがあったりしたら、落ち葉を重ねてその上に石を置いてあげるだけでもいい。あとは微生物や虫が頑張ってくれる」

今西さんが目の前で見せてくれる作業は、それ自体は至極単純である。ただ歩いているだけの私にも、両手が空いていれば気軽にできること。その場に落ちている素材を移動させているだけなのだが、それだけで何だか気持ちがいい気がするから不思議だ。

「そうやって土中の環境に手を施していって、良い結果を生んでいるかどうかを確認する一つのバロメータが、菌糸なんです。要は、カビのことですね。菌糸の張った腐葉土は、山にとってライフラインみたいなものなんです」

今西さんは、嬉しそうに菌糸の絡んだ土塊を持ち上げた。

石を持ち上げると、そこには菌糸が張っていることが多い。石が転がっているという何気ないことにも、大きな意味があるのだ。

そんなこんなで道草を観察しながら、頂上の奥の院に到着した。30分で歩ける道のりに、私たちは1時間半近くも費やした。今西さんの額にも薄っすらと汗が滲んでいる。

「普段、山林や庭で仕事をすることが多いんですけど、休みの日に個人的に山を歩きに来たりすることは一切ないですね。僕はインドア派なので」と笑う。

私が今西さんと出会ったのは、つい半年程前。屋久島で環境改善の仕事があるから来ないかと、知り合いから声をかけられた。そこで、大きなユンボで石を動かしては、丁寧に砂利や藁を地面に敷き、石場建ての礎石を据え続けていたのが今西さんだった。仕事中は常に真剣な表情だが、休憩になると関西人らしく冗談を交えて朗らかに話す。と思いきや、雑談が植物の話に及んだりすると、また途端に熱がこもってくる。そんな今西さんの目に見えている世界とは、一体どんな世界なのだろう?同じ場所にいても、きっと自分とは違う風景を、違う視点で見ているに違いない。そう確信したとき、世界はなんて無限の可能性に満ちているのだろう、生きていることはなんて神秘的なのだろう、そう感じたのを覚えている。

倒木の株元から、次世代の生命が生まれる。新たに生える木は、元の木の情報を根から受け取るので、すぐに環境に適応できるのだという。

人間がいるから、自然や生き物に
良い影響を与えることがあるはず

奥の院にお詣りした後、私たちは元来た道を下った。息を整えながら歩いた登りに比べると、下りはさっさと軽快に足が動く。だが、ふと編集者が足を滑らせた。

「下りはつま先で着地するように歩くと転びにくいですよ。鹿が歩くみたいに。鹿は普段はそっと歩くから浅い蹄の跡しか残らないですけど、ここは深くえぐった方が良いという場所にはガッと爪痕が残されていたりする。モグラや猪が穴を掘るのは、固く締まった土に空気と水を通そうとするためですね。生き物は皆、その場の環境を良くしようと本能的に動いてくれている。そんな生き物に対する信頼が、僕ら人間には欠けとるなあとつくづく思います。僕らが信じれば、彼らは必ず応えてくれるのに」

私が初めて、環境改善という考え方に対して実感を持って納得できた出来事が、猪の行動だった。田舎で暮らしていると、頻繁に畑や庭を猪に荒らされる。当然、彼らを「害獣」として認識し、被害を防ぐことに注力し続けてきた。その中で、野菜や果物を食べられるのはまだ納得がゆくのだが、何もない空き地に突然クレーターのような巨大な穴を掘られたりすることを長らく不思議に思っていた。「目詰まりを起こしている土壌を改善するために猪が地面を掘ってくれている」という環境改善の捉え方を知ったとき、私は思わず「これだ!」と合点がいった。ずっと敵意を抱き続けてきた猪に対する認識が、その瞬間にまるで180度変わってしまったのだ。

「人間というのは、自分にとって不都合なことが現れると、すぐに邪魔者扱いをして排除してきました。カビが生えれば消す、見苦しい虫がいれば殺す、雑草が生えれば根っこから抜く、猪が出れば捕獲する。そういう当たり前のようにしている行動が、結局のところ、子どものいじめや何千年と続く戦争と本質的には繋がっている。日常の中で無意識にやってしまっていること、言ってしまっていることを改めるだけで、世界のあらゆる問題は解決していくと思っています」

 

「なぜ人間はこの地球上に存在しているのか?」という問いが、幼い頃から私の中に居座り続けている。それに対して、今西さんは一つのヒントを呈示してくれる。

「これだけ自然界の生き物の偉大さを知っていくと、人によっては、人間なんかいない方が地球にとっていいんじゃないかって考えたりもしますし、現にそういう発言をよく耳にする。けれど、僕はそれは間違っていると思っています。むしろ逆で、人間がいるからこそ自然環境や他の生き物に良い影響を与えていることもたくさんあるはずだし、昔の人はそれを感じていたんだと思います。古道もちゃんと石垣を積んで石畳を敷くからこそ、元の斜面だった時よりも土地が安定して、植物や動物が気持ち良く過ごせるようになる。こうやって山の上に神社やお寺が開かれてきたのも、良い環境を不可侵な場所として守るためだったんじゃないかなと思います」

その晩、私たちは那智勝浦の街で旅の終わりを労った。一週間の熊野紀行で出会った方々は、背景や価値観は違えども、自然の恵みと人の情愛に感謝を抱きながら、懸命に「今」を生きていた。そこには、確かに心地良い空気が流れていた。

「自然に対しても人に対しても、どれだけ優しくなれるか、そして信頼できるかですね。それだけで、世界は平和になっていくはずですから」
今西さんの言葉が、今となって物凄く心に沁みる。

自然にも人にも、どこまで優しくなれるか。目に見えない土中の世界を見据える環境改善活動家と、熊野古道を歩く。
今西友起さん


1981年、三重県伊賀市生まれ。学生時代は陸上に打ち込んだ後、服飾の仕事を志望するも、土木の世界へ入る。現代土木のやり方に疑問を抱く中、庭師の高田宏臣氏に出会い、土中環境に対する捉え方を学ぶ。独立後、水や空気の循環、菌糸や微生物の働きを重視した、環境改善の活動で全国各地を飛び回っている。併せて、石場建て工法による建築の普及にも努めている。2児の父。


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文:吉澤裕紀
1990年生まれ、東京都国立市育ち。大学休学中に、カンボジアへの渡航を機に国際協力活動や震災ボランティアに没頭。生き方を見直すために、大学を中退して静岡県南伊豆町に移住。電気・水道・ガスを契約せず、自給自足の暮らしを基盤にしながら、周囲の職人さんのお手伝いから学ぶ日々を送っている。 
(更新日:2021.12.15)
特集 ー 生きる感覚を取り戻す 熊野紀行

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生きる感覚を取り戻す 熊野紀行
死と再生の地、熊野。外界と隔てられた奥山へ、遥か昔より多くの人が足を運んできた。先行きの見えない今こそ、改めて「生きる」という感覚を見直したい。熊野の大地で自然と社会、己自身と真摯に向き合い続ける人たちを訪ねた。
自然にも人にも、どこまで優しくなれるか。目に見えない土中の世界を見据える環境改善活動家と、熊野古道を歩く。

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