REPORT

器から文化財まで。使って育てる“一生もの”【いわての漆をめぐる旅・前編】

岩手県

「漆」や「漆器」と聞くと、お正月に使う黒や朱塗りのちょっと特別感漂うものをイメージする人もいれば、最近では器の修復技法のひとつ“金継ぎ”を通して漆になじみのある人も多いかもしれません。 


漆は、古くは縄文時代から使われてきたといわれる樹液が主成分の天然塗料。日本では主に漆器として浸透し、全国各地で漆器づくりが行われるようになりました。なかでもとりわけ漆と深い繋がりを持つのが、漆器だけではなく、原料の漆の一大産地でもある岩手県。そんな岩手県では数年前から、漆や漆器、それにまつわる地場産業などを地域資源として見直し、盛り上げようという動きが高まっています。

時代の移り変わりによっていつの間にか「工芸品」「ハレの日の特別なもの」として限定されるようになってしまった漆文化を、本来の日常のものとして、また、地域の価値として光を当てるには——。

脈々と続く岩手の漆文化を次の世代へと繋ぐ人や場所を前・後編でレポートします。
まずは県南・平泉エリアへ!

(木と対話するように。漆掻きとして浄法寺の文化を繋いでいく人【いわての漆をめぐる旅・後編】)

脈々と受け継がれてきた
暮らしに根ざす漆

そもそも漆って、どんなものか知っていますか? 漆はウルシ科の落葉高木・ウルシノキから採れる樹液で、昔から接着剤や塗料として使われてきました。最近注目を集めている陶磁器の修復技法“金継ぎ”も漆の接着力を生かした昔ながらの知恵のひとつ。漆には接着力のほかにも、水、熱、酸に強い特性があり、耐久性の高い天然塗料として昔から重宝されてきました。

「平泉文化遺産センター」(岩手県西磐井郡平泉町)に展示されている漆製品にまつわる出土品の数々。漆器の場合、〈写真下〉のお盆のように、土台の木地の部分が朽ちてなくなり、内面や外面に塗られた漆の皮膜部分だけが出土されることが少なくないそう。腐食しにくい漆の耐久性を物語っている。

 

そんな漆ですが、日本で使われている漆のほとんどは中国をはじめとした海外からの輸入品で、国産はわずか3%あまり。この希少な国産漆の約7割を生産するのが岩手県なのです!

かつては岩手県以外の漆器産地でも漆の栽培・採取が盛んだったそうだが、大量生産できる工業製品や安価な輸入品などが普及したことで漆器の需要が減少。その影響で漆の林も各地から姿を消していった。

また、基本的に分業制で作られる漆器は、原料の漆を採る漆掻き職人、木地を彫る木地師、漆を塗り重ねる塗師、そのほか細かな工程を含め、職人から職人へと手仕事の連携で1つの製品が生まれます。ものが生まれる一連の技術をすべて県内でまかなうことができるのも、岩手県の漆文化の特徴のひとつ。

ウルシノキが育つ環境や採取方法の違いなどから、国産漆は輸入品に比べて発色や耐久性が優れていると評価されていて、2018年度からは国宝や重要文化財などの歴史的建造物の保存・修理には国産漆を使用することが決められました。

こうした国産漆を代表する岩手の漆は、県北の二戸市浄法寺地区で生産されることから“浄法寺漆(じょうぼうじうるし)”と呼ばれ、世界遺産・平泉を代表する国宝の中尊寺金色堂、京都の鹿苑寺金閣、栃木の日光東照宮などの保存・修理に用いられています。

中尊寺金色堂の外観。金色堂は1124年の建立当時から内部の塗装に漆が塗られ、装飾には金箔、螺鈿(らでん)、蒔絵(まきえ)といった漆工芸が随所に施されている。

 

中尊寺を案内してくれたベテランガイドの向井さん。

 

“伝統”という言葉に縛られないものづくり

「中尊寺の金色堂は技術が発達したいま見ても、かなり高度な漆の技術がふんだんに詰め込まれていて、とても勉強になります。昔から岩手で産出されてきた特産品の“金”を元手に、夜光貝や象牙といった珍しい材料を外国から仕入れて装飾に取り入れたのはすごいこと。地域の資源を生かし、魅力的なものを積極的に取り入れながら新しいものを生み出すという発想は、今の私たちの漆器づくりにも大いに参考になります」

こう話すのは、岩手の伝統的な漆器のひとつ、秀衡塗(ひでひらぬり)を製造・販売する「翁知屋(おおちや)」四代目当主の佐々木優弥さん。中尊寺からほど近い場所にある店舗兼工房を訪ね、お話を伺いました。

秀衡塗専門店「翁知屋」四代目の佐々木優弥さん。

 

工房のショールームに入ると、まず目に飛び込んでくるのが壁面の棚にずらりと並ぶ絵柄入りのお椀や酒器。同じ図案やモチーフでも、配置や柄の分量によって華やかなものからシンプルなものまで印象はさまざま。

 

岩手県内に点在する3つの主要漆器産地のうち、県南部の一関・平泉エリアで作られている秀衡塗は、天然木の素地に漆を塗り重ねた上から、金箔、蒔絵、絵付けなどの加飾を施したデザインが特徴的です。

 

秀衡塗は、平安時代に栄華を誇った奥州藤原氏の第三代・藤原秀衡が京都から職人を招き、岩手県特産の漆や金を使ったお椀(=秀衡椀)を作らせたのがルーツだといわれている。

「秀衡塗の技術は明治〜大正時代に一時途絶えていました。それが、昭和のはじめに平泉の隣の奥州市衣川地区で当時盛んに作られていた増沢漆器の職人だった私の祖父ら作り手たちが、再興するために一念発起したそうです。同じ時期に、岩手を訪れた柳宗悦ら民芸運動家たちと共に、ルーツとなる秀衡椀の意匠や構造を研究し、復元に成功しました。今、秀衡塗の各工房で作られている漆器は、こうした当時の研究で明らかになった3040種類の古代模様を参考に描いています」

秀衡塗の伝統的な2つの絵柄、金の菱形を組み合わせた「有職菱文様(ゆうそくひしもんよう)」と、たゆたう雲を表した「源氏雲(げんじぐも)」が描かれた漆器。〈写真下〉の箱やお膳のような角物(板物ともいう)は、木地を作る職人がかなり減っているそう。

佐々木さんが漆器づくりの道を歩み始めたのは26歳のとき。若くして病気で亡くなった父親の跡を継ぐため、東京の大学を卒業後、岩手へ戻り家業に入ることに。漆器づくりの技術は自社に長年勤めていた熟練職人のもとで学びながら、先代たちが残した秀衡塗の資料や製品、繋がりのある作り手らとの交流を通して知識を身につけていったそう。

それから14年、塗師としてはもちろん、漆器の企画・デザイン、会社の経営、店頭での販売までを一手に担い、翁知屋の看板を守り続けています。

「よく耳にするのが、『漆器は大事に仕舞っています』という声。それって全然大事にされてないですよね(笑)。漆器は使ってこそ良さがわかるものなので、まずは箱から出してもらいたい。そんな気持ちから、鳴子こけし職人とコラボしたオブジェを兼ねた漆の小物入れや、タンスのつまみを作る職人さんの技を生かした漆塗りの髪留めなど、秀衡塗の技術を生かして気軽に使えるものづくりに力を入れています。

漆器産業全体の規模が縮小している今、これまでのものづくりだけでは企業として生きていけない。伝統的な秀衡塗を守りながらも、お客さんのニーズを汲み取った新しいプロダクトに挑戦したり、魅力を伝え、売る仕掛けを考えたりすることが大事になっていくはず。伝統という言葉に縛られないものづくりが必要だと思うんです」

おだやかな口調ながら、秀衡塗を次の世代に少しでも良い形で繋いでいきたいという強い使命感がにじむ佐々木さんの言葉。世界に向けた発信も視野に入れ、挑戦はまだまだ続きます。

中尊寺からの眺め。

漆器は使って育てる“一生もの”

「重厚感があって敷居が高い」というイメージが強い漆器ですが、岩手で出会った方々が口を揃えて言うのは「漆器こそ毎日ふだんづかいするもの」ということ。

秀衡塗のように加飾が特徴の漆器も、もともとは実用の漆器を作る職人が生み出したものなので、使いやすさと丈夫さは大前提。実際、手に持つと驚くほど軽やかで、直接口をつける汁椀やスプーンなどを使ってみると、「あ、なるほど」と納得するほど、木のなじみの良さと漆塗りならではのなめらかな口触りを実感できます。

そして、何層にも漆を塗り重ねて作られた本物の漆器は5年、10年……と使い続ることで艶が増し、新品の時とは別の美しさをまとうのも醍醐味!たとえ一部が欠けたり、塗りがはげ落ちたりしても何度でも修理ができ、まさに一生ものとして使い続けられます。

年代ものの漆の出土品、文化財の塗料としての漆、新旧の秀衡塗……と、さまざまな形で受け継がれる漆文化に触れ、素材としての汎用性の高さをあらためて知った平泉での1日。

続く《後編》では、岩手県北部・二戸市浄法寺に根づく漆文化をレポート。地域おこし協力隊から漆掻きとして独立する若手職人をご紹介します!

イラスト:堀 道広 文:木下美和
(更新日:2019.03.15)
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