特集 「九州竹細工探訪記」
『九州竹細工探訪記』 vol.1日之影町に行く前に 文・絵◎ゴロゥ
別府市在住・グラフィックデザイナー&イラストレーターで、竹細工職人修行中のゴロゥさんが、竹細工のある暮らしを目指して九州に旅に出た!
2015年、鳥取に暮らしていたゴロゥさんに取材させてもらった日から早4年(おひさしぶり!)。住む場所、生活、働き方も変化した今の心持ちが綴られた旅の記録をお届けします。持ち前の、いきいきとした思考と好奇心、具体的な“暮らし”のイメージをたずさえて。
それいけ、ゴロゥちゃん!
絵・文:ゴロゥ
前に、鳥取に住んでいた家に取材にきてもらったのはいつだったんだろう。
あれから少しして茨城へ移り、3年くらいして、いまは大分県別府市に移り竹細工の勉強をしてる。〈ずっと住む場所〉って、〈ずっとつづける仕事〉って、そして、それらを包み込む〈これからの暮らし方〉ってなんだろうなって、そういうことをいろんな場所で考えては右往左往して、ようやく少しその角度が狭まってきたような気がする。いや、もしかしたら違うかも、ただ、なんでも大丈夫かもしれないと思えるようになったってだけなのかも。
別府での暮らしが始まった頃、偶然東京・阿佐谷の〈Roji〉というバーで『雛形』編集部のよっちゃんに会い、最近の話なんかをしたら面白がってくれて、何かあったら報告したいなってなんだか思って。
学校のひとたちと〈日之影町〉へ竹細工を観に行こう!ってなったとき、雛形で取材していたのを思い出して、よっちゃんに連絡してみたってわけです。そしたら旅のことを書いてみない?って言ってもらって。取材してもらったあの日から、今度はじぶんで何かを書くことになるとは。
鳥取での暮らし、茨城での暮らし、そしてこれからの暮らし方を考える別府でのいま。いろいろなところへ移り住みながらも相変わらず同じことを考え続け、動き続けているように思います。
昭和の終わり頃、茨城の片田舎に生まれ、とりたてて豊かな自然があるわけでもなく、都会にあるような洒落たものも文化的なものもほとんどないような小さな町で暮らし、都会に憧れて〈水戸(茨城では都会!)にある〉という理由で商業高校への入学を決めます。その頃、母親がiMacを買ってきたことで〈インターネット〉というものに触れることに。
パソコンを使っているひとはオタクだと言われるような時代の話。内向的で人との交流が苦手だったわたしはネットの世界を通してさまざまな人と出会い、文化的なものに触れ、東京へ出て一人暮らしすることに憧れることになります。
そんなインターネットと共に大きなものが〈水戸芸術館〉。ネットの世界と同じくらい面白いひとたちがいて、また、なんというか〈場所〉というものを意識するようになることに。早く上京したがってたのに、芸館に出会ってしまった卒業間近・高校3年生のわたしは、なんとももどかし気持ちになったのを覚えています。
そんな気持ちがありつつも、やはり〈一人暮らし〉というワクワクは変わらなかったことも。よく晴れた青い空に春の陽気、散り始めている桜の並木道。一人暮らしを始めてまもない頃、自転車で街中を走った時、「わたしは自由だ!!!」と強く思ったのでした。
そして、グラフィックデザインの勉強をしに入学した専門学校での暮らしといえば、思っていたのとは違う現実にすぐさまぶつかることに。キラキラして同じ夢に向かう仲間たちがいると思っていたら大違い。あっという間に見切りをつけ(まだ若かったんでしょう)、〈CET〉という大規模なデザインやアート、建築のイベントをきっかけに外のひとたちの交流がはじまります。
思えばインターネットや水戸芸術館に出会ってから、いろんなひとや働き方、暮らし方があるんだなということに毎回驚いては価値観を変えられていく日々だったように思います。
そんなわけで、卒業してすぐなんとなくつながりで入れたデザイン会社で働いたわたしは、変わってしまった当たり前の価値観とその場所で働くことの折り合いをつけられず、どうにもこうにもつらくなってしまってじぶんを追い込み、いろいろな理由をつけながら1年で辞めることに。
ものすごくたくさん悩んだような気がするけれど、辞めたらとってもすっきりして。
それからはわたしにできることならなんでもっていう感じで知り合いの手伝いをしたりしてるうち、小さい仕事をお願いしてもらい、無職からフリーランスへ自然とうつっていくことに。それはもう、すごくスムーズに。
ひとりで仕事をするってすごいことだと思っていたけど、じぶんが何をするのか、そのことに、ただただ責任をとりながら、相手に対して説明できる状態で行動していれば、それで大丈夫だったように思います。ちょうど個人でデザインの仕事をはじめるのにいい時代だったというのもあるかもしれない。
会社に入って、30歳までに結婚・出産し、家を買い、そして年老いて行くことが人生だと疑わずにいたのに、そうではないひとたちばかりに出会って、わたしの“当たり前”がガラガラと崩れ去り「こうだという人生はない!」という自由すぎる世界に放たれ、どこを目指したらいいのかわからない……という暮らしがはじまることになります。
わたしの中のこれからをあたらしくつくっていかねばならない。暮らし方をつくる、ということに必要なものを知ることから始まって、それをじぶんならどうつくるかを考え、実際に動き、当たり前のことになるまで馴染ませていく。手始めにつくることになるのが個人での仕事になるわけです。それから料理、言葉の選び方、ひととの関わり方、掃除の仕方、食べ物の選び方、姿勢や動き方、着るものの選び方などなどなどなど。
最初はとにかくどうしたらいいかわからなくて大変だったけれど、少しずつその足場のようなものができてきて、それからは様々に呼応しながら自然とできてきたというか、浮かび上がってきたというか。
本当は、そんなふうに悩んだりしないで、自然とあることをただ意識さえできてたら、もっと早くにわたしの暮らし方なんてできてたんだろうなって。でも、わたしにはできなかった。もがきまくることが、とにかく大事だったんだと思います。とても大変だった!!そしてまだつづいている!!!なんてこった!!
高校生2年生の頃にデザインの仕事をしよう、と決めることになったんだけれど、わたしはデザインの仕事をしたいというより、デザインの仕事をしているとある人の暮らしに憧れていて、その暮らしがしたくてデザインの道を選ぶことになりました。そのひともフリーランスだったし、そうなっていくのは案外高校生の頃に既に決まっていたのかも。
それからフリーランスでデザインの仕事を続けて10年経つくらいになってから「このままデザインの仕事をしていていいのかな」って考えるように。働き方については何度も何度も考えて、仕事のやり方を変えたり、いろいろ試してもみたけどどうにもしっくりこなくて、いつしか「仕事自体を変えた方がいい」って。
暮らし方の中で仕事ってすごく大きな部分を占めているのもあったし、どうにかしないとってすごく感じてて。多分、いろんなことをして暮らしてるひとたちに会ったり、見たりしたのが影響してるんだと思う。
〈デザイナー〉とじぶんが感じるひとたちとわたし自身の違いもひしひしと感じていたし。そんなふうに働くことに悩んでいたある日、音楽家の友人に「音楽を続けてどうなりたいのか」尋ねてみたときに、「音楽を通してたどり着きたいものがある」と話してくれたことがあって、それはなんというか、神にたどり着くというようなニュアンスだったように感じてる。
わたしの誤解かもしれないけど、それはわたしにとってとても大切な応えだった。西荻窪のどんぐり舎でのこと。あの時の少し暗い店内と、窓から差し込む光をよく覚えてる。もやもやと悩んでいた悩みにことばが与えられたことで、そこで形がはっきりした。
それから、働くということに関して、ただ〈お金を稼ぐ〉ためにだけじゃなくて、それを通して「何かにたどり着きたい」と考えるようになってくことに。〈何か〉は言葉では説明しづらいことだけれど、感覚としては分かってるもので、多分それはたどり着く場所というより、たどりつく瞬間が時々ある、というようなものの気がするんだけど。
そんなうちに出会ったのが竹細工。でも多分竹細工じゃなくちゃいけないってことではないんだと思う。そこにたどり着くための方法としての竹細工ということで、そこはいろいろと置き換えも可能だと思う。でもなんとなく、ずっとやっていける仕事だなって思えて、そういうのもとても好かった。
そんなこんなあって、別府の「大分県立竹工芸訓練センター」に入校し、竹を仕事にすべく学びはじめたわたしは、今度は頭で考えてるだけじゃなくて、具体的に〈ずっと住む場所〉〈ずっとつづける仕事〉〈これからの暮らし方〉について動きながら考えているところです。
やればやるほど、問題がよくわかり、やることもどんどん増えいきます。そして、学生となり10ヶ月程度経ち、この特別な学びの時間にも慣れてきた頃に出てくるのは、デザインをやっていた時と同じ悩みというか、問題というか。仕事を変えたところで、そこに向き合う〈全体〉というか、そういう部分が変わらないと結局同じになってしまうということ。
大事なのは仕事という手先のことだけじゃなくて、そこを包む暮らし方。相変わらず同じことばかり考えていて笑えるけれど。そして、そのぼんやりとしたイメージをより具体的に見せてくれたのが、今回の日之影町への旅だったように思います。
つづく
PROFILE
ゴロゥ/グラフィックデザイナー、イラストレーター、竹細工職人見習い。1985年、茨城県生まれ。本名は河合沙耶香。グラフィックデザイナーに憧れ茨城から上京。
Instagram:https://www.instagra
HP:http://www.ebreday.net/
▼ゴロゥさんの2015年2月の記事はこちら
“ちょっと遠くへ引っ越す感覚”で、東京から鳥取の山奥へ。ふつうを重ねて生活をつくる。