特集 まちとアート

ド派手な装飾と衣装で色づく、 奥能登のあでやかな1日。 [珠洲市・蛸島キリコ祭り]

奥能登はその地理的条件から、独特の文化や風習が残る地として知られているが、祭りもそのひとつ。能登半島の先端に位置する珠洲市(すずし)では、夏から秋にかけて連日のようにどこかしらで祭りが開催され、巨大なキリコが町を練り歩く。何がそれほどまでに彼らを熱くさせるのか。珠洲の漁師町・蛸島の一日を追った。

写真:在本彌生 文:兵藤育子

地元の人による、
地元の人のための祭り

能登半島の先端に位置する石川県珠洲市は、のと里山空港から車で1時間弱のところにある、さいはての地。何かとスピードを重視する現代の価値観で、この地を“不便”と言い切ってしまうのは簡単だけれども、不便さは見方を変えれば地の利と捉えることもできる。たとえばほかの地域の影響を受けずに、独自の文化が育まれやすいことなども。しかも珠洲の場合は、今なおその独特の文化が暮らしのなかに脈々と息づいている。毎年夏から秋にかけて市内各地で行われるキリコ祭りと、それに付随するさまざまな風習はその最たる例といえるだろう。

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キリコとは、高さ数メートルから十数メートルの巨大な灯籠のこと。祭りではこの灯籠を担いで町を練り歩くのだが、祭りに対する地元の人たちの熱量が、尋常ではないのだ。日本各地で受け継がれている祭りは、時代とともに外の人に向けて観光色が強くなったり、形式的になったりしがちだが、珠洲の祭りは地元の人による、地元の人のためのもの、という意識が今も根強く残っているように見える。かといって閉鎖的なわけではなく、珠洲を訪れると「次は祭りの時期に来るといいよ」と幾度となく言われる。何が彼らをそれほどまでに熱くさせるのか、伝統的な祭りの消えてしまった地域で育った人には、なかなか理解しづらい感覚かもしれない。

ファッションショーの舞台と化す境内

珠洲市内の蛸島町で祭りが行われる9月10日。この時期は連日のように、珠洲のどこかでキリコ祭りが開催されているのだが、漁師町である蛸島のキリコ祭りは、特に盛大なことで知られている。祭りは、高倉彦神社にキリコと担ぎ手たちが集結して、お祓いから始まる。続々と境内に入ってくる各町内の14基のキリコ(例年は16基)と、「どてら」と呼ばれる衣装をつけた男たち。若い女性が着るような色も模様も派手な着物に、化粧廻しのような長い前掛けをつけるのが男性の定番スタイルなのだが、胸元をはだけたり、腰の辺りをだぶつかせてわざと着崩している。漁師町らしく、大漁旗をどてらに仕立て直している人も。妖艶かつ奇抜なファッションはかぶき者という言葉がぴったりで、色とりどりの衣装をまとった人たちが、青空の下、一堂に会した様子はショーのような華やかさだ。

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お囃子と鈴の音とともに
キリコが町を練り歩く

お祓いを終えたキリコは各町内へと散って、町のなかを巡行する。といってもそれぞれの町は徒歩圏内だったりするので、狭いエリアであっちにもこっちにもにキリコが行き来することになる。蛸島のキリコは高さ6メートル。電線すれすれのところを通るため、かなりの迫力だが、電線のなかった時代は今より2倍近い高さだったというから驚きだ。現代のキリコは小さくなったぶん、総漆塗りで彫刻や金箔を施すなど、豪華さを競う方向へ変わっているのだとか。キリコの前後に施された書や美人画などの絵は、すべて町の人たちの手によるもの。毎年新調されているそうで、ここでも地元の人たちの気合が伝わってくる。
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出くわしたキリコの担ぎ手たちは、一升瓶に入った酒を回し飲みして、早くもいい感じに盛り上がっていた。そのキリコを先導する人は、なぜか顔を白塗りにしている。これは蛸島の神様の使いとされる猿が、白粉をして人間に化けている姿を表現しているのだそう。笛や太鼓に混じって、シャンシャンシャン、と鈴の音が絶えず鳴り続けている。どこで鳴っているのかと思ったら、どてらの裾に鈴がついていた。これは漁師が暗闇で仕事をする際に、居場所を知らせるためにつけていたのが原型なのだとか。

日が暮れて、家々で始まる「ヨバレ」

夕方、キリコは一旦止まり、担ぎ手たちは「ヨバレ」が始まる我が家へと去っていった。ヨバレとは、祭りの日に親戚やお世話になっている会社の上司、同僚などを自宅に招待してごちそうを振る舞う、この地域独特の風習のこと。招待された側は自分の地域で祭りのある日に、同じようにヨバレを行い、お返しをする。時代とともに簡素化しているものの、珠洲の人たちにとってヨバレは、正月並みに盛大に行う大切なものなのだ。
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今回、蛸島でヨバレを体験させてもらったのだが、漁業関係の会社に勤めていたという徳成さんのお宅には、10人ほどのお客さんが集まっていた。なかには同じ日に3軒の家に招待されているため、ヨバレのハシゴをしている人も。宴席を仕切るのはご主人の進さん。妻の信子さんは台所仕事で忙しそうだ。4人いる娘のうち、金沢に住んでいる由美さんが帰省して、お酒を振る舞っている。由美さんは根っからの祭り好きらしく、祭りの時期は毎年必ず帰ってくるのだという。「珠洲のなかでも、祭りの盛んな蛸島に生まれ育ったことが私の自慢。蛸島の人はみんなそう言いますよ」。おそらく蛸島以外に生まれ育った人も、同じように自分の地域の祭りが一番だと誇らしげに言うのだろう。祭りの前後は、町の人口が普段の3倍くらいに膨れ上がるそうで、正月やお盆以外にこんなふうに帰省する機会があって、地元のことを誇りに思っている姿がなんだか羨ましい。今日はヨバレを手伝っている由美さんも、明日は祭り衣装に着替えて、町を歩くのだと嬉しそうに教えてくれた。

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再び町へ繰り出す人々。
祭りはクライマックスへ

表の通りが、再び賑やかになってきた。束の間の休息をしていたキリコがまた動き出したようだ。お囃子を聴いて居ても立ってもいられなくなった由美さんが、「私についてきて」と先導してくれた。夜闇に浮かぶキリコは、飾りがすみずみまで見える昼間と違って、幻想的だ。担ぎ手が歩くたびに響く鈴の音も、闇のなかで一層澄んで聴こえる。いつの間にか通りには人が溢れ、キリコの行列ができていた。これから14基のキリコが、ひとつの場所へ集結するのだという。しかし、祭りを早々に終わらせたくない担ぎ手たちは、なかなかキリコを進めようとしない。14基が集まった景色は、どんなに壮観だろう。はやる気持ちを抑えながら、キリコとともにゆっくりと歩みを進めた。

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来年9月、能登半島の先端に位置し、周囲を日本海に固まれた農山漁村、石川県・珠洲市で、「奥能登国際芸術祭」が開催されます!

開催概要
会場:石川県珠洲市全域
会期:2017年9月3日(日) 〜 10月22日(日)
作品・プロジェク卜数:約50点
主催:奥能登国際芸術祭実行委員会
実行委員長・泉谷満寿裕(珠洲市長)/総合ディレクタ一・北川フラム(アートディレクター)/クリエイティブディレクター・浅葉克己(アートディレクター)/コミュニケーションディレクター・福田敏也(広告・WEBプランナー)/公式写真・石川直樹(写真家)

公式HP:奥能登国際芸術祭 http://oku-noto.jp/
奥能登国際芸術祭公式プロジェクト「おくノート」 http://oku-noto.jp/oku-note/

ド派手な装飾と衣装で色づく、 奥能登のあでやかな1日。 [珠洲市・蛸島キリコ祭り]
(更新日:2016.11.25)
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その土地の自然や文化を色濃く映す、昔ながらのお祭りや芸術祭。まちに溶け込み、まちへのまなざしを変えるアートの可能性を探る人々、場所を訪ねた。
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