特集 聞く人

三者三様の「聞く責任」。信田さよ子さん(カウンセラー)×上間陽子さん(教育学者)×岸政彦(社会学者)さん/本『言葉を失ったあとで』刊行記念トークイベント

青山ブックセンターのオンラインイベントで、過去最高の申込数だったという、信田さよ子さんと上間陽子さんの対談集『言葉を失ったあとで』の刊行記念トークイベント。

語り手は、公認心理師・臨床心理士としてアルコール依存症、摂食障害、DVなどの当事者のカウンセリングを行ってきた信田さよ子さんと、沖縄で若年出産をした女性の調査や、自身のことを綴ったエッセイ『海をあげる』の著者で、教育学者の上間陽子さん。そして沖縄、生活史、社会調査方法論を研究テーマに、多くの人に聞き取りを行ってきた社会学者の岸政彦さんだ。

言葉を失ったあとで』で語られたふたりの方法論に、沖縄や生活史をテーマに多くの人に聞き取りを実践してきた岸さんの方法論が重ねられた対話の中から、「聞く」のありようが見えてきた。三者三様の「聞く」責任について。

文:兵藤育子 写真:阿部 健

加害者を“理解”することはできるのか

信田さよ子さんと上間陽子さんによる『言葉を失ったあとで』は、言葉を失うような経験をした人たちの語りに耳を澄ましてきたふたりが、言葉を重ねていく対談集だ。その帯には〈「聞く」の実際。〉と記されている。

信田さよ子さんは、開業カウンセラーの第一人者として原宿カウンセリングセンターを設立し、アルコール依存症、摂食障害、DVなどの当事者と長きにわたって関わってきた、公認心理師・臨床心理士。上間陽子さんは琉球大学教育学研究科教授であり、地元沖縄で若年出産をした女性たちの社会調査を行っている。社会学者の岸政彦さんを交えて行われた刊行記念鼎談は、本書で語られてきたふたりの方法論に、沖縄や生活史をテーマに多くの人に聞き取りを実践してきた岸さんの方法論が重ねられ、三者三様の「聞く」が見えてくる。

まず岸さんがこの本の感想とともに投げかけた問いは、ふたりの聞き方の違いについてだった。

岸さん:前から思っているんですが、今回、『言葉を失ったあとに』を読んで改めて、上間陽子さんの原動力は“怒り”なんだなと思いました。だから「加害者を理解できない」「そんな話、私だったら聞けない」と何回も言い切って、加害者に接したときの個人的な感情を表明している。一方、信田さんはそれをほとんど言わない。加害者の話になると、プログラムの内容やカウンセリングの進め方などテクニカルな話しかしない。まず信田さんから単刀直入にお伺いしたいんですけど、加害者の話をどういう思いで聞いているのでしょう。

信田さん:ひどいなあとは思いますけど、怒りを動機に仕事はできないんですよね。私はジェンダー的には女性ですけど、もし男として生まれたらこの人たちと同じことをやっていたかもしれないっていう思いがあるんです。怒りはない、と言ったら嘘かもしれないけど、好奇心が勝るんですよ。深海魚って水面から引き揚げると、目玉や内臓が飛び出て中身が弾けますよね? そういう存在を腑分けしてるような感覚なのです。私に料理できないものはないだろうっていう不遜なところもあり、とにかく相手がわからなければわからないほど、ファイトが湧きます。だからDVの加害者、たとえば本当に妻を殺してしまったような人でもちゃんと会えるし、話を聞けます。怒りは、面と向かったときには出ないんです。

上間さん:すぐには信じられない……。

信田さん:あはは。上間さんって本当に面白いっていうか、いいですよね。

上間さん:溢れんばかりの好奇心っていうのはわかるんですよ。知性の塊だなって。

信田さん:それはたぶん、怒りを知性の回路に変えているのだと思います。

上間さん:私は(加害者の話を聞くのは)素直に嫌だと思ってしまうんですよね。でも今、怒りを知性に結びつける回路の話を聞いて、それを真似ることは可能なのかなとも思いました。ただ、モードチェンジをして聞くのは、かなりの力技でもありますよね。

信田さん:娘に性虐待をした父親に会ったとき、「だって最後までやってないんですよ」と自慢げに言われたことがあります。あんな状況だったら、本当にやってもいいのに、僕はやってない、褒めてくれってアピールされたとき、私ははたして怒りの感情が湧いたかなと思うんですね。そういうとき、ものすごい引いちゃうんです。天高く、30メートルくらい上に行って、そこから見ているような。それは乖離なのかもしれないけれど、私の中に怒ったらおしまいっていう思いがあります。

岸さん:それを今日は聞こうと思っていました。やっぱり聞いているときに、深いところで切断している?

信田さん:切断とも言えないんですよね……。

岸さん:そこが唯一言語化されていない部分だと思うんです。加害者の話を聞くときの信田さんはどこにいるのか。

 

岸さんは上間さんと同様、「加害者の理解は倫理的に不可能だ」と感じている。ふたりが聞く目的は社会調査であり、さらにその語りを書く必要があることも「理解が不可能」な理由として大きいようだ。

岸さん:理解して書いてしまう段階で、(被害者である語り手に対しての)責任解除になってしまう。つまり背景や状況を書いて、こういうことをしても仕方ないんだってところまで持っていくのが、理解だと僕は思っているんです。

信田さん:性被害者が加害行為をした人について、「なぜ自分を選び、あの場所でああいうことをしたのか」を(自分なりに腑に落ちることを)理解と呼ぶならば、被害者は理解を切望していると思うんです。なぜなら目の前に二度と現れてほしくないし、存在を思っただけでフラッシュバックが起きるにも関わらず、被害者は絶えずその思考を行ったり来たりしていると思うので。
だから先ほどの父親が「最後までやらなくて偉かったでしょ」と私の前で語っていたとき、私は30メートルくらい上に立って何をやっているかというと、やっぱりその人の被害者である娘に、あなたの父はこんなグロテスクで無神経な男なんだよって伝えてやりたい。そういう気持ちは、どこかにあるのかもしれない。

岸さん:そのときの信田さんはどこに立っているんですか? 被害者のところにいる?

信田さん:被害者のところですね。

上間さん:すごいなあ。

岸さん:真逆のことを同時にしている。聞いている瞬間に、乖離しているんですね。この本で勉強になったのは、加害者のグループカウンセリングでも、「ここまで変わって偉いね」みたいに誘導するじゃないですか。すると加害者同士がその承認を巡って競争して、もっと変わろうとする。そのとき信田さんは乖離して、完全にプロになり切って30メートル上に立っているわけだけど、何のためにそれをしているかっていうと被害者のためなんですよね。(加害者と向き合いながら)被害者にコミットしている。

信田さん:そこは絶対に譲らない。

岸さん:両方同時にここまでできる人は、なかなかいないんじゃないかなと思います。

 

聞く責任をまっとうしながら、どう書くか

調査として対象者の人生をつぶさに聞いていく経験を、岸さんは「引きずり込まれる」と表現する。その典型として、同じ社会学者で、沖縄の若者たちを10年以上調査し、『ヤンキーと地元』を著した打越正行さんの聞き方を引き合いに出した。

岸さん:元妻をボコボコに殴って、留置所に入った男性が調査対象者だったんだけど、その人が泣いている横で打越さんも泣いちゃうんですよね。それくらいの関係性ができてくるのが調査で、上間さんも語り手と関係性を作っていくタイプなので、警察とか病院にも一緒についていく。

聞くことで引きずり込まれる一方で、書く段階になると信田さんが言うように「30メートルも上に立つ」くらい俯瞰的にならなければいけない難しさについて、さらに語る。

岸さん:僕らの聞き取りはその場だけではなく、前後に何十年も続いていて、まず沖縄に対して、僕なり上間さんなりの関係性が最初にあるわけです。上間さんだったらもともとヤンキーの子らと一緒に遊んでいたみたいなことがあるだろうし、僕だったらヤマトの沖縄病だった観光客のような入り方をして、ずっと巻き込まれている。だから上間さんが、加害者の男性を理解して書こうとするとき、そのテキストが沖縄で一緒に支援活動をやっている女性たちにどう読まれるか、あるいは何回もやり取りをしている若年女性の方にどう読まれるのかみたいなところまで考えると、切断して書けないんですよね。

上間さん:書けないですね。でも(打越さんの調査対象である)妻にDVをした方は、あの時期ものすごく追い詰められていたことが、10年間の付き合いのなかでわかっている。そうやって長期的な尺度で書いていくのは、ひとつの方法としてあり得るのかなと最近思ってきています。

信田さん:岸さんと上間さんがおっしゃったことを自分に置き換えて、もし私が加害者の語りを書くとしたら、それに対する被害者視点と、語った言葉に対して私がどう思うかを付け加えずにはいられない。独立してそれだけ書くことはできないと思う。

岸さん:これも信田さんの仕事とかなり違う点だと思ったのですが、僕らは書いたものを本人に読んでもらうんですよね。

信田さん:それは、私も上間さんとの対談で聞いて本当にすごいと思いました。

岸さん:その辺も引きずり込まれるひとつの局面で、どっちがいいっていう話ではなく、つくづく難しいし、答えが出ない。

信田さん:難しいですね。私がもし書くとしたら、語り手は私が書いたものなんか読まないっていう確信のもとで書くから。だけどもし、カウンセリングでお会いする加害者的な立場の人のことを私が書いて、読んでもらうとしたら、自分の行為が文字化され、客体化されたものを彼らがどう思うのか。そこから行動修正に役立ててもらうっていう、美しいまとめ方もできますね。

岸さん最大の違いはそこで、僕たちはこちらからお願いして話を聞かせてもらっているんですよね。本人たちは別に、僕の書いたものを通して行動療法にしたいなんて思わないわけです。

 

信田さん:ゴールが違いますからね。ただ、私は沖縄戦の語りについて岸さんが書いたものも読みましたが、ヤマトから来た見も知らぬ岸さんに、あれだけの語りをしたってことは、語った本人にも何かあるんですよ、やっぱり。時間を共有し、ただひたすら聞いてくれるなかで、おそらく誰にも語っていないようなことを言語化し、フラッシュバックも起こっている。それって絶対本人に、何かが起こっているんですよ。

岸さん:よく初対面の人に、これだけしゃべってくれたなっていう思いはあります。「人に言うのは初めてなんだけど」とか「こんなことを言うつもりじゃなかったけど」と言ってしゃべる人が結構多いので。だから聞けてはいるんだろうなと思うけど、書くところで止まるんですよ。(聞き書きには)語り手、聞き手、読み手、書き手がいると思うんですけど、この場合4人ではなくて、聞き手=書き手なので3者関係ですよね。聞き手=書き手がどう振る舞うか、というときに、聞き手と書き手の役割が矛盾するときがある。だから僕と上間さんには共通点があって、論文が下手なんですよ(笑)。

上間さん:今止まっているのは、まさにそれです(笑)。もう少し言うと、聞き手のときの私を引き離して、分析的な視点を持たないと書き手にはなれない。論文はメタ的にいろんなものを書いていくのがお作法なので、話を聞いた人たちをさまざまな形で切り刻んでいく作業になる。それがとても難しく感じるんですよね。

 

言葉を禁じることで生まれる、内側の声

岸さんと上間さんの聞き方の違いを語るにあたり、岸さんは自身が編者として関わった『東京の生活史』の話をした。これは一般公募した150人の聞き手が、東京で生きる150人の語りをまとめているインタビュー集なのだが、その聞き方・書き方には、岸さんが長年調査で行ってきた手法が踏襲されている。

岸さん東京の生活史』では、(聞き手に対して)「聞かないでください」と言ったんです。「積極的に受動的になってください」って。これは僕が25年くらいかけて作ってきたスタイルなんですけど、なんでこんなスタイルになったんだろうなって改めて考えて。僕の聞き取りは基本的にワンショットだし、肝心なところで全然聞いていないんですよ。

こないだある研究会で、僕の聞き取りが浅いって言われたんです。公式見解みたいなことしか言ってない、と。でも、公式見解みたいなことしか聞けないんですよ、僕。個人の内面に立ち入って、「どんな悩みがあるんですか?」とは絶対に聞かない。ただ「へえ、そうなんですか」って言ってるだけで、2時間くらい聞いて、「ありがとうございました」と言って帰ってくる。そうすると、自分史みたいな表立ったことしか話さないわけですよ。

(なぜ内面に立ち入るような聞き方ができないかというと)罪悪感なんですよね、やっぱり。沖縄にお詫びして回っている感じなんです。ヤマトの人間が、どれくらい基地とか貧困を押し付けているか。沖縄で聞き取りをするということを考えると、どうしてもそうなってくる。深く突っ込まないで、その場でいただいて帰るだけなんです。

上間さん:私は一緒に聞き取りをしたことがあるから、それはわかっていて。90代の女性の方に聞き取りをしているとき、ひとりずつ亡くしていった話をして、「この話はしたくない」って泣いていたんです。それに対して岸さんは、本当に聞かないんです。岸さんのほうがうなだれて、「もういいです」って感じだったから。

岸さん:その場で打ち切ってしまった。そのとき上間さんが「それでお母さんをどこに埋めたの?」って聞いていて、すごいなこの人と思った(笑)。調査者としては上間さんのほうが正しいんだけど、僕はそれ以上聞けないんですよ。ラベルを貼らないというか、誘導しないというか、どれくらい受け身になれるか実験みたいなところはありますね。

信田さん:そのスタイルに気づいたのは、いつなんですか?

岸さん:2006年に大学に就職して、学生を沖縄に連れていって調査をさせるようになったあたりですね。その経験を元に教科書(『質的社会調査の方法ーー他者の合理性の理解社会学』共著、有斐閣)を書きました。学生や院生に教えるときに、理論的な正当性もあるんです。たとえば、なんでUターンしたかを書くときに、「なんでUターンしたんですか?」ってずばり聞いちゃうと、その場で考えた凡庸な答えしか返ってこない。人は自分の行為を全部言語化しているわけではないので、それが本当の理由かどうか怪しいじゃないですか。だからそういう聞き方はしないようにはしてましたね。

信田さん:それはそうですよね。「なんで奥さんを殴るんですか?」とか、そんな愚問はない。

岸さんが安易に「なぜ」と問わないのは、本書で紹介される信田さんのカウンセリングで、「言葉を禁じる」ことにも通じているように思える。信田さんは、たとえば「意志が弱い」とか「自己肯定感が低い」というような常套句になっている“都合のいい言葉”で、語り手が自分の行動を理由付けようとしたとき、別の言葉で言い直すよう促すのだという。

上間さん:そういう話し方をされると体験が茫洋として、よくわからないけれど納得した顔をしないといけないときがあります。ありきたりな言葉では表せられないことを自分の言葉で表現してもらう、大事な方法論のひとつが語られていますよね。

信田さん:方法論とは思っていなかったけど、私のやり方ですよね。そんなことを言う人は、(同業者で)ほかにいないと思うから。みなさんやっぱり、新しい言葉が出てきたら研修をして、「これも愛着障害、あれも愛着障害」みたいになりがちだから。

岸さん:おこがましいですけど、その辺、僕らは似ているところがあるかもしれないですね。上間さんがやっているのは教育学なのかっていう問いが出てくると思うし、僕も社会学から気持ちがどんどん離れてきていて、沖縄戦について“書く言葉がない”んですよね。

信田さん:いいねえ、今の言葉! 上間さんとも対談で、性被害を“書く言葉がない”って話になりましたが、それと同じですね。

 

岸さん:『同化と他者化』という最初に出した本があるんですけど、差別の本を書こうとして、途中で差別って言葉を使うのをやめるんです。というのも東京に行った沖縄の当事者が、「差別されたことがありません」ってみんな語るんだけど、言葉をそのまま受け取ると、差別自体がなくなってしまうことになる。それで結局、差別という言葉を捨てて、「他者化」にしました。上間さんも臨床の言葉をちょいちょい使うけど、教育学のプロパー(固有)の言葉に絶対に還元しない。ゼロから書いているのは、僕の励みでもあります。

信田さん私も臨床心理学のプロパーの言葉は、やっぱり使えない。だからゼロから作ってきたんですけど、最近、検閲官みたいなことをやっていないかなって自分で嫌になるんです。この言葉は「よし」「ダメ」っていちいち検閲して、偏狭な人間になっているんじゃないかと思って、文章を書くのがどんどん難しくなっています。

岸さん:たしかに「自己肯定感」って使いづらいですね、もう(笑)。

信田さん:信田のコードに引っかかるんです。もう「愛着」も使えないでしょう? だけどそうすると、カウンセリングでもみなさん、ありきたりの言葉を使わず、自分のことを一生懸命語ろうとする。素晴らしいですし、震えるくらい、いいものですよ。

岸さん:上間さんもそうだと思うんですけど、こんなことを言うんだって単純に感動する瞬間がありますよね。とはいえ上間さんが聞く人のケースは重いから、感動もしていられないと思うけど。それでも僕も上間さんも、心に残る言葉があるから本に書いているんだろうなとは思います。

話を聞くことの覚悟と責任。言葉にするのは簡単かもしれないが、三者の語りの端々からそれが感じられた。上間さんは本書のあとがきに、こう記している。「語りだそうとするひとがいて、それを聞こうとするひとがいる場所は、やっぱり希望なのだと私は思う」。苦しみと喜びは合わせ鏡のように、聞くことのなかに存在する。だから聞かずにはいられないのだろう。

 

●プロフィール
信田さよ子(のぶた・さよこ)さん
公認心理師・臨床心理士。駒木野病院勤務を経て、1995年に原宿カウンセリングセンター設立。現在は同センター顧問、NPO法人RRP研究会代表理事。親子・夫婦関係、アディクション(嗜癖)、暴力、ハラスメントなどの問題に関するカウンセリングを行っている。著書に『アダルト・チルドレン 自己責任の罠を抜けだし、私の人生を取り戻す』(学芸みらい社)、『家族と国家は共謀する サバイバルからレジスタンスへ』(角川新書)、『〈性〉なる家族』(春秋社)、『カウンセラーは何を見ているか』(医学書院)など多数。

上間陽子(うえま・ようこ)さん
琉球大学教育学研究科教授。沖縄・普天間基地の近くに住む。2016年夏、うるま市の元海兵隊員・軍属による殺人事件をきっかけに沖縄の性暴力について書くことを決め、翌年『裸足で逃げる 沖縄の夜の街の少女たち』(太田出版)を刊行。2020年に出版した『海をあげる』(筑摩書房)は、Yahoo!ニュース|本屋大賞2021 ノンフィクション本大賞、第7回沖縄書店大賞 沖縄部門大賞、第14回(池田晶子記念)わたくし、つまりNobody賞を受賞。2021年、沖縄の若年ママの出産を支える施設「おにわ」をオープン。

岸政彦(きし・まさひこ)さん
社会学者・作家。立命館大学教授。研究テーマは沖縄、生活史、社会調査方法論。著書に『同化と他者化 戦後沖縄の本土就職者たち』(ナカニシヤ出版)、『断片的なものの社会学』(朝日出版社)、『マンゴーと手榴弾』(勁草書房)など多数。2021年、『ビニール傘』『図書館』に続く小説『リリアン』(すべて新潮社)で第38回織田作之助賞を受賞。1200ページ超のインタビュー集『東京の生活史』(筑摩書房)を発案・企画し、編者を務める。現在は『東京の生活史』のスタイルを取り入れた「沖縄の生活史~語り、聞く復帰50年」プロジェクトに監修として携わる。

本『言葉を失ったあとで信田 さよ子、上間 陽子(筑摩書房)/1980円(税込)
性暴力や虐待の加害者・被害者に、カウンセリングと社会調査という異なる目的・立場で耳を澄ましてきた信田さんと上間さん。それぞれの現場で起こっていることや、問題の根底にあるものなどについて語り合い、仕事の姿勢や方法論を惜しみなくシェアした対談集。普段は聞く側に回ることが多いであろうふたりが、質問を投げかけられて、語ることで新たな気づきを得たり、思考を深めていく過程が興味深く、「聞く」ことの可能性を対話そのもので示してくれている。

(更新日:2022.02.16)
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上手に「書く」「話す」など、発信することに重きが置かれるなか、能動的にひとりの声を「聞く」人たちがいる。歴史に埋もれそうな泡のような話や、声にならない声に、耳をすます人たち。技術としてではなく、その在り方について、話を聞いた。
三者三様の「聞く責任」。信田さよ子さん(カウンセラー)×上間陽子さん(教育学者)×岸政彦(社会学者)さん/本『言葉を失ったあとで』刊行記念トークイベント

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