INTERVIEW
  • 土地の力を紡いだ『美の基準』は、 真鶴をなにも“変えなかった”

神奈川県・真鶴町

この町が美しい理由

箱根と熱海など大きな観光地はさまれた半島、神奈川県・真鶴町。懐かしい原風景の中にいるような小さな美しい港町です。そして20年以上前に施行された『美の基準』という、まちづくり条例が息づく町でもあります。ここに移り住んできた人、長く住み続けている人たちの言葉を通して、真鶴の記憶と未来を結びます。

土地の力を紡いだ『美の基準』は、
真鶴をなにも“変えなかった”

神奈川県
三木邦之さん、三木葉苗さん
神奈川県・真鶴町
bonami
居住地: 真鶴町
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神奈川県の真鶴町は、高層マンションやショッピングモールのような商業施設はなく、昔ながらの小さな家が建ち並ぶ美しい町。そうした町並みを守った存在として『美の基準』があげられる。『美の基準』は1993年制定、翌年から施行された「まちづくり条例」だ。場所、格づけ、尺度、調和、材料、装飾と芸術、コミュニティ、眺めという8つの観点から、まちづくりを定義している。それぞれのキーワードは、平易ではありながらも、文学的とも思える言葉で表現され、読む者の想像力をかき立てる。

「豊かな植生」「静かな背戸」「終わりの所」「舞い降りる屋根」「覆う緑」「少し見える庭」「小さな人だまり」「さわれる花」など、言葉を拾っていくだけで、おおらかなまちの営みが思い浮かんでくるようだ。

まちづくり、デザインコードという言葉が躍るので、建築法のように思われることが多いが、ここに書かれていることは、住民の意識。強制もしておらず、住民の共通したルールとなっている。ではそのルールはどこからきたのか。それは新規につくったのではなく、真鶴にかつてより伝わってきた作法をまとめたものだ。

1ページ目にはこうある。

「本デザインコードは、町、町の人々、町を訪れる人々、町で開発しようとする人々がそれぞれに考え、実行していくべき小さなことがらを一つひとつ綴っています。」

真鶴町民は、まちのあり方を自分たちで考え、自分たちで決めてきた。それをこれからも続けられるように、『美の基準』としてまとめたのである。

これをまとめあげたのは、1990年から2004年まで真鶴町長を務めた三木邦之さん。真鶴に生まれ育ち、現在も真鶴在住。そして『美の基準』の制定をはじめ、邦之さんの政治活動を一番間近で見てきた、長女の三木葉苗さんも、『美の基準』に影響されていることを公言する。現在は妹の咲良さん、夫の杉山聡さんとともに、活版印刷と手製本づくりのユニット「Bonami」として活動してる。

今回は、三木邦之さんと三木葉苗さん、ふたりの対談が実現した。『美の基準』をつくった父の思い。その背中を見てきた娘が思う『美の基準』の今。そしてふたりが思い描く真鶴の未来の姿。そしてまちというものの本質的なあり方について語ってもらった。

写真:大森克己 文:大草朋宏

『美の基準』が生まれる
“以前”の真鶴の記憶

三木邦之さん(以下、邦之さん):昭和30年代、私が子どもの頃に暮らしていた真鶴は、ブリがよく獲れて、“ブリバブル”なんて呼ばれる時代がありました。

三木葉苗さん(以下、葉苗さん):戦後は、ブリの恩恵が大きかったようですね。真鶴は漁師の町だったからこそ、どの家も海が見えるように建てられている。毎朝、家から海の状況を確かめたんですね。掘っ立て小屋とかトタンの家が多くて、趣のある古民家とかは少なくて。坂道に小さなお家が並んでいる素朴な街並みが魅力です。景観に対する美意識などなくても、海と共に生きる暮らしそのものが、美しい街並みに一役買っているんです。

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邦之さん:家は小さいけれども、必ず海が見えるから、その景色が自分の庭のように感じられて、気持ちが大きくもてるわけですね。

葉苗さん:海は世界に繋がっていると思うせいか、小さな町に住んでいても、閉塞感があまりないんです。若い頃でさえ、「この田舎を出なければ」というような焦りは感じていなかった。実際、東京からもそう遠くないですし。でも90年代になると、真鶴にも、古くから続いてきた町並みを壊してしまうような開発の波がやってきました。そこからこの土地を守ったもののひとつが、『美の基準』だと言えます。

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三木邦之さんと三木葉苗さん。Bonamiのアトリエにて。

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邦之さん:『美の基準』は、国の基準から“ハミ出している条例”なんですよ。当時は、「裁判になったら負ける」とか「訴訟の山になる」と、散々おどかされました。しかし私は、この条例を引っ提げて町長に当選し、「これは真鶴町民1万人の意志である」と、宣言しました。何かあったらもちろん私が責任を取ると腹をくくって。そうすると開発業者も「真鶴はいろいろとめんどくさい人たちがいる町だ」と避けるようになっていった気がします(笑)。

葉苗さん:それで、開発業者もここから湯河原や熱海に目的を移していった。今でも湯河原にはマンションがたくさんあります。それを受け入れてしまったから。真鶴のケースは、小さな町がバブル、つまり“経済の大きな価値観“に逆らった、数少ない一例だと思う。

邦之さん:真鶴は漁業や石材業が中心だったから、理論立てていたわけではないかもしれないけれど、人それぞれが、町を守る作法を持っていました。『美の基準』は、町がこれまでずっとやってきたことを忘れないように、明文化して残しただけなんです。

葉苗さん:『美の基準』が真鶴のすべてを完璧に守っている、ということではなくて、それ以前から町民に息づいていた作法が、すでに真鶴を守っていたのだと思う。『美の基準』は何かを変えたのではなく、何も変えなかったのです。

 

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真鶴町まちづくり条例『美の基準』より

 

『美の基準』が語りかける、
まちのあり方

葉苗さん:Bonamiとしてともに活動している私の妹は、自閉症で、言葉を持っていません。それだけに、私は誰よりも言葉というものに対して考えてきたという自負があります。でも『美の基準』を初めて読んだとき、ものすごく感動して。それは、文章の表現力がどうこうではなく、私はこれまで、こんなに大事なことを文章にしたことがあったのだろうか?と。『美の基準』は、私にとって大事なものだけど、同時にコンプレックスでもある。まだまだ父には敵わないと思い知らされたものなんです。

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Bonamiのメンバーは、三木葉苗さん、杉山聡さん、 三木咲良さん。猫のカトリも大事な仲間。

Bonamiのメンバーは、三木葉苗さん、杉山聡さん、三木咲良さん。猫のカトリも大事な仲間。

穏やかな時間が流れるBonamiのアトリエ。印刷から製本まですべて手作業でていねいに作られたオリジナルの本が並ぶ。

穏やかな時間が流れるBonamiのアトリエ。印刷から製本まですべて手作業でていねいに作られたオリジナルの本が並ぶ。

 

Bonamiの一番最初の絵本『かみきりサックル』を発表したときに、アトリエに『美の基準』も置いておいたんです。すると、訪れる人の多くが『美の基準』に惹かれて本を手にする姿を目の当たりにしました。真鶴や建築、まちづくりなどに興味があったわけではない人でも、見た瞬間に引き込まれていくんです。そしてみんな自分のまちに照らし合わせ読み込んでいくんですよね。

『美の基準』は、決して“雰囲気のいいまちづくり”の話ではないし、“景観条例”でもない。これは政治の話だなって。みんなが真剣に、町の姿を考えていくこと。それはどんな町にも、必要な姿勢だと思うんです。

邦之さん:どんなにいい化粧をしても、元がいい人には敵わないんです。けれど「美しい」というのは外見だけの価値観じゃない。真鶴のように、何もないように見える小さな町でも、独自の美があるんです。自分たちの良さを見つけて、ひとつひとつ引き出していけばいい。『美の基準』は、飾ることではなく、物事の本質に目を向けています。だからこそ、どの町にも響く内容になっているんだと思います。

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邦之さんが教えてくれた、とっておきの場所。

父娘、ふたり。
それぞれの真鶴を感じながら、まちを歩く。

邦之さん:私が子どもの頃は、港が遊び場だったんです。コンクリートで護岸されていない自然港でした。先の方に小さな入り江があって、真鶴の子どもたちはみんな、そこで泳ぎを覚えた。町の発展が子どもたちの遊び場を奪った。私はその分、子どもたちの遊び場を返したい気持ちで町長になったんです。

葉苗さん:私が子どもの頃はすでにコンクリートだったから、遊び場という認識はなかったかな。そういう時の重なりや変化は、自覚がないまま生きている部分もありますね。“『美の基準』のおかげで真鶴は昔の風景が失われていない”なんて説明されることもあるけれど、実は失われているものはたくさんある。

今日、父と歩いてわかりましたが、父の記憶の風景は私が知らない風景。同じ場所なのに、見てきたものが違う。でも、私が子どもの頃に見ていた風景は、まだたくさん残っています。「この道は歩いたことないなあ」と思っていたら、突然ハッとして「やっぱり歩いたことある!」って。子どもの頃の記憶がふとよみがえってくることがあって。土地のなかに時間が溶け込んでいるんだなと。自分が実際に見ている景色と、子どもの自分が見ている景色が層になって重なってくるんですね。

人は、一見なんでもないようなことにでも、ちゃんと情緒を見つけながら生きていくことができると思うんです。父や私のように、同じ場所にずっと住んでいる人間にとっては、その土地が良い悪いでも、好き嫌いでもなく、そこに溶けている時間が大切なんだな、と。私はこの土地に溶けた記憶を持ったまま、続いていく時間のなかで生きています。

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政治家の父の背中から見えた、
まちを思う真剣な姿勢

葉苗さん:『美の基準』について、私の視点で伝えられることがあるとするなら、それは、町のために奔走していた父の背中です。「人の真剣な営みは、大きな力に打ち克つことができる」と教えてもらった。

邦之さん:当時、この町は隣の湯河原から水を買っていてもギリギリの水源状態で、これ以上開発したら生活用水が足りなくなってしまう。そこで私が町長就任直後の1990年に、『水の条例』を制定して、一旦、開発の波は止みました。でも「時代は巡って、必ずまたバブルのような無茶な時代が来るから、そのときのために、今、『美の基準』を定めて準備しておくんです」と住民を説得して回ったんです。

葉苗さん:父と選んだ道は違いますが、Bonamiの活動も真剣に取り組んで、自分にとっても、ほかの誰かにとっても大事だと思えることを、手渡ししていきたい。真面目に、真剣に取り組む姿勢から伝わることがあると、信じています。

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それぞれのまちに
育まれてきたものが、必ずある。

葉苗さん:それぞれのまちに、それぞれの『美の基準』があると思うんです。

邦之さん:雪国には雪国なりの、海辺には海辺なりの、その土地々々で生まれ育ったものがあるはずです。それを大切にすれば、若者がUターンして帰ってくると思いますよ。そういった文化や風土は、簡単には消えやしない。

葉苗さん:人々の気性とか、小さな文化が今も失われないのは、理屈ではないのかもしれません。暮らしていれば、知らないうちに土地の影響を受けます。

少し前に父が「地域は消滅するのか」というテーマで講演会をしたんですが、「消滅しない」という結論でした。自治体が消滅していく可能性はあるけれど、祭りとその土地に根ざした文化があれば地域は消滅しない。それならば開発とか合併とか、そんなに恐れなくてもいいのかな、と。先人たちが築き上げてきた文化を、もっと信じていいんだと。それが『美の基準』そのものだと思うんです。

毎日、この場で、貴船神社を眺めながら、真面目にものづくりをしていく。ホントにそれだけの毎日。そういうことを大切にして、これからも真鶴で生きていきたい。その営みが『美の基準』の精神から外れていなければ、この町はこうして続いていくんじゃないかなと思っています。

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土地の力を紡いだ『美の基準』は、 真鶴をなにも“変えなかった”

真鶴町まちづくり条例『美の基準』Design Code
1,500円

真鶴町役場 まちづくり
住所:神奈川県足柄下郡真鶴町岩244-1
TEL:0465-68-1131
FAX:0465-68-5119
E-Mail:info-center@town-manazuru.jp

Bonami アトリエ
住所:神奈川県足柄下真鶴町真鶴1099-15
オープン日はこちらより確認ください。

土地の力を紡いだ『美の基準』は、 真鶴をなにも“変えなかった”
三木邦之さん、三木葉苗さん みき・くにゆき/1941年、神奈川県真鶴町生まれ。1990年から2004年まで真鶴町長を務める。「水の条例」「美の条例」「美の基準」という真鶴の独自条例を打ち出し、高度成長期の乱開発を食い止めた。

みき・はなえ/1975年、神奈川県真鶴町生まれ。夫の杉山聡、重度自閉症で言を持たない妹の咲良とともに地元真鶴で「Bonami」として活動。原作・印刷・製本・販売を全て自分たちの手で行う出版業を営む。
http://atelierbonami.com/
ホームページ フェイスブック
(更新日:2016.03.31)
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