特集 “都市のたたみ方”を考える

パンづくりもお店づくりも、大切なのは愛を配れるかどうか。「ブーランジェリーヤマシタ」 【インタビューby東京R不動産】

今までにない視点で不動産を“発見”し、住まい選びの幅を広げてきた「東京R不動産」。目下進めているプロジェクトが、ひとつの物件に価値を加えるだけでなく、街そのものをつくってしまおうという「ニューニュータウン」だ。さまざまなエリアや、その土地におけるコミュニティのあり方をリサーチしてきた彼らが今回お話をうかがったのは、神奈川県二宮町で「ブーランジェリーヤマシタ」を営む、山下雄作さん。ひっそりとした場所で商店街というシステムに頼ることなく、地域の人に愛されるお店をどんなふうにつくったのか。東京R不動産の千葉敬介さんと澤口亜美さんが、インタビューを行った。

写真:松永 勉 文:兵藤育子

地に足をつけて生きるために。
33歳から、パン職人の道へ

ーー神奈川県二宮町。訪れる人をなごませるような、ゆったりとした空気が流れている小さなこの町に、地元の人が足繁く通う小さなベーカリー「ブーランジェリーヤマシタ」はある。2、3人が入るといっぱいになる店内には、焼き立てのパンが所狭しと並び、店の外に行列ができることもしばしば。駅から決して近くはなく、少々閑散とした場所なのに、幅広い年齢層の人が入れ替わり立ち替わりやって来るのは、やはりパンがおいしいからなのか、それとも森のパン屋さんのような雰囲気に引き寄せられるのか。まずは山下さんがどんな思いでこのお店をつくったのか、話を聞くことから始まった。

千葉さん:ニューニュータウンでは、商店街でお店をやりたい人に集まってもらおうと思っているんですけど、今日は山下さんみたいに地域の人に愛されるお店をやりながら、そこで暮らすことの実感とか、暮らしと仕事の距離感をどんなふうに考えていらっしゃるのか、お聞きしたいと思っています。お店を始めるにあたって、二宮を選んだのはどうしてなのでしょう?

東京R不動産の澤口さん(左)と千葉さん(右)。

山下さん:もともと僕は茅ヶ崎に長く住んでいて、青山や銀座に店舗があるデンマークの家具メーカーに勤めていたんです。要は、湘南で都会的な感覚を持って暮らしながら東京で働くっていうことを、かっこつけてやっていたんですね(笑)。でも33歳くらいのとき、あることをきっかけに仕事を辞めることになり、これからどう生きていくべきか1年ぐらい悩んでいたんです。

そのときすでに結婚していて、子どもがふたりいたけれども、ろくに仕事もできず、貯金がどんどん減っていくわけです。お金はないけど、子どもが毎日ごはんを食べる姿を見ていたら、日常の食に関わるような仕事なら、もっと人のためになれるのかなと思って。それと今までは、デザインされたできあがったものを売ってきたけど、自分でものをつくりたいという欲求がずっとあったんです。食に関わること、自分の手でものをつくること、そして今までのように浮足立った感じではなく、地に足をつけて生きていかなければと考えたとき、パン職人という仕事が腑に落ちたんですよね。……といっても、パンをつくったこともなかったし、特にパン好きなわけでもないんですけど。

澤口さん:そうなんですか!?(笑)

山下さん:だからイメージ先行です(笑)。一方で暮らしをどうしようかと考えたとき、人を消費に導くような都会的な情報に自分はかなり蝕まれていたので、そういった情報が届かない場所に行かなきゃダメだと思ったんです。単純に地図を広げて、僕と妻の両方の実家がある神奈川県内で緑の多い場所を探しました。それで二宮に来てみたんですけど、吾妻山の菜の花がちょうどきれいな時期で、なんだこの天国みたいな場所は! と感動してしまって(笑)。町なかに大きな商業施設や広告看板もほとんどないし、歩いて行ける場所に海や山があるのが気に入って、ここで暮らし始めたんです。

都心から電車でわずか1時間とは思えない、自然豊かでのんびりとした雰囲気の二宮町。ブーランジェリーヤマシタの裏手にある吾妻山は、登り口から山頂まで最短500mと、ハイキングにちょうどよく住民に愛される山。山頂(標高136.2m)にある展望台からは、相模湾や箱根、丹沢、富士山などが一望できる。

ーー並行して、知識も技術もゼロの状態から平塚のベーカリーで修行をスタート。1年ほど経って二宮町内で引っ越しをした矢先に、現在、工房兼店舗にしている物件と巡り合う。

山下さん:引っ越した一軒家のすぐ裏なのですが、ジョギング初日に偶然見つけました。後々聞いたら、大家さんが30年ほど前に妹さんのためにつくった美容院で、完成して早々に妹さんは嫁いでしまったらしく、誰かに貸すこともなくそのまま放置された状態でした。前の仕事柄、空間をイメージする力があったとは思うのですが、改装したら絶対にいい感じになると確信できたので、不動産屋さんを通して大家さんにコンタクトを取りました。

澤口さん:その頃にはもう、ご自分でお店をやろうと決めていたんですか?

山下さん:3年修行をしたら独立するつもりだったので、駅近じゃなくて、周りにお店なんかもあまりないほうがいいっていうくらいのイメージはしていました。

千葉さん:駅近じゃないほうがいいと思ったのはなぜですか?

山下さん:落ち着いてやりたかったんです。都会の利便性から離れたくて二宮を選んだわけだし、広くなくていいから、家族が暮らせるだけのパンを焼いて、それを買ってくれる人がいて、生活が静かに回っていくのが理想でした。

お店もパンも人も、
シンプルでありたい

千葉さん:お店を始めるにあたって、地域の人とのつながりなどはすでにあったのでしょうか?

山下さん:特になかったですね。修行時代は生活することで精いっぱいで、お金が使えないから飲みにも行けないし、二宮には今みたいに知り合いもほとんどいませんでした。

澤口さん:宣伝などは特にしなかったのでしょうか?

柔らかい口調ながら、パン職人としての覚悟が伝わってくる山下さん。

山下さん:最低限の情報は発信しなければと思っていたし、お店をつくっていく過程も紹介したかったので、オープンする半年前にFacebookでお店のページを開設しました。オープン時点で、400人くらいの方が「いいね!」をつけてくれていたのですが、初日は行列ができて1時間で完売しちゃったんです。

千葉さん:華々しいスタートですね。でもその人たちは何が刺さったんでしょう。味はまだ、当然知らないわけですよね。

山下さん:考えられるとしたら、修行期間の最後の数カ月、夜な夜な僕がここで工事をしていたので、通る人はその作業を見て、気になっていたのだと思います。

澤口さん:ここは一体何になるんだろうって?

山下さん:そうそう。ブーランジェリーヤマシタっていう屋号とパンの写真、Facebookページのアドレスだけを載せたA4の紙をペタッと貼って、工事をしていたんです。オープンしたのは2014年春ですが、SNSに助けられたところはたしかにあると思います。情報発信ツールがFacebookだけなのは、いまだに変わらないんですけどね。

千葉さんオープン前にFacebookに載せていたのは、工事の様子だけだったんですか?

山下さん:パンの写真も載せましたけど、本当に下手くそで……。結局2年10カ月の修行期間を経て独立したんですけど、そんな短期間でお店を出す人ってまずいないんです。最後の2カ月くらいは、あれこれ技を盗むのに必死でした(笑)。

葉さん:すごいですね(笑)。それでもやれる自信があったのですか?

山下さん:それまでの仕事や生活をバッサリと切り捨てて、崖っぷちの人生だったので、逆に何も怖くなかったんですよね。バゲット1個つくることができて、それを買ってくれる人がいて、暮らせるならそれでいいと思っていました。

澤口さん:パンの種類はだんだん増えてきた感じですか?

山下さん:大して増えていないです。新作といえるような新作は、2年くらい前なので(笑)。

千葉さん:でも何かをつくろうとするときって、切り捨てるものも当然出てきますよね。そのとき基準にしていることはありますか?

山下さん:お店、パン、人もそうですけど、シンプルがいいっていうのはありますね。うちのパンはいろいろあるように見えるんですけど、生地に焦点を当てると、大きく分けて2種類程度なんです。東京のパン屋さんなんかは少しずつ配合を変えたりして、いろんな生地をつくっていますけど、僕はそこに興味がなくてシンプルにやりたいんです。

千葉さん:シンプルにすることでできた余白や時間は、何に向けるのでしょう?

山下さん:開店時からずっと必死で、余裕はいまだにまったくないです。とはいえ経験を積むと、自分やスタッフも慣れてきてゆとりが生まれるので、1種類増やしてみようかということになり、そうやって少しずつ増やしながら、今ようやく30数種類になりました。

いろんなパンがあるように見えるけれども、基本はシンプル。バゲットはもちろん、シナモンロールや、二宮名産の落花生を使ったカンパーニュなども人気。

作家も一緒になって
場所の価値を高めてもらう

ーーオープンして2年後には、店舗の奥にカフェスペースを増設。こちらは大家さんが倉庫として使っていた空間を利用している。

千葉さん:それまではパンを買って帰るだけだったのが、カフェで時間を過ごしてもらえるようになることで、お客さんとの接点が変わりますよね。

山下さん:食っていうのは味覚で感じるだけではなく、空間や触れるもの、接する人などトータルで感じるものだと思うので、たとえば音楽や家具などここでお客さんが触れるものは、僕が知っている本当にいいものを使いたかったんです。そうすることによって、ここに来てよかったなという実感を持って帰ってほしい。それができるようになったのは、大きな変化かもしれませんね。

澤口さん:空間をつくるとか、食と空間の関わりを考えることは、結果的に前のお仕事とつながっていますよね。

山下さん:そうなんです。自分は一回捨てたつもりだったけど、いざこういう場所をつくってみて、前職の感覚を生かせたので、人生に無駄なことはないんだなっていう実感が今はあります。

ーーギャラリースペースにもなっている壁面や棚には、さまざまな作家の作品を随時展示。また「パン屋の食堂で演奏会」と銘打った音楽イベントを不定期に行っていて、幅広いジャンルの音楽をこの空間で楽しむことができる。

澤口さん:ギャラリー機能を持たせたり、ライブを開催しているのも、ここに来てよかったという実感を持ってほしいからなのでしょうか?

山下さん:それもありますね。あと僕自身、以前はキュレーターになりたいと思っていて、アートや建築を積極的に見ていた時期があるんです。結果的にその道は諦めたんですけど、ここなら好きな作家さんを呼んで、作品を紹介できると思って。展示作品は基本的に販売もしていて、マージンを取らず、売り上げの100%を作家さんに渡しています。

千葉さん:それはすごいですね。

取材時に展示されていた、カッティング・アートブランド「Papirklip(パピアクリップ)」を主宰する吉浦亮子さんの作品。カフェ目的で来た人も思わず見入ってしまうかわいさ。この場所からすでに、かなりの数の作品が羽ばたいていったそう。

山下さん:その代わり、作家さんには「この場所の価値を一緒に高めてください」とお願いしていて、それを理解してくれる方とだけやっています。だから言ってみれば、作家さんにも「本気を出してください」と覚悟を求めているんですよね。

作家さんは展示をすると、売り上げの3割から4割を引かれるのが、この業界の“常識”らしいんです。身を削って制作している作家さんから、なぜそんなに引かれてしまうのか疑問だし、実際、作家さんもそれですごく苦しそうだったりして。当たり前だから仕方ないと諦めてしまうのはおかしいと思って。

買い手のほうがつくり手よりも立場が上であるような関係性を、この場所で変えたかったし、売り上げを100%渡すことによって、自分のつくっているものはもっと価値があるのだという意識を作家さんに持ってほしいなと思っています。

パン屋で展示をしたりライブをしたり、はたから見るとビジネスを広げているように見えるかもしれないけれども、うちはパンで成り立っているので、そこからはまったく利益を得ていません。これも突き詰めれば、お客さんの喜びのためにやっていることなんですよね。

ーー「ブーランジェリー ヤマシタ」のスタッフは、フォトグラファーやミュージシャンなど、いわゆる二足のわらじの人もいて、個性的な面々が揃っている。山下さんいわく「この場所をもっと面白くしてくれる人がいいと思っていたら、たまたまこうなった」そうだが、そこにもやはりこだわりがあるようだ。

山下さん:スタッフに求めていることは、ひとことで言ってしまうと、愛を配れる人。言葉にするとくさいから、あまり言わないようにしているんですけど(笑)。

澤口さん:パン職人は直感的に選んだ職業だったけれども、そうやって本質的なことを素直に言えるのは、この仕事が合っていたっていうことなんでしょうね。

山下さん:パンっていうのはいいですよね。思いを持ちながら手でつくったものが、そのまま人の口に入って、生きる糧になるところが。オープン当初、自分なりのパンをどうやったらつくることができるか、悩んだ時期があったんです。そしたらデンマークの友だちが、「庭で有機栽培しているりんごを日本に持っていくから、それで酵母を起こしなよ」と言ってくれて。その酵母を5年間ずっと継いでいて、毎日生地を仕込むときに添加しているんです。友人の思いを5年間ずっとつなぎ続けて、すべてのパンにそれを配ることができているのが、僕のパンづくりの満足といえるかもしれません。

澤口さん:まさに愛を配っているんですね。

山下さん:でも、いつ何が起こるかわからないので、ひょっとしたら急に辞めることもあるかもしれません。震災のような不可抗力もありますし。だから悔いなく生きたいんです。将来のために取っておこうとか、計画的に進めようって考えはまったくなく、明日死んでも後悔しないように、そのとき自分がお店という場所で表現できることを全力でやろうといつも思っています。

千葉さん:素晴らしいですね。ありがとうございました。

「ニューニュータウン」とは?

「不動産も街も、もっと面白く」を合言葉に活動してきた東京R不動産が、さびれた街に飛び込んで居心地のよい場所をつくったり、使われなくなった建物のなかに街のような賑わいをつくりだしたりする、街をテーマにした新しいプロジェクト。今までにない新しい方法でまちづくりを展開する予定で、これまで合理的・経済的な観点でつくられてきた街や建物を、人と人、人と店、人と街が、愛着でつながるような場に変えることを目指している。2018年12月には、プロジェクト参加を検討している人たちと一緒に、東京の小さな街が持つ可能性を考える、まち歩きイベントを開催。このイベントは今後も引き続き行いつつ、2019年1月下旬〜2月初旬にはテナントの募集を開始する予定。
https://www.realtokyoestate.co.jp/column.php?n=1131

パンづくりもお店づくりも、大切なのは愛を配れるかどうか。「ブーランジェリーヤマシタ」 【インタビューby東京R不動産】
パンづくりもお店づくりも、大切なのは愛を配れるかどうか。「ブーランジェリーヤマシタ」 【インタビューby東京R不動産】
山下雄作さん

やました・ゆうさく/デンマークに留学し、帰国後、家具メーカーに就職。33歳でパン職人へと転身し、2014年春、二宮町に「ブーランジェリーヤマシタ」をオープン。



Boulangerie Yamashita
ブーランジェリーヤマシタ
神奈川県中郡二宮町二宮1330番地
tel:0463-71-0720
営業時間:10:00~
定休日:木・金
最寄り駅:JR東海道線「二宮」駅約徒歩10分
URL:www.boulangerieyamashita.com
FB:www.facebook.com/boulangerieyamashita
(更新日:2019.02.19)
特集 ー “都市のたたみ方”を考える

特集

“都市のたたみ方”を考える
「東京R不動産」が縮小していく都市の中で街そのものをつくるプロジェクト「ニューニュータウン」。街の風景を変えたキーマンたちを訪ね、話を聞いた。
パンづくりもお店づくりも、大切なのは愛を配れるかどうか。「ブーランジェリーヤマシタ」 【インタビューby東京R不動産】

最新の記事

特集

ある視点