特集 沖縄の小さな料理店

「個性豊かな南国食材と向き合う、沖縄の小さな料理店」【前編】

沖縄本島の南端に、その評判を聞きつけ日本各地からの予約が絶えない小さなレストランがある。同じ日本といえども、本土とは特性の大きく異なる個性豊かな沖縄食材を、かくあるべきと拘らずにまっさらな感性で料理する。

そんな瑞々しい料理が味わえるこの店の主人は、関根麻子さん。沖縄に移住して、もう少しで20年になる。縁もゆかりもなかった南国の地で、さまざまな出会いからカフェやギャラリーで働いたのちに、ひとりで立ち上げたレストランが「一度は訪れてみたい」と噂される名店となるまでの軌跡をたどる。

文:石田エリ 写真:在本彌生

まわりの環境や景色、食材が
自ずと作りたい料理へ導いてくれた

「料理 胃袋」。

一度聞いたら忘れない。印象的なその名前をはじめて耳にしたのは、もう3〜4年ほど前になるのかもしれない。その響きだけで、どんな場所にあって、どんな人が料理をしているのだろうと、自然と想像がふくらんでくる。おいしいらしい、沖縄にあるらしい、女性がひとりで営んでいるらしい、あんまり予約が取れないらしい――そうした噂以上に、この名をつけた女性はどんな人なのだろうと、その人となりに興味を抱いた。

頭の片隅にそうした思いを持ちながら数年が経ち、ようやく〈胃袋〉を訪ねる機会を得た。那覇から沖縄本島の南端、南城市へと車を走らせる。琉球王国最高の聖地とされる斎場御嶽にもほど近い、太平洋を臨む高台に〈胃袋〉はあった。
鬱蒼と南国植物のしげるアプローチを抜けると現われるエントランスには、“胃袋”を象った表札がかかっている。中へ入ると、ひんやりとした漆喰の壁に落ち着いた照明、キッチン側の壁一面の大きな窓が、その向こうの庭の植物たちをスクリーンのように映し出している。周囲の環境自体、観光地である那覇の喧騒からは遠く離れた森閑とした場所なのだが、さらにこの空間が沖縄でも何処でもないような、不思議な錯覚を起こさせた。

〈胃袋〉で出される料理に、沖縄の食材がふんだんに使われていることは話に聞いて知っていたが、それが和食か洋食か、どんな料理なのかは訪れるまでわからなかった。けれど、実際に食したあとの今となっても、ひと口に表現するのはとても難しい。なぜなら、関根さん自身が一つひとつの食材に対して、和食なり洋食なりの手法を当てはめようとはしていないからだ。

「しばらく料理から離れていた時期を経て、やっぱり料理へ戻りたい、店をやろうと心に決めてはいたのですが、どんな店にするのか、どんな料理を出すのかは、まったく決めていなかったんです。でも、この場所でやらせていただけることになって、外の緑があまりにきれいなので壁一面を窓にして。そうしたら、自ずと作りたい料理が浮かんできました」

カレーリーフや数種のバジルをたっぷり載せた鯛の蒸し焼きは、銅の鍋ごとオーブンで加熱し、仕上げにカレーリーフをバーナーで燃やし、煙の香りをまとわせる。これがソースの役割を果たしている。甘く瑞々しい珍種の果物・ミズレモンは、追熟させて低温で長時間焼き(こうすると皮まで食べられる)、ハムとバジルとともに。

この空間で食すこの料理が、関根さんの人となりを物語っている。そう思うと、彼女がなぜ沖縄に暮らすようになったのか、なぜ料理という道を選んだのか、興味は一層ふくらんだ。

しつけの厳しかった子ども時代
海の向こうを旅し続けた20代

関根さんが生まれ育ったのは、東京都の福生市。福生といえば在日米軍横田基地のある町であり、ある意味、沖縄の町にも似たムードを幼少期から味わってきたとも言える。しつけの厳しい家庭に育ち、3歳から中学3年生まではコンクールを目指す本格的なバレエスクールに通っていたため、食事もきちんと管理され、菓子パンにスナック菓子のおいしさを知ったのは、高校生に入ってから。成人するまでは門限も厳しく、グレる暇もなかった。そんな子ども時代の反動からか、若い頃の興味の先は、とにかく大きく開かれた海の向こうの世界。20代は、旅費をためてはアジアを旅してきたが、30歳を目前に、ふと「自分が生まれた日本のことを、まったく知らずにきてしまった」と気づく。そこでまず行ってみようと思い立ったのが、歴史も文化も自分の知る日本とは異なる土地、沖縄だった。当時は、地方の観光事業と関わりのある会社に勤めていたが、退職を機に、沖縄の八重山地方をひとりで旅することにした。

「写真を撮るのが好きで、当時流行っていたポラロイドカメラを2台抱えての撮影旅行のような旅でした。防波堤で出会った戦争体験者のおじいさん、一見するとガラの悪い不良のようで、話してみるとものすごく純粋で屈託のない中学生たち。

行く先々で出会う人は皆、逞しくて、人懐っこくて、やさしい。旅の前に、沖縄のことを知っておきたいと思って読んだ本に記されていた悲しすぎる歴史、苦しい出来事を乗り越え続けてきた背景とは裏腹に、沖縄の人たちの温かい心根に触れて、どうして沖縄の人たちはこんなにやさしく、たくましいんだろうと。それがどうしても知りたくなって、住んでみようと思ったんです」

ちょうど仕事を辞めたばかりで身軽だった、ということもあったのかもしれない。けれど、だからと言って初めて訪れた縁もゆかりもない旅先で移住を決めるというのは、勇気のいることだったはずだ。

「あんまり考えてなかったんでしょうね。深く考えていたら、きっと動けていなかった。もともと場所自体に執着しないほうなんです。どんなふうに生きていても必ず変化は訪れるのだから、その時々の流れに沿って自分の身を置けばいいと、いつもどこかで思っているようなところがあって……。でも今となっては、沖縄には特別な思いがあります」 

自然に即した沖縄での生活
〈胃袋〉の原風景

当時の沖縄では、ウチナンチュ(沖縄の人)の保証人がいないとアパートが借りられないという事情があり、東京でバイトをしながら保証人になってくれる人を探し、1年後にようやく移住することができた。はじめの住まいは、現在の〈胃袋〉のある地域の隣町にあたる大里村。同じ南城市にある沖縄では名の知れた喫茶店、〈浜辺の茶屋〉と〈山の茶屋 楽水〉でウエイトレスのバイトをしながらの生活が始まった。

〈胃袋〉のすぐ近くにある、名水百選にも選ばれた湧水スポット垣花樋川。

「その名前の通り、海辺にある喫茶店でした。面接のとき、オーナーから『ここで暮らすのに時計はいらないよ』と言われたんです。月の満ち欠けと潮の満ち引きで時間がわかる。そんな生活が始まりました。当初、金銭的には決して裕福とは言えなかったんですけど、でもものすごく豊かだったんですよ。

沖縄という土地柄もあって、隣近所やバイト先のまわりなんかに農家さんがいっぱいいるんです。だから、黙っていても方々から野菜がいただけました。ただし、食べきれないくらい、一種類の野菜を大きなビニール袋にどっさり詰め込んで渡してくれるんです(笑)。これを毎日いかに違うふうに料理にして食べるか、というのを試行錯誤するんですけど、それが意外にもすごく楽しかった。ひとつの野菜を、工夫次第でこれだけ違うものに変化させることができるんだと。

それで、野菜をいただいたお礼に何かを買ってお返しする経済力がなかったので、もらった野菜で作ったスープだったり、練り込んだパンだったりをお返しするようになったんです。それをみんな喜んでくれて、また違う野菜をわけてくれるんですよね。当時のそうした記憶が、今の胃袋の原風景なんだな……と、今になって思います」

それまで、特に飲食店の調理場でバイトをしたような経験もなかった。単に生きていく術としての日々の料理が、“楽しい行為”へと変換する。先入観を持たずに、目の前に現れたひとつの食材と対峙するという、現在の彼女の料理への姿勢も、この体験が起点となっていたのだ。

 

変わらない味の先に
変化を受け入れ続ける料理があった。

その後、家族の事情から一度東京へと戻ることになり、その一年後、やっぱり沖縄に戻りたいという思いが募って、再び拠点を沖縄へと移した。そして、友人の誘いで沖縄不在の間に新しくできたというカフェ〈モフモナ〉を訪れたとき、スタッフ募集の張り紙を見つけたことが、次の転機をもたらした。

「オーナーが、いろんなミュージシャンと繋がりのある面白い人で、ライブイベントもよくやっていたのと、カフェというのもあって、面接に来るのは20代の女の子ばかりでした。あとから聞くと、40人くらいの応募があって、私が最年長だったそうで。当時、私は35歳で、オーナーカップルよりも全然年上だったんですよ。年上のスタッフなんて、扱いづらいじゃないですか。でも、なぜか面白がってくれたみたいで、私ひとり採用されたんです」

そうして新しく得たカフェでの仕事は、はじめての厨房担当。現在とは対極的ともいえる、毎日同じメニューを提供するというものだった。

「ミートソースにオムライス。毎日同じ味を提供することの難しさを、そこで初めて知りました。その頃の自分にとっては禅の修行のようでしたけど、『あそこへ行けば、あの味がある』ことの大切さや、みんなに愛される味というのがどういうものなのかも学ぶことができたと思います」

その後、独立して共同経営者とともに宜野湾でカフェを開いたのちに、建物の老朽化により閉店。それを機に料理から離れ、新しくオープンする衣食住にまつわるギャラリーショップ〈Shoka:〉に立ち上げから加わることになった。料理から離れてみようと思ったのは、すぐにやりたいことが内側に湧いてこなかったことと、違う角度から食を見てみたいという思いがあった。

そこから数年。ようやく「料理がしたい」という思いがふつふつと湧いてきた。けれど、まだどんな店にするのかまでは定まっていない。そんな矢先、カフェをしていた頃によく店に来てくれていたという木工作家・藤本健さんのアトリエを店として使わせてもらえるという話が持ち上がった。その1年後の2014年、〈胃袋〉は誕生した。

後編へ続く  >>

料理 胃袋
完全予約制

状況により、時間やお休みなどの詳細につきましては、Instagram @ibukuro_okinawaをご覧ください。
HP:http://www.yakabu123.com/ibukuro.html

「個性豊かな南国食材と向き合う、沖縄の小さな料理店」【前編】
関根麻子さん
1970年、東京・福生市生まれ。2000年に沖縄県に移住。カフェの経営や、暮らしにまつわる工芸品などを扱うギャラリーの立ち上げに携わったのち、2014年に〈胃袋〉をオープン。東京・表参道にあるミナペルホネンのカフェ〈Call〉にて、不定期に開催している料理会のほか、国内外で出張料理も手がける。
(更新日:2020.06.16)
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