特集 この町が美しい理由

見知らぬ港町でつくった居場所を みんなの居場所に変化させていく

真鶴港から歩いてすぐの坂を登る途中、赤ちゃんを抱いた若いお母さんたちが数人、楽しそうに歩いてきた。静かな港町の風景がぐっと鮮やかになる光景。その場所をよく見ると「蛸の枕」という看板が立てかかっている。

6年前に真鶴に移り住んできた山田朋美さんがオーナーを務める「蛸の枕」は、この町で唯一のカフェ&イベントスペースでありながら、親しい友だちの家のような、温かくひらかれた雰囲気の場所。ここは、山田さん自身がこの土地に移り住み、暮らす中でみえてきた“必要な場所”のかたち。ここで日々体験する手ごたえと失敗から目をそらさずに、地域との関わりを育んでいる真っ最中だ。

写真:大森克己 文:菅原良美

真鶴に移り住んできて6年目になります。実は生まれが三浦半島で。大きな環境の違いはなく……半島またぎの女と言われたことも(笑)。ここに来る前は、横浜の開発地のマンションで暮らしていました。最初は湯河原に住みたいなと思って物件を探していたのですが、途中で今の家に巡り合って。すごく気に入ってしまい、家はすぐに買ったのですが、移り住んできたのはそれから2年後。子どもたちの進学のタイミングに合わせたんです。その間は遊びにくる感覚でこの家に通っていましたね。実家の三浦に帰るっていう選択肢もあったけれど、もしかしたら将来行くかもしれない土地。だとしたら、それまでの間は違う土地で暮らしてみようっていう気持ちはあったかな。

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「蛸の枕」オーナーの山田朋美さん

都会は都会で色々な人がいるから好きだし、そこにいるだけで楽しい時もある。だけど、開発地のマンションに暮らして、一向に終わらない工事とクレーン車に囲まれながら、“こういう暮らしってどうなんだろう?”って思い始めたのは確かですね。そこにいると、環境に対してもですが、なんだか人に対する不満が増えてくる気がして。満員電車、混雑した駐車場、スーパーの行列、そこにいる人たちに不満が出てくる。自分もその中のひとりなのに。そういうことにだんだん違和感が出てきて、便利な場所じゃなくても生きていけるんじゃないかと思ったんですよね。

暮らす人々にとって必要な場所をつくる
小さなサイズではじめる“観光業”

真鶴は、縁もゆかりもなく、知り合いが一人もいない町。だから“ここじゃないといけない”理由はなかった。自然が豊かで静かで、行った時に「いいね」って思える場所だったら、それだけでよかったんです。ここは、家の下がみかん園で、空と海の美しい境目を毎日見ることができる。夕方や、夜の海に散歩に行ってのんびりすると、すごくリラックスします。とっても静かな時間で。もう、この静けさがないと生きていけないなって思う。今はお店が忙しくてあまり行けていないからなおさら「なんて贅沢なありがたい時間なんだろう」って思います。忙しい時は、買い物の合間に海によって、砂浜の上に立ってみたり(笑)。同時に自然の猛威も感じますよ。特に台風の時は海がすごく荒れます。風の音もすさまじくて。でもこの海のそばで暮らしていて、日常でこの光景を見ていると、恐怖と同時に「ああこういうものか」とも思うんです。

 

 

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ここに暮らし始めて4年目の2014年、「蛸の枕」をはじめました。今年で3年目かあ ! ここを始める時に描いていたイメージは「みんなの居場所」であること。移り住んできてすぐに子どもを幼稚園に入れたので、真鶴に暮らす“お母さんたち”と関わることが多くて。みんな仕事をしていて、なかなか時間がない。やりたい事があったとしても場所もない。もっとみんなが気軽に集まれる場所が必要だなと思ったんです。それと、私自身、何もだれも知らない町で“人間関係をつくっていく”という意識もあったかもしれない。新しく生活をしていく場所で、自分の家以外の居場所をつくりたかった。新たな人に出会うこと、何かを発信することが同時に起こる場所が。今、自分が移り住んできた場所で、お店をもってイベントをすると、その場所に人を呼ぶことができる。それって小さな小さな“観光業”をやっているような気もするんです。

 

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お店の2階の“手芸部屋”には、羊毛を紡ぐ糸車。イベントで使ったり、山田さんも時間があるときに使っているそう。

 

ゼロから生活をはじめるために
“なにもない場所”へ移り住んできた

私には、ふたりの息子がいます。結婚した時、夫には子どもがいて、そしてまた新しく家族が増えて。3人家族から4人家族になった頃、みんなで新しく暮らしていける所を自然に探し始めていました。その環境を考えた時、なるべくゼロに近い状態からみんなが生活する場所を探していたんだと思います。だからと言って東京や旦那の実家の大阪に行くという選択肢はなくて。意識的に“なにもないところ”を選んでいたかもしれない。子どもたちは、ある程度の歳になれば自分で行きたい場所へ行くでしょう? だからその前に環境的にも気持ち的にも真新しい土地で暮らしてみるのも楽しいかなって。便利すぎないところ。自給自足がしたいとかそういうことではなくて、毎日生活する中で、自然に緑や海や空や温度などに意識が向かうことができる環境。体にそういう感覚が入ってくる体験は子どもの頃にあったほうがいい。それはここに来て改めて感じたことだし、自然と表れてきた感情です。 

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私、こんな感じなので子どもたちには、勝手者とか自由人って言われています(笑)。私は何より子どもたちが大事。自分が落ち込んでいる時は子どもの顔を見ます。そうすると、与えられているんだけど、自分が与える立場なんだっていう確認にもなるんです。守らなくちゃいけないなって。それこそ自分の居場所ですね。そういう場所を彼らは私に教えてくれているから。家族の中にいると、じわぁっと「よかったなあ」って思う。この感情は何にも代えられないなって、本当に心底からそう思う時がある。最近、私が子どもに突然「ブロッコリーの犯罪が多いから気をつけてね」って言ったらしくて。多分お店の仕込みのことでブロッコリーが頭にあったんでしょうね(笑)。そんなのばっかりで、いつもだいたい笑っているかも。

地域に向かっていく行動が
コミュニケーションを生み出す

お店を2年やって、お客さんを見ながらお店のあり方を考え続けています。客観的に見ることができるようになってくると、どう行動していくべきかも見えてくる。その時に、自分のスタイルを尊重することも大切だけど、もっと自分と地域が関わっていかないといけない。そう思うと、行動を起こす要因を見つけたって感じがして。

真鶴は観光でくる方も多いので、おいしいお寿司が食べられたり干物を買って帰れたり、名産を伝えていくお店も必要。だけど、その中にスタイルが決まっていないお店があるのもいいかなって。なにか強い特徴があるわけではないかわりに、息抜きになるようなお店。ここでイベントをやることで、宣伝をしたり、駐車場スペースが足りなくてご近所さんに相談にいったり。それまで特に関わりはなかったんだけど、「蛸の枕です」っていうと、地域の人は知ってくれている。その時に、自分がどれだけ地域に向かって動けていなかったかを痛感しました。ここに暮らして6年目になる今、改めて思う。もっとやっていくべきなんだなって。「お店をやっているんで来てください」ではなくて、「私はこの場所でこういうことをやっています」って話すことで、コミュニケーションがはじまる。もっと自分が地域と関わっていくために行動をおこさないと。

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“ふつうのおかあさんがつくる家庭料理”をモットーにしたカフェのメニュー。この日のランチは魯肉飯。

全部自分で選んできたこと。土地に慣れるまで時間はかかるけど、今は次の段階にいるような気がします。いろいろなことを勉強させてもらって、自ら行動することが大事だなって。すごく勇気がいることだし、うまくいかないこともあるけれど、自分で“良いように”していきたい。そうやって動いている場所が、今私が選んで暮らしている真鶴という感じかな。

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夜に2階スペースで開かれたワインのテイスティング会。近隣に住む女性たちが集まり、あれこれおしゃべりしながらリラックスできる時間。

これからは、このお店のスペースをどう使いたいか、利用してくれる人からいろんなアイデアが生まれてきて、自然とこの場所が動いていくようになったらうれしい。みんなの居場所として機能していくこと。クラフト市やったり写真館やったり。一つひとつ物事を軽んじずに、新しいことを発信していきたいなと思っています。ここがこの町の文化的な場所になったらいいなあ。近所の人、学生さん、学者さん、外国の人、音楽家や俳優さんが来たりとかね!(笑)。小さな町だけど、そういう拠点になれたら楽しいなあって思う。あくまでもニュートラルな存在として。周りから「なんか変わった場所だけどおもしろそうだな」って思ってもらう、でもこちらからすると「それが日常ですよ」って言えるような場所がつくっていけたらいいな。

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蛸の枕
住所:〒259-0201 神奈川県足柄下郡 真鶴町真鶴701-1
電話:0465-69-1331
時間:10:00-17:00 〈ランチ〉11:30-14:00 ラストオーダー16:00
定休日:月、火
http://takonomakura.octopus-pillow.com/top
(平成29年6月25日閉店)

見知らぬ港町でつくった居場所を みんなの居場所に変化させていく
見知らぬ港町でつくった居場所を みんなの居場所に変化させていく
山田朋美さん やまだ・ともみ/神奈川県・三浦市生まれ。2010年に横浜市より真鶴町へ移住。その3年後に真鶴で唯一のカフェ・イベントスペース「蛸の枕」をオープン。ワークショップ、ライブ、写真館、ワイン会などイベントも多く開催し、地元の人と外から来る人たちのタッチポイントにもなっている。
(更新日:2016.03.24)
特集 ー この町が美しい理由

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この町が美しい理由
20年以上前に施行されたまちづくり条例『美の基準』が息づく神奈川県・真鶴町。ここに移り住んだ人、長く暮らし続ける人々の言葉から町の記憶と未来を結ぶ。
見知らぬ港町でつくった居場所を みんなの居場所に変化させていく

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