特集 お母さんだから、できること
自分のまわりの人を幸せに。 自分自身も幸せになる働き方|【お母さんだから、できることvol.3】

神奈川県・旧藤野町(以下、藤野)に移住した中村暁野さんが、真っ先に心配したこと。それはおいしいパン屋さんがこの町にあるかどうか、だった。そんな時、人づてに近所で週に2日だけ開くパン屋があると聞き、さっそくお店へ。自宅の一角で小さなお店を開き、天然酵母を使ったパンを焼く店主の池辺 澄さんは、いまから12年前、子どもの進学を機に藤野へ移住してきたお母さん。
移住をきっかけにパンを焼き始め、子育てをしながら自分のお店をオープン。いまでは、天然酵母を使ったおいしいパンを週に2回焼き(1日は仕込み)、あとの2日はお休み、あとの2日は家族のために。そうやって自分のペースで暮らしと仕事を作って来た。自分の暮らしを大事にしながら、好きなことを仕事にする。そんな楽しそうな澄さんを見て、暁野さんは一体何を感じたのだろう。
写真:加瀬健太郎 文:中村暁野 構成:薮下佳代
パン屋になるなんて
思ってもみなかった。
東京に住んでいた頃、お気に入りのパン屋さんでパンを買って食べるのが家族の楽しみだった我が家。藤野という小さな町にはパン屋さんらしき店は見当たらず、移住したらパンのない生活が始まるのか……と肩を落としていたところ、「天然酵母のパン屋さんがあるよ。でも水曜日と木曜日にしか開いていないよ」と近所の人が教えてくれたのです。谷を下った坂の途中に控えめな看板が立てかけられた一軒家。それが小さなパン屋〈ス・マートパン〉との出会いでした。
初めて私がお店に行ったのは、開店から随分と時間がたった午後のことでした。パンは残りわずかとなっており「ごめんなさいねえ。せっかく来てくれたのに……」と優しく声をかけてくれたのが、仕込みからパン焼き、販売まですべてをひとりで切り盛りされている、池辺澄さんでした。

パンは曜日によって種類が変わる。水曜日はカンパーニュやバゲットといった食事パンやチーズやベリーが練り込まれたパン、木曜日は角食やクロワッサン、チョコやクリームの入ったおやつパンも並ぶ。
一個残っていた黒糖角食を買い、軽くトーストしてバターをのせて食べたら、黒糖のコクと甘み、小麦の風味が広がるなんとも幸せなおやつで、子どもも大喜び。藤野でのパンライフはこれで安泰!と家族で喜んだのでした。いつもニコニコ迎えてくれる澄さんを見ていると、天職ってこういうことをいうんだなあ……なんて思っていたのですが、実は「パン屋になるなんて思ってもみなかった」そうで、まったく別の仕事をしていた澄さんが、思いもよらずパン屋さんになったのは、藤野への移住が深く関係しているとのこと。移住から始まった新しい働き方と生き方について話を聞かせてもらいました。
漠然と感じていた、
暮らしや子育てへの違和感
澄さんは、12年前に夫の潤一さんと当時小学1年生になる娘さんと藤野に移住しました。それまで家族で暮らしていた東京都・日野市は、緑豊かな地域で公園や保育園、学校も近くにあり子育てする上で不自由のない環境だったといいます。それでも、娘さんの成長とともに夫婦の中にちょっとした違和感が芽生えていきました。
「子育てにおいて私たちが守りたいと思うものと、現実の間にギャップが生まれはじめていたんです。たとえばうちは子どもにゲーム機を与えていなかったのだけど、近所の子どもたちは公園でもゲーム機で遊んでいたりして。これから子どもがどんどん成長していく中でどう折り合っていったらいいんだろう、妥協していけばいいのかな、でもやっぱり嫌だな、と揺れていました。もしかしたもうちょっと田舎に行ったら状況は少し違うのかな、なんて思ったのが移住を考え始めた最初のきっかけだったんです」
建築家の潤一さんが拠点にしている都内から通える距離ということを踏まえての移住計画。千葉県の海沿いの物件を見たりしながらも、なかなかピンとくる場所にはめぐり合えなかったそう。また、それ以前から生活に対してもこのままじゃいけないという気持ちがあったと澄さんはいいます。

夫の潤一さん。移住は潤一さんの仕事の意識にも大きな変化を生んだそう。個人宅を中心に環境負荷の少ない建築デザインを考えるようになった。
澄さんは大学卒業後、企業でテキスタイルデザイナーとして勤め、出産後は自宅で機織りの作品を受注し、制作する仕事をしていました。一方、家で図面を書いている潤一さんも自宅を仕事場にしており、休みはあってないようなもの。子どもを保育園に預け、朝から晩まで仕事を回し、一日一日をなんとかやり過ごす。そんな毎日に澄さんは限界を感じていたといいます。
「娘が2歳くらいの時に『もうこんなの嫌だ!』と私の噴火が起きて(笑)。それを鎮めようと夫が日帰りで温泉に行くことを提案してくれたんです。調べたら日野から車で1時間くらいで行ける里山に温泉があるらしいから、家族で行ってみようって。そうしてやってきたのが藤野でした。来てみたらとてもいいところで、次の休みにまた藤野の温泉に行けるからがんばろうって家族の楽しみになったんです。その頃、温泉が家族を繋いでいたともいえるくらい(笑)。来るたびに少しずつ藤野での滞在時間が伸びていって。それでふと、ここに移住するのもありなんじゃない?って温泉の帰りにそのまま不動産屋さんに寄ったら土地を紹介してくれた。それが今住んでいるこの場所だったんです」
土地を見てすぐに住むことを決めた潤一さんと澄さん。それまでいろいろな場所を見ても心動かなかったのに「ここがいい!」と2人同時に思えた。その直感こそが大事、と躊躇はなかったそうです。移住の準備を進めるうちに、新たな出会いもありました。シュタイナー教育の一貫教育を行う学校法人校シュタイナー学園が藤野にあることを知ったのです。
「それもまた温泉に置いてあった地域の広報誌を見て知ったんです。シュタイナーってなんだろう?と調べてみたら、私たちが感じていた違和感や疑問を晴らしてくれるような教育を行っている学校だった。これは運命かもしれない、ご縁があったら入学したい、と思いました」
パン屋がないなら、
自分でパンを焼こう。
小学校入学に合わせた移住を目指して潤一さんは自宅を設計。板張りや壁塗りなどのできる作業は自分たちで行いながら準備を進めました。その移住に向けた準備のひとつとして、澄さんはパンを焼き始めたのです。
「うちでは朝食にパンを食べる習慣がありました。でも藤野にパン屋さんがなかったから困ったなあと。だったら家族が食べるパンを自分で焼こう、どうせ焼くなら天然酵母パンを焼いてみよう、と友人に習いレーズンで酵母を起こして焼き始めたんです。でも失敗ばかりで石みたいに固いパンを焼いてしまって、失敗続きでした(笑)」
それでも幼い娘さんが「お母さんのパンは石みたいだけどおいしいよ」と言ってかじる姿に励まされ、めげることなくパンを焼き続けたそう。そして2006年の春、無事に自宅が完成。シュタイナー学園への入学も決まり、希望いっぱいに一家で藤野へ移住をしたのでした。藤野での暮らしがはじまった頃、緑は多いし温泉は近いし娘さんの学園生活は楽しそうだし、まるで夢のようだと思っていたという澄さん。しかし、季節が移り梅雨がやってくる頃、どうしようもない憂鬱に襲われるようになったといいます。
「雨が続くと、この辺りは湿気がすごいので新築の家でもカビがひどくて。カゴ類が全部カビてしまったんです。当時は今と違ってネットも普及していなかったので、買い物ひとつとってもとても不便だし、レンタルビデオ屋もなければ本屋もない。お茶を飲みに行く場所もなければケーキもパンも何もない! そんな“ないない状態”の暮らしにいつしか不満が募ってしまったんです」
でもその“ないない状態”を不満に思うようになってしまったのには「もうひとつ理由があった」と澄さんはいいます。
「娘は本当に楽しそうに学校へ通っていたのですが、私がまわりのお母さんと自分を比べてだんだんと辛くなってしまったんです。当時の学園にはシュタイナー幼稚園を卒園して入学してきたお家がほとんど。多くの人が仕事をせずに子どもと向き合い、遊びに来たお友だちはみんなお母さんの手作りのおやつを持っていて、お弁当箱も素敵な木のわっぱだったり。そうしなきゃ駄目だと誰にも言われていないのに、違う自分にすごく引け目を感じてしまったんですよね」
藤野に来ても機織りの仕事を続けていた澄さん。ここで「いいお母さん」をやるのは私には無理、と日野に帰りたいとまで思ってしまったといいます。そんな中、潤一さんは冷静でした。
「『ちょっと様子を見ようよ』って。私が『映画が観たい』と言えばレンタルビデオを配送してもらえるシステムを登録してくれたり、猫が大好きだったのでご近所で生まれた猫をもらってきてくれたり。子どもが寝た後、夜な夜な猫に寄り添いながら映画を見ていました(笑)」
娘さんの大きな変化もそんな辛い時期の支えになりました。保育園時代に食が細く病気がちで泣いてばかりだったという娘さんは、入学式の日から一度も泣かず、食欲旺盛、元気いっぱいに学び遊んでいました。そして季節がめぐり、ちょうど移住から1年が経った頃、ふと澄さんは肩の力が抜けていくのを感じたといいます。
「いいお母さんにならなきゃいけないって自分だけが気にしていたんだな、誰もそんなことを私に求めたりしていないんだって気づいたんです。『こうならなきゃ!』って1人で思っていた時は辛かった。でも『私は私でいいや』ってふと思えた時、すーっと楽になれたんです」

地元の野菜をたっぷり挟んだサンドイッチは食べ応えたっぷり。
その頃ちょうど、毎日焼いていたパンが自分でもおいしいと思えるものになっていたという澄さん。遊びに来たお友だちや近所の人に出したりしていると「うちにも焼いてほしい」と頼まれるようになり、物々交換から始めたパンのオーダーがひとつ、またひとつと増えていきました。初めてお金をもらいパンを焼いたのはそれから約1年後のこと。次第にパン作りに向かう時間が増え、澄さんは機織りの仕事を辞めました。こうして〈ス・マートパン〉は始まったのです。
おいしいパンを焼くために、
無理はしない。
〈ス・マートパン〉の評判が人づてに広まり、注文が増えるにしたがって配達だけでなく、地元のお店やレストランへの委託と販売方法を模索した澄さんですが、ふと自宅の一角にあるスペースに目が止まります。
「知らない土地で自宅を建てるという時に、外の人が気軽に靴のまま入ってちょっと一休みできるようなスペースがあったらいいねと、広い土間のスペース作っておいたんです。いずれはギャラリーにしてもいいね、と玄関とは別の出入り口もつけて。そこをいっそパン屋にしたらいいかもって」
〈ス・マートパン〉の営業は週に2日だけ。火曜日は仕込みの日で水曜日と木曜日には明け方からパンを焼き、お店で販売します。土日にイベント出店をすることもありますが、パンに向き合う時間は基本的に週に3日。決してそれ以上無理をしないのは「余白を残すことが大事だと思うから」と澄さんはいいます。
「4、5年くらい前、たくさんのお客さんに求めてもらうことがありがたくて、作るパンの量を増やそうとすごく頑張った時があったんです。でもその反動で、夏休みに入った途端(お店は夏場は休業)、酵母の面倒をみなくなってしまったんですね。それでいざ、休み明けにパンを焼こうとしたら酵母が全然言うことを聞いてくれなくて、おいしいパンが焼けなくなってしまって。こんなパンじゃ売れないと思っても、それでも買いたいと言ってくれる人がいたんです。その時に、自分が無理をして生まれた“歪み”は、結局まわりの人にも迷惑をかけてしまうんだと思いました。それでもパンを買いたいと言ってくれる人、自分を支えてくれる人がいるならば何よりもまず自分が楽しんで笑っていられることがとても大事なことなんだと思えたんです。わたしが楽しんでいることがおいしいパン作りに繋がる。おいしいパンを焼けたらお客さんに喜んでもらえる。だったら楽しめる自分でいようと」

営業を休む夏には〈chumart〉のコーヒー、〈MOMO ice cream〉のアイスクリームと一緒に特別メニューを出すイベントを開催。会場となる自宅には、たくさんのお客さんが訪れる。
求めてもらえるパンを作りたい。でも子どもに寄り添い、ともに時間を過ごして学校生活にも関わりたい。気持ちよくパンに向き合えるように美術館に行ったり映画を見たりする時間も大切にしたい。生活すること、仕事すること、そのふたつを諦めることないように。そんな暮らしを築けたのは、藤野という土地だったからできたことでもあると澄さんはいいます。
「子育てを1人で抱えていたわけじゃなくて、地域の人や学校の人、みんなで抱えて育ててもらってきた。自分の子どもだけじゃなくて、みんなの子どもも我が子のように感じるような信頼関係の中で育ててこられたからこそ、パン屋さんも続けてこられたんだと思います」
・・・・
《取材のおわりに》
自分がまず、何よりも楽しむこと
藤野に越してきて驚いたのは、週に2、3日のみ営業というお店が多いことでした。東京に暮らしていた頃は、早くから遅くまでお店は開いていて、欲しい時に欲しいものが買えることは便利で良いことだと思っていました。でもここ藤野ではお客さんの時間よりもお店を営んでいるそれぞれの方が自分の時間や暮らしを大切にしているんだと気付いた時、それは素晴らしいことだなと思ったのです。
それぞれの時間、生活を一番大切にすること。澄さんのようにパンをうまく焼けなくなってしまった時、ついつい「もっと頑張らなきゃ!」と前のめりになってしまいそうなところで「まずは自分が楽しむことが大事」と思えるかどうか。頑張ることは大切だけれど、「楽しい」を大事にすることは、「頑張る」のと同じくらい、いやもしかしたらそれ以上に、何かを生み出していく力があるのかもしれません。
澄さんの話を聞いていて、今までどこかで仕事や生活を「楽しい」と思うことへの罪悪感があった自分にも気づきました。みんな大変なんだから、みんな頑張っているんだから、と。でもその「みんな」って誰なんだろう、とも思いました。自分を大切にすることが結果、自分を求めてくれる誰かを大切にすることに繋がっていく。そうやってまわっていく世界は、便利な世の中よりずっと、誰にとっても心地の良い世の中のように思います。
子育て中に芽生えた違和感をきっかけにして移住した澄さん。小さな心の声に決して蓋をしないまっすぐさが、きっと澄さんの「楽しい」を築き上げる強さに繋がっているんだな、と思えたのでした。わたしも、もっともっと自分の「楽しい」を求めていきたい、と思いました。
-
-
池辺 澄さん
いけべ・すみ
1968年、神奈川県生まれ。女子美術短期大学でテキスタイルデザインを学ぶ。卒業後、寝ることが何より好きなことから寝具メーカーでテキスタイルデザイナーとして働く。結婚を機にフリーランスの働き方に。子育てをしていく中で暮らし方も見つめ直し、2006年神奈川県相模原市旧藤野町に移住。流れに身を任せていたらパンを焼くことが仕事に。現在、週に2日、〈ス・マートパン〉を営業。 18歳の娘の母親。
sumart.exblog.jp
なかむら・あきの
1984年、ドイツ生まれ。多摩美術大学映像学科時代から音楽ユニットPoPoyansとして活動。映画音楽やCM音楽等を手がける。2010年に結婚・出産。家族のかたちや社会との関わり方に悩んだことがきっかけとなり、ひとつの家族を1年間に渡って取材し丸ごと一冊一家族をとりあげる雑誌『家族と一年誌 家族』を2015年に創刊する。取材・制作も自身の家族と行うのが雑誌のコンセプト。7歳の娘、1歳の息子の母親。
特集

-
- 「お母さんでもなく、妻でもなく、家族の中でこそ見えてきた、わたしの存在」|【お母さんだから、できることvol.1】
- 中村暁野 (『家族と一年誌 家族』編集長・エッセイスト)
-
- 自分の「やりたい気持ち」を大切に。 正直に、ただ進んでいくだけ|【お母さんだから、できることvol.2】
- 飯田知子さん (「MOMO ice cream 」主宰)
-
- 自分のまわりの人を幸せに。 自分自身も幸せになる働き方|【お母さんだから、できることvol.3】
- 池辺 澄さん (「ス・マートパン」主宰)
-
- 手仕事を通して、もっと自由になる。|【お母さんだから、できることvol.4】
- 大和まゆみさん (「暮らしの手仕事 -くらして-」主宰)
最新の記事
-
ニュース【ウェブマガジン「雛形」更新停止のお知らせ(2022年4月30日)】ウェブマガジン「雛形」は、2022年4月30日をもって、記事の更新を停止いたしました。 (「ウェ […]
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地どんな人にも、暮らしはある。すぐには役に立たないようなことも、いつかの誰かの暮らしを変えるかもしれない。/雑誌『暮しの手帖』編集長・北川史織さん北川史織さん(雑誌『暮しの手帖』編集長)
-
特集迷いながら、編む。 ーメディアの現在地立場をわきまえながら、どう出しゃばるか。「困っている人文編集者の会」3名が語る、本が生まれる喜び。柴山浩紀さん(筑摩書房)、麻田江里子さん(KADOKAWA)、竹田純さん(晶文社)
特集
ある視点
-
それぞれのダイニングテーブル事情から浮かび上がってくる、今日の家族のかたち。
-
一番知っているようで、一番知らない親のこと。 昔の写真をたよりにはじまる、親子の記録。
-
「縁側」店主河野理子どんなものにもある、“ふち”。真ん中じゃない場所にあるものを見つめます。
-
「読まれるつもりのない」言葉を眺めるために、“誰かのノート”採集、はじめます。
-
不確かな今を、私の日々を生きていくために。まちの書店さんが選ぶ、手触りのあるもの。
-
美術作家関川航平ほんのわずかな目の動きだって「移動」なのかもしれない。風景と文章を追うことばの世界へ。
-
徳島県・神山町に移り住んだ女性たちの目に映る、日々の仕事や暮らしの話。