特集 「自分の健康は、
自分で守る」、まち

「予防は治療にまさる」 住民と育む、佐久市の“健康教養”

住民にとって医療が身近になるよう、戦後間もない頃から医療従事者が積極的に働きかけてきた土壌が、佐久市にはある。しかし医療機関や行政がどんなに尽力しても、住民が受け身のままでは意識そのものを変えることは難しいだろう。

 

病気を予防しようとするひとりひとりの意識は、どんな治療にもまさる効果を発揮する。学んだ健康知識を地域や家庭に還元する「保健補導員制度」と、住民自らが行う健康活動「佐久しあわせ教室」。佐久市民の健康教養の高さを裏付ける、ふたつの事例を紹介しよう。

文:兵藤育子 写真:衛藤キヨコ

自分たちで正しい知識を学ぶ。
予防意識を浸透させる、保健補導員

住民の健康教養、つまり健康に関するリテラシーを育むうえで、伝統的に大きな役割を担ってきたのが、長野県の「保健補導員制度」だ。劣悪な衛生環境下で結核や赤痢などの伝染病が蔓延し、乳幼児の死亡率が高かった昭和20(1945)年に誕生。高甫村(現須坂市)の保健婦の孤軍奮闘する姿を見ていた地域の主婦たちが、少しでも手伝いをしようと自主的に呼びかけて、活動を始めたのがきっかけとなっている。

その日を生き延びることに心を砕いていた時代に、自分たちの健康を守るには、まず学習して正しい知識を身につけることが重要だと気づき、自主的学習の場として保健活動をスタートさせたことは、特筆に値するだろう。

時代とともにアップデートしながらこの制度は現代にも受け継がれていて、長野県内ほぼ全市町村の各地域で、住民1、2名が保健補導員となり、研修等で学んだ知識を地域や家庭に還元している。

中山道の宿場町として栄えた、蓼科山の裾野に広がる佐久市望月エリア。10月のある日曜日の朝、女性たちが公民館に集まって年に一度の大掃除に勤しんでいた。掃除終了後、この地区の保健補導員・高橋達子さんの企画によって開催されたのが、地区自主活動と呼ばれる健康意識を広めるための会合だ。集まったのは仕事を持つ50~60代の女性が中心で、お茶とお菓子を囲みながら和やかな雰囲気で会はスタートした。

望月地区を担当する保健師の波間春代さんが、全員の血圧測定と健康相談を行い、その後「フレイル」をテーマにした簡単な講義が行われた。ほとんどの人は初めて聞く言葉のようだが、フレイルは虚弱を意味し、加齢により心身の活力が低下した状態のこと。

健康な状態と要介護状態の狭間を指し、厚生労働省が介護予防につなげるためにも、重点的に力を入れつつある対策だ。言ってみれば流行を先取りしたキーワードなのだが、そんな言葉が山深い地域の公民館の一室で熱心に語られていること自体が、まずもって興味深い。

「今日参加されているみなさんは、まだまだ若く、高齢者を支える側といえます。予防というのは、目の前に迫っていることに対しては残念ながら間に合わないほうが多いです。10年後、20年後を見据えてやるべきなので、将来的に押さえておきたい知識としてこのテーマを選びました」

講義では、筋肉量を自分で測ることのできるテストも紹介。ふくらはぎの最も太い部分を両手の親指と人差し指で囲んでチェックするのだが、誰でも簡単にできるうえ、第三者に伝えやすいというのもポイントだ。

「保健補導員さんは、保健師と地域をつないでくれる存在でもあります。保健補導員さんがいないと、私たちは地域で啓発活動をすることができないですし、些細なことですが今日のような活動の積み重ねで、健康意識が浸透していくのです」

へき地とされる望月地区では、近隣の開業医による週1回の巡回診療が長年行われている。

 

健康について学んだ人が
地域に増えていくことの意味

2019年の佐久市の保健補導員の数は、698名。うち女性は675名で、平均年齢は約60歳だ。

「昭和46年に長野県全域で開始した保健補導員制度は、死亡率がとても高かった脳卒中を減らすことが大きな目的でした。減塩などの栄養指導が中心だったため、その流れで今も保健補導員は主婦の方が大部分を占めています。地域との結びつきが比較的強い女性のほうが、学んだことを家族や地域の人たちに伝えやすいんですよね」

保健補導員の任期は2年間。食事、運動、病気、介護など幅広いテーマで開催される研修や学習会に、平均して月1回程度参加する。波間さんいわく「短大に入学したつもりで2年間、健康について勉強する」のだ。

地域の人は誰でも知っている『望月小唄』に合わせた運動も。手に持っている棒は新聞紙1日分を丸めて作ったもの。この運動は昨年の保健補導員大会で発表されたもので、全身を無理なく動かせるよう工夫されている。

世代的に外に働きに出ている人も多いし、子どもや孫の世話、家族の介護など家庭の事情で学習時間を捻出するのが難しい人も、実際のところ少なくないだろう。それでも任期が終了する頃には、健康に関するさまざまな知識が身につき、地域とのつながりも密になり、さらにはほかの地域の同期の保健補導員との交流も生まれ、経験してよかったと満足する人が多いそう。

「私は30年以上この地域の担当をしていて、今日参加している方たちの親御さんが保健補導員だった時代からお世話になっているんです。2年間の経験を次の人に引き継いで、学んだ人が地域にどんどん増えていくことが、保健補導員の真髄なんですよね」

ひとりでは意見しづらいことを
地域の女性の声にする

保健補導員は行政主体の制度だが、40年以上続いている「佐久しあわせ教室」は、住民が自主的に行っている稀有な取り組みだ。主宰するのは、佐久市臼田の佐々木都さん。

老舗旅館「清集館」の女将である都さんは、91歳になる今も旅館の顔として入口横の受付に座り、訪れる人たちとにこやかに話をしたり、書き物をしたりなど忙しい日々を送っている。

お会いして年齢をうかがうと、その快活さに驚かずにはいられず、しあわせ教室でともに活動している駒村重子さん、井出好栄さんとの和気あいあいとしたおしゃべりを聞いていると、こちらまで自然と元気になってくる。

「しあわせ教室は女性の自立を目指しているのですが、最初は毎月1回楽しくおしゃべりすることを目的に始めたんです。教室を始めた頃は特に、どこの家庭の男性も日々いろんな会合があって、『行ってくるよ』のひとことで外へ出かけられるような時代だったでしょう?

一方で女性は、お姑さんに子どもの世話をお願いしたり、食事のしたくを済ませたりなど、いろいろ都合をつけないと気軽に外出もできやしない。毎月開催する日にちを決めてしまえば、多少なりとも女性が出てきやすくなると思ったのです」

教室のテーマは毎回変わり、豆の煮方やパウンドケーキの作り方など料理を習うときもあれば、手芸、書道、体操などをするときも。参加者自身が講師になって得意なことを教えたり、つてで講師を呼ぶこともある。今まで特に好評だったというのが、親の葬式をテーマにした回。

「みなさんにとって気がかりなテーマだったようで、60人くらい集まりました。戒名の値段はどうしてそんなに高いのか、和尚さんに率直に聞いたりして、ひとりだと質問しにくいようなことも、大勢だと気軽に話し合えるんです」

佐久しあわせ教室は活動はこれまで何度も新聞等に取り上げられていて、住民主体の地域医療のあり方としでも注目する人も少なくない。掲載されるたびに新聞社が記事をラミネート加工してくれるそうで、佐々木さんの手元にはかなりの数が。

暮らしのなかでなんとなく疑問や不安を感じているけれども、ひとりでは声を上げづらいようなことを、“地域の女性の声”にすることも、しあわせ教室の大きな役割といえる。生活にまつわる関心事がテーマになることが比較的多いのだが、参加者の年齢が上がるのに合わせて、2006年から教室の一環として始まったのが、「ドクターとおしゃべりタイム」だ。

会場となる近所の喫茶店にゲストとして医師を招き、診察室での限られた時間では聞けないような素朴な疑問を投げかけたり、意見交換を行っている。

これまで、近くにある佐久総合病院の医師や市内の開業医などをゲストに招き、「笑って老いよう」「ケアからはじまる不思議な力/ケアする側とされる側」「平均寿命と健康寿命」「ペインクリニックについて」「難聴など老いとの向き合い方」などをテーマに開催してきた。さまざまな医師を呼ぶことができるのは、女将である都さんの顔の広さのおかげでもある。

「その昔、佐久総合病院はサケ総合病院って言われていたほど。はしご酒をしたお医者さんたちが、大抵最後にうちに飲みにいらっしゃってたから、向こうの様子はうんと知ってるの(笑)」

都さんは、佐久の地域医療の功労者である若月俊一先生とも交流があった。当時、若月先生が目指した地域や病院内での「医療の民主化」を進めるうえで、お酒の力を上手に利用してコミュニケーションを深めることは欠かせなかったようだ。それはさておき、お酒はなくてもドクターとおしゃべりタイムで医師と住民がざっくばらんに話をすると、診察室のなかだけでは育むのに時間がかかる信頼関係が、無理なく生まれるという。

駒村さんと井出さんお手製の栗ごはん、ズッキーニのカレーピクルス、福神漬け。みんなで集まるときはこうした手作りのお茶請けを持ち寄って、作り方の話でも盛り上がる。

友達みたいな感覚で
医師と住民が気軽に語り合う場

「この会に最初に来てくださった先生が、勤務時間内だとそれなりの謝礼が発生するけれども、勤務時間外だったら自分の意志で自由に来られるから、と言ってくださったんです」

それだけでなく、招かれた医師も参加者と同様にコーヒー代を含む参加費を支払うのが習慣になっている。ゲストとはいえ、ここでは医師と住民はあくまでも対等。参加者に学びが多いように、医師にとっても住民の胸の内を聞ける貴重な機会になっているのだ。

「おしゃべりのあとに特技の歌やギターを披露してくださる先生もいて、みなさん楽しみにきてくださるんです」

顔なじみになった医師とは、病院内だけでなく、スーパーなどで偶然顔を合わせたときも気軽に言葉を交わすし、最近見かけない人がいれば、元気かどうか様子を気づかってもくれる。都さんは、そんな医師との関係を繰り返しこう表現する。

「友達とか仲間なんて言ったら失礼ですし、尊敬もしていますけど……、本当に友達みたいな感覚なんです」

医師と住民が友達感覚で気軽に語り合えるこうした場は、まさに若月先生が目指した医療の民主化を体現しているのではないだろうか。

「地域貢献みたいな大それた思いでやっているわけじゃないの。ただできることをやってきただけなのよね、私たちは」

左から、駒村重子さん、佐々木都さん、井出好栄さん。本音は言う、けれどもネガティブなことは言わないから、いい関係でいられるそう。常に笑いが絶えなかった。

▼保健補導員制度とは?
昭和20年(1945年)に現在の須坂市で誕生。昭和46年(1971年)には、地域住民の健康増進に寄与するため長野県国保地域医療推進協議会が設置され、当時、長野県が日本一の脳卒中多発県だったため、保健婦、保健補導員等によって原因を探る調査を行う。この取組が県下の市町村を巻き込み、保健補導員等の組織化が促進され、現在はほぼ全市町村で組織されている。
保健補導員について:www.city.saku.nagano.jp/kenko/kenkozoshin/kenshin/about.html

波間春代さん(佐久市役所 健康づくり推進課)

保健予防、健康増進、検診推進などの役割を担う、佐久市役所の健康づくり推進課に務め、30年以上、望月地区を担当する保健師。


佐々木都さん(「佐久しあわせ教室」主宰)

佐久市臼田生まれ。老舗旅館「清集館」の女将。地域や女性のための活動を長年続けるほか、随筆集、短編集を多数出版するなど、文筆家としても知られている。著書に『88歳・佐々木都という生き方』など。元気の秘訣は、コイ(佐久名物の鯉料理を食べ、恋をしてドキドキすること)!

【特集:「自分の健康は、自分で守る」まち】
●農村医療が生まれたまちでつながる、「地域医療」のバトン。“医療の充実”がもたらすものとは?▶︎▶︎
●「農村に入ったら、演説ではなく演劇を」 演劇を通じて広がる、佐久市の健康意識。▶︎▶︎

子育て・医療環境が充実する、 長野県佐久市

東京から北陸新幹線で約75分、車で約2時間と、都心からのアクセスのよさと豊かな自然で、移住を考える人の注目を集めているエリア。人口あたりの病院数・医師・医療従事者が多く、医療環境に恵まれている佐久市だが、子育て世代をサポートする体制も充実。佐久医師会が佐久地域で行っている子育て力向上事業「教えてドクター!プロジェクト」では、夜間などに子どもが体調を崩したときに、救急車を呼ぶべきかを判断するためのコンテンツや、実際に救急車を呼んだり、子育て支援センターなどに電話をかける機能があるアプリや子どもの病気や病院受診の目安をまとめた冊子などを作成している。

長野県佐久市空き家バンク「おいでなんし!佐久」:www.city.saku.nagano.jp/kanko/oidenanshi

「予防は治療にまさる」 住民と育む、佐久市の“健康教養”
(更新日:2019.11.28)
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健康長寿のまちといわれる長野県・佐久市。古くから健康教養の土壌が育まれたここには、日常の中に“医療”がある。佐久に根付く健康づくりの秘密を探る。
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