特集 この町が美しい理由

真鶴を伝える、真鶴に迎える。 地域出版とゲストハウスで描く未来

神奈川県の真鶴町と聞いて、何を思い浮かべるだろうか。周囲にある箱根、熱海、小田原など有名な観光地に対して、この町は美しくコンパクトにできあがっている。それに大きな役割を果たしたのは、20年以上前に施行された『美の基準』というまちづくり条例。この条例が美しい景観やこの町に暮らす人々のコミュニティを守り続けてくれた。

そんな真鶴に縁を感じて移住したふたりが、川口瞬さんと來住(きし)友美さん。2015年4月、ふたりは「真鶴出版」を立ち上げた。全国的にも地域出版というものはまだまだ種が小さい。しかも彼らのユニークなところは、同じ屋号でゲストハウスも運営していること。真鶴を伝えること、真鶴に迎えること。ふたつを融合した先に、真鶴のどんな未来を思い描いているのだろう。

写真:大森克己 文:大草朋宏

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フィリピンから即、真鶴へ
移住を決めたのは熱意と縁

川口瞬さん(以下、川口さん):僕は山口県で生まれました。その後小学生の時に千葉に引っ越してきて、東京の大学へ。卒業後は、大手インターネットプロバイダーの会社に入社しました。

來住(きし)友美さん(以下、來住さん):私は、東京出身です。それから埼玉を経由して、小学校6年生から横浜で暮らしました。川口くんとは大学で出会って。私は大学卒業後、青年海外協力隊のプログラムを利用して、タイの地方で2年間、高校生に日本語を教えていたんです。その後、知り合いがNGOをやっていて、フィリピンのバギオでゲストハウスを始めたということで、勉強も兼ねて働いていました。

川口さん:僕は彼女がフィリピンに行くタイミングで、当時勤めていた会社を辞めることにしました。周りには反対されましたが、以前から自分ひとりで事業をやってみたいという思いがあったので、僕のなかではすごく自然なタイミングだったんですよね。それで、フィリピンへ英語留学に行きました。

來住さん:フィリピンにいたときから、帰国したら都市ではなく地方に住みたいと考えていました。帰国後に日本でゲストハウスをやりたいと思っていたので、訪れる外国人をゆっくり迎えられる場所がよかったんです。だから帰国後は、日本の地方を周ってみるつもりでした。そんな話を以前からお世話になっていたフォトグラファーのMOTOKOさんに相談しているうちに、真鶴という町を紹介してくれたんです。MOTOKOさんは積極的に地域活動をしている人で、真鶴でも活動をしていて。そこで真鶴町役場の卜部直也さんを紹介してくれました。ちょうどその頃、町でも移住に向けた「くらしかる真鶴」という試住プロジェクトを始めようとしていたんです。2週間、お試しで町に住み、暮らすことのできる仕組み。実は、私たちはそのプロジェクトの第一号だったんです。だから町にとっても、“お試し”なので、お互い探り合いで(笑)。でもそれが幸いして、すごく熱意を持って、かつ丁寧に対応してくれたんです。その2週間で、卜部さんは商店街を一軒ずつ紹介してくれたし、プロジェクトを運営している役場と住民、商店街の人々、色々な人たちと交流して、愛着がわいていきました。勝手に縁を感じましたね。

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川口さん:試住期間は、自分たちで物件探しもしました。知らない土地での物件選びは、いろいろ迷うと思うんです。でも時間をかけて探すよりも、とりあえず住んでみようと。ご縁もあったし、ふたりで住めれば十分だった。もし合わなければその時に考えればいいと思って。でも、不動産屋さんに案内されるアパートやマンションなどは、どれもしっくりこなくて……最後にポロッと「平屋に住むのが夢なんです」と言ったら、いまの家に出会ったんです。

“東京を経由しない”
出版を目指して

川口さん:2015年4月に移住して9ヶ月。現在は「真鶴出版」という団体を立ち上げて、出版事業と「airbnb」を利用したゲストハウス事業を展開しています。そのふたつを一緒に運営することがおもしろいなと考えていて。

出版事業では、まず『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』という町歩き冊子を発行しました。町の人に対しても、ぼくたちが何者なのかわかってもらうために、まずはご挨拶のようなものです。掲載するお店も、自分たちの足で、目で、耳で見つけた、本当に良いと思ったものを紹介していきたい。真鶴のようなコンパクトな町だからこそ、濃い内容をつくれると思っています。

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ポケットサイズで町歩きにぴったりな『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』 写真:本人提供

 

出版事業を通して、外に向けて真鶴の魅力をアピールしていくのか、内に向けて真鶴の良さを再認識させていくのか。今は正直いって、どちらがいいのか迷っています。どちらもメリットとデメリットがあると思いますが、町の現状をもっとよく知ってからでないと、安易に軸足を決めることはできないので。今はまず、ゲストハウスという受け皿もあるので、都市に暮らす人や外国人などいろいろな人に来てもらいたいと思っています。

來住さん:私たちの発信が、東京経由ではない点もおもしろいと思っています。メディアなど発信源のほとんどが、今は東京に集約されています。でも、地方から地方に直接発信してみたい。例えば真鶴から小豆島とか、真鶴から海外とか。というのは、いま運営している、「airbnb」のゲストハウスを通して出会う人たちを通して、“世界中には自分たちと感覚の合う人たちがたくさんいる”と感じます。それは世代区切りではありません。大量生産ではなく、サステナブルな生き方を目指しているような層。そこに共感してくれる人たちにコンテンツを届けるのならば、必ずしも東京を経由する必要もないのかなあ、と。

川口さん:これからは“東京/地方”という二項の構図ではなくなっていくと思う。どんどん地方に移住していって、その人たちが現地で宣伝やコミュニケーション、デザインなどその土地特有の仕事ができるのならば、東京の会社に依頼する必要がありません。そうやっていくと都市と地方の区別があいまいになっていきますよね。だからこそ、今自分が暮らし働く場所を能動的に選んでいるかどうかが重要だと思います。能動的に都市を選択しているのであれば、もちろんそれでいいですし。
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ゲストハウスで出会う関係を
丁寧に紡いでいく

來住さん:『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』は、都市の人に真鶴に来てもらって、1日で歩いて周れる規模にしました。この動きはゲストハウスともリンクしていて、ゲストにも時間が合えば私たちが町を案内しています。真鶴港に行って干物を買ったあとに、三ツ石という景勝地に行ったり。夜は買ってきた干物を一緒に調理して食べたりもするんです。

これからは、もっとゲストと町の人をつなげていきたいと思っています。箱根が近く、外国人が訪れることも多いので、外国人と真鶴に暮らす地元のおじちゃん・おばちゃんがふれあう。それを楽しんでいる姿を見たくて。でも急に町にたくさん外国人が歩き出したら、恐いと思う人もいるだろうな、とか。まだまだ日本人、特に地方では、外国人を敬遠してしまうところがあるので。でも、きっかけをつくってあげると意外とすぐ仲良くなれる。だから私たちは、つなげる役目を担えばいい。そういう意味でも、真鶴くらいの小さな規模感がいいかなと。小さい町なら、お店にも歩いてすぐに挨拶に行けるし、一緒に行くこともできる。

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「町の将来をこうしていきたい」というビジョンも必要だと思いますが、あまり大きく考え過ぎると足元が見えなくなる気がしています。考えることよりも、まずは体験していこう、できることからやっていこうと。まずは、小さくてもいいから名前を覚えるくらいの関係性を一人ひとり築くような丁寧な交流をしたい。

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真鶴出版のふたりによる、
真鶴のこと。

來住さん:私は、真鶴に暮らす人たちが好きです。『ノスタルジックショートジャーニー in 真鶴』に掲載しているお店は、個人的に好きな場所が中心ですが、「福寿司」さんも、「高橋水産」の辰己敏之さんも、最初はよそ者扱いされていたような気もするけれど(笑)、何回か訪れると、すごく仲良くなって歓迎してくれるようになって。人情味もすごく感じますね。「福寿司」さんは、よくゲストを連れて食事に行きますが、すごくよろこばれます。地魚定食や握りなど、すべておいしくて。そういえばこの前、大将がfacebookで私に友だち申請してくれました(笑)。

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「高橋水産」さんは、現在は店主の辰己さんがおひとりで製造から販売までやっていて。自家製造している干物屋さんは、真鶴にもう3軒しか残っていないんですよね。地魚の干物であることを大切にされていて、そんなこだわりにも惹かれます。最近買って食べたトロアジと塩サバも、脂がのってふっくらしていてすごくおいしかった!

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川口さん:僕は『美の基準』に惚れた部分もあります。『美の基準』は、真鶴町が制定したまちづくり条例です。これのおかげで、80〜90年代の都市開発の波に飲まれず、今も真鶴には美しい風景が残っている。真鶴で最初に僕らを案内してくれた町役場の卜部直也さんも実は、『美の基準』に惚れて移住した大先輩です。卜部さんが連れて行ってくれた『美の基準』をめぐる町のツアーでは、建物や道、景観の意味などを教えてくれました。“背戸道”と呼ばれる細い裏道があって、その道にはお花がたくさん置いてあるんです。それは「さわれる花」という項目に書いてあります。町が置いたのではなく、住民が積極的に置いているものなんです。このようなことが『美の基準』にはたくさん定められています。

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大阪出身の卜部さん。学生時代に出会った真鶴町の『美の基準』をきっかけに、2000年に移住。現在は、真鶴町役場に勤務。

大阪出身の卜部さん。学生時代に出会った真鶴町の『美の基準』をきっかけに、2000年に移住。現在は、真鶴町役場に勤務。

真鶴に移り住んでくる人の
入り口としてできることを探して

川口さん:真鶴町では、去年(2015年)から本格的に移住促進の動きが始まりました。その一部の事業を僕たちに委託してもらって、移住希望者にとって役に立つようなウェブサイトを制作しています。また、今は真鶴のメインストリートである大道商店街の元和菓子屋さんをみんなでリノベーションして、お試し暮らしができる施設を作っています。

來住さん:その土地にすごく詳しい地元の人も必要だけど、なかなか移住者の目線に立つことは難しい。私たちのように最近移住してきた立場でも、できることがあるんじゃないかなと思っていて。きっとこの町に初めて来た人にとっては気軽に話しやすいだろうし、いい距離感で接することができると思うので。

川口さん:今後は、ほかの地方や海外に向けて、少しずつ出版物を増やしていきたいです。

來住さん:私はタイにも拠点がほしいですね。しかもバンコクではなく地方。そこと真鶴がつながっていくのも、おもしろそう!

川口さん:でも、まずは出版とゲストハウスで生活の基盤をつくることで一生懸命です(笑)。

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編集協力:神奈川県

「真鶴出版」
神奈川県足柄下郡真鶴町岩240-2
http://manapub.com/
https://www.airbnb.jp/rooms/6171687

真鶴を伝える、真鶴に迎える。 地域出版とゲストハウスで描く未来
真鶴を伝える、真鶴に迎える。 地域出版とゲストハウスで描く未来
川口瞬さん、來住友美さん(真鶴出版) かわぐち・しゅん/大学卒業後、IT企業に勤めながらインディペンデントマガジン『WYP』を発行。“働く”をテーマにインド、日本、デンマークの若者の仕事観を取材した。2015年4月から神奈川県真鶴町へ移住。

きし・ともみ/大学卒業後、2年間青年海外協力隊でタイ南部に日本語教師として派遣される。その後フィリピン・バギオの環境NGOにおいてゲストハウスの運営を行う。2015年4月より真鶴町へ移住。
(更新日:2016.02.03)
特集 ー この町が美しい理由

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この町が美しい理由
20年以上前に施行されたまちづくり条例『美の基準』が息づく神奈川県・真鶴町。ここに移り住んだ人、長く暮らし続ける人々の言葉から町の記憶と未来を結ぶ。
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