ある視点

vol.4 ゆっくりじっくり向き合う、ニホンミツバチの島

対馬にニホンミツバチの飼い方を広めている、扇米稔さん。
人間より多い“蜂の住まい”
ニホンミツバチの島
対馬は知る人ぞ知るニホンミツバチの島です。なにやらその理由は、海に囲まれているため他の昆虫が上陸しにくいとか、寒暖の差が大きいためセイヨウミツバチが生きのびられないとか、諸説あるのですが、なにより上陸するとまず驚くのがニホンミツバチ用に設置された住まいである「蜂洞」の数!
分かっているだけで1000人の養蜂家が島内にいて、彼らが持っている蜂洞が平均約30個といわれますので、うん、確かに人口3万人の島に蜂の巣3万個はちょっと多いですね。

右:山の斜面に沿って設置されている「蜂洞」。
島に上陸して、車で移動しながら山のほうに目を凝らすと、至る所に蜂洞が見えてきます。木の幹を利用していたり、角張っていたり、帽子をかぶっていたりと、発見するたびに新鮮な驚きと喜びに出会えます。
何度か「島中の蜂洞をすべて写真に撮りたい」、「数を数えてみようかしら……」と企んできましたが、もう数が多過ぎて写真に撮りきれない!3年通った今でも、たまに奮起しては夢破れる日々です。

蜂洞をあけると蜜がたっぷり!
ニホンミツバチって?
コントロールの難しい自由人(蜂)
私たちが口にするハチミツの99.9%が、セイヨウミツバチの蜜を集めたものといわれます。その残り0.1%が日本在来のニホンミツバチの蜜ですから、ほとんど流通していないといっても過言ではありません。

蜂洞を下からみると、ニホンミツバチたちが働いていました。
そもそもニホンミツバチは、1匹あたりが集める蜜の量がセイヨウミツバチの5分の1ともいわれ、また居心地が悪いとすぐお引越ししてしまう、家畜としてコントロールが難しい自由人(蜂)。商売で養蜂をやる人には極めて都合の悪い相手です。
ニホンミツバチには、居心地のいい巣を用意してあげて、入り口に蜜を塗って迎え入れる準備をしながらゆっくりゆっくり待つんです。

30年前の蜂洞の写真。何も変わってない!
対馬養蜂のイノベーション
ニホンミツバチとの上手な付き合い方
いまから30年前、対馬の養蜂は一気に広がりました。それまでは、「蜂洞」を用意してひたすら待つという“放し飼いみたいな原始的な飼い方”の養蜂スタイルだった対馬では、本当に家族で楽しむ程度の蜜しかとれなかったといいます。
そこで、一発奮起してニホンミツバチとのつきあい方を研究しはじめたのが、扇米稔(おうぎ・よねとし)さん。「ミツバチにできないことをちょっと人間が手を差し伸べてやる。人間の欲を出しすぎず、外敵に負けない群を作り上げる」という蜂との向き合い方や、蜜を効率よくとる巣箱のノウハウを大学の先生たちと確立し、島内に広めていきました。
そのおかげで、それまでよりずっと効率的に蜜の収集ができるようになり、島外の人でも楽しめるまでに生産量が上がりました。最初は数えるほどだった蜂飼いが、今では1000人ほどに増えたそう。

ニホンミツバチの天敵(ツマアカスズメバチ)の駆除もライフワーク。
「蜂を好きになりなさい」
地道に蜂と向き合って40年
対馬で趣味的に楽しまれていたニホンミツバチの蜜を、多くの人が楽しめるように安定供給ができる工夫をしてきた扇さんが、最初に蜂を飼いはじめたのは31歳の昭和51年。
「『蜂飼いするなら蜂を好きになりなさい、怖いと思うたら石になりなさい、あなたは大群で買ってみなさい。』とだけ玉川大学の先生に言われてな。24群から飼いはじめたんだ」と、笑う扇さん。
対馬は蜂の研究者にとって楽園の地。そのため名だたる研究者が対馬を訪れ、扇さんは蜂を通じでその先生たちと出会い、知識を得ていったといいます。
「最初にそれしか言われなかったのは今思うと、自分で研究してやっていけいう指導の仕方だったんだなと思う。おれもこんな年だし、これからは、伝えて行く立場。でも、自分の養蜂の体験談を誰かに話しても、その先まで研究しようとする人は少ない。蜂飼いをする人には、自分で研究していってほしい」。
当初は電気工事の仕事をしながら蜂を飼いはじめたという扇さんですが、その研究熱心な姿に、多くの人が「養蜂を教えてほしい」と訪れてきたといいます。その地道な姿勢は、対馬の養蜂に変革をもたらしました。

お話を聞きながら、たくさんの資料を見せていただきました。
ニホンミツバチ養蜂の危機
“ゆっくり” “じっくり”が対馬流
ご存知の方もいるかもしれませんが、対馬の養蜂は去年から危機に瀕しています。大陸から入ってきた外来種ツマアカスズメバチの繁殖により、ニホンミツバチは攻撃を受けて縮小気味。また、サックブルド病というウィルス性の病気にかかる群も去年からじわじわと増えているとのこと。
この病気にかかると、幼虫が増えなくなり、そのうち「巣がつぶれる」とのこと。「つぶれる」というのは、群が理想的な増え方をしなかったり、引越をしてしまうことをいうんだそうです。
今も島の北から南まで扇さんは調査を進めており、いくつかの町で感染が広がっているのを確認し、対策を考えているとおっしゃいます。「今年から来年くらいまではつらいけど、もう少したつと復活するから、今は待つだけ」ゆっくり、じっくりと向き合うのが、対馬の蜂飼いの作法です。

対馬に1カ所だけある蜂洞神社(三根町の小牧宿祢神社)
底力が試される今
島民総力戦で立ち向かう
実際、昨年くらいから直売所でハチミツをみなくなってきました。ますます貴重になっていく対馬のニホンミツバチのハチミツですが、今、まさに対馬の蜂飼いたちの底力が試されようとしています。ツマアカスズメバチとも、島民は総力戦で向き合っています。研究熱心な扇さんをはじめ、たくさんの方が解決方法を模索しています。
皆さんも、どこかで貴重な対馬のハチミツを見つけたらぜひ買ってみてください。島内のおじさんたちのおすすめは、意外にもトーストに塗る。それから、焼酎のお湯割に溶かしてもおいしいですよ!
次回は、若手の一本釣り漁師をご紹介します!
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中山晴奈
中山 晴奈/1980年、千葉県生まれ。フードデザイナー。筑波大学、東京芸術大学先端芸術表現専攻修了。美術館でのワークショップやパーティーのスタイリングをはじめ、日本各地の行政と資源発掘や商品開発などの食を通じたコミュニケーションデザインを行う。慶應義塾大学SFC研究所上席所員(訪問)、NPO法人フードデザイナーズネットワーク理事長。
https://www.facebook.com/haruna.nakayama.336
https://www.facebook.com/ferment.jp
http://fooddesigners.net
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