特集 春の手前のちいさな物語

「そこに寄り添うひとたち」 春の手前のちいさな物語 【北海道・下川町】

北海道の北部に位置し、人口は約3300人。ひろさは東京23区くらい。森が90%を占めていて、木々と共存している下川町。北国の春は乱暴で、突風が吹き、強い雨が降り続ける。まだ3月半ばなのに、春の気配を感じる。

自然の息づかいを感じる下川町と出会うための、ちいさな旅の物語。

真夜中に目が覚めたらとても寒くて、いそいでストーブをつける。札幌とはちがう、凛とした寒さ。今日はどんな感情や物語に出会えるのだろうか。

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編集協力:下川町産業活性化支援機構タウンプロモーション推進部 

春の手前の森へ

午前7時前に起床してカーテンを開けると、静かに雨が降っている。遠くのほうは霞んでいる。窓からは、ぽつぽつとした雫の模様をした雪が見える。時間がそのまま凍って、うつくしい形のままの植物が、そこにある。

NPO法人森の生活を訪れる。3年前に札幌より移住した藤原佑輔さんは、胡桃の木でつくられた名刺を手渡してくれた。重厚な色をしている。下川では、森の資源をあまねく使う。今からトドマツの枝葉を採取して、エッセンシャルオイル作りを体験する。トドマツの木は町のシンボルだ。

藤原さんの運転で「体験の森」へ向かう。町が所有する森で、散策もできる。雨あしは増すばかり。もう、春が、そこまできている。

まずは、トドマツの葉や枝を自分の手で触れてみる。すぐ近くでエゾリスが松ぼっくりを食べている。わたしたちの存在に気づいても、逃げずにこちらを見ている。

柄の長いのこぎりを高くかかげて、トドマツの枝を切る。樹木自体が、柑橘が混じったような匂いだ。樹皮にふくらみがあり、そこに枝をさすと樹脂が垂れてくる。マツヤニが爽やかな香りを放つ。

この森のトドマツは植えられたもの。間隔を保って育ち、40〜60年で伐採する。そして、また植える。トドマツは家具になったりアロマオイルになったり。

カラマツの松ぼっくりはバラのかたちをしている。松にもいろんな種類があって、こんなにも異なるなんて知らなかった。枝葉をかごに入れていくわたしの身体にも、香りが染みついていく。

枝を落とす音が森に響きわたる。雪はあらゆる音を吸収するので、冬は静寂だ。雪の下では熊笹が息をひそめている。木々は光を吸収し、温度を持つ。根元のまわりの雪が窪んでいる。植物も呼吸をしているのだろう。

枝は裂けやすく、簡単に手折ることができる。かごはすぐにトドマツでいっぱいになる。青々とした常緑針葉樹。冬の樹木はわかりやすい。枝の先に冬芽をつけた胡桃の木は、樹皮の色も濃い。夏になると葉っぱがでてきて、にぎやかな緑の景色に混じっていく。

いつのまにか雨はやみ、日が射していた。エゾリスが立ち去ったあとには、きれいに食べつくされた松ぼっくりが落ちていた。あますことなく森のめぐみを味わう。

おおきな瓶に、枝葉をつめていく。あたかも理科の実験のよう。ぎゅうぎゅうにつめこまれた瓶の下のところに水をいれて、火にかける。沸騰していくと、鮮やかな緑が蒸した野菜の色になっていき、水蒸気が枝葉を通る。芳香成分をふくんだ油が水蒸気にのって、はこばれる。

水蒸気が冷えると液体になり、らせんになった管を通って、白濁して、漏斗みたいな部分にあつまる。水だけを取りのぞき、残った油がエッセンシャルオイル。大量の枝葉からとれるオイルは驚くほど、ほんの少し。まるで詩みたい。たくさんの言葉があふれるなかで、上質な詩が残る。

 

森のひとは、森をくまなく知っている

2000年に森林組合によってトドマツの精油事業がはじまり、2008年にNPO法人森の生活が引き継いだ。2012年に精油事業が独立して、株式会社フプの森が設立された。「フプ」はアイヌ語でトドマツを意味する。

田邊真理恵さんの名刺はトドマツで、いかにもフプの森の代表にふさわしい。田邊さんは北海道千歳市の出身で、もとより林業に興味があり、森に関わる仕事をしたいと考えて下川に移住した。

蒸留するための工場内で、息を白く染めながらも、悠然と語ってくれる。

もともと森が大好きで、それが仕事になって、商品を開発している。柔軟な姿勢で月日を過ごしている。わたしもずっと本が大好きで、言葉が仕事になっているから、かってに親しみをおぼえる。

秋にまとまって伐採することが多いけれど、毎年ちがう。春は新芽があるので、瑞々しいオイルができる。夏は夏で、秋は秋で、香りが変わっていくらしい。

森のひとは森をくまなく知っている。そのときどきで木々の状態を把握して、蒸留するのだ。森と一緒に生きる。田邊さんの表情はやわらかい。白い吐息すら、あたたかい印象を受ける。

なにもないのがいい

世界中を旅していた。旅人の感覚で、30年前に下川に引っ越した。なにもないのがいい、とレストラン「モレーナ」のオーナーである栗岩英彦さんは言う。

古い家屋の二重窓は頑丈で、室内の温度を守る。空き家を自分たちで改造して、レストランにしたという。犬のマリオと猫のアーネストは来客を歓迎する。

夏にお金を貯めて、冬になったらお店をお休みにし、海外を旅する。旅の最中に絵を描く。栗岩さんは、ほんとうの旅人。旅にでるためにレストランをやっているようなもの。そう話してくれる笑顔が眩しい。

店内には旅先で描かれた絵が飾られ、世界中から持ち帰った雑貨も置かれていて、空間まるごとが栗岩さんをあらわしている。ゆるやかな時間が流れて、いつのまにか窓のそとでは雪が降りだしていた。

ポルトガルのリスボンで暮らしていたが、47才のとき、どこかに錨を下ろそうと決めた。店主は、静かで自然のある場所に居をかまえた。この町を選んだのは旅人の直感。そういう感覚ってもっとも頼りになるもの。

ふたたび窓のそとを見やると、白樺が音もなく揺れている。絶えまなく雪が降り続いて、またたくまに真冬に戻る。

気を遣いすぎない町

硝子で造られた小部屋を抜けて、玄関のドアを開ける。風除室は、風の吹きつけなどをやわらげるための、玄関の前にある部屋。北国ならではの構造。

今夜は夕食に招いてもらった。お料理を持ち寄ったり、みんなで作ったり。これからの時期だと山菜を採りに行くから、それを食べたり。

おおよそ月に2回、開催される食事会。おいしい匂いが台所に漂う。テーブルに並べられていくキャベツのサラダや、ブロッコリーと玉子のマヨネーズ和え。薪ストーブの上では、鹿肉のシチューがはいったお鍋が温められている。

今夜の食事会には、下川町産業活性化支援機構タウンプロモーション推進部の女性ふたり、パン屋さんで働く女性など、わたしと写真家の円山恭子さんをのぞいて5人が集まっている。その5人全員が移住者。地元の椎茸を使ったグラタンがテーブルに登場したら歓声があがる。贅沢な時間。丁寧な暮らし。

電球の灯りがやさしいリビングは落ち着く空間で、女性7人でおしゃべりをする。味噌作りの話や、ワカサギ釣りの話をしていたら、ゆっくり夜が更けていく。

ここは、よそから来たひとを受け入れてくれる町。年齢や性別は関係なく仲良くなれる町。でも、気を遣いすぎない町。

おもてに出てみたら雪はやんでいた。市街地なのに、ひたすら静かで、街灯があたりをささやかに照らしている。都会はいつでも明るくて、時間のさかいめが曖昧だ。しかし、この町の時間のさかいめは自然とともにある。暗くなったら眠る。朝になったら起きる。おはようとおやすみを言う。明確な季節と自然の流れを享受して、楽しむ。あたりまえのことをあたりまえに過ごすって、実に上質な生活。下川に住むひとを羨ましく感じる。

ひとびとがあるがままに暮らしている。満ち足りた空間に居ると、明日に帰宅する事実に寂しさをおぼえる。薪ストーブの炎は、そんなわたしの気持ちなんて関係なく、ゆらゆらと橙色を揺らしていた。

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文:三角みづ紀
詩人。1981年、鹿児島県生まれ、北海道在住。東京造形大学在学中に現代詩手帖賞、第1詩集で中原中也賞を受賞。第2詩集で南日本文学賞と歴程新鋭賞を受賞。執筆の他、朗読活動も精力的におこない、スロヴェニア、リトアニアなど多くの国際詩祭に招聘される。一カ月の間、欧州を旅して執筆した第5詩集『隣人のいない部屋』で萩原朔太郎賞を史上最年少受賞。代表詩篇は翻訳されメキシコ、オーストラリア、フランスをはじめ他国でも紹介されている。2020年5月に第8詩集を刊行予定。
http://misumimizuki.com/

写真:円山恭子
写真家。1975年北海道生まれ。大卒後会社員・非正規・アルバイト等を経て2015年よりフリーランスフォトグラファーに。2020年4月1日~30日に札幌天使病院天使ギャラリーにて「FLOWER」展を開催。花の色に救われた経験があり、自分の産まれた病院に花の写真を展示。近年の個展に就職氷河期の経験を釦等で表現した「人生再設計第一世代?」展(2019)。
https://maruyamakyoko.shopinfo.jp/

●NPO法人森の生活
精油作りや散歩、山菜採り、満月の日のムーンウォークなどの体験や、宿「森のなかヨックル」などを運営し、森林を通じた、持続可能な地域暮らしを提案している。
https://morinoseikatsu.org/

●株式会社フプの森
2000年に、林業のまち下川町で森林資源活用のために生まれたトドマツ精油事業。「フプの森」では、北海道の森を代表する木「トドマツ」の精油などを販売している。
https://fupunomori.net/

●レストラン「モレーナ」
世界中を旅したご夫婦が行き着いた地、下川町にあるレストラン。
住所:北海道上川郡下川町北町309番地
営業時間:11:00~17:00
定休日:月曜日、不定休
電話:01655-4-4110

(更新日:2020.04.09)
特集 ー 春の手前のちいさな物語

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春の手前のちいさな物語
人口約3000人、東京23区と同じくらいの広さに森が90%を占める北海道・下川町。春の気配を感じる3月、この地の自然の息づかいに触れるちいさな旅に出た。
「そこに寄り添うひとたち」 春の手前のちいさな物語 【北海道・下川町】

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